読書の時間


 このマンションにやってきたからというもの、キッチンは決して頻繁に使われるものでは無かった。始めの
内は気取って調理器具を買い揃えたり、スパイスを十種類以上買ってきたりしたものだったが、みんな仲良く
ホコリを被るばかりになるのには、あまり時間がかからなかった。
 今ではそのキッチンは、やや不定期ではあるものの、割合頻繁に使われるようになった。今日も、コンロの
前に立っている姿が見られる。お下げ髪の狭間で晒される無防備なうなじについつい目が行き、可愛らしいピ
ンクのエプロンを身に着けた後姿を眺めていたら「見られてると集中できない」とリビングに行くよう言われ
てしまい、こうして大人しくソファーの上で雑誌に目を通している。トマトスープやトマトソース特有の、酸
味がかった香りが鼻腔をくすぐる。
 程無くして、味見をしてくれとキッチンに呼ばれた。湯気で曇る眼鏡を時々拭いながら、調理場に立つ律子
は小さい皿に汲んだ赤いスープを俺に手渡した。
「今日はミネストローネにしてみたんです。鶏肉も入れてみました」
「おお、いい匂いだ」
 鍋の中を覗いてみると、見事なトマト色のスープの中で、豆と角切りになった野菜に、少し大きめに切られ
たチキンが泳いでいる。鍋の脇では、笊に入ったスパゲッティがまだ湯気を立てていた。
「体が温まるから、こんな寒い日はスープの方がいいでしょ?」
「ああ、確かにありがたいな。どれどれ……うん、美味しい」
 酸っぱい口当たりと、深みのあるコクが口の中に広がる。律子の表情にぱあっと可憐な花が咲いた。
「ありがとう。じゃあ、ご飯にしましょうか」
 料理には自信が無いと言っていた割には、律子はそつなくこなす。要領の良さ同様に料理も元々器用にでき
るタイプなのか、それとも陰で努力しているのか。後者だったら嬉しいな、と思いつつ、器によそったスープ
を両手に持って、リビングへ向かう。
 俺がスープを持っていって間もなく、律子が香ばしい醤油の香りを立てるスパゲティを皿に乗せて、俺の前
にそれを差し出した。刻んだ海苔の下には、そこだけ雪を盛ったかのように、大根おろし。
「さてと……」
 テーブルの向かいに腰掛けた律子が、わくわくした様子で両手を合わせて俺の合図を待った。
「いただきます」
「いただきまーす」
 一人きりだったらしないこともしばしばな食前の挨拶を交わして、ほとんど同時にスプーンを手に取った。
口に含んだスープの中には、コロッとした豆が確かな歯ごたえを持っていた。小さめに切り揃えられた野菜も
クタクタにはなりきっておらず、食べやすさの割には食べごたえがある。とろけて柔らかくなった肉も存在感
がある。
 舌がスープの味に慣れた頃に食べる和風なスパゲティの風味と、さっぱりした大根おろしのすっと抜ける爽
やかな風味がこれまた絶妙な口直しだ。
「そんなに急いで食べなくても」
 まだエプロンをつけたままの律子が苦笑した。
「いや、急いでるつもりは無いんだが」
 と言いつつ律子の器を見てみると、まだ一口分か二口分ぐらいしか減っていない。
「スープの方は、お代わりもありますから」
「ああ。ありがたく頂くよ」
「食べ過ぎてお腹痛くしないで下さいよ?」
 諌めるような口調とは裏腹に、その表情は柔らかかった。


「ああ、そうだ、律子」
「なんですか?」
 食事を終えてから一息ついた所で、俺は律子を手招きした。床に座ってソファーに寄りかかる俺の脚の間に
座ってもらうように頼むと、律子はあっさりと了承してくれた。二人っきりで誰にも見られる心配が無いから
か、まるで無警戒に、柔らかい体が寄りかかってくる。
「……くっつきたかったんですか?」
 俺に背を預けたまま、律子が言った。
「いや、それもあるんだが、ちょっと頼みたいことがあってな」
 厚み0.5mm程の、さほど厚くない文庫本サイズの本を手渡すと、律子は不思議そうな顔をした。カバーを外し
てあるので、『オフィス』というタイトルは分かっても、中身は見ないことには分からない。
