特殊魔術学校にて 2 井戸の底から 井戸の底から、僕は叫んでいた。 「生涯服従することを誓うから……助けて!」 魔術学校に入学して三ヶ月ほどすると、僕たちは簡単な魔術を習うようになった。 「ほら、ここをよく見て。念じて」 レオンが僕を励ますように声をかける。 「動かない……」 僕はうなだれる。 「気にするなよ、ミシェル。まだできないやつのほうが多いんだ。まあ、俺はできるが」 そう言ってレオンは手のひらの上で消しゴムをふわふわと浮かべ、誇らしげに微笑んだ。そしてノートを一枚やぶり、まるめて机の上に置く。 「もっと軽くしてみよう。これでやってごらん」 「うん……」 僕はそれをじっとみつめる。ぴくりとも動かない。さらにみつめる。するとその真ん中から煙が出始めた。 レオンがその紙をひろげる。 「え? なんだ? 焦げてる……。これ、おまえがやったのか?」 「……かな?」 僕はその紙を手に持ってもう一度みつめてみた。すると端のほうに小さく火がつき燃え始めた。 レオンが僕の顔を見る。 「なぜだ……。何をやったんだ」 「念じた……」 「火をつけるなんてまだ全然習ってないぞ」 僕は火を消した紙を再びまるめて手のひらにのせる。じっとみつめるとふわふわと浮かんだ。うれしくなって僕はレオンの顔を見る。 「やった! できたよ!」 「よかったな……」 そう言ってレオンは僕の肩をポンと叩いた。 その夜、僕がお風呂場で一人で頭を洗っていると電気を消された。 「いやー! 暗いぃ! つけてっ、電気つけてぇぇ」 僕がお風呂場の扉にかけよると誰かが扉を押さえていた。 「レオンでしょっ! 開けてっ! 電気つけてぇぇ」 扉の向こうの誰かは何も言わない。僕は叫ぶ。 「あーけーてー!」 扉の向こうの脱衣所に他の誰かが入ってきた。話し声が聞こえる。 「レオン何やってるの?」 「俺ら風呂入るんだけど」 クラスメイトたちが電気をつけてお風呂場に入ってきてくれた。 「ミシェル、もう電気ついたよ。泣くなよ」 「泡が、泡が目に入った……。痛い……」 「シャワーこっちだよ。おいで」 「ありがとう……」 お風呂から出て部屋に戻り、僕はレオンを問い詰めた。 「レオン! ひどいよ、お風呂の電気消したでしょ!」 机に向かっていたレオンは振り向いて面倒そうに言った。 「そんなことぐらいでギャーギャー言うなよ。油断してるほうが悪いんだよ」 「緊張感もってお風呂になんて入らないよっ」 「暗いのがイヤなら自分で電気つけたら? 得意の魔術で」 そう言い捨ててレオンは再び机に向かった。 腹が立ったので僕はレオンが持っていた鉛筆の先に火をつけた。 「熱っ! 何すんだよ!」 僕はレオンの言葉を無視してベッドに潜り込む。 「……覚えておけよ」 レオンがそうつぶやいたのは確かに聞こえた。 ただの捨て台詞だと思っていたが……。 翌日、朝食を食べているときにレオンが声をかけてきた。 「ミシェル、昨日悪かったな」 「う、ううん。僕のほうこそごめんね……」 僕がそう言うとレオンはにっこりと笑った。 「よし、仲直りのしるしにこれをやるよ」 そう言ってマーマレードの小袋を僕に差し出す。 「え? いいの? でも……」 「いいよ。俺たちこれからもずっと友だちだよな」 「うん!」 僕はマーマレード倍量のトーストをほおばる。おいしい。 レオンは小さな声で僕に耳打ちする。 「すごい場所みつけたんだ。放課後いっしょに行こう。誰にも言うなよ」 僕は首だけ動かして「うん」とうなずく。 レオンはにっこりと微笑んで、何も塗らないトーストを食べた。 放課後、僕たちは森へ向かった。レオンはどんどん先を歩く。森の奥へ行くほど大きな木がたくさん生えていてちょっと暗い。 