新世紀エヴァンゲリオン 蒼い瞳のフィアンセ


第36話 ニブチン

「さあて,シンジ。私達も寝ましょう。」 ヒカリの誕生会の後,アスカは,シンジの部屋に来ていた。実は,アスカの部屋とシンジ の部屋は,奥の方で繋がっていて,ドアを開けると自由に行き来が出来るのである。アス カとシンジの部屋に鍵をかけておけば,二人が夜一緒に寝ていることが誰にも分からない という訳である。 「うん,でもちょっと話したいことがあるんだ。」 シンジは何か言いたそうな顔をしていた。 (あれ,シンジの顔がいつになく真剣ね。どうしたんだろう。) アスカはとりあえず,話を聞くことにした。 「うん,いいけど,横になってからでもいいでしょ。」 「うん,いいよ。」 こうして二人は横になって向かい合った。 「で,何よ,話って。」 「うん,実は,アスカにどうしても聞きたいことがあったんだ。」 「ふうん,なあに。」 「僕の誤解だったらごめん。実は,アスカは以前は僕のことを嫌いだったんじゃないかっ て思うんだ。それが何でこうなったのか,疑問に思うと,いても立ってもいられないんだ。 だから,その辺の話しを聞きたくて…。」 「なによ,今更。そんなこと話してもしょうがないじゃない。」 「うん,でも凄く気になるんだ。僕はアスカが好きだけど,アスカが僕のことを嫌いにな ったらどうしようって,不安になるんだ。もし,理由があるなら,それを直したいんだ。」 「そう…。でも,直らなかったらどうするの。」 「ううん,絶対に直してみせる。」 「そう,じゃあ話すわ。まあ,アタシももやもやとした気持ちだったから,間違いないと は言えないけど,『多分こういう理由でシンジに対してイラついていた。』なんて位のこ とは言えると思うわ。」 「やっぱり。じゃあ,ズバリ言ってよ。」 「そうね,シンジは鈍いから…。それが理由だと思うわ。」 「アスカ…。それじゃあ抽象的で,良く分からないよ。」 「そう…。はっきりと言われたいのね。じゃあ,ちょっと長くなるけどいいわね。」 「うん。」 「シンジもアタシに父親がいないことは知っているわね。」 「うん。」 「アタシ,小さい頃は良くいじめられていたの。父親がいないからって。そんな時,ある テレビで,アタシみたいな父親の顔を知らない主人公が活躍する番組があって,アタシは それを気に入ってて,良く見ていたのよ。」 「うん,それで。」 「でね,その主人公の父親は,人類全体のための戦いに身を投じていたの。だから,幼い 主人公と妻を捨てて,敵の組織に潜入したのよ。主人公はそんなことは知らないから,小 さい頃はいじめられても,何も言い返せなかったの。お前の父親はお前を捨てたんだって 言われても…。」 「ひどい話しだね。」 「その父親は,戦闘機のパイロットで,自分が父親であることを隠して何度も主人公を助 けるのよ。格好良かったわ。その父親は,いつも赤い戦闘機に乗って,赤い服を着ていた の。アタシが赤が好きなのは,それが理由かもしれないわね。」 「そうなんだ。」 「その父親は,最後は主人公の命を助ける為に,大勢の人命を救うために,自分の身を犠 牲にするのよ。だから,幼いアタシは思ったわ。アタシの父親も同じだったらいいなって。 シンジ,ここまで聞いて,何か思うことは無いかしら。」 「ううん,なんだろう。」 「アンタの父親は,外見は悪いけど,それこそ人類のために戦っているわよね。もし,ア タシだったら,碇司令が父親って分かったら,涙を流して喜ぶと思うのよ。だって,そう でしょ。自分の父親が,人類を守る為の組織のトップだなんて,少なくてもアタシにとっ ては,こんなに嬉しいことは無いわ。自慢出来るとまでは言えないかもしれないけど,あ の人が父親だって,胸を張って言えるじゃない。なのに,アンタはどうだった。『あんな 父親』呼ばわりして。組織のトップに立つ者の苦労を知らないで,言いたい放題だったじ ゃない。」 