6:Man sings the Lullaby


「お。おはよー」
「………あ…れ?…」

 ふわふわとした温かさに瞳を開くと頭が撫でられている事に気がついた。ぼんやりと瞬いていると声が降ってくる。のそり…と顔を上げてみると微笑みを浮かべる虎徹の顔が見えた。

「…タイガーさん…」
「ははっ…寝惚けてるな」
「え?…え??」

 くっくっくっ…と喉の奥で笑う彼の顔を見上げたまま瞬きを繰り返していると指先で頬を擽って来た。

「お疲れで眠っちゃったのは分かるんだけどさぁ…もうちょーっと…違うとこに凭れてほしかったかな」
「…へ?」
「おじさん、朝勃ちしてたら居た堪れなかったんだぜ?」

 寝起きで上手く回らない頭をどうにか回転させていると、ちょいちょいと擽る指に気を取られていたが…後頭部が温かい事に気付いた。…何故だろう?…と首を回してみると、いつも虎徹が着ている生成りのベストと黒のスラックスが見える…ついでに言うと…ベルトの金具がやけに近い場所にある。
 数秒固まって…慌てて離れた。

「すっすっすっすいませんッ!」

 昨晩、床にへたり込んだまま眠ってしまった事を思い出し…しかも凭れかかった頭の位置があろうことか…虎徹の足の付け根に近い場所だった。とんでもない状況で寝入ってしまっていたんだ…と思うと余計に顔が赤くなってしまう。
 そんなイワンの頭を、「気にするな」と撫でてくれる虎徹の顔を見上げてふと思った。

「…タイガーさん…」
「うん?」
「…何だか…嬉しそう?」
「あー…うん…夢見が良くてさ」

 にこやかに微笑む顔がいつにも増して明るく見えて…素直に聞いてみれば照れくさそうな表情になった。ぽんぽんと自分が座るすぐ横を叩くから促されるがままに座ると、手持ち無沙汰なのだろうか…膝の上にテディベアを座らせる。

「娘が小さい頃にさ…夜の公園で流星群を見た事があってな」
「…流星群ですか…」
「まだまだ小さい時に行ったから子供はとっくにお寝んねの時間だったんだけど…どうしても見たいって言うからさ。夜に家族で出かけたわけ。けど…結局睡魔に勝てなくて俺が抱っこしてやってさ」
「…へぇ…」
「なっつかしぃなぁ…ってね?」

 そういって笑う虎徹の横顔は本当に楽しそうで…見ているイワンもほわりと温かい気持ちになった。

「ところでさ…イワン」
「はい?」
「事件…片付いてないんだな?」
「…え?」

 つい、と指差されたのはテレビだ。音量を絞られている為に気付かなかったが…点けていたらしい。画面にはヒーローテレビが放送されているのだが、小さい音をよく聞いていれば昨夜起きた銀行強盗の犯人が未だ捕まっていないのだという。

「…本当だ…みんな向かってるはずなのに…」
「…って事は俺がコールに気付けなかったわけじゃないんだな」
「え?…あ…」
「あー、いい、いい。また倒れるかもしれない奴を呼ぶわけにゃいかんだろうしな?」
「…はい…」

 右手首に巻いたままのPDAを突きながら漏らした言葉にイワンはぎくり、とした。昨夜のコールは確かに全ヒーローに行き渡っていた。けれど、タイガーのPDAにはコールが来ないようにしてあったのを本人には知らせていなかったのだ。ヒーローとして戦うことに誰よりも誇りを持っている虎徹に…秘密でしていた事に罪悪感を募らせる。けれど、彼は分かっていると笑うだけだった。
 しかしその横顔が余計に辛く感じる。

「んー…じゃあイワンも現状がどうなってるのか知らないんだよな?」
「あ…はい…」
「うーん…ここって西支部の銀行だよな?」
「そうですね」
「…あの金庫…そんなに難しい仕掛けはしてないはずなんだけどな…」
「…え?」
「侵入者を中に閉じ込める仕組みと、外部からの攻撃に対抗する仕組みだけだ」
「…そ、そうなんですか…」
「開けようと思えばあっさり開けられるんだけどなぁ…」