僕は先を歩くレオンに声をかけた。 「ねぇ、まだ行くの? ここでもじゅうぶんすごいんだけど……」 「大丈夫だよ。もう少しだ」 そう言ってレオンは僕の手をとり、少しだけゆっくり歩く。 僕はうれしかった。レオンは本当に僕のお兄さまみたいだ……。僕はレオンの手をぎゅっと握った。 「何ぼんやりしてるんだ。着いたよ」 レオンが僕に声をかける。 「え? そうなの?」 僕がそう答えると、レオンは地面が少し盛り上がったところを指差した。その上には板が置いてある。 「ほら。これ、なんだと思う?」 「なんだろう、この板。フタのように加工されている……」 僕はそれを持ち上げてみる。すると地面に大きく深い穴が開いていた。 「深い……。5、6メートルぐらいかな。これはもしかして井戸? もう枯れているようだけど……」 僕は井戸らしき穴をそっとのぞく。 すると……。 「えっ? わっ! わぁぁ!」 誰かに背中を押され、僕は井戸の底に転がり落ちた。 「いてててて……。い、いま誰かに背中を押された! ゆ、幽霊?」 僕は井戸の底から地上を見上げる。レオンがほくそ笑んでいた。 「相変わらずバカだな。幽霊なんているわけないだろ。俺が押したんだよ」 「ど、どうして?」 レオンは僕を見下ろしゆっくりと口を開く。 「ムカつくんだよ、おまえ。ちょっと小さい火がつけられるようになったからって自慢げに俺の鉛筆燃やしやがって」 「さきに意地悪したのはレオンだよ。それに僕たちもう仲直りしたよね?」 「あれは演技だ。だまされるほうが悪いんだよ」 「そんな、マーマレードもくれたのに」 僕がそう言うとレオンは楽しそうに笑った。 「教えてやるよ。俺はマーマレードが嫌いなんだよ!」 「どうして? おいしいのに……。ていうか、早くここから出して! 助けて!」 僕は叫ぶ。レオンはにやりと笑う。 「もちろん助けてやるが……、条件がひとつある。俺に生涯服従することを誓う?」 僕は黙ったままレオンを見上げる。少し涙が出てきた。 「そんな……、ひどいよ……」 涙がどんどんあふれてくる。そんな僕を見てレオンはフッと笑う。 「服従を誓えないなら助けられないな。一生そこで暮らせよ。ばーか」 そう言い捨ててレオンはその場から去っていった。 「待って! 行かないで! 助けてぇ!」 僕は泣き叫んだ。 僕はしばらくその場で泣き続けた。でもだんだんと涙が枯れてくると少し冷静になってきた。 あんなことを言っていたけど、レオンはきっと晩ごはんまでには助けに来てくれるだろう。 ……。 日が暮れたようだ。 ただでさえ暗いこの井戸の中は真っ暗になった。 レオンは僕に晩ごはんを食べさせないつもりらしい。今日の晩ごはんは確かクリームシチューだ。おなか減ったなぁ。 ……。 少し眠っていたらしい。井戸の中は闇だった。 自分の手が、足が、どこにあるのかわからない。 僕の身体は本当にあるのだろうか。僕は手で自分の顔に触れる。いちおうあるようだ……。 そして少し寒い。昼間はあんなに暖かかったのに……。 今は何時ぐらいなのだろう。レオンはいつ助けに来てくれるのだろう。 一生ここで暮らせとレオンは言っていた。 まさか本気ではないと思うけど……。 早く来てくれないと餓死しちゃうよ! 凍死するよ! こんなことなら服従を誓えばよかった。こんなところで死ぬよりはよっぽどマシだ。 「生涯服従することを誓うから……助けて!」 僕は叫んだ。 何の返事もない。代わりに狼の遠吠えが聞こえる。何か鳥の鳴き声が聞こえる。森の木が風に揺れる音が聞こえる。 僕はそのすべてが恐ろしかった。必死で耳をふさいだ。ぎゅっと目を閉じた。目を閉じても閉じなくても見える風景はただの闇なのに。 「たすけて! たすけて! 誰か助けて!」 