9:Kotetsu sings the Lullaby
薄暗いビジネスホテルの一室。
今時珍しくない常備のパソコンの前に腰掛けると主電源を入れる。ブゥン……と小さく音を立てて起動を開始したのを確認してちらりと腕時計をみるとそろそろ昼時だった。けれど空腹感が全く起こらず、何かがつっかえたような喉も水分を拒否している。
「……さて」
起動を終えたモニタを前にゆっくりと深呼吸をした。
「『話』をしようぜ?『ルイ』」
一人きりの部屋で掠れた声がこぼれ落ちていく。
* * * * *
「……なんなの?この3人」
昼を少し過ぎたところ。集合場所としていた虎徹の部屋にヒーロー達が集まりだした。
「あぁ、ちょっと恥ずかしい事があってね?しばらくそっとしといてあげなさい」
「ふぅん?」
部屋の隅で点々と蹲る男達の姿にカリーナは訝しげにしながらも一つ頷くだけに止めておいた。
「……ワイルド君は戻ってきてないね?」
「そうね……」
「誘拐及び拉致の線が強くなってきたかな」
じめじめとした男供を放置したままでいれば次々とメンバーが入ってくる。キースが来た時には全員が揃っていた。各々ソファに腰掛けたり壁際に立ったりと適度な位置に陣取るとネイサンが切り出す。
「さて。実は午前中、牛ちゃんとデートに行ってきたの」
「はぁ?」
「ちょっと……カリーナったら冗談に決まってるじゃない。そんな顔しないでちょうだい」
「あ、ご、ごめん……」
「寝不足だから大目に見て流してあげる」
ネイサンの言葉に思わず険しい表情になってしまったカリーナは揉み解すように両頬をさすった。そんな彼女に苦笑だけ漏らして脇に抱えていた書類をローテーブルに広げ始める。
「あたし達は、例のテディベアの購入者達に会って来てたのよ」
「リストをもらえたんだね」
「えぇ」
「それでだな、二軒はすんなりと会う事が出来たんだが……」
「何かあったの?」
「三軒目にはね、会えなかったのよ」
「どうしてですか?」
「ルイ・ラグランジュだったからね」
その名に部屋の中が息を呑む音に包まれる。
「しかもあのクマの持ち主はルイのようよ」
「え?」
「会えた二軒は両方とも持っていたからな」
「じゃあ、あれは遺品?」
「そんなもの……どうやって?」
「さぁねぇ……遺族の方に話を聞こうかと思ったんだけど、夫婦ともに一人っ子。両親はとうの昔に他界してるっていうじゃない。
唯一親身な関係だったジョン・ベックマンに話を聞いてきたんだけど」
ついでに借りてきたというルイの顔写真や彼の家族構成、履歴などの書類を並べていく。
「妻と娘が一人の三人家族ね。
あの銀行に入社してすぐに結婚、ほどなくして開発チームに配属されて5年。
プログラムが完成し、駅にて刺された、と。」
「そういえば……刺されたって、刺した人は通り魔だったの?」
「それが違うみたいでな」
こてん、と首を傾げるホァンに今度はアントニオが書類を広げ始めた。新聞のコピーを何枚かと手配書だ。写真には一人の男のバストアップが写されている。ナイフでそぎ落としたかのような頬にぎらぎらとした赤い瞳が目を引く青年だ。その表情は世の中を恨み、己の不幸を嘆くかのように翳り、瞳にも生気がない。
「ルイの奥さん、メアリはこの男にストーカーをされていたそうだ」
「尾行はしょっちゅう。無言電話も何度かあったみたいね。無理矢理連れて行かれそうになったりもしたそうよ」
「問題は警察の対応だな。相談に来ていたけれどコレと言った対策はしなかったらしい」
「そんな……」
「ヒーローの方も、市民を守る為とはいえ、個人のボディーガードをするわけにもいかないし、容疑者は非NEXTだし……」
「何も出来なかったのだね」
室内が重い沈黙に包まれていく。ネイサンの言う通り、企業に所属するヒーローが一市民のボディーガードに借り出されるわけにはいかない。その仕事を許諾したら他にも出てくるだろうし、何より性質の悪い依頼も出てくるかもしれないのだ。
やるせない気持ちに包まれる中、カリーナは男の写真に指を伸ばした。
「ねぇ……赤い瞳の男って……」
「えぇ。もしかしたらこの所暴れまわってるあの女性。この男を捜しているのかもね」
「じゃあ、あの人はルイの奥さん?」
「分からないわ。けれど行方不明になったままだったからその可能性はある」
「うむ?メアリさんは行方不明なのかい?」
ずっと黙って話を聞いていたイワンがふと思いついたらしい。写真に釘付けになっていた顔を上げた。
「あ、ベックマンさんが言ってました。
ルイ・ラグランジュが臓器移植する前日にいなくなって、警察に通報したけど見つからなかったって」
「そ。だから捜査が打ち切られた時点で死亡処理にした、と」
「……そうか」
「ね、あの女の人、メアリさんじゃないと思うよ?」
「え?」
「だって、三人で行動してるんだよね?でも、子供がもう一人いるんでしょ?」
