類型論とヘブライ (創世記)
檀君はあくまでも神話上の存在であり、実在しなかったとされている。檀君王倹という名についても、平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出で、元々は地名であったことがわかる。12世紀に成立した高麗の正史『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には平壌にかつて住んでいた仙人の名前として王倹という人名が出てくるが、檀君という王がいたことは全く書かれていない。これらの傍証からも、檀君神話は朝鮮の古来からの独立を示すための伝説的神話だろうと推測されており、国家としての檀君朝鮮の実在性も低いとされている。しかし現在でも、朝鮮人の中には檀君を実在の人物と主張する者がいる。大韓民国の国定教科書では韓国の歴史が非常に長いことを示す「史実」として扱われている。また朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、1993年の発掘調査で檀君のものらしき骨が発見され、「電子スピン共鳴法」による解析で5011年前のものと分かったため、檀君は実在人物であったと主張されている。しかし、神話に基づく檀君朝鮮の建国年との間に700年近い差があり、また解析方法についても詳細が公表されていないことから、信憑性は低いと見られる。魏書云 乃往二千載 有壇君王儉 立都阿斯達經云無葉山 亦云白岳 在白州地 或云在開城東 今白岳宮是 開國號朝鮮 與高同時
この『巫女の予言』では、ヴァルハラの主神オーディンが、一度死んだヴォルヴァ(巫女)の魂を呼び出し、過去と未来を明らかにするよう命じる。巫女はこの命令に気が進まず、「私にそなたは何を問うのか? なぜ私を試すのか?」と述べる。彼女はすでに死んでいるため、オーディンに対する畏怖は無く、より多くを知りたいかと続けて嘲った。しかしオーディンは、神々の王としての務めを果たす男ならば、すべての叡智を持たなければならないはずであると主張する。すると巫女は過去と未来の秘密を明かし、忘却に陥ると口を閉じた。北欧神話においては、生命の始まりは火と氷で、ムスペルヘイムとニヴルヘイムの2つの世界しか存在しなかったという。ムスペルヘイムの熱い空気がニヴルヘイムの冷たい氷に触れた時、巨人ユミルと氷の雌牛アウズンブラが創り出された。ユミルの足は息子を産み、脇の下から男と女が1人ずつ現れた。こうしてユミルは彼らから産まれたヨトゥン及び巨人達の親となる。眠っていたユミルは後に目を覚まし、アウズンブラの乳に酔う。彼が酔っている間、牛のアウズンブラは塩の岩を嘗めた。この出来事の後、1日目が経って人間の髪がその岩から生え、続いて2日目に頭が、3日目に完全な人間の体が岩から現れた。彼の名はブーリといい、名の無い巨人と交わりボルを産むと、そこからオーディン、ヴィリ、ヴェーの3人の神が産まれた。"
また近代に入り科学的理性が宗教・神話的なものの信頼を揺るがすようになると、そこから転じて「絶対的だと前まで考えられていたが、根拠の揺らいできたもの」といった用法が生じた。例:「日本の『安全神話』が崩れつつある」など。神話(伝説)であって真実ではないとされていたものの遺跡が発掘されることがある。
しかし、このように由来不明な多数の名前と人物の羅列があるので、歴史時代のギリシアにおける多少とも名前のある家柄の市民は、自分は神話に記載されている誰それの子孫であると主張できたとも言える。ウェルギリウスの『アイネーイス』が、ローマ人の先祖をトロイエー戦争にまで遡らせているのは明らかに神話的系譜の捏造であるが、これもまた、広義にはギリシア神話だとも言える(正確には、ギリシア神話に接続させ、分岐させた「ローマ神話」である)。ウェルギリウスは、ギリシア人自身が、古代より行って来たことを、紀元前1世紀後半に、ラテン語で行ったのである。古代ギリシア人は世界の始まりについて、他の民族と同様、それは原初の時代より存在したものであるとの素朴な思考を持っていた。しかし、ゼウスを主神とするコスモス(秩序宇宙)の観念が成立するにつれ、おのずと哲学的な構想を持つ世界の始原神話が語られるようになった。それらは代表的に四種類のものが知られる(ただし、2と3は、同じ起源を持つことが想定される)。神々の系譜や人間の起源などを系統的な神話に纏めあげたヘーシオドスは、その『神統記』において二つの主要な起源説を伝えている。