「でも,それがどう関係するの。」 「まだ分からないの,アンタは。そうねえ,他人が食べたくても食べられないごちそうを 目の前にして,『こんな不味いもの食べられないよっ。』って言っているようなものなの よ。分かる,そんな不味いものですら,食べられない人が大勢いるのよ。それを聞いたら, 食べたくても食べられない人は惨めに思うしかないじゃない。アンタは,アタシが欲しく て欲しくてたまらなかったものを易々と手に入れながら,『こんなの要らないよっ。』っ て言っていたのよ。今となっては,シンジの気持ちも分かる。けどね,理屈じゃ割り切れ ないことなのよ。」 「そ,そんなあ。」 「こう考えて。格好良い男がいて,アタシがその男のことが好きで虜になったとするじゃ ない。シンジがアタシのことを心底愛しているのに,アタシはシンジじゃない男を選ぶの。 アタシが身も心もその男に捧げたと思ってね。その男が,『あの女は,うざって〜からい らね〜よ。』って言っているのを聞いたらどう思うの。」 「そ,それは…。」 シンジの顔は青ざめた。 「ねっ,嫌でしょ。その男が悪いんじゃないって分かっていても,嫌でしょ。だったら, アタシの気持ちも少しは分かってよ。」 「で,でも…。」 「じゃあ,もっと別の言い方にするわ。シンジはテストで90点を取ったのに,『90点 しか取れなかった。僕って馬鹿だ,最低だ。』って言ってるのよ。アンタは自分のことし か言っていないと思うかも知れないけど,そうじゃないわ。そのテストで50点や30点 しか取れなかった人は,アンタの言うことを聞いて,どう受け止めると思うの?アンタは, 自分のことだけを責めていると思っているようだけど,実際は他の人を思いっきり馬鹿に しているのよ。他の人を思いっきり傷つけているのよ。それが分からないの?しかも,悪 気がないから,始末が悪いわ。」 「アスカ…。」 「アタシは何度も注意したわよね。自分を責める癖を直すようにって。本当は人を馬鹿に するのもいい加減にしろって言いたかったのよ。でも,アンタは分かってくれなかった。 そして自分を責めたわ。でも,同時にアタシや他人のことを思いっきり責めて,思いっき り馬鹿にしていたのよ。」 「そうか…。僕は,そんなに酷いことを言っていたのか。」 「シンジ,体の傷は見えるから,普通の人ならやり過ぎて大怪我をさせることは無いわ。 でもね,心の傷は見えないから,いくらでも傷つけてしまうのよ。婚約披露パーティーの 時もそうなったかもしれないのよ。もし,あの時アタシが大きな指輪をしていったら,ミ サトは恥ずかしくて,指輪を人に見せられなかったわ。シンジはそんなことも分からなか ったでしょ。」 「そうだね…。アスカの言う通りだ。」 「まあ,それは置いといて,前の話しをすると,アタシだって,シンジが弱いけど優しい 奴だって分かっていたわ。だから,我慢していたの。シンジは弱いから,守ってあげない としょうがないんだって,自分に言い聞かせていたのよ。まあ,言ってみれば,目下の者 に対しては寛大な気持ちになろうっていう奴ね。良いか悪いかは別にして,最初のうちは そうやってシンジに対する怒りを抑えていたのよ。」 「そうか。でも,僕のシンクロ率がアスカを抜いてしまった。」 「そう。それからは,シンジに対する怒りを抑える術が無くなってしまったの。せめて, シンジが人類のために,自分の身を捨てて戦うような奴だったら我慢出来たと思うの。で も,シンジは戦えるのに逃げ出したじゃない。」 「そうだね…。あれは…,反省している。」 「それに,シンジは『何故戦わない。』とか『お前が死ぬぞ。』って言われても,『人を 殺すよりは良い。』って言ったでしょ。あれって,アタシの人生を思いっきり否定する言 葉だったのよ。」 そう言いながら,アスカはいつしか目に涙がたまっていることに気付いたが,構わずに続 けて言った。 「アタシは,エヴァに乗って戦うために,大勢の人の命を奪ってきたわ。