猛った男の欲望を持て余し、真美の呼吸が落ち着くのを待っていると、ふと先ほど収録に向かった番組の進行状況が気にかかった。
 スタジオを写しているモニターに視線を移すと、いつの間にか収録は終わっていて、出演者達が続々と退場していく所だった。
 その中に、亜美の赤い髪飾りとその先の尻尾が足並みに合わせて揺れているのも見えた。
 「ま、まずい、亜美が戻ってくる! おい真美、服ちゃんと着て体起こしてっ!」
 「……ふぇ……あ……み……?」
 一気に現実世界に引き戻された俺は、真美の肩を揺すって起こし、まだ余韻の残る表情の真美の服を直させた。
 大慌てで身支度を整え、収録を終えた亜美が楽屋に戻ってくる頃には、どうにか体裁を取り繕うだけの準備は出来ていた。


 
 帰り道、収録の感想をマシンガンのように俺に喋り続ける亜美の横で、真美は恥ずかしそうに俯いていた。
 俺はといえば、なんて事をしてしまったんだろうと気が気ではなかった。
 大の大人が子どもに脅迫されて、とか、プロデューサーが担当アイドルと猥褻行為を…とか、挙げればキリがない。
 駐車場を通り過ぎて車に乗り込もうかという時に、真美は駆け寄ってきた。
 「兄ちゃん、言う事聞いてくれてありがとう。今日のコトは、二人だけのヒミツにしようね」
 屈むよう俺に催促してから背伸びしてそう耳打ちすると、真美はこっそり俺の頬にキスをした。
 本当はあの続きがあった、ということは、今は俺は黙っていた方がいいように思った。


 今日のこの日は、いつまで経っても俺の頭の中から消える事は無かった。
 ……数週間後に起こった、二人の人生を大きく転換させる出来事があったから。



 真美はあの日のことを、本人が言った通り誰にも話さず、俺にも話さなかった。
 仕事の場での様子も以前と全く変わらず、双海亜美と真美、二人で演じるアイドルは順調にその人気を上げていた。
 営業も軌道に乗り始め、これからの展望に希望を持って臨んでいた、そんなある日の事だった。
 仕事の無いはずのその日、亜美と真美の二人は今までに見たことも無いような重い表情で事務所に入ってきた。
 俺が初めて見る、二人のお母さんと一緒に。
 「真美……アイドルを辞めるよ」
 亜美と真美と母親と、俺と社長と小鳥さんが応接室に集まるなり、真美が切り出した。
 「アイドルを、辞める!?」
 俺は思わず椅子を立ち上がって身を乗り出したが、社長に促されて再び席に戻った。
 「いったいどうしたんだね? 詳しい話を聞かせてはくれないか」
 驚きの表情を隠しきれない小鳥さんの横で、平静を保ったまま高木社長が応えた。
 亜美と真美は一瞬目を見合わせて、真美が口を開いて話し始めた。


 曇り空のある日、亜美と真美は、父親の勤める病院へ来ていた。
 父親に用事があって会いに来た時に知り合った、入院中の友達に会うためだった。
 日本では症例の少ない心臓病を患っている亜美達と同い年の女の子で、亜美のファンだったその子は廊下ですれ違った二人を見
るなりサインを求めた。人なつっこい亜美と真美はすぐにその女の子と仲良くなり、それ以来、度々病室を訪れていたらしい。
 その女の子の前では、双子の姉、真美の存在も、双海亜美は二人で演じているアイドルだという事も隠さなかった。
 病院の外に出る事もままならないその子にとって、亜美と真美との時間は生きがいとも言える程大切な時間だった。
 また、アイドル双海亜美に元気を貰って前向きに生きようとするその女の子の姿は、二人にも元気を与えてくれた。
 知り合って数ヶ月が経ったその日、亜美と真美は女の子の病室を訪れ、学校の話や、TV番組の収録や、生放送の時の話などを
女の子に聞かせていた。
 そして、外の天気がグズつき始め、雨が降り始めた時、その瞬間まで楽しく話を聞いていた女の子の容態が急変した。
 大慌てで真美はナースコールを押し、亜美は手近な医師を探そうと大声をあげながら病室を飛び出した。
 ナースコールの応答を待つ真美は、苦しむ女の子の手を強く握り締めて名前を呼び続けていた。
 しかしナースコールからの応答は無く、やっとの事で亜美の見つけてきた主治医がやってきた頃には、モニターの心電図が平坦
になっていた。医師の懸命の蘇生処置も虚しく、女の子が蘇る事は無かった。
 真美はその場で全てを目の当たりにしていたのだ。
 真っ青になって呻きながら、懸命に名前を呼ぶ真美の手を握り返していた女の子が力尽きて動かなくなる瞬間を。
 心拍数を示す数値が目に見えて減っていき、危険域に入って鳴る大きなビープ音と赤い光の中、女の子がこの世を去る瞬間を。