 うーん…と唸り出した虎徹にイワンはきょとりと瞬くだけだった。先ほどからダイジェストのように映し出される銀行金庫の内部映像と、昨夜のヒーロー各自の映像から…確かに扉を開けるべく金庫を壊そうとしているのに、金庫自身が攻撃を仕掛けている事が分かる。それに、内部映像から出られなくなった犯行グループが助けてくれ、とカメラに向かって泣き叫んでいる様子が分かった。その映像が暗視カメラによるもののようで…どうやら金庫の中は真っ暗闇のようだ。
 けれど…虎徹の口ぶりはそれらを見なくても知っていたように聞こえる。

「ん〜…」

 なにやら考え込むように唸る虎徹の横顔を見ていると彼は携帯を取り出して操作し始めた。しばらくのコール音…ようやく途切れた後に聞こえたのはアニエスの苛立たしそうな声だった。

<「Good morning Mr.鏑木。忙しい時に何の用?」>
「おはようさん。忙しいってわりに…周りを取り囲んでいるだけに見えるけど?」
<「あぁ…テレビ見てるのね。
 そうよ?私達が今出来るのは周囲を包囲するだけ。
 この騒ぎに便乗して犯罪が起きるかと思ったけど起こらなかったしね?」>
「そりゃ良かった。んで?なんで誰も入らないんだ?」
<「入れるもんならさっさと入ってるわよ」>
「うん?入り方が分からないのか?」
<「そうよ。
 マニュアルを調べようにも、開発者が纏め上げる前に不慮の事故に遭ったらしくて存在しないっていうし…プログラムから何か分かるかもって思ったけど…残念ながら何も分からない。
 だからこうして指咥えてみてるしか出来ないの。」>
「あ〜…マニュアルは…作ってないな…」
<「はい?」>
「はい??」

 2人の会話にじっと横で聞き耳を立てていたイワンがそっと手を伸ばして虎徹の手から携帯を取り上げる。

「ん?イワン?」
「アニエスさん」
<「あら…折紙サイクロンかしら?」>
「はい、おはようございます。あの…お願いがあるんです」
<「…何かしら?」>
「僕とタイガーさんで今からそちらに向かいますから…僕たちのヒーロースーツを用意しておいて欲しいんです」
<「…何か策があるの?」>
「はい。僕たちなら中に入れると思います。」
<「…いいわ。すぐに手配するから。着いたら連絡してちょうだい」>
「了解しました」
「………イワン?」

 いつになく強気で自信に溢れた言い方をするイワンに虎徹はきょとん…と瞬いた。よほど確信めいたものがあるのか、携帯を切る横顔も凛々しく見える。

「さ、行きましょう。タイガーさん」
「ん?お、おぉ…」

 すくりと立ち上がってジャケットを取りに行くイワンの後姿を見つめた後、ふと自分の横に視線を移した。すると、イワンが目覚める少し前に起きていたアーチェが、まだ眠いのだろう…目元を擦りつつ欠伸をこぼしている。その仕草に笑みを浮かべつつ頭を撫でてやると寝ぼけ眼で見上げてきた。

「朝っぱらからで悪いんだが…おじさんこれからお仕事に出かけるから…淋しい思いをさせちゃうんだけど…」
「………」

 視線の高さを合わせるように座り込みながら話しかければ、ゆるゆると首を振ってくれる。その動作に申し訳ないな…という思いを混ぜ合わせた笑みを浮かべるとそっと頬を寄せていってらっしゃいの挨拶をしてくれた。お礼の意を込めてきゅっと抱きしめてから、もう一度頭を撫でてやるとほわりと笑ってくれる。

「いってきます」

 抑え気味の声で告げれば小さな手を振ってこたえてくれる…健気な彼女にとびきりの笑みを残して虎徹はイワンの後を追い、玄関から出て行った。
 残されたアーチェは点けられたままのテレビを消すとそっと窓から外を眺める。路地へと飛び出していく虎徹とイワンの後ろ姿を見て小さく笑みを浮かべた。