ママの願いをか なえるため,人類の未来を切り開くために,血の涙を流して戦ってきたわ。それをアンタ は否定したのよ,思いっきりね。自分の信じてきたものを否定された時の気持ちって分か る?まるで,魂をごっそりと抉り取られるような気がしたわ。アタシにとって,この身を 切り裂かれるよりも,ずっとずっと辛いことだったのよ。」 アスカの両目からは涙が止めどなく流れていった。 「シンジが嫌な奴だったら良かったのに。そうすれば,心の底から憎めたのに。でもね, 多分その時既に,アタシはシンジのことを仲間だと認め始めていたのよ。敵に罵られるな らまだ分かるわ。でも,味方に,アンタみたいに優しい奴に責められるなんて,アタシは 一体どうしたら良いのよ。敵に罵られるよりも,味方に罵られる方が辛いのよ。分かって るわ,シンジがアタシを責める気持ちが無かったっていうことは。でも,シンジの言葉は, 確実にアタシのことを責めていたのよ。そして,アタシの心を何度も何度も切り裂いてい ったのよ。」 アスカは,いったん言葉を止め,少しの間沈黙したが,再び続けて話し出した。。 「アタシも,シンジに自分の過去を話していなかったから,しょうがないと言えばしょう がないんだけど,でも,アタシは自分の過去を誰にも知られたくなかった。思い出したく もなかった。思い出すのもおぞましい過去だもの。だから,話すことが出来なかったのよ。 それは何となく分かってくれるわよね。」 「アスカ…。本当にごめん。謝って済むことじゃないとは思う。でも,今の僕には謝る以 外,どうしたら分からないんだ。」 シンジは,本当にすまなそうな顔をして謝った。 「じゃあ,約束して。意味も無く自分を責めないで。どうしても責めたいと思っても,決 して口には出さないで。それを言ったら,誰かが傷つくかもしれないっていうことを良く 考えてから言って。それにアタシの言うことは絶対に守って。こう言うと生意気かもしれ ないけど,こういう点に関しては,アタシの方がシンジよりも分かると思うの。だから, アタシの言うことは絶対に聞いて。例え理由を言わなくてもね。アタシだって,理由を言 えない時もあるの。あの指輪の時がそう。シンジに言えなくて,嘘ついちゃったけどね。」 「そうか。アスカには気を使わせてばかりだったんだね。ごめん,僕って本当にバカだよ ね。鈍くて,思いやりが無くて,どうしようも無い男だ。」 「ほら,言ってるそばから,そんなことを言う。それが駄目なのよ。」 「あ…。」 「でも,良くなろうと思う心があるうちは良いわ。そういう心を失った人はもう駄目なの よ。シンジはそうじゃないでしょ。」 「うん,良く分かったよ。これからも迷惑をかけると思うけど,僕を見捨てないでね。」 「アタシを裏切らなければね。アタシは,裏切りは絶対に許さないから。」 「うん,分かったよ。でも,アスカは僕のことをいつになったら許してくれるの。」 「もう,シンジったら,本当に鈍いのね。アタシはシンジのことが嫌いなんじゃないの。 許さないんじゃないの。ただ,理屈じゃ割り切れない,もやもやとした気持ちがあるって いうことなのよ。だから,これ以上アタシのことを責めないで欲しいの。今までは何も知 らなかったからしょうがなかったけれど,これからはもう違うでしょ。アタシの心の中の 想いを全て打ち明けたんだから。それが何を意味するのか,よ〜く考えてよ。」 「え〜っ,分からないよ。」 「も〜っ,信じらんない。この,ニブチン!」 アスカはシンジに背を向けた。 「分かったよ。とにかく,アスカの言うことを聞くよ。今はそれで勘弁してよ。」 「そうね,アンタみたいなニブチンには,それが限界のようね。それで勘弁してあげる。」 「そうか,ありがとうアスカ。こんな僕だけど,見捨てないでね。アスカのことを思う気 持ちだけは,誰にも負けないから。それだけは信じて欲しいんだ。アスカ,大好きだよ。」 