「こいつを律子に読んで貰いたいんだ」
「この本を、ですか?」
 早速、律子がペラリと表紙をめくり、目次を飛ばして序章に目を通し始めた。
「ああ、黙読じゃなくてさ、声を出して読んで欲しいんだ」
「え、朗読するんですか?」
「そうだ。ほら、仕事でもやったことあっただろ? ナレーションとかさ。あんな感じだと思って」
「あの仕事は子供向けの絵本だったじゃないですか。小説ですよ、これ」
 いかにも面倒臭そうな律子の声。ここで拒否されては、俺の思惑がおじゃんになってしまう。どうにかして
律子には乗り気になって頂きたい所だ。
「律子が読んでるのが聴きたいんだ。ハキハキしてるのが心地良くて、好きなんだよ、律子の声」
 好き、という単語に反応して、律子がぴくりと肩を震わせた。お下げ越しに見える頬に、ぽっと朱が射す。
「……わ、分かったわよ」
 しょうがないなぁ、と言いながら、律子は俺の頼みを承諾してくれた。眼鏡を指で直してから、すうっと息
を吸う音が聞こえた。
「『その日も大泉律子は残業に明け暮れていた。律子にとって、この単純な打ち込みにも見える作業は、昇進
のかかった重要なプロジェクトである』……って、なんですかこの名前は」
 登場人物の名前に即座に反応した律子は、くるりと俺の方へ首を向けた。
「ふふふ、本屋で偶然見つけてな。律子に読んでもらったら面白いだろうと思って」
「全くもう、変なもの持ってきて……」
 律子はハァと溜め息をついた。
「『キーボードを叩く無機質な音が一定のテンポを刻み続ける。律子のしなやかな指先は、迷い無く正確にモ
ニターの中へ文字を打ち込み続けていた。既にフラッシュメモリの中には新しい文書が十枚以上できあがって
いた。律子は、有能な社員であった……』」
 書かれた文章を淡々と読み上げているからとはいえ、彼女が自ら『律子、律子』と言っていると、幼い子供
が一人称に自分の名前を使っているみたいだ、聡明な律子がそんなことをしていると思うと、自然と頬が緩む。
「『と、オフィスのドアがパタンと閉じる音がした。仕事に神経を集中する律子の席に、一人の中年男性が歩
み寄ってくる。律子は、その気配に気付いていた。が、振り向こうとはしなかった。「やあ大泉くん。今日も
仕事に精が出るね」男が、律子の肩に手を置いた。なだらかな肩が、熱を持った掌に反応して震えた。無表情
でモニターに向かい合っていた律子の表情に、緊張が走る……「部長も、仕事が残っているんですか」律子が
恐る恐る尋ねる。声が微かに揺らいでいた。「そうだね、私ももう一頑張りしなくてはならないのだよ」そう
言いながら、男の手が肩から首筋へとにじり寄る。アップにした髪の下で剥きだしになったうなじを、男の太
い指がなぞる。今日も迫り来るあの一時の予感に、律子の体が震えた』」
 そこまで読み上げた所で、先の展開を予測して見当がついたのか、律子が一瞬押し黙った。
「ねぇ、これって……」
「続けてくれ」
 律子の言葉を遮断しながら、腰に回して抱っこしていた腕を解き、小説の中の「部長」と同じように、華奢
な肩を掴む。
「ちょ、ちょっと」
「いいから、こっちは気にしないで、本に集中」
「……はい」
 こちらに向いていた律子の首が、再び小説に戻った。
「『キーボードを叩き続けていた指が、ぴたりと止まった。「部長、やめてください』弱気な律子の声。男は
フンと鼻を鳴らした。「止めても構わないが、君も分かっているだろう? 自分の立場というものを」律子は
かつて、入社したばかりの頃に仕事で大きな損失を会社に出してしまったことがあった。ミスによるものでは
無く、偶然起こってしまった事故のようなもので、律子にも過失は無いはずであった。しかし、それでも周囲
から非難の目線が向けられそうになった。そんな律子を庇ったのは、この部長だったのだ。善意はどれほど含
まれていたか、分からないが、それ以来、律子は会社での生命を部長に握られているようなものであった』」
