<「ワイルドタイガーッ!!」>
耳元で斎藤の叫ぶ声が聞こえる。どこか悲痛の色を持つその声を聞きながらぼやける視界をなんとかクリアに保とうと何度も瞬きを繰り返した。
<「早く拘束を施して!近くまで来ているから戻るんだ!」>
酸素の行き渡らない体は痺れてきたのだろうか…上手く動かない手を必死に持ち上げながら目の前に覆いかぶさる男の肩を掴む。剥きだしの瞳の色は水色だったはずなのに、ぼやけた視界の中では赤に見えた。震える体を奮い立たせて能力を発動しようと力を込める。
けれど、淡く輝いてはすぐに消える光に絶望にも似た暗い感情の波がひたひたと漂い迫る。
<「タイガー!早く!」>
怒鳴る斎藤の声に明滅を繰り返す能力を集中させて、何とか体勢をひっくり返した。かなり勢いがついた上に力任せにしたせいか…ごつり…と鈍い音を立てて転がった相手はあっさりと白目を剥いて気絶してしまった。その顔に向かって小さく謝る。相棒が聞けば怒られるかもしれないが…手加減出来なかったことには間違いはない。
四つん這いになりながら顔を上げると…『見覚えのある』鳥かごが目の前にあった。ただ、記憶にあるものよりもかなり朽ち果てているように見えた。
<「こっちだ!ここまで来てくれ!」>
声に反応を示して顔を持ち上げると入ってきたシャッターとは逆の位置にある扉からヘッドフォンを着けた斎藤の姿が見えた。手を広げて差し伸べる彼に向かって、よろり…と立ち上がると動きにくい足を引きずって近づいていく。
たった数十歩の距離が酷く遠い…ようやくその白い手にたどり着くと、タイガーは糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
<「もう少し…もう少しだけ歩けるかい?」>
小さな手に縋りついたまま問いかけられた声に頷いてみせると、…ほぅ…と小さく息が吐き出された音を聞いた。ゆるり…と立ち上がると小さい体ながらも必死に支えてくれる。そんな彼に少しだけ甘えながら、『暗い部屋』を後にした。
* * * * *
トラックに戻されたタイガーはすぐに床へと倒れ込んでしまった。ヘルメットをはずされるも一向に楽にならない呼吸に、酸素マスクを押し当てられる。いくらか落ち着いたところでスーツを脱ぐと、横になっているように指示を受けた。
あまり寝転びたくはないな…と思うも、ぎらり、と光る斎藤の瞳に苦笑を浮かべて大人しく従った。まだ僅かに荒い呼吸を押さえるように自ら酸素マスクを口元に押し付ける。
小さく揺れる振動から移動したな…と思っていれば案の定…会社へと運ばれた。大丈夫だというのに頑として聞き入れてはもらえず、ストレッチャーに乗せられることになる。
そうして着いた先は医務室。ベッドの上へ転がされるように放り込まれて安静にしていろ、と言われたのだが…どうにも落ち着かない。そんなわけもあって部屋の隅にあったソファへと座っている。けれど、体がゆらゆらと傾いてしまうので壁にもたれかかっていた。
「…また倒れたんですか…」
「んー…おぅ…悪いな…」
小さなノックの後に入ってきたのはバーナビーだった。いつになく機嫌の悪そうな顔にへらっと笑って返すとやっぱり眉間の皺が深くなる。ツカツカと近づく彼の顔を見上げながら…お説教かぁ…と内心ため息をついた。すると伸びてきた手が頬を撫で上げる。あまりにも意外な行動に目を見開いてまじまじと見つめてしまった。
「…斎藤さんからも報告を受けてます」
「…う、ん?」
「まったく寝ていないんですって?」
「…え?」
呆れたような声音に反して頬を撫でる手は優しい。そのギャップに思わず固まっていると親指の腹が柔らかく…目の下をするりと擽っていった。