僕は泣き叫ぶ。 「……何かの子どもがどこかで泣いてる」 僕は声が聞こえた気がして自分の耳を押さえていた手をどけた。 「ヒトの子どもが古井戸に落ちてるんだよ」 「それおいしいの? 食っていい?」 「あんまりおいしくないし……。あいつら魔法使いの子どもなんだ。仕返し怖いからやめておこう」 なんだ? 誰がしゃべっているんだ……? 僕は耳を澄ます。 「狼がヒトの子ども食うかどうか相談してるよ」 「食えばいいのに。やつらがおなかがいっぱいになれば、うちらしばらくのんびりできる」 動物の声……? 「ねぇ、あっちにおいしい木の実があったよ」 「どこどこ? 案内して」 「こっちこっち。痛っ、木にぶつかっちゃった」 「鳥目なんだから気をつけないと」 鳥の声? それだけじゃない……。 「風がきついなぁ。疲れた、倒れそう」 「これぐらいの風で倒れるわけないじゃん」 「ノドがかわいたよー」 「がんばれー。明日の夕方には雨が降るよ」 なにこれ……。木? 植物の声が……、聞こえる。なぜ……? 僕はそっと上を見上げた。辺りは闇ではなかった。空が見える。空には月が輝いていた。まるい月が。満月……。 僕の身体が月光に照らされる。全身があたたかい。力がみなぎっていくような。今なら、何でもできるような気がする……。 僕は念じてみた。まるめた紙を手のひらの上に浮かべる要領で。 僕の身体はふわりと宙に浮かんだ。 そして僕は井戸の外に、地上に舞い戻った。 「なんだ、こんな簡単に……。帰るか。いや、待てよ……」 僕にいい考えが浮かんだ。 翌朝、レオンがやってきた。 「ごめん、ごめん。晩ごはん食べたら迎えに行こうと思ってたんだけど、おなかいっぱいになったら寝ちゃった。クリームシチューおかわりしてさぁ……」 レオンは井戸をのぞきこむ。 「おーい、ミシェル。寝てるのか? 来てやったぞ」 僕は後ろからレオンの背中を押した。 「えっ? わぁっ! わーっ!」 レオンは井戸の底に転がり落ちた。 僕は井戸の底を見下ろす。レオンは呆然と僕の顔を見上げる。 「な、なぜだ、ミシェル。どうやってここから出たんだ」 僕はにっこりと微笑んで答える。 「魔術で」 「そんな……、こんな高さの移動を? ま、まあとにかくここから出してくれよ。ロープ持ってきたからその辺の木に結んで……」 レオンはロープを地上に放り投げる。僕はそれを井戸に蹴り落とす。 「え……? ミシェル……、助けてくれよ……」 僕はゆっくりと口を開く。 「もちろん助けてあげるよ。でもひとつ条件がある。僕に生涯服従することを誓う?」 「卑怯だぞ! ミシェル」 「だまされるほうが悪いんでしょ? まあしばらくそこにいれば? 晩ごはんまでには来てあげるよ。でも昼ごはんは抜きだ」 「待てよ! 俺、まだ朝ごはんも食べてないよ! 待てってば!」 僕はその場をゆっくりと去った。 その日の昼ごはんには実は楽しみがあった。デザートにプリンが出る日だったのだ。 「おいしいねー、プリン」 「レオンかわいそうだね、こんな日に風邪ひくなんて」 「ミシェル、これレオンに持って帰ってあげなよ。プリンなら風邪でも食べられるよ」 クラスメイトたちが僕にレオンの分のプリンを差し出す。 「うん、そうするね。ありがとう」 僕はにっこりと笑う。 どうせレオンは献立表なんてろくに見てないんだから、部屋に持って帰って僕が食べようっと。 午後の授業中、窓の外で雨が降り始めた。 そういえば昨日、誰かが明日雨降るって言ってたなぁ。レオン風邪ひいちゃうかな? ちょうどいいか。仮病がばれないですむ。 僕はこっそりと笑った。 次の話 前の話 小説 index HOME written by nano 2008/03/05 |