懐かしい記憶に口元へ笑みを浮かべていると、橋の入り口までやってきた。渋滞で立ち往生している車の間をすり抜けて、遠くに見える巨像を目指して走りきる。そうしてようやく開けた場所に来るとバイクを止めた。

「……それにしても……パートナーって誰だろう?」

 バイクから下りて巨像を見上げる。本日の敵だ。どうやって倒そうか、と考えているとふと周りが暗くなる。なんだ?と見上げると空から何かが落ちてきた。

「うわぁ!?」

 間一髪で避ければ大の字に倒れているロックバイソンが確認できた。

「……一人じゃ……無理か……」
「あれ?もしかして相方ってバイソン?」
「ん?はぁ?」

 のそりと体を起こすバイソンの横に座り込んでマスクを上げると彼は首を傾げた。

「……タイガー?……お前……その格好……」
「あぁ……うん。まぁその説明はまた今度。そんなことよりも相方ってのはお前でOK?」
「え?は?いや……OKじゃない……」

 ふるふると首を横に振るバイソンに首を傾げているとすぐ傍にバイクが止まった。見上げると先日の気障な青年だ。嫌味ったらしい態度が気に食わない、というか、きっと性格からして合わない人間だと直感的に感じる。

「いきますよ、おじさん」
「あ!え!?もしかして……お前が相方?!!」
「えぇ、そうですよ。それより、ほら、早くしてください。ターゲットが行ってしまう」
「〜ッ……分かったよっ!」
「お、おい!タイガー!」
「ん?あぁ、大丈夫大丈夫。また後でな?バイソン」

 何はともあれ、今は事件解決最優先!とばかりにバイクへと走り出したタイガーの背にバイソンは手を翳すしか出来なかった。

 * * * * *

「おぅ、テツ!こっちだ」
「おっつかれさ〜ん」

 通い慣れたバーに入ってきょろり、と見回していると、カウンターの隅に目的の人物を見つけた。ハンチング帽を脱ぎながらにこやかに挨拶を交わせば、手前に座っていたファイヤーエンブレム、ことネイサンが近づいてくる虎徹の体に釘付けだった。
 すぐ横までくると我慢できなかったのか手を伸ばして平らになった胸元を撫でる。

「お疲れ様〜!って、やだ……ホントに真っ平らじゃない。」

 撫でられた胸元は、最初の出動の間に斎藤さんが作ってくれたベストのおかげで男の胸板のような触り心地になっている。薄手の服の上からでも分からないそれは、虎徹の今までの悩みすら解決してくれていた。

「だろ〜?でもさ、これでスーツ着てない時も堂々と『虎徹』をやれるってもんだ」
「一人二役状態だったものねぇ……」
「ワイルドタイガーのマネージャー、だったか?」
「そうそう…ヒーローやってない時はちゃんと女として生活しろ、って。
 いろいろ世話になったベンさんにゃ悪いが……あれはちょっと面倒だった……」

 苦笑を浮かべるものの、虎徹の頭の中では、最後の最後まで自分を叱り励まし、そしてずっとファンだ、と言い切ってくれた彼の顔が過ぎっていた。就職先が早々に見つかればいいな、と少ししんみりしてしまう。
 しかしいつまでも沈んでなんかいられない、と満面の笑みへと切り替えるとびしり、とVサインをかざした。

「何はともあれ!これで二人と朝まででも飲めるよな!」
「そう受け止めるか……」
「おうよ!」

 壁際に空けられたアントニオの隣の椅子へと腰掛けるとさっそくロックの焼酎を注文する。
 昨日まで社外に出れば、女のラインを出したままの体だったのでヘタに飲み明かせないし、アントニオと二人きりだと、彼が送り狼になるんじゃないか、とチクチク刺ささってくる視線を向けられていた。しかし今は、胸を潰しただけとはいえ、仕草も喋り方も元から荒かった虎徹は立派な男に見える。本人も上機嫌なところから、よほど嬉しいようだ。

「それにしても残念ねぇ?バイソンちゃん」
「?何がだ?」
「両手に花じゃなくなって」
「……どっちも華って感じじゃなかったけどな……」
「そらそうだ。けどよ?こうなったらネイサンのハーレムだよな?」
「そうなのよ!もう!美味しいったらないじゃないッ!」

 以前は男一人にオカマとおばさんのサンドイッチ。今はオカマ一人に男のサンドイッチ。得しているのはどう見てもネイサン一人だと思われる。

「でも……大丈夫なのぉ?タイガーちゃん」
「うん?何がだ?」
「だって……いくら『男になった』って言っても……あなた『お母さん』なのよ?」
「あぁ、大丈夫大丈夫。その辺は臨機応変になんとかなるって。」