 肩を掴んだ手を、うなじへ這わせる。お下げにした髪が、ぴくっと揺れた。
「『「この不況で職を失っては、かなり厳しいものがあるだろう。君の立場は、私が保証しよう。そのかわり」
律子の体が硬直した』……こ、こらっ、くすぐらないで下さいよ」
 うなじをくすぐられた律子が、身をよじった。
「続けて」
「……」
 一呼吸置いて、律子が口を開いた。
「『男の手が、律子の肩から前に回ってきた。黙っていても色気を匂い立たせる、豊満な、ふ、ふくらみ……
に……』」
 露骨に、声が小さくなった。
「これ、やっぱり官能小説じゃないですか! こんな、エッチなの……ひうっ!」
「どうした、止まってるぞ」
 舌を伸ばして、うなじをぺろりと舐める。
「や……そこ、舐めないで……弱い、から……」
 弱々しい声で律子が抗議する。このままなだれ込んでしまってもいいのだが、もう少し羞恥を味あわせたい。
耳たぶを唇で挟みながら、「続けるんだ」と促すと、律子が本を握りなおした。
「『男のごつごつした指が、ブラウスのボタンを外していく。せ、整髪料の酸味がかった匂いが、デスクの周
囲に漂った。「や、やめてください……まだ、人が……」律子の抗議にも、男は「人がいてもいなくてもそれ
は君に関係の無いことだ。気に、しないで……いたまえ」と取り……合わない』」
 途中途中で律子の声が揺らぐ。それもそうだろう。俺が朗読に合わせて、首筋に軽いキスの雨を降らせなが
ら律子のブラウスのボタンを一つ一つ外していっているのだから。
「『ブラウスのボタンが半分も外れない内に、男の手が衣服の内側へ侵入した。白い下着の中へするっと滑り
込み、きめ細かな肌を蹂躙する……ん……丸い果実がブラウスの外へ、引きずりだされ、大きな手で、揉みし
だかれると……嫌悪感、と……なぜか、甘い痺れ……あ、んっ……』」
 ボタンを全て外し、スカートから裾を出し、体の前面を剥き出しにして、下着の上から弾力豊かな乳房を手
で弄ぶ。鼻で石鹸の香りを愉しみながら、口は耳元と首筋を後ろから愛撫した。
「ほら、ちゃんと読んで」
「で、でも……そんなに触られちゃうと……」
「子供がじゃれついて甘えてるようなもんだと思えよ。ほら、続き続き」
「こんなの、甘えてるって……言わな……ぁ……」
 もぞもぞと両手を下着の内側へ突っ込み、大きく育った果肉の手触りと弾力を直に愉しみながら、早く早く
と律子を急かす。
「も、もう……! 『他の社員に見られるのではないか。律子の不安を他所に、おっ、男の指先は……容赦無
い。たっぷりと重量感のある女のシンボルを、ら、乱暴に揉みしだきながら、頂点で静かに息を潜める桜色の
突起を──んんっ!』」
「ん、何だ? 突起をどうしたんだ?」
 二本の指で膨らみの頂を挟んでくりくりと責めながら、尋ねる。
「『お、押し潰し、捻り、ハァ……その度に、律子の胸に、ぴりぴりと、電流が走る……。や、ダメ……そん
なに、しないで……くださ……』」
「ん? その本には『ダメ、そんなにしないで』なんて書いてないぞ。困るなぁ、勝手に付け足したりしたら」
「だ……だって、あ、っうぅ……」
 はぁはぁと息を荒げながら、悩ましげに女体がくねる。ひとしきりの知識はあるらしいが、一歩踏み込んだ
プレイにまで明るいわけでは無い律子に、同じ名前の女性が蹂躙される官能小説を、声を出して読ませる。そ
んな行為に及ぼうと考えて律子を家に連れてきてからというもの、俺の股間は疼きっぱなしで、律子の唇が小
説を読み上げ始めて程なく、血液を十分に行き渡らせて早々に硬くなっていた。
「はぁ……『スカートの、ホックを外され……パンティに包まれた領域に、い、いやらしい手つきが、押し入
る……。「お願い、やめてください」懇願する律子の声は聞き入れられない。何度も会社で体を弄ばれている
内に、律子の内に、淫らな、よ、くうぅん!』」
 硬くなったパールピンクの乳首にしゃぶりつくと、ビクンと律子の体が仰け反った。膨らんだ乳輪ごと舌で