シンジはそう言って,アスカを背中から抱きしめた。 「シンジ,今日は変なことはしないでね。今日は,何か変なことをしたら,裏切り行為と みなすから。胸を揉むのも駄目。下着の中に手を入れるのも駄目。分かったわね。」 「う,うん,分かったよ。」 シンジは冷や汗をかいた。いつも自分が何をやっているのか,見透かされているような気 持ちになったようだ。 「じゃあ,お休み。」 「うん,お休みなさい。」 こうして,アスカは胸の内のつかえをシンジにぶちまけた。だが,心の中全てを話した訳 では無かった。 (シンジ,アンタはアタシの命を2回も救ってくれたのよ。それが口だけ男とアンタとの 大きな違い。アタシは命の尊さを誰よりも知っている。だから,アタシは,その恩は決し て忘れない。だから,アンタを許せるのよ…。それに,言わなかったアタシも悪いってい うのは良く分かっているわ。だから,シンジのことを嫌いになったことなんてないのよ。) そのうち,シンジはアスカの手を握り,指と指を絡めてきた。 (まあ,これくらいは良いか…。) そう思いながら寝ようとしたアスカに,シンジが再び声をかけてきた。 「アスカ,もう一つ聞きたいことがあるんだけど,いいかな。」 「うん,なによ。」 「アスカは,行方不明になったり,心を壊したりしたよね。あれって,やっぱり僕のせい なのかな。」 「何でそんなことを聞くの?」 「前にある人から聞いたんだけど,アスカのシンクロ率が落ちたのは,自分の敗北を僕に 負けたと受けとめているからなんだって。それが原因で,後で心を壊したんだって。でも, 僕はそれだけでアスカの心が壊れるなんて信じられないんだ。」 (はあ,まったく誰が言ったのよ。このアタシがシンクロ率を抜かれた位で,心を壊す訳 が無いでしょうに。でも,変な誤解は解いておいた方が良さそうね。) アスカは少し考えて,そう結論付けた。 「そう…。今のシンジなら信じてくれそうね。シンクロ率が落ちたのは,さっきも言った ように,鈴原の事件の時に,シンジが『人を殺すよりは良い。』って言ったことも原因の 一つだと思う。でも,心を壊したのは,おそらく使徒の精神攻撃のせいね。アタシの心は, そんなにヤワじゃないわ。」 「そうか。僕のせいじゃないって知って,安心したよ。実は,僕はそのせいでアスカに嫌 われているって思い込んでいたから。」 「はん,このアタシがシンクロ率を抜かれた位で嫌う訳がないでしょ。バッカじゃない, 常識で考えなさいよ。確かに,面白くなかったのも事実だけどね。誰に吹き込まれたのか 知らないけど,そんなこと忘れなさいよ。絶対に嘘だから。」 「うん,分かったよ。良かった,このことは,僕の心の中でずっと引っかかっていたんだ。 だから,アスカが『シンジの恋人になってもいいわよ。』って言った時,直ぐに信じるこ とが出来なかったんだ。」 「そう…。アタシはシンジに嫌われているのかと思っていたしね。お互い様だったのね。 でも,良かったじゃない。お互いに相手のことが嫌いじゃなかったって分かったんだから。 ねっ,そうでしょ。」 「うん,そうだね。」 「じゃあ,今度こそお休み。」 「うん,アスカ,お休み。」 その後,アスカは良く眠ることが出来た。 (第36.5話へ)

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―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― あとがき  とうとう,アスカはシンジに自分の胸の内を明かします。シンジもいつの日か,アスカ の想いが分かる日が来るでしょう。その時こそ,二人が真に心から結ばれることでしょう。   2002.5.5  written by red-x



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