あれから三年の月日が経った。 765プロダクションもすっかり大手芸能事務所の仲間入りを果たし、続々とデビューしていったアイドル候補生達も随分メジ ャーになった。 その765プロの業績トップをひた走る亜美も中学三年生になり、背も伸びてあの頃からはだいぶ大人っぽくなった。 もうそろそろ亜美が、快晴の空に輝く太陽のような笑顔と共に事務所のドアを開けて出勤してくるはずだ。 「兄ちゃん、おはよ!」 亜美は相変わらず俺の事を兄ちゃんと呼ぶ。もうクセになっていて抜けないらしい。 幼かった顔立ちは歳を重ねる内に、キレイという表現のしっくり来る顔立ちへと成長していった。 だが、破天荒な性格は相変わらずだ。子供だった頃のやんちゃさをそのままに大きくなったようだ。 ぱっちりした大きな目に、口元は釣りあがって笑みを浮かべているのが大半だが、真顔になれば一変してクールな表情になる。 変声期を迎えて声にも女性らしさが強くなり、ボーカルの表現力も増していった。 楽曲面での現在の亜美の売りは、よく通る声を活かしたアップテンポなサウンドとアクションの激しいダンスだった。 「お、今日はいつもより早いな」 「あったりまえだよ! だって今日は、めーっちゃスペシャルな日なんだから!」 セミロングの髪が、躍動する度にサラサラと空中を揺れる。 いつからか、亜美は目印だった髪飾りを外して、ヘアスタイルを少し変えた。 今では、左に流した前髪の赤いヘアピンがトレードマークだ。 とはいえ、TV出演の時や気まぐれで昔と同じ髪型になっている時もあるが。 「ほら、恥ずかしがってないでおいでよー!」 亜美がそう言いながら、ドアの横、壁に隠れている部分へ手を伸ばした。 「あっ……え、えと……お久しぶり……です。に……じゃなくて、プロデューサーさん」 満面の笑みを浮かべる亜美の隣から出てきたのは、背中まで伸びた、亜美と同じ栗色の髪の女の子。 亜美とお揃いの、微かに青いノースリーブと、黒い七分丈のパンツ。 照れ笑いを浮かべてぺこりと会釈したその少女は、雰囲気は落ち着いているが忘れるはずもない、懐かしいあの子だった。 「真美……久しぶりじゃないか」 亜美と逆向きの右に流した前髪と、その下の活発な瞳に、懐かしさが込み上げてくる。 なんだかんだで、あの後以来真美が事務所に遊びに来る事は無かったので、再会するのは三年ぶりだった。 「亜美からよく話は聞いてるけど、元気そうだな」 「う……うん」 真美が笑った。ちょっぴり照れが混じっているのは、久しぶりの再会だからだろうか。 事務所のみんなに一通り挨拶してから、俺たちはスタジオへ向かった。 今日は「鉄子の部屋」というトーク番組の収録があるのだ。 ベテランのタレントが、ゲストを招いてお喋りを楽しむ。 終始のんびりと優雅な空気の中で展開されるそのトーク番組は、かなりの昔からずっと同じ枠で放送が続いている。 「初めてだよね、二人で一緒にテレビでるの。もう亜美、ワクテカで待ちきれないよー!!」 辿り着いた楽屋の中で、亜美がバタバタとはしゃぐ。 手を引っ張って腕を振られ、真美は少々困惑気味だ。 番組内に「あなたのトモダチ」というコーナーがあり、ゲストが友人や兄弟など、誰か一人を紹介する。 ゲストで呼ばれるという話が入った時、真っ先に亜美は『真美を紹介したい』と言った。 話題性は十分。亜美の人気の更なる火付けになるだろうし、真美さえ了解してくれれば俺に断る理由は無かった。 「テレビに出るなんて凄く久しぶりだし…うまくやれるかなぁ……」 「気楽に構えてればいいよ。鉄子さんはトークも上手だし、お喋りを楽しんでくるぐらいの気持ちでさ」 亜美のハイテンションぶりとは対照的に、真美は緊張した面持ちでソワソワしている。 芸能界を離れてから、真美は少し大人しくなったように思う。大人しくなったというよりは、大人になったのだろうか。 「大丈夫!亜美がなんとかしてあげるよ!いつも真美には世話になってるしね〜」 タレント活動の忙しさから学校の勉強が遅れがちな亜美。その亜美の勉強は、真美が面倒を見ているらしい。 元々頭の回転が速かった真美は、成績もトップクラスをずっと維持している、との事だ。 「さ、そろそろ時間だ。行っておいで、二人とも」 楽屋から二人一緒に送り出す。二人が一緒に収録スタジオに向かう。 よくよく考えてみれば、三人にとって初めての経験だった。 「では次、『あなたのトモダチ』いきましょうか。亜美ちゃんはどんな人を紹介してくれるのかしら?」 鉄子さんが話を振ると、亜美が待ってましたと言わんばかりに勢い良く腕を振り上げ、スタジオの袖を指した。 「亜美の双子の姉ちゃん、双海真美をしょーかいしちゃうよっっ!」 効果音を合図に、真美がゆっくりと席へ向かう。袖のスタッフ陣からはどよめきの声が起こった。 