 二人して路地を走っていると、タイガー&バーナビーのトレーラーが大通りに面した道路で停車していた。飛び乗れば思った通り、斎藤さんが出迎えてくれる。折紙サイクロンのヒーロースーツも乗せているらしく更衣を促してくるが、虎徹が服を脱ぎ始めたところでイワンが口を開いた。

「タイガーさん」
「うん?」
「あの金庫に入る為に必要な物って『何でしたっけ』?」
「んー…必要っつか…金庫に行く人なら絶対持ってるもんがいるだけなんだが…」
「持ってるもの?銀行にあるものですか?」
「あぁ。銀行の管理室にならあるだろ」
「それじゃあ取りに行きましょう」
「オッケー。あ、でもヒーロースーツ着てたら厄介だからアンダーとマスクだけ着とけ」
「分かりました」

 イワンの『可笑しな質問』に斎藤は首を傾げるが、何らかの誘導をしているのか口を挟む前に目配せをされていた。ここにくるまでに何かしら打合せをしたのだろうか?…と湧き上がる疑問が後を絶えないが、一先ず行き先を金庫に通じる銀行の正面玄関から隣接している銀行の管理棟へと変更しに向かった。



 アンダースーツにマスクとアイマスクを付けた二人は警備員に話して管理棟へと入れてもらう。するとタイガーは迷うことなく総合管理室へと足を向けた。

「すんませーん」
「これはこれは…」

 出迎えてくれたのは入社して間もないだろう、幼さの抜けきらない青年だった。他にも人はいるのだが、皆、一様にパソコンの打ち込みをしていたり分厚い書類を捲っていたりとしている。ただ、その横顔を伺うにくっきりと目の下に刻まれたクマからして…金庫の開け方の手掛かりを探しているようだ。

「警備員から連絡を受けております。何やらお探しのようで…」
「えぇ、ちょっと…その、制服、余ってません?」
「制服?私が着ているようなものですか?」

 タイガーの言葉に彼は首を傾げつつ、襟元をちょいと摘んで見せた。制服…というとおり、彼が今着ているのはこの銀行の社章が胸ポケットに刺繍された紺色のジャケットだ。それをじっとみていたが、やがて首を横に振る。

「んーと…これじゃなくて…開発チームが着ていた白いやつ、あるでしょ?」
「…開発、チーム…?」
「そ。プログラムの開発チーム」

 重ねられたタイガーの言葉に青年は困り果てた顔になった。近くのデスクにある組織図を手繰り寄せ睨めっこを開始する。けれど首を傾げるその動作にタイガーの方も表情が曇って来た。

「あれ?なかったっけ?」
「え…えと…ちょっと…待ってください」

 慌てた青年が、上司にあたるのだろう還暦近い白髪混じりの男の元へと駆け寄っていった。話声は聞こえないが、青年が説明をしていると、その男性の顔が驚きに満ちていく。

「…もしかしてなくなったかな…?」

 などとタイガーが零していると、青年に変わり、上司の男性が対応に来てくれた。

「わたくし、管理室長のジョン・ベックマンと申します。貴方が…ワイルドタイガーさん?」
「はい、お忙しいのに邪魔しちゃってすいません」

 アイマスクをしていても分かる苦笑を浮かべてタイガーは会釈をした。

「いいえ、構いません。我々も途方に暮れていたようなものですから…開発チーム…を、お探しで?」
「えぇ。開発チームに白いジャケットがあったと思うんですが…」
「はい、確かにございます」
「その胸ポケットに社章が刺繍されてますよね?えと…今貴方が着ているジャケットのものとは違って…少しデザインがシンプルな…」
「…えぇ、わが社の社章は一度デザインを変えてございます。以前のものでしょう」
「じゃあ、それかな?お借りできませんかね?」
「残念ながら…社章の悪用を防ぐために以前のものはすべて破棄するようにと言われまして…」
「え!?じゃあもう残ってない?」
「本来なら…ただ、私が個人的に残しておいたものがありますので…そちらにご案内しましょう」