 へらりと微笑む彼女にネイサンは少し眉尻を下げたがすぐに戻してしまった。

「分かったわ。こう、と決めた時の『女』は強いものね……もう何も言わない。」
「ん、わりぃな。」
「私も出来るかぎり協力してあ・げ・る」
「さんきゅ〜!」

 にこにこと差し出されたグラスに口を付ける虎徹をアントニオは複雑な思いで見つめていた。

 一方。アポロン本社の最上階では、マーベリックの部屋でソファに腰を沈めるバーナビーがいた。デビュー当日である本日の映像のチェックをしていたのだが、その表情はいささか険しい。そんな彼に背を向けてマーベリックは部下であるロイズと開発責任者の斎藤から送られてきたメールを読んでいた。

「……やはり……僕にはコンビなんて必要ありませんよ」
「……ワイルドタイガーかね?」
「えぇ。足手まといでしかありませんよ。あのおじさん」

 ぽつり、と呟いたその言葉にマーベリックは苦笑を浮かべてしまう。彼に渡した『ワイルドタイガーの資料』は『訂正前』のものだ。本日新たに判明した事柄は一切書いていない。
 隠されていたとはいえ、とんでもない爆弾を抱えたものだな、と思わず遠い目をしてしまいそうになるが、10年もヒーローをしてきて世間には全く気づかれていないのだ。今まで通りに動いてもらえば支障はない、それが、マーベリックとロイズの見解だ。
 その為にも、『彼』の素性は限られた人だけが知っていればいい。真実を知る人間は少なければ少ないほど危険が少なくなるだろう。その考えから、コンビを組むバーナビーにも教えていなかった。

 だから、バーナビーが『彼』の事を『おじさん』と呼ぶのはなんら可笑しいことではないのだが、浮かんでしまう苦笑は止めようがない。

「確かに。要領は悪いようだが、同じ能力である以上、倣うところもあるだろう」
「……ありませんよ。」
「そう言わずに。どちらにせよ、注目が集まり、知名度が急上昇しているのだ。もう少しの間だけでも続けて損はないと思うよ?」
「………」

 優しく、諭すように言えば、渋々ではあれ、納得してくれたようだ。黙り込んでしまった彼は一つ大きなため息を零すと徐に「帰ります。」と告げて出て行ってしまう。その背中にもう一つため息を吐き出して、マーべリックはヒーローTVのプロデューサーから入った企画書へと目を通し始めた。

 * * * * *

「よ、よぉ。バニーちゃん。一緒に……その……街へでも繰り出さないか?」

 綺麗に澄み渡ったある日の事。ヒーローTVの企画でバーナビーの密着取材がしたい、と言われた2日目のことだ。ビルから出てきたバーナビーのところへガチガチに引きつった笑みを浮かべるタイガーが行く手を阻んだ。
 これ見よがしな片言な喋り方になっている彼をバーナビーは細目で睨みつけてしまう。

「ちょーっとなんなのよぉ!その大根芝居はッ!」
「んなこと言ったってこちとら芝居なんかはど素人なんだよ!」

 途端に始まる言い争いと、カメラを持つクルーの目配せにあらかたの内容がうかがえた。敏腕プロデューサーが何やら脚本らしきものを丸めて持っているが、全く息の合わない二人では到底にこなせないだろう、と苦笑を浮かべる。

「……いいですよ?僕は何をすればいいんでしょう?」

 それでも仕事は仕事。と開き直ったバーナビーは笑みを浮かべてアニエスへと問い掛けた。



 『いつも通り振る舞ってくれればいい』という注文にバーナビーはすぐさま対応してくれた。バイクにまたがり、『相棒』であるタイガーをサイドカーに乗せて道路を疾走する画を存分に撮らせてくれる。その上ちゃんとファンサービスを考え笑みを絶やしていない。
 そんな彼は今、バイクを路上に駐車してサインを強請る子供の輪の中心にいる。これぞまさしく撮りたかった画、とアニエスは感嘆のため息を漏らしていた。

「いい画。ホント、様になるわぁ……それに引き換え、って……あら?タイガーは?」

 企画の説明からサイドカーに乗っている間もずっと、アイマスクを付けていても分かるほどの仏頂面をしていたタイガーを振り返れば、今の今まで座っていたはずの男の姿はなく。アニエスはぱちり、と目を瞬いた。その様子に気付いたケインが顔を上げる。

「え?あぁ、あそこですよ」

 指差す先には若い母親が赤子を抱いておろおろしている。そこに近づいていったタイガーが何事か話しかけていた。

「……何やってんの?」
「……さぁ?」

 何やら少しの間話していたかと思えば、母親はタイガーに子供を預けてぺこぺこと頭を下げている。その直後彼女はこちらに向かって走ってきた。

「……バーナビーさんに握手とサインをしてほしかったみたいですね」
「そうね。賑やかな所に来たら、せっかく眠っている子供を起こしちゃう可能性があるものね?」

 子供の輪の外に来た彼女は手に持った手帳を大事そうに抱えて順番待ちをしている。その横顔はキラキラと輝き、アイドルを出待ちするファンと変わらない。しばらく少女のような表情をする母親を見ていたが、アニエスはちらりとタイガーの方へ視線を移した。

