ゲルマンと「創造神話」と「創世神話」
イーロスはラーオメドーンの父で、後の老トロイア王プリアモスの祖父である。英雄ヘクトール、パリス(アレクサンドロス)はプリアモスの息子で、予言で名高いカッサンドラーはその娘である。またヘクトールの妻アンドロマケーは、トロイア陥落後、アキレウスの息子ネオプトレモスの奴隷とされ、彼の子を生む。"他方、トロースの三人の息子の最後の一人アッサラコスはアンキーセースの祖父で、アンキーセースとアプロディーテー女神のあいだに生まれたのがアイネイアースである。トロイア陥落後、彼は諸方を放浪してローマに辿り着く。ウェルギリウスは彼を主人公としてラテン語叙事詩『アイネーイス』を著した。アイネイアースの息子アスカニオス(イウールス)はローマの名家ユーリア氏族(gens Iulia)の祖とされる。"ギリシア神話には、断片的なエピソード以外に、一人の人物あるいは一つの事件が、複雑に展開し、数多くの英雄たちがその物語に関係してくる「複合物語」とも呼べる神話譚がある。
また、古代のギリシア人自身のなかでも疑問は起こっていたのであり、紀元前6世紀の詩人哲学者クセノパネースは、ホメーロスやヘーシオドスに描かれた神々の姿について、盗みや姦通や騙し合いを行う下劣な存在ではないかと批判している[91]。"とはいえ、ホメーロスもヘーシオドスも疑いなく、自分たちのうたった神話が「真実」であることに確信を持っていた。この場合、何が真実で、何が偽なのかという規準が必要である[92]。しかし彼らがうたったのは、神々や人間に関する真実であって、造話や虚構と現代人が考えるのは、真実を具象化するための「表現」であり「技法」に過ぎなかった[93] [94]。"神話の重要な与件の一つとして作者の無名性が考えられていた。誰が造ったのでもなく太古の昔より存在するのが神話であった[95]。紀元前7世紀中葉以降、叙事詩的伝統に代わって、個人の感情や思いをうたう叙情詩が誕生する。抒情詩人は超越的な神々の存在について寧ろ無関心であった。しかし、これに続いて出現したギリシア悲劇においては、ムーサ女神への祈りもなく、明らかに彼らが創作したと考えられる物語を劇場で公開するようになる。これによってギリシア神話は人間的奥行きを持ち深化したが、彼らは神話を信じていたのだろうか。これに対する答えは、悲劇詩人たちはニーチェが洞察したように、コロスの導入によって、そして今一つに「英雄」の概念の変遷により、共同体の真実をその創作に具現していた。彼らはなお神を信仰していたのである[96]。
ゼウスは更に、ティーターンの女神と交わり、運命や美や季節、芸術の神々をもうける。法律・掟の女神テミスとのあいだに、ホーライの三女神とモイライの三女神を。オーケアノスとテーテュースの娘エウリュノメーとのあいだにカリテス(優雅=カリス)の三女神を。そして記憶の女神ムネーモシュネーとのあいだに九柱の芸術の女神ムーサイ(ムーサ)をもうけた。オリュンポスの十二の神々は、ゼウスを例外として、息子や娘が少ないかいない場合がほとんどである。ポセイドーンは比較的に息子に恵まれているが、アンピトリーテーとのあいだに生まれた、むしろ海の一族とも言えるトリートーン、ペンテシキューメー、ヘーリオスの妻ロデーを除くと、怪物や馬や乱暴な人間が多い[46]。"アレースは妻である美の女神アプロディーテーとのあいだに、デイモス(恐慌)とポボス(敗走)の兄弟がある。またヘーシオドスが、原初の神として最初に生まれたとしている愛神エロースはアプロディーテーとアレースの息子であるとされる[47]。この説はシモーニデースが最初に述べたとされる[48]。しかしエロースをめぐっては誰の息子であるのか諸説があり、エイレイテュイアの子であるとも、西風ゼピュロスとエーオースの子であるとも、ヘルメースの子、あるいはゼウスの子であるともされる[49] [50]。エロースと対になる愛神アンテロースもアレースとアプロディーテーの子だとされる。"
アステカ人は彼ら自身の伝統と、他の民族の持つ伝統を組み合わせて取り入れたため、いくつかの異なる創世神話を持っている。それによれば、現在の世界の前には4つの時代があり、それぞれ大災害によって終焉を迎えたとされる。現代(Nahui-Ollin)は第5の時代(あるいは5度目の創世)であり、最も小さき神ナナファトル(Nanahuatl)の犠牲によって滅失を逃れた。この最も控え目な神はその後、太陽に変じたという。この神話はテオティワカンと関連し、アステカ人が到着した時にはそこはすでに破壊され放棄されていた。他の神話では、地球は双子の神テスカトリポカとケツァルコアトルによって創られたとされている。テスカトリポカは世界を創造する最中に自らの足を失った。そのためこの神の全ての似姿は、足のない姿、あるいは骨をさらされた形で表される。ケツァルコアトルは「白いテスカトリポカ」と呼ばれることもある。