ふと疑問に思ったことをホァンが口にすると一斉に首を傾げた。
もしあの女性がメアリであるならば、子供は一人だけでもう一人いるというのはおかしい。そうなるとホァンの言う通り、メアリではないと思われる。困惑に満ち始める空気の中、バーナビーが一つ息を吐き出した。
「……とりあえず、彼女を確保することが先決ですね」
「そうよね、これ以上真夜中に暴れられちゃ、こっちの体が保たないわ」
「この男を連れて説得しましょう。子供のことは分かりませんが、ひとまずは……」
「無理よ」
さっそく刑務所に行って手続きを、と思った矢先、ネイサンの悲痛そうな声が静止をかけた。
「無理って、どうして?」
「犯罪者を囮に使うのは確かにどうかと思いますけど……」
「そうじゃないの」
「そいつ、もういないんだ」
「どういうこと?」
アントニオがテーブルに広げたコピーの内二枚を引き出すと見えやすいように一番上へと置いた。
「……え!?」
「刑務所から抜け出して、逃走中に橋から転落死してるんだ」
20年前の新聞の文字を読めば、殺傷事件を起こした男が脱獄したという記事と、警察に追われてる時に橋から転落死したことが書かれていた。遺体は回収されているので間違いはない。現場となった橋に警察が何人か調べている写真が大きく載せられている。
「……う〜……?」
「ホァン?」
打つ手立てなしか、と落胆のため息が広がる中、ホァンが体を乗り出して写真とにらめっこしている。
「ここ、何か写ってる」
「うん?」
彼女が指すのは橋を渡りきった位置で、ちょうど側道の低木がはみ出している。けれど一番奥に当たる場所でカリーナも目を眇めて見てみるがよく分からない。
「御免」
どこから取り出したのか、イワンがルーペを片手に写真を覗き込んで来た。
「……何か落ちてますね」
「何かは分かる?」
新聞のモノクロ写真では細部までは判断しかねる。けれど見える範囲で推測をすると、写りこんだ木の高さや橋桁の高さなどから大きさは予想できた。
「うーん……なんでしょう?大きさの比率からして50cm程?ぬいぐるみでしょうか?」
「ぬいぐるみ?」
鼻がつきそうな位に近づいて睨めっこをするイワンの言葉にバーナビーが意外そうな声を上げた。その珍しい反応にネイサンが首を傾げて見上げる。
「何かあるの?ハンサム」
「あ、いえ、そういえば先輩が倒れた川辺にもぬいぐるみが落ちてたなぁ、と思い出しただけで」
「ぬいぐるみってそんなに落ちてるもの?」
「さぁ?」
「画像が荒いですし……確証は持てませんけど……クマですかね?」
「くまぁ?」
「木にほとんど埋まってますけど耳が丸いし……」
「まさかテディベアじゃないでしょうね?」
「いやいや、そんな高価なものを度々落とされてもだな」
「ハンサムが見たのは?」
「いや、ちらりとしか見ていないので何だったかまでは……」
「まぁ、そんなものよね」
「そういえば、タイガーってあのぬいぐるみどこで拾ったのかな?」
「さぁ?詳しくは聞かなかったからねぇ」
そうごろごろ落ちてるようなものではないのだが、こうもあちこちで見ると少々気味が悪い。何よりも虎徹の持っていたぬいぐるみもどこから取得したのやら……高価なものである為になおの事疑問の色が濃くなっていった。
「でもさぁ……新聞の一面に顔が出るくらい大事になってるのに……あの女の人、どうしてまだ探し回ってるのかな?」
「ふむ……新聞を取っていないのかな?」
「それってちょっと考えられないと思うけど」
「新聞を見てなくても、テレビで報道するでしょうしね?そうなれば街頭モニタにも映されるでしょ」
「じゃあ、何か?新聞もテレビも見られない状況だったってのか?」
「確証は持てないけど、有り得ないこと無いわよね。制限された空間にいた、とか。たとえば……監禁?」
「……監禁……」
ぽつりとバーナビーが呟くのをネイサンが見上げる。
「それで?ハンサムは何を調べてたの?」
「あ、はい。斎藤さんと廃工場に行っていました」
「工場?」
「先輩が倒れた場所です。何か倒れるきっかけになるものがあったんじゃないかと言って」
「もしかしてそこで拾ったの?酸素ボンベ」
二人だけで進んでいく会話に周りは完全においてけぼりを食ってしまった。焦れたカリーナが口を尖らせながら身を乗り出す。
「なんの話?」
「ここに来る前、一度電話したのよ。そうしたら……」
「錆だらけの酸素ボンベを見つけたんです。製造工場と病院に寄ったところだったんですけど、誰が使ったのか分かりませんでした。しかし……」
「なんだい?」
「その病院、ルイが入院してたとこみたいなのよね」
「またルイか……」
「すべてが彼につながっているかのようね……」
またも振り出しに戻されたような心地の中各々が重々しいため息を吐きだした。どこを進むにも『ルイ』に邪魔をされている様で八方塞がりに近い。ぐるぐると迷路の中を彷徨っている気分を変えようとネイサンはイワンへと向き直った。
