その日は土曜日にもかかわらず、最悪な始まりだった。








6th days












…しまった。苦い後悔が私の胸の中で暗いもやとなって広がっていく。

いつもは親が起きてくる前に家を出ているのに、その日は珍しく寝坊して彼女と居合わせてしまった。

さらに都合の悪いことに、今日は彼女の機嫌がMAXに悪いようだ。



「なんであんたがいるのよ…」



彼女、いや母は底冷えのするような眼で私を睨みつけてくる。

光を全く映そうとしない母の目を見ていられなくて視線を下げて自分のつま先を見た。

白い靴下がこの暗くて重くて息苦しい色の中でやけに映えて見える。



「あんたさえいなければ…私は幸せだったのにっ!!」



そう言うや否や、キッチンに駆け込む母。

私はその行動を理解できず呆然として立ち尽くしていた。

母が私の前に再び現れたとき、その手には鈍く光る包丁が握られていた。



「殺してやる…。殺してやる殺してやるっ!!!」



ああ。私はこんなにも疎まれていたのだろうか。

私が生きていること自体、罪なのだろうか。

私が死ぬことで自分を見失った可哀相なこの女性を救えるのだろうか。

それならば私はここで…




殺されるというのに酷く心が凪いでいた。

でも、目を閉じた私の脳裏に浮かんだのは賭けをしようと言ってきた仁王との『死のうとしない』という約束と、私を庇って傷を受けた仁王の姿だった。


まさに包丁が私の皮膚を切り裂く寸前、弾かれたように目を開いてその刃から身をよじって逃げた。

彼との約束を破ってはいけない…賭けの決着がつくまでは、死ねない。


私は母を見据えてその頼りない攻撃を次々と避けた。

震える手で包丁を振り回す母から逃れるのは簡単なことだった。

母はなかなか仕留められない苛立ちに、狂気に歪んだその顔で私に向かって叫ぶ。



「さっさと死んでよっ!!!」



そんな言葉に追いかけられながら逃げるように家から飛び出す。

飛びだす瞬間、彼女が酷く哀れに思えて振りかえった。



「ごめん、ね。ごめん。母さん…」



私がつぶやいたその言葉が聞こえたのか、魂が抜けたかのように力なくその場に座り込むの母の姿が眼の端に映った。



なぜ、こうなってしまったのだろう。




私が原因なのだろうか。私が原因なのなら、もうすぐ母の心は救われるだろうか。



すべてがうまくいくといい。




そんなあり得ないことを色々考えながらぼんやりと歩いていた。

ここまで歪んでしまったあの家が、私がいなくなることでうまくいくはずはない…。

なのに私は、祈らずにはいられなかった。










もはや癖になっているのか、その足はいつの間にか通いなれた学校の近くまで来ていた。


皮肉なものだ。決して心休まるところではないというのに。

喉の奥でクツリと笑い、俯いたまま私の足に行く先をゆだねた。



ぽーん…ぽーん…という音が聞こえて顔を上げる。

音につられて上げた視線の先には、すでに朝練が始まっているテニスコートが見える。

そこには前日から逢っていなかった仁王が、屋上にいるときとは別人のような真剣な表情でボールを追いかけていた。



テニス部だったんだ…。あーあー。楽しそうに球追いかけちゃって。

いつもの無気力君はどこ行ったんだ。

確かテニス部は全国区の強さだったはずだ。そりゃ忙しかっただろう。

少なくとも私にかまっている暇などない程度には。



「怪我、大丈夫なのかな…」



また胸があの時のようにじくじくと痛みを訴えてくる。

私のせいで怪我をした仁王。さっきも私の命を救ったようなものだ。

かばわれたあの時、私はどう思った?

少しでも、ほんの少しでも『嬉しい』と。思ったのではないだろうか。

いつも屋上にいる仁王がいなかった時、胸が痛んだのは何故。






「寂しかったんだ…」



認めてしまおう。寂しかったのだ。私は。

誰にも必要とされず、このまま死んだように生きることが。

まさに死のうとしていた時、ほかの人とは違う接し方をしてくれた仁王に少なからず興味をいだいたのだろう。



「でも」



賭けは私の勝ちだよ。

それだけは、変わらない事実。

死ぬために生きてきた私が、最後に勝つための賭け。それだけは譲れない私のプライド。












どれくらいの時間、そうしてテニスコートを見ていたのだろうか。

白くなるぐらい握りしめていた手に気づいて苦笑しながらゆっくり手を開いた。



。どうしたんじゃ?」



突然かけられた声にドキリとして振り返ると、そこには先ほどまで私が考えていた仁王がいた。



「え、ちょっと待って。何でこんなところにいるの?」

「それはこっちのセリフじゃ。」



呆れたように溜息を吐きながらそう返してくる仁王。

だって、仁王は練習中で。私はバレるほど近くにはいなくて。

なのになんで気付かれた?



「あんな熱い視線送られたら気付くわ。俺でもな」



私の混乱をよそに、仁王は楽しげにそう言って私の手を引いて歩きだした。

私が混乱から脱した時にはすでに学校の門を出ていた。



「って!!まだ練習中でしょ!?出ちゃだめじゃん!」

「よかとよ。ちゃんと許可はもろた」

「はぁ?」

「今日はサービスデーじゃ。」



そういえばすでに制服だし。ラケットも持っていないし。ちゃんとカバン持ってるし。

用意周到だなおぃ。などと幾分落ち着いてきた脳みそで情報を処理する。

手をつないだままどんどん引っ張られて進んでいるが、どこに行くのだろう。

…………手?

はっと気づいた私は、公衆の面前で平然と手をつないで歩いていたことに愕然とし、奴の手をぶんぶん振りはらって手を放そうとした。

が、手を振ると逆に強く握られて振りはらえない。



「ちょっと!手!手ぇ放せ!!」

「い・や・じゃ」



冗談じゃない。こんな公衆の面前で。羞恥◎○イじゃあるまいし。



「はーーーなーーーせーーーぇ」

「着くまでは離さん。」




何を言っても離してくれそうにない仁王の様子に、溜息をつきながら私は従順な捕虜となったのであった。














>> 後編

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後書き

はいすみません。長くなりすぎたのでいったん切り。

ええ。まとめれませんでしたとも。

自分で敷いた伏線を使い切れない・゚・(ノ∀`;)・゚・



2007.9/15  紅牡丹

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