 朗らかに微笑むベックマンはフロアの隅にある扉を示して歩き出した。その後に二人も続くと、開かれた扉の向こうは暗い通路…入口のすぐ近くにあるスイッチで灯りをつけても無機質な壁が奥へと伸びているだけだった。
 硬質な音が響き渡る通路を突き進み続ける。まるで別の空間へと続いているような錯覚に囚われていると、ベックマンが静かに語りだした。

「…開発チームというのは…現在、存在していません」
「あ…やっぱりなくなってましたか…」
「えぇ…30年近く前になりますか」
「そ…そんなに昔なんですか…」
「…私が初めて責任者となったチームでしてね…特別に思い入れがあるんです」

 当時の事を振り返っているのか、ベックマンの横顔は懐かしそうに、どこか辛そうに笑みをたたえていた。

「あの頃はまだ今のようにプログラミングやマシン性能が良くはありませんでしたからね…業界初の試みとしてとても注目されていたんですよ。
 チーム…といっても、私と入社して間もない青年の二人きりでね…毎日が試行錯誤の繰り返しで…徹夜なんてこともよくありました」
「て…徹夜…」
「それほど熱心だったってことだろ…」
「えぇ。銀行の金庫が襲われても、警察やヒーローの方々が駆けつけてくださるまで防衛出来るものを作り出すのに…必死だったんです
 そうして出来上がったのが…今動いているプログラム」
「え?じゃあ貴方も開発者の一人だったんで…ござる?」
「はい、お恥ずかしい事に…」

 歩みを止めると、そこに突如として現れた扉に鍵を差し込んだ。内ポケットから取り出すところから、常に肌身離さず持っていたようで…先ほど言っていた通り…本当に思い入れが強いのだとくみ取れる。

「ただ、私はどういった働きをするか、といった事ばかりを考えておりましたので…彼がどのようなプログラミングをしてくれたのか…知らないのです」
「それで…解除方法が分からなかったでござるか…」
「はい…プログラムをインストールさせてから幾度も試行を繰り返し、問題も異常もなく…
 一度、今回のように銀行の休日に強盗が入り込んだようですが、私が到着した時にはすべて片付いていました」
「今回のようにってことは…中に閉じ込められて?」
「えぇ。部下の…ルイ・ラグランジュという名ですが…彼が先に到着しておりまして…閉じられた金庫を開いていたようです」

 開かれた扉の向こうは思ったよりも狭い部屋だった。二人きりのチーム…と言っていたので広さは十分かもしれない。向かい合わせにしたデスクとロッカー…それ以外には何も置かれていない…チームがなくなったのだから当然だろう。
 デスクの引き出しを開けたベックマンはロッカーのキーらしい小さい鍵と共に一枚の写真を取り出した。

「彼の写真です」

 写真には今よりもぐっと若いベックマンと、青年の姿が写っている。プログラマー…と言うイメージからやせ細った不健康そうな見た目…という姿を勝手に想像していたのだが…写真の中の彼はとても爽やかそうな青年だった。
 すらりとした肢体…柔らかな色をした茶髪…青い瞳は強い意志を秘めているのか、キラキラと輝いてみえた。

「幼い娘と愛らしい妻を養う善き旦那…とでもいいましょうか…徹夜になる日は必ず家に電話をかけて一日の出来事を話し、聞き、おやすみの挨拶をするような…そんな優しい青年でしたよ」

 朗らかな笑みで語る言葉を聞きながら折紙サイクロンは横に立つタイガーをちらりと見上げた。先ほどから黙ったままの彼は写真を愛おしそうな笑みを浮かべて見つめている。アイマスクで分かりにくいが、瞳も潤んでいるように見えた。タイガーなのに『タイガーではない』ように思えて心に芽生えた違和感を強めていく。

「…あんな事になるとは…」
「え?」

 今の今まで楽しげに語ってくれていたベックマンの声音が低く震え、とても辛そうに響く。顔を上げた折紙の向うで彼は開いたロッカーから新品のように真っ白なジャケットを取り出していた。


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