童話とメルヘンとインドネシア
ヘーラーの息子のヘーパイストスは、アテーナイの神話的な王エリクトニオスの父とされる。彼はアテーナーに欲情し女神を追って交わらんとしたが、女神が拒絶し、彼の精液はアテーナーの脚にまかれた。女神はこれを羊毛で拭き大地に捨てたところ、そこよりエリクトニオスが生まれたとされる[75]。リュカーオーンは、アルカデイア王ペラスゴスとオーケアノスの娘メリボイア、またはニュンペーのキューレーネーの子とされる。彼は多くの息子に恵まれたが、息子たちは傲慢な者が多く神罰を受けたともされる。アルカディアの多くの都市が、リュカーオーンの息子たちを、都市の名祖として求めた形跡がある。また、アプロディーテーは、トロイア王家の一員アンキーセースとのあいだにアイネイアースを生んだ。アイネイアースは後にローマの神話的祖先ともされた。アイアの金羊毛皮をめぐる冒険譚「アルゴー号の航海譚」に登場するコルキス王アイエーテースは、ヘーリオスとオーケアノスの娘ペルセーイスの子である。トロイア戦争の英雄であり、平穏な長寿よりも、早世であっても、戦士としての勲の栄光を選んだアキレウスは、ペーレウスと海の女神テティスのあいだの息子である。
ここでは狭義の意味の説話を説明する。"ドイツ語のメルヘン/メルヒェン (Märchen)、英語のフェアリーテール (fairy tale) を含んでいる。メルヘンは、スティス・トンプソン以降、英語圏でもよく使われるようになった。"説話の多くはもともと口承文芸である。地域・言語によっては、ある時代から書き言葉で残されるようになったものもある。現代では出版されて活字で残されるようになったものも多い。西洋の『ペンタメローネ(五日物語)』や『グリム童話』なども、口伝に取材して後年本にまとめられたものの一例である。
"これは『二つの川の間』という意味のメソポタミア(現在のシリアやイラクの地方)の神話である。 紀元前3千年頃のシュメール文明で成立した。その中には一部、旧約聖書の創世記モデルとなるような部分も存在する。(ウトナピシュティムの洪水物語がノアとノアの箱舟の大洪水物語の原型となったとする説もある)"この神話で有名な部分は天地創造や半神の英雄ギルガメシュの冒険などが挙げられる。"現在知られている神話の形に成るまで三つの段階がある。 最初にシュメール人が考えたシュメール神話である。これは楔形文字で粘土板に書かれた、世界最古の神話とされる。"
"ギリシアの諸ポリスは、アレクサンドロスの統一とオリエント征服によって事実上消滅した。名目的に諸ポリスはなお存続していたが、それはもはや新しい文化や制度を生み出す生命を失った廃墟であった。アレクサンドロスはエジプトに自己の名を付けた新都を建設した。エジプトを継承したディアドコイの一人プトレマイオスはそこに世界最大と称されたアレクサンドレイア図書館を建造し、夥しい蔵書の収集に着手すると共に、ヘレニズムの世界に優秀な学者を求めた[107] [108]。今日伝存する多くの古代の文献・文書はこの時代に編纂され、あるいは筆写され写本として残ったものである。"図書館はアレクサンドレイア以外にもペルガモンなどが著名であった。図書館は鎖されていたとはいえ、高い評価を受けた作品は、筆写されて、教養人・貴族などに広がっていった。図書館は大量の書物について、その内容要約書をまた編集していた。長い原著を読むよりも、学者が整理した原著の要約を読むことで、無教養な俄成金などは自己の見せかけの知識を喧伝できた[109]。あるいは諸種の伝説について、主題ごとの見取り図を与えるために書籍が編纂された[110]。このような「集成」本のなかでも、もっとも野心的であったのが、紀元前2世紀のアテーナイの文献学者アポロドーロスのものと長く考えられていた、プセウド・アポロドーロスの『ビブリオテーケー』(ギリシア神話文庫)である[111]。一方、帝政ローマ期の貴族や富裕な階層の人々は、古代ギリシアの神々への崇拝や敬神の念とは関係なく、純粋に面白く色恋の刺激となる物語を好んだ。これらの嗜好の需要に合わせ、オウィディウスなどは、神々への敬神などとは無縁な、娯楽目的の『変身物語』や『祭暦』などを著し、また同じような意味でアプレイウスは『黄金の驢馬』を著した。オウィディウスの書籍はギリシア神話全体を扱うもので、体系的な著作とも言え、しかし気楽に読むことのできる短いエピソードの集成であった。