 「その時、真美は何も出来なかった。目の前であの子があんなに苦しんでたのに、何かしたいって思ってたのに…うぅ……」
 淡々と話を続けていた真美が目から大粒の涙を零し、母親の胸に抱きとめられる。
 「そこから先は、亜美が話すよ」
 眉間に皺を寄せて必死に涙をこらえながら、亜美が話しの続きを始めた。
 後日、女の子の葬式に出席させてもらい、最後のお別れの挨拶を済ませた帰り道に、真美は亜美に『医者になりたい』と語った。
 家族の中でも時間をかけて話し合った結果、真美はアイドルを辞めて医者になるための勉強をする事に決めた。
 焦ることは無い、と、医者として働く父親が話をしても、真美の決意は揺るがなかった。
 「……そんな事があったのか。仕事の時も二人は元気だったから、俺、気づかなくて……」
 「きっとプロデューサーさんに心配かけたくなかったんだと思います。そうでしょ、真美」
 母親が優しい口調で語りかけると、真美は胸に顔を埋めたまま頷いた。
 「アイドルをやりたいっていう真美の夢は、亜美が受け継ぐ。アイドル『双海亜美』は、今後亜美が真美の分まで頑張るよ」
 抑揚を抑えて亜美が話す。その目には、今までの亜美からは考えられないような強い意思が爛々と輝いていた。
 「事情は分かりました」
 高木社長が、重たく、どっしりと、冷静に応えた。
 「それが本当に二人の決心した事なら、プロデューサーとしても真美を止める事はしません。真美の人生ですから」
 「真美ちゃん。事務所の皆はあなたの大切な家族で、ここはあなたのもう一つの家だから。いつでも遊びにきていいのよ」
 俺と小鳥さんがそれぞれ声をかけると、真美がこちらに向き直って、まだ涙に濡れている瞳をゴシゴシと腕で拭った。


 亜美と真美と二人の母親が事務所のドアをくぐって帰ろうか、という時、真美が振り返ってこちらに歩み寄ってきた。
 「亜美、ママ。先に下で待っててもらっていい?」
 二人は頷いてエレベーターに乗り込み、真美はそれを見送ってから俺の方に向き直った。
 事務所の入り口ギリギリ。社長は社長室に戻り、小鳥さんもデスクに戻ってキーボードをカタカタ叩いている。
 周りには誰もいなかった。
 「…兄ちゃん」
 寂しそうな真美の瞳。
 十二歳の心に、目の前で展開される人間の死というものがどれ程ショッキングな事なのか、俺には想像すらできない。
 そのショックを乗り越えて、アイドルという道を捨てて新たな道へ踏み出すという勇気。
 俺には、そんな勇気など無い。この小さな少女の決意に、俺はただ畏敬の念を感じていた。
 「真美…今までありがとう」
 「兄ちゃんッ!」
 真美が俺の胸に飛び込んでくる。
 「今まで…辛いこと、いっぱいあったろ?お前は最後まで、真美としてステージに立てなくて…」
 自分という存在を偽って、テレビカメラの前で『自分』を見せる。
 いくら真美が頑張っても、世間から見えるのは双海亜美、ただ一人…。
 心の育ち盛りにそんな事をしなければならない辛さは、大人には絶対分からないだろうと思う。
 亜美も俺もよく気にしていた事だが、それでも真美は辛い素振り一つ見せず、健気に笑って仕事をこなしていた。
 「うえぇぇ……」
 「おいおい、可愛い顔が台無しじゃないか」
 涙でぐしょぐしょに濡れた顔が俺を見上げた。ハンカチを取り出して、その顔を丁寧に拭き取ってやる。
 「よし、綺麗になった」
 一通り、綺麗に顔を拭いてあげると、真美は程なく泣き止んだようだった。
 「あの時……」
 「ん?」
 「キョーハクしちゃってごめんね。……兄ちゃんに謝らなきゃって思って」
 「あぁ、あの事か。いいよ。気にするな」
 真美の尻尾をつまんでから、クシャクシャと頭を撫でた。
 「あのコトは、ずっと真美の心にしまっておくから……兄ちゃんも言わないでね」
 「ああ」
 真美が、俺の腰に回した腕に力を込めて、数秒間ギューと締め付けてから、体を離した。
 「じゃあ、真美、帰るね。兄ちゃん……今までありがとう!」
 「真美も頑張れよ。気が向いたら事務所に遊びにこい。みんな喜ぶから」


 別れ際に固い握手を交わし、真美は、デビュー当時から一緒に頑張ってきたアイドルは、エレベーターの向こうへ姿を消した。
 名残惜しい気持ちを振り払うようなバイバイ、という明るい声と眩しいぐらいの笑顔が、寂しさを和らげてくれた。
 亜美がいるから、このまま真美と全く縁が切れることは無いだろう、と、俺はそう漠然と思っていた。



 後編に続く


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