嬲り、何も出ないと分かっていても、音を立てて吸い上げる。
「あっ、あ、あ……す、吸っちゃ、は、んんっ……」
「こら、律子っ。ダメだろ、しっかり読んでくれなきゃ」
「……そんな、こと……言われても、ムリ、ですよぉ……」
 顔どころか首筋まで赤く染めて、律子が首を振った。弱々しい抗議だった。
「続き、読んでくれ」
 わざと何事も無かったかのように俺が言うと、律子はかぶりを振った。
「ここで止めちゃったら、俺も止めちゃうぞ。いいのか?」
 頭を起こして、レンズの向こうで潤む瞳を覗き込む。さあ、どう出る。このまま読むのを止めて、ペッティ
ングも中途半端なままキスもせずに終わりにするのか、それとも。
「うぅ……『淫らな、欲望の火種が生まれ、ちろちろと炎を大きくして、身を熱くする……ん、んぅ……「か
っ、体はウソをつけない、ようだな……ここがこんなに、硬く、なっている……」あぁっ……敏感な突起を舌
で、いたぶられ、律子はたまらず甘い声を……あっ、ん、ぅぅっ……』」
 律子の吐息が熱を持ち始めた。ぴったりと閉じた太腿が、もどかしそうにもじもじと擦り合わされる。どう
やら、律子も興奮してきているらしい。もっとも、それが俺の愛撫によるものなのか、自分で音読している小
説の内容によるものなのか、そこまでは分からないが、いつもより温まるのにかかる時間が短いのは確かだ。
「『「ここも濡らしているのだろう」男の声に、律子は、こ、答えられなかった。身の内で高まる……性感、
が……否定の言葉を、出させなかった、のだ。そして、男の手は、両脚の合間、に、女体の秘境に……』」
 唇を胸元から離し、ぷるぷると手を震わせながらも本が落ちないよう支える律子の表情を見やる。頬はすっ
かり赤くなっていて、襲い来る性感を堪える、きゅっと結んだ唇からは、言葉が紡ぎだされる度にか細い喘ぎ
声が混ざっている。
「『ぬちゃり。下着の中に突っ込まれた指が肉の谷間を押し広げると、い、淫靡な音が、した。待ってくださ
いと言う律子の声も空しく、潤滑油を塗りたくった男の指が、洞穴の入り口へ突き立てられた』」
 あらかじめこの本は読んでいたのだが、この辺りからが盛り上がってくる所と記憶していたので、しばし愛
撫の手を休めて、律子の声に耳を傾ける。
「『せ、せめて声を出すまいと堪えていた律子だったが、入ってすぐの浅い内壁をこすられて、あっけなく嬌
声を漏らしてしまった。「やはり濡らしていたではないか。ほら、いやらしい汁がもうこんなに」男は、指先
で掬い取った……みっ、蜜を、見せびらかすように、律子の眼前へ突きつけた』」
 直接的な描写を避けて婉曲的な表現にしているせいか、律子は俺が思ったよりもすらすらと文字を読み上げ
ていく。と、本に視線を落としていた律子が、首をこちらに向けた。
「どうした?」
 何か言いたそうに、上目遣いの瞳が俺を見上げる。ペッティングの続きを期待する目つきなのだと俺は気付
いていたが、気付かない振りを貫いた。
「…………」
 見詰め合うこと数秒。少しだけ不機嫌そうな顔になって、律子はぷいっと視線を本に戻した。
「……『目をきつく閉じて、律子は体に流れ込んでくる悦楽を拒絶しようとした。しかし、それも空しい抵抗
に過ぎず、男のごつごつした指に濡れそぼった肉襞を掻き回され、洞穴は悦んでそれをギュウギュウと締め付
けた』……」
 律子の声が、テンポを落とし始めた。本を支える右手とむっちりした太腿とが、連動してウズウズした様子
を見せている。頭の中で小説の中の光景を思い浮かべているのかもしれない。
 ゆっくりと、右手が本を離れて、胸元を下っていく。目ざとくそれを見つけた俺は右手を掴み、
「おっと。ダメじゃないか、本はちゃんと両手で持って読まなくちゃ」
 半ば無理やりに本を掴み直させた。




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