「こんなにくっきりと隈が出来てるじゃないですか。目だって充血してる…一体、いつから寝ていないんですか?」
「んー…や?寝てないってことは…ないぞ?」
「………」
「いやいや、ホントに。…な?」
悪夢に魘されているとはいえ一応『就寝』はしている。…嘘じゃない…うん、嘘じゃない…と自分に言い聞かせながらいつも通りの笑みと声音で言い繕うも…眉間に皺をくっきり刻んだバーナビーは納得してくれないようだ。
「今の貴方が言っても信用がありませんからね」
「ひでぇな…おい」
「酷いのはどちらですか?こんなになるまで無理を続けて…」
訝しげな表情に盛大なため息を吐き出した彼は胸のポケットから小さい瓶を取り出した。その中には小さな丸い錠剤が入っている。…きゅるり…と音を立てて蓋を開けると一粒だけ手の平へと取り出した。その手をぼんやり見つめているとこちらへと顔が向けられる。
直感的に嫌な予感を感じ取ると思わず構えてしまった。
「…?…何、それ…」
「睡眠薬です。ごく軽い」
そう言って見せられた小瓶のラベルにはたしかに『睡眠薬』の文字が並んでいる。ただ…軽い…というには注意書きの項目に赤い文字がたくさん並んでいるように思う。服用を誤れば体に悪いのは分かっているが…ここまで赤を使用する必要はないのではないだろうか…
もしかして…と脳裏に一つの推測が浮き出る…
…軽い…と言っておいて実は即効薬なんかの効果が強いものなのでは?
「!いや、待て待て!そこまでしなくてもっ…」
「しなくてはならないようになったのは貴方自身のせいでしょう?」
「でっ、でもっ…ほら、ちゃんと寝るからっ…」
「信用できませんね。」
「即答かよっ!」
「当たり前じゃないですか。横にならずに眠ったってきちんと睡眠を取ってるなんて言えません」
「っ…」
わたわたと焦り出す虎徹を無視してバーナビーは、有無を言わせずに顎を持ち上げると薬を口の中に放り込もうとした…が、彼の手がぱふっと唇を塞いでしまう。その行動に瞳を眇める…けれど相手も負けじと眉尻を吊り上げていた。
「………手をどけてください。」
「………。」
「…どこまで頑固なんですか…貴方は」
顎にかけた手を外して彼の腕を掴み取ると咄嗟に逃げようとしたのか…身を捩るが足が追いつかずに縺れてその場にしりもちをついた。床に座り込んだ上体をソファに押し付けると、今度こそ、と薬を押し付ける。
「っやめ!」
「やめて欲しかったら能力を使って抵抗したらどうです?僕は使ってないんですから」
「〜〜〜っ!」
「気付いてないとでも思ったんですか?貴方が能力の開放を上手く出来なくなっていることに」
「ッ…」
体全体で押さえつけに来るバーナビーを押し返そうとする虎徹の腕は二人の間でもがくだけで何の意味ももたらしていない。それどころか、バーナビーの言う通り…能力を使おうと全身を淡く輝かせるが、相手を押しのけるよりも先に輝きを失ってしまっていた。さらには使おうとすればするほど体中から力が抜け、痺れたように上手く動けなくなる。
「体がとっくに限界を超えているんですよ。さぁ、大人しく飲んでください」
「っ…っ…」
酷い事はしたくない、と言い表すように口元で止まった手を見下ろしながら、虎徹は必死に首を横へと振った。
「…そうですか…なら強引にいかせてもらいます」
冷ややかな低い声と共にバーナビーは己の口の中へ薬を放り込むとぐっと顔を近づけてきた。今にも唇が触れそうな距離にまで迫られると、さすがの虎徹も何をする気が察したようだ。慌てて体の間に埋もれていた腕を抜き出すと彼の口を押しやる。
「ッ!!なっ何考えてっ!?」
「言ったでしょう?強引にいく、と。」
「ちょっ…冗談ッ…」
「…に、見えますか?」
「〜っ!」