鉄子さんも目を皿のようにして驚き、亜美はどんなもんだとしたり顔で真美を迎える。 「は、初めまして。双海真美です」 テレビ出演の経験はあるのに、初めて自分の名前でテレビに出るからなのか。 真美の表情はどこかぎこちなく、それが初々しかった。 その後、のんびりした空気の中でトークは和やかに進んでいった。 デビュー当時からしばらくの間二人一役でアイドルをやっていた事もそこで暴露するに至り、当時の映像や写真を取り出して ちょっとしたクイズをしたりと、番組の収録は時間内に収めきれない程に濃いものとなった。 事前の宣伝がうまくやれれば、かなりの高視聴率を期待できそうだ。 スタッフから収録終了の合図が出された後も、鉄子さんと二人はスタジオの袖でお喋りに華を咲かせていた。 「お疲れ様、二人とも」 楽屋に戻ってきた二人はまだ興奮さめやらずと言った状態で、特に亜美は鼻息荒く真美の手をぶんぶん振っている。 「真美、どうだった?」 「楽しかったよ!スタジオの空気とかすごく懐かしかったし、自分の名前で出たの、初めてだったし…!」 キラキラと目を輝かせながら、真美が言う。おしとやかになったと思ったけれど、元気な所も健在だと知って嬉しくなった。 実を言うと、俺も収録中はワクワクしっぱなしだった。 俺が面倒を見てきた二人、亜美と真美…その二人の名前が一度に番組に並ぶ事を、今まで何度夢見てきたことだろうか。 「じゃ、一旦事務所に帰ろうか」 「「はーい!」」 二人揃っての元気な返事は、三年前の俺たちを思い出させてくれた。 「亜美、用事があるから先に帰るね」 事務所に帰ってくるなり、亜美はそそくさと事務所のドアを開いて外に出て行ってしまった。 すれ違いざまに真美に耳打ちし、その背中をバシッと叩いて。 「明日は仕事無いから…って連絡があったんだけど…。まぁ、メールを送っておけばいいか」 携帯をサッと取り出し、簡潔に要件を打ってメールを送信。 「真美はこの後どうするんだ?よければ、近況をゆっくり聞かせてもらいたいな」 「特に予定は無いけど…プ…えと、兄ちゃん…は、ヒマ?」 少し言いづらそうに『兄ちゃん』と言うと、真美は照れ笑いを浮かべた。 その僅かな戸惑いには、やはり三年という空白の期間があるのだと思う。 「真美、昔とおんなじでいいんだぞ?気を使う事も無い。…で、この後だが」 まだ少し仕事は残っている。そう大した量では無いので、事務所の中で待っていてもらってもいいだろう。 「三十分か一時間ぐらいかかると思うけど、待っててもらえるか?」 「うん、分かった。じゃあ待ってるけど…律ちゃん、いるかな?」 真美がキョロキョロと事務所の中を見回すのにつられて、俺もあのエビフライを探す。 街のホットステーション、と呟けばどこにいても飛んでくるだろうが、同時にハリセンも飛んでくるのでそれは自重する。 「あ、いたいた。じゃ、真美は律ちゃんと話してるから、仕事終わったら呼んでね」 後でね、と手を振りながら、真美は律子のデスクの方へ歩いていった。 さっき事務所に入ってきたときと比べて慣れを取り戻してきたのか、今の表情は自然だった。 その背中と流れるような髪を見届けてから、俺も自分のデスクに座って書類の打ち込みを開始した。 亜美もそうだけど、キレイになったな、真美は。十五歳であれなら、これから先もっともっと美人になっていくに違いない。 亜美よりも伸ばした髪と、ほんの僅かに亜美よりも低い声。少し落ち着いた雰囲気が、いい意味で真美を姉らしくしていた。 体はどうなっているんだろう。服の上から見ても、胸やお尻は三年前と比べるとやっぱり育っていたような… 「い、いかんいかん。何を考えているんだ俺はっ!仕事をしろ、仕事をっ!」 三年前を思い出して邪な気持ちになった自分に喝を入れ、深呼吸をしてから目の前の作業に没頭した。 キーボードを叩く無機質な音が、俺を色も匂いも無い世界へと埋没させてくれる。 「真美、終わったよ。今日はもう予定も無いから上がりだ」 「おや、珍しく終わるのが早いじゃないですか。待たせてる人がいるからかしら?」 デスクから首だけこちらに向けて、含みのある視線を、今ではマネジメント業も営む律子が送ってきた。 その脇には、逆向きに椅子に座って背もたれに手を引っ掛けている真美。 真美は大人になった、とばかり思っていたが、その姿は年相応に見えて微笑ましかった。 「律子は、まだ残ってるのか?」 「んー、ホントは終わってるんですけどね。先取りしておきたい事項が幾つか残ってるから、今日はもう少し居残りかな」 「そっか、頑張れよ」 真美が立ち上がるのを合図に、俺は律子に挨拶してその場を離れる。 律ちゃんおっつー、と明るい挨拶を背中に聞きながら、事務所を後にした。 その後、俺と真美は小腹を満たしに、近場のファミレスに入った。 