「創造神話」と「創世神話」とインカ
北欧神話について現存する記録の大多数は13世紀にまで遡ることができ、少なくとも正式にキリスト教社会となった世界に、2世紀以上も口承の形で保存されていた。13世紀に学者達はこの口伝えに残る神話の記録を始め、特にキリスト教以前の神々が実際の歴史上の人物にまで辿ることができると信じていた学者、スノッリ・ストゥルルソンにより、『エッダ(散文のエッダ、新エッダ)』や『ヘイムスクリングラ』が書き起こされた。このほかには、北欧の神々がより強くエウヘメリズム化(神々は人間が神格化されたものであるという解釈)された、サクソ・グラマティクスの『デンマーク人の事績』がある。『エッダ』を13世紀初期に書いたこのスノッリ・ストゥルルソンという人物は、卓越した詩人・指導者で、アイスランドの外交官でもあった。この『エッダ』は本来、その技法の学習を熱望する詩人へ向け、入門書として作られたとされる。この作品には伝統的なケニング(婉曲表現技法)や、詩に詰め込まれた暗喩表現を散文体で解説した内容が含まれている。こうした散文体での語りが、北欧の神々についての様々な物語を体系的かつ首尾一貫したものにしたのである。『詩のエッダ(古エッダ)』は、『散文のエッダ』が書かれたおよそ50年後に執筆されたと言われる。『詩のエッダ』は29の長い詩で構成されており、その内の11の詩はゲルマンの神々を扱ったもので、その他は『ヴォルスンガ・サガ』のシグルズ(中世ドイツの叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の主人公ジーフリト)のような伝説的英雄について書かれたものである。学者達はこの『エッダ』が他の『エッダ』よりも後の時代に記されたのではないかと考えているが、その物語における言語と詩の形態は、書かれた時代より1世紀も昔に作られたと考えられている。
ヘーラクレースとその数々の武勇譚は、ピエール・グリマルによれば、ミュケーナイ時代に原形的な起源を持つものであり、考古学的にも裏付けがあり、またその活動は全ギリシア中に足跡を残しているとする[76]。ヘーラクレースは神と同じ扱いを受け、彼を祭祀する神殿あるいは祭礼は全ギリシア中に存在した。古代ギリシアの名家は、争ってその祖先をヘーラクレースに求め、彼らはみずから「ヘーラクレイダイ(ヘーラクレースの後裔)」と僭称した[77]。アキレウスもまた、アガメムノーンなどと同様に、いまは忘却の彼方に沈んだその原像がミュケーナイ時代に存在したと考えられるが、彼は「神々の愛した者は若くして死ぬ」とのエピグラムの通り、神々に愛された半神として、栄誉のなか、人間としてのモイラ(定業)にあって、英雄としての生涯を終えた。彼の勲と栄光はその死後にあって光彩を放ち人の心を打つのである。ギリシア神話に登場する多くの人間は、ヘーシオドスがうたった第4の時代、つまり「英雄・半神」の時代に属している。それらは、すでにホメーロスが遠い昔の伝承、栄えある祖先たちの勲の物語としてうたっていたものである。
昔話や伝説などの民話、おとぎ話、広くは神話や仏教説話を含む。モチーフによって起源説話、神婚説話などと分類される。仏教説話のように啓蒙的な要素を持ったものもある。また民俗学者の柳田国男によって完形昔話、派生昔話に分ける分類法も提唱された。世界の多くの地域に特有の民話・昔話が残されている。お伽話とも言う。
北欧神話について現存する記録の大多数は13世紀にまで遡ることができ、少なくとも正式にキリスト教社会となった世界に、2世紀以上も口承の形で保存されていた。13世紀に学者達はこの口伝えに残る神話の記録を始め、特にキリスト教以前の神々が実際の歴史上の人物にまで辿ることができると信じていた学者、スノッリ・ストゥルルソンにより、『エッダ(散文のエッダ、新エッダ)』や『ヘイムスクリングラ』が書き起こされた。このほかには、北欧の神々がより強くエウヘメリズム化(神々は人間が神格化されたものであるという解釈)された、サクソ・グラマティクスの『デンマーク人の事績』がある。『エッダ』を13世紀初期に書いたこのスノッリ・ストゥルルソンという人物は、卓越した詩人・指導者で、アイスランドの外交官でもあった。この『エッダ』は本来、その技法の学習を熱望する詩人へ向け、入門書として作られたとされる。この作品には伝統的なケニング(婉曲表現技法)や、詩に詰め込まれた暗喩表現を散文体で解説した内容が含まれている。こうした散文体での語りが、北欧の神々についての様々な物語を体系的かつ首尾一貫したものにしたのである。『詩のエッダ(古エッダ)』は、『散文のエッダ』が書かれたおよそ50年後に執筆されたと言われる。『詩のエッダ』は29の長い詩で構成されており、その内の11の詩はゲルマンの神々を扱ったもので、その他は『ヴォルスンガ・サガ』のシグルズ(中世ドイツの叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の主人公ジーフリト)のような伝説的英雄について書かれたものである。学者達はこの『エッダ』が他の『エッダ』よりも後の時代に記されたのではないかと考えているが、その物語における言語と詩の形態は、書かれた時代より1世紀も昔に作られたと考えられている。