俺を狂わせるは唯一つの花……じわじわと俺の正気を奪う、麻薬のような君――――
鎖の崩壊
ちょっと前からさんがおかしい。そんなことは様子が変わり始めた時からわかっていた。
「でも、それだけは俺にはどうしようもないねん…」
俺は今さんが苦しんでいることに手を出せない。
さんは親父の柵(しがらみ)から逃れられず、毎晩一人で苦しんで…。俺が助けられるものなら助けてやりたい。でもさんを慰めるためにさんと関係を持ってしまえば、もう二度と親子の関係に戻ることはないだろう。
二人に待っているのは暗くて救いようのない堕天の道だけ。そしてまたさんを暗い悲しみに追いやってしまう。そんなことはしたくない…。
「なんで、なんでさんが俺の義母(ははおや)なんや…」
俺は部屋で一人、ベッドに座ってこぶしをベッドに打ちつけた。
(何で叶わん恋なんかしてるんやろう…さんを抱きたくなる衝動を、言い寄ってくる女でごまかして。でも、もうごまかされへん。もう限界なんや。俺は、さんにしか感じへんようになって来とる…。)
さんが無理して俺に微笑むたびに、強引に奪いたくなる。さんの中にある、親父の影をすべて壊しつくすまで――――――。
「侑士君、ご飯が出来ました。一緒に食べませんか?」
階下からさんの透き通るような声が聞こえてくる。俺は深層まで沈んでいた思考を一気に引き戻し、さんの義子(むすこ)としての仮面を被った。いつ壊れるとも知れない脆い仮面を。
「わかった!今行くけん待っといて〜!!」
俺はそうさんに返事するなり、ベッドから立ち上がってダイニングへと急いだ。
「さん、今日のご飯は何なん?」
「肉じゃがとほうれん草のおひたし、後はブリの照り焼きです」
さんの持っているお盆を後ろから覗き、さんの手からお盆を取りながらそういった俺に、さんはふんわりと微笑んでそういってきた。近寄った一瞬、さんの白梅の香の匂いがかすかに香り、俺を惑わせる。その一瞬さえも悟らせないよう、俺はさんに微笑み返した。
「さんって料理上手やな!」
「ふふ。ありがとう…」
二人で他愛もない話をしながらご飯を食べ、TVを見たり本を読んでいるうちに、また夜が深まった。俺達をおかしくさせる夜が…。いつも俺が風呂に入っている間にさんの様子はぎこちなくなり、逃げるように風呂に入った後はほとんど俺と話さず2階の自室に篭(こも)ってしまう。
「このままじゃ、さんはいつか壊れる…。一人であんなこと、させたらアカンのに…。俺には何も出来へん。俺を縛る、家族という鎖がある限り…。ごめんな、さん。」
俺はさんが何をしてるのか知っていて、黙っている。何も出来はしない自分の無力さに苛立つ。でも同時に、さんが親父の名前を呼びながらその行為をしていると考えるだけで、嫉妬に狂ってむちゃくちゃにしたくなる…。
(考えても、状況は変わらんのに…女々しすぎるな、俺は。)
そう思って自分の無駄な思考を振り払うように首を振り、俺も自分の部屋に行くために階段を上った。
(さんの部屋のドア、完璧に閉めてないやん…。)
俺はさんの部屋のドアがかすかに開いていることに気付き、足を止めて閉めるべきかどうか逡巡(しゅんじゅん)した。
その時、風に乗ってかすかにさんの濡れた声が聞こえた。
かすかに、だがはっきりその声が聞こえてしまった俺は、動揺のあまりさんの部屋の前でしばらく立ちすくんでいた―――――――――
我に返ってさんの部屋のドアをそっと閉めた俺は、自分の部屋に戻ってベッドに倒れこんだ。電気もつけず仰向けに寝転び、頬にかかった髪を手で払いながらそのまま顔を覆ってさっきのことを考えていた。
(何で、あの行為の時に俺の名を呼んだんや…。さんは、俺に欲情してるん?親父じゃなく、俺に…?……まさか。そんなはずないやん。何勝手に都合のいいように解釈してるんや俺は。)
の声を聞いてしまったことでどんどん強欲になり、さんを抱いてしまいたいと思ってしまう自分に自嘲の笑みを浮かべながら俺は心の中で叫び、もがいていた。
(俺は、もう限界や。誰か、誰かこの鎖から解放してくれ…。気が狂いそうや!このままじゃ俺もさんも、壊れてしまう…!!!)
その夜は一晩中さんのあの声が頭を支配して眠れなかった。自分を引き止めていた鎖が、音を立てて壊れていくのを感じながら…―――――――
「さん…――――――」
俺は自分の吐くため息全てに君の名前を刻んでいた
貴方1人を手に入れることばかり考えて狂っていく俺をもう一人の自分があざ笑う
それがたとえ罪であっても、貴方の瞳に俺だけを映したい
その美しい瞳に俺以外何も映らないように…
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