「………」

 するといつの間に目を覚ましたのだろう?赤ん坊が両手両足をぱたぱたと元気良く動かしながらタイガーと笑い合っている。歩道に付けられた手摺の上に腰を下ろして膝の上で子供をあやし始めた。

「なんか……所帯臭い……?」

 なんと言って表現すればいいのか分からないその光景にアニエスは眉間へ皺を刻んだ。見苦しいわけではない。とても、どちらかと言えば長閑な風景だ。

「……所帯臭いというか……お父さん?」

 呟いた言葉にアニエスは思わず怪訝な顔で振り返ってしまう。その表情に思わず苦笑いを浮かべて仕事へと没頭し始めたケインはもう一度だけちらりとタイガーへ向けて視線を移動させた。すると小さい女の子が集まり始めている。幼稚園くらいの子供だろうか?皆一様に赤ん坊へと興味を惹かれていた。

「あれは、お父さんじゃなくて保父さん、ね。」
「……あはは……」

 げんなりとした様子のアニエスにケインは乾いた笑いで答えた。とても長閑な光景だと思う。けれど、ヒーロー、というには華が足りない。つまり視聴率が取れない。その考えに直結してしまうアニエスをケインはとても苦い笑みを漏らすのみで終わっておいた。その間にも幼子をあやすタイガーの輪には子供の笑い声が耐えない。これはこれでいい画なのにな、とケインはこっそりサブカメラで記録しておいた。

「お待たせしました。」
「いえいえ。とってもいい画が撮れましたよ!」
「そうですか。それは良かった。ところで……先輩は?」
「あぁ、タイガーなら……あそこ。」

 かれこれ一時間は経過しただろうか?サイン責めから開放されると今度は質問責めにあっていた。それらにも嫌な顔一つせずに丁寧に受け答えをしていく。子供達の好奇心をたっぷり満たしたのだ。お礼をいいながら走っていく彼らに手を振ってクルーの元へと来れば、相棒であるはずの男の姿がない。
 率直に尋ねればちょいと指差されたのは少し離れた場所にいる人影。先ほど子供達に混ざってサインと握手をしてほしいと言って来た女性がいる。その向かいに目的の人物がいた。

「……ぐずってるわね。」
「……ぐずってますね。」

 その女性の子供だろう、赤ん坊を渡そうとしているのだが、当の赤子がタイガーの服を掴んで離さないらしい。それでも無理矢理離させようとすると泣き出してしまったようだ。

「随分気に入られたんですね」
「そうねぇ……さっきまで保父さんさながらに子供達に囲まれていたからねぇ……」
「……へぇ……」
「それにしても……初めての子供かしら?あの母親」
「あぁ〜……焦ってますね。どうするんでしょうかね?」

 おろおろと焦る女性にタイガーの方は苦笑を浮かべるだけだ。しばらくは動かなかったが、ようやっと動きを見せた。突然立ち上がったタイガーが女性に何事か話している。すると彼女は子供から手を離してしまった。

「え?ちょっと……子供預かってそのまま行くとか言わないでしょうね?」
「……まさか。」

 さすがにそれはないだろう。と面々が苦笑いを浮かべていると、彼女は鞄の中からハンカチを取り出して子供の顔を拭き始めた。その動作に思わず、ほっとしていると、子供を抱え直したタイガーは小さく何かの歌を歌い始めている。優しく背中を擦りながら、体をゆったりと揺らす。声が小さくてここまでは聞こえないが、子供の泣き声は次第に小さくなり静かになっていった。

「……寝た?」
「……みたいですね……」

 静かになってしばらく。ずっと体を揺すっていたタイガーの動きも止まる。すると2人して子供の顔を覗きこみ笑い合うと、受け渡しを始めた。予想は当たっていたようで、ぐっすりと眠っているらしく、もうタイガーの服も握っておらず、すんなりと手渡される。
 一部始終見守っていたら、女性を見送ったタイガーがこちらへと小走りに駆け寄ってきた。

「わりっ!時間取らせちまった」
「え……あ……あぁ、構わないわ。丁度いい休憩になったし」
「あ、そう?」
「………」
「な、なんだよ?」

 へらり、と笑っているとバーナビーの視線に気づいた。じっと見つめて何も言わない。かなり居心地が悪かった。思わず後ずさりまでしてしまう始末だ。
 一方のバーナビーはすぐ横まで来たタイガーをじっと凝視したまま思考に耽っている。……というのも、さきほどアニエスは『保父さん』といったが、何か違和感を感じてならないのだ。確かに子供の扱いには長けているようだが、何かがしっくりとこない。

 漠然とした疑問を抱えながらも、咬み合わないコンビ生活を過ごすのだった。


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