『金色のガッシュで泣ける人は結構病んでると思う』論。
とりあえず他に書く場所がなかったので、ここに書いときます。
先日金色のガッシュのファウード編から最終巻までを読んだのだけれど、ガッシュは泣ける。
古本屋で立ち読みしてたんだけど、魔物の子とパートナーが互いを支え合い、信じ合い、持てる力以上のパフォーマンスを発揮する度に僕は涙をなんとかこらえる羽目になった。
で、この涙の背景というか、出典はどこから来ているのだろうと自分の心に探りをいれてみると、アレは結局自己憐憫で泣けるのだという結論に達した。
魔物の子とパートナーがお互いを信じ合って、本来の性能以上の力を発揮する場面で僕らが(というか僕が)泣けるのは、要するにそんなもの現実にはないからだ。
そりゃ僕だって出来ることなら誰かとそんな関係を保ってみたい。
だけど現実に、果たして一体何人の人間がガッシュに出てくるような互いを支え合える関係を持っているというのだろうか。
はっきりいえばそんなものは幻想だ。何だかんだで僕らの人間関係は打算で出来ている。何らかの利益があるから僕らは誰かと接するのだし、互いに利益を提供できない人間関係は大抵あんまり意味がない。
だけど僕らは寂しがり屋で、心のどこかで本当に心の通じ合える誰かがいつか自分の人生に登場してくれることを望んでる。そんなものは居ないと表向きは嘯きながら、どこかでその存在を期待せざるをえない。
で、ガッシュでそういう夢にまで見た存在をみせつけられてしまうと、現実でそれを見つけられない自分を哀れんで、涙が溢れるのだと、そういう理屈。
というわけで、ガッシュで泣ける人は、寂しがり屋で、その癖他人にどこか距離を置いてしまいがちな人なんじゃないかと思った。
でもガッシュって結構流行ったから、そんな寂しがり屋の溢れる時代は結構病んでるなー。寂しいね。寂しいよ。
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