学校の話、家庭の話、はたまた亜美の話など、色々な事を真美は面白可笑しく話してくれた。 亜美からあまり真美の話を聞いた事は無かったが、真美は真美で芸能界を離れても楽しくやっているようだった。 「んふふ、そんでその時亜美ってば、提出するノート間違えちゃっててさ〜…」 朝に会った時の戸惑ったような表情はもうそこには無く、目の前にいる真美は明るく元気な調子で話し続けた。 時折パフェにスプーンを伸ばして瑞々しい唇に運んでは口元にクリームをつけている辺りは、亜美とよく似ていた。 やっぱり、真美は真美のまま、変わっていないのだ。そこに俺は安心するのだった。 2時間近くが立って、空が茜色に染まり始めた頃、どちらとも無く席を立ち、ファミレスを後にした。 「そういえば真美、進路ってどうなってるんだ?やっぱり相当レベルの高い高校受けるんだろ?」 夕陽を受けてオレンジ色の光を反射するビルの林の間を歩きながら、俺が真美に尋ねた。 「その話なんだけどね……」 明るかった真美の表情が一瞬曇り、1テンポ置いてから、何かを決意したように俺の目を見上げた。 「真美、中学校を卒業したらアメリカのハイスクールに行くんだ」 「アメリカ!?」 「そう。ゆくゆくはアメリカで医学の勉強をしたいから、向こうの教育を受けるつもり。パパとママも、応援してくれてるよ」 学校以外でも英会話教室に通っていて、ネイティブスピーカーとお喋りを楽しめる程の力を身につけている、と真美は語った。 長期休みを利用してのホームステイも、もう何度か経験済みらしい。 さっき律子と話していたのは、ステイ先で使うパソコンの品定めの相談だった、との事だ。 「か、海外留学か……俺には想像もつかない世界だな。凄いじゃないか」 「留学にかかる費用……亜美が全額出してくれるんだ。亜美のおかげで行けるんだよ」 感激を噛み締めるような、真美の表情。 「パパとママがお金を出すっていうのも聞かないで、意地でも亜美が全部出すって、稼いだお金はそのために使って欲しいって」 そう言いながら、真美は微かに声を震わせた。 医者になる、という真美の決意。そこには、亜美の願いも託されている。 真美は、アイドルになる道を捨てたのではなかった。 トップアイドルになるという夢を亜美に託して、医者になる道を歩き始めたのだ。 また亜美も、真美の夢路を側で支えながら、トップアイドルになりたかった真美の願いを受けて走り続ける。 「お互いがお互いの夢を支えあって……って、俺、兄弟いないから、そういうの羨ましいな」 美しい姉妹愛に、心の底から素直にそう思った。 「亜美は、真美に世話になってるって言うけど、真美の方こそ亜美に力をもらってるんだ。テレビを見れば、 亜美がキラキラ輝いてるから、真美も元気になれるんだよ」 淡々と道を歩く内に、何時の間にか夕焼けの商店街を通り過ぎ、けばけばしいネオンの光が目立つホテル街に入ろうとしていた。 若いカップル、中年の夫婦、様々な人間達がペアを組んで道を歩いている。 男性同士が手に手を取って歩いていたのは、きっと忘れた方がいいだろう。 その建物たちの自己主張が嫌でも目に入り、その象徴している事を連想すると、ついつい三年前の出来事を隣の真美に重ね 合わせてしまう。気まずくなって、足を止めて後ろを振り返ろうとした所で、グイッと腕が引っ張られた。 「………真美?」 「兄ちゃん…入ろ?」 俺の腕を掴んだ真美の瞳には、重い覚悟の色が、鈍い輝きを放っていた。 その手に入った力は、振りほどいても解けそうに無いほどに強い。 「入ろう、って…ここは…」 「三年前のあの日の事……まだ終わってないから。まだ……続きが残ってるから……最後まで……」 「真美……」 決意を滲ませた震える声で途切れ途切れに言うと、真美は俺の胸目掛けて飛び込んできた。 「日本を離れちゃう前に、真美の気持ちが変わっちゃう前に……兄ちゃんと思い出作りがしたい……」 俺の胸の中、昔よりも高い位置から、潤んだ双眸が俺を見上げた。 切羽詰ったその表情、決意と不安に揺れるその瞳は、拒絶したらガラガラと崩れてしまいそうなほどに儚かった。 無造作に入ったラブホテルの中のエレベーター。真美は何も言わずに俺の腕に縋り付いていた。 これから先、こういう場所でする事…そしてその意味。俺も、真美も、分かっている。 フロントで受け取った鍵を差込み、ドアを開くと、西日を受けたベッドのシーツが淡く光っていた。 そのコントラストに美しさを感じながらも、カーテンをサッと閉じる。 「………」 どちらからとも無くベッドサイドに腰掛けて、見詰め合う。 先に目を閉じたのは真美の方だった。顎のラインを指でなぞって往復してから掴み、ターゲットを補足する。 そのまま唇を重ね合わせて、細い腰を抱き寄せた。