「そういえば折紙ちゃん、さっき何を拾ってたの?」
「え?あぁ、タイガーさんの時計です。ちょっと埃が被ってるみたいですけど」
そう行ってテーブルに置いたのは虎徹がいつもつけている腕時計だ。真っ黒のフォルムが所々白くなっているのは埃のせいらしい。ハンカチを取り出して磨けばすぐに綺麗になった。
「落としたの気づかなかったのね、タイガー」
「いや?そんなはずないだろ」
「え?」
「昨夜、トイレに行くって言ってた時も時計はしたままだったぞ?」
一番最後まで接触していたアントニオが首を傾げる。職業柄からか、装飾品や服装をよく覚えていた。昨夜、虎徹と一緒にこの部屋にきたが、時計はおろかネクタイも外していなかったはずだ。
「え?じゃあこれは?タイガーのだよね?」
「埃の被り方からして昨日今日って感じじゃないわね」
「でも、タイガー、ずっと腕時計してたわよ?」
「そうですね……いつも通り、失くした様子もなかったです」
「予備じゃないかい?」
「全く同じものを2個?」
「あの人に限ってないと思いますけど」
「だな」
少々失礼な気もするが全員一致で頷く。本当に外していなかったのか、もしくは意外な事この上ない予備なのか、確かめるにも当人が現在行方不明の状態だ。
「あぁ、もお!肝心な時にいないわよね、あのおじさん!!」
「カリーナったら……お口が悪いわよ?」
「だってぇ……」
調べた事柄から推測をしていくもどこかしらで行き詰まり、突拍子もない角度から推測を放り込む人物もいない。いつもなら呆れて流すところだが、この度に関してはいないことに憤りを感じる。思わず悪態をついてしまうカリーナの気持ちも分からなくない。
「ひとまず出来る事から当たっていきましょう」
「そうね、そうする他現状ではどうしようもないもの」
「出来る事っていうと……」
「あの女性を取り押える事じゃないかい?」
「連携プレーのみで、か」
「骨の折れる仕事だねぇ」
「ま、仕方ないさ」
「それとこの部屋にも交代で誰か来るようにしといた方がいいでしょう」
「もしかしたらふらっと帰ってくるかもしれないからね」
解決できたようなできていないような……すっきりしない会議ではあったが、解散する他ない。自分たちで出来る範囲の事は終わってしまったのだ。仕方ないだろう。
* * * * *
虎徹の部屋での待機は話し合いの結果時間で交代することにし、各々の本職へと戻っていく。
そんな中、ジムへと体作りに来ていたイワンは談話室で険しい表情をしているホァンを見つけた。
「何をしているんですか?」
「昨日ね、遊園地で拾ったの」
「ブレスレット?」
「うん。ボクが踏んづけて紐が切れちゃって」
「直してるんですか」
「ん」
彼女自身、アクセサリー細工などした事もないだろうし、こういった女の子らしい事とは無縁で育ってきたはず。細い糸を小さな穴に通そうと眉間にぎゅっと皺を寄せつつ一つずつ珠を通していっている。そんな彼女の邪魔にならないように、と何も言わずに向かいの席へ腰を下ろした。
静かに見守っている内に最後の一個に差し掛かる。少しずつ慣れたおかげもあってか、すんなりと通った珠にぱぁっと笑みを浮かべて紐を結び始めた。
「……それ……」
「え?」
「タイガーさんのブレスレットと同じですね」
「タイガーの?」
「はい」
どうにかこうにか完成させた結び目は縦結びになってしまっているが、元の形であろう輪にはなった。それを机の上に置いたままにイワンの呟きと己の記憶を探り始める。
眉間に皺を刻んで首を傾げ始めたホァンに、イワンは小さく笑みを溢して能力を発動させた。
「あ……」
「ほら。これとお揃いでしょう?」
淡い光を纏い、虎徹の姿になったイワンは左手首を指し示す。腕時計と共に付けられた天然石のブレスレット。今しがた直し終えたものと同じ紫色の石で作られていた。
「ホントだぁ」
もっと分かりやすいように、と並べる様に腕を差し出すと、覗きこむ様にホァンが腰を浮かせる。そして難しい表情を浮かべて唸り始めた。
「?何か?」
「これ……全く同じような気がする」
「え?」
「ネイサンがね、天然石は、同じ種類の石でも磨いたりする過程と、削り取る場所で色合いとか石の模様が全部違うんだって。だから同じものは二つとないって言ってた」
「そうなんですか……」
二人揃って頭を突き合わせる様に見比べ始める。能力範囲外にならないように手首から外す事は出来ないので、通したままくるくるとまわし、一つずつ見比べていく。模様、色、大きさ。その全てがぴったり一致していた。
「……これ……タイガーの?」
「……かもしれません」
「んと……じゃあ……」
「タイガーさんもあの遊園地にいた?」
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