至極真剣な眼差しと、欠片も崩されていない表情にざわりとした危機感が湧き上がる。火事場のバカ力だろう、バーナビーを突き飛ばすともたつく体に叱咤を飛ばしながら立ち上がろうとした…けれど、走り出すよりも先に伸ばされた白い手がその場へ押さえつけてしまう。
「ッぁ…う…」
「どこまでも手を煩わせるおじさんですね…」
「んぐぅっ…!」
背中で腕を捩じり上げて反らせた顎を掴み取り、開いた口の中へと新たに取り出した錠剤を押し込む。舌の上に押し付けられた薬を吐き出そうと暴れる虎徹に溜息が漏れた。ここまでしてもまだ飲み込むつもりはないらしい。
最後の手段を講じよう、とバーナビーは押さえつけた体を反転させると正面から覆いかぶさり顔を逸らせないように喉を掴み上げる。
「んぐっ…かっ…ッふ…」
「…さっさと飲み込んでください…」
「いやだっ…ッむぐっ…」
開いた口の中に未だ残される錠剤に眉間へ皺を刻むと、暴れる体を押さえつける為に使った両手に変わって舌を差し込んだ。途端にびくりと跳ねる体を無視して深く重ね合わせる。
「んんっ…むっうぅ〜…っ…」
「……つっ…」
がりっ…という鈍い音と共に痛みが走る…思わず顔を離したバーナビーは口の中に鉄の味を感じ取った。ジワジワと広がる不快な味にじろり、と見下ろせば相手も鋭く睨み返している。
「っ…っ…」
「……無駄ですよ…」
喉を押さえつけた手で今度は噛まれないようにと顎も固定させると再び顔を伏せた。至近距離での睨み合い…口の中では錠剤の押し付け合いが繰り広げられている。
少しずつのどの奥が重く、生ぬるい液体が圧迫をし始めてきた。呼吸の出来ない苦しさと飲み込みたくないという意地が虎徹の中で鬩ぎ合っている。息苦しさに意識すら朦朧とし始めた頃、バーナビーの思惑が読めた…
大人しく薬を飲んで眠りに落ちれば良し…もし飲まないならば…気絶させて無理矢理眠りに落とす…薬を飲み込もうが飲み込まなかろうが…どちらでもいいのだ。
ギリギリで保っていた意識がどんどんと掠れていってしまう。
再び苛まれるだろう…眠りの闇に虎徹は怯えだした…
「ぅんんっ…」
喉が漸く嚥下の動作に上下した。お互いの口内溜まっていた唾液が飲み込まれて量を減らす…ぼやけるほどに近くにある琥珀の瞳が涙を溢れさせて眉が顰められていく。
「ッ…は…ぁ…」
密着していた互いの唇を離すと濡れた唇の端からとろりと嚥下しなかった唾液が流れ落ちる。切れた口元を気にせず乱暴に拭っていると押さえつけた体から力が抜けていった。必死の抵抗で僅かに残っていた体力を全て使い切ったのだろう…ぼんやりと空中を見つめる瞳にそっと手を重ねる。
「そのまま…眠ってしまってください…」
手の平に温かい涙の感触が広がる中、顔を近づけるとゆるりと持ち上がる手が上着を握り締めてきた。震える指先がきゅうっと縋りつくように掴み上げる。
「…っ…っ…」
「?」
僅かに動く唇が何か話しているようで、耳を近づけてみた。
「…眠り…たく、な…」
「………」
「ぃや…だ…」
震える声を聞き取り終えると縋る手が滑り落ちていった。
「………何を…そんなに怯えているんですか…?」
そっと囁く声は浅く繰り返される呼吸に混じって消えていった。
放り出された四肢を抱え上げてソファの上へと運ぶ。虎徹の口の周りを拭い上げると控えめのノックが聞こえてきた。
「…もういいですよ」
静かに答えるとゆっくり開かれる扉…そろり…と足を踏み入れたのはネイサンだ。
「…タイガーちゃんは?」
「なんとか眠ってくれました」
「…そう…」
「…入ってもいいですか?」
「えぇ、構いませんよ」
ネイサンの後ろから顔を出したイワンの申し出に許可を渡すと、心配していたのだろう、他のメンバーも入ってきた。
「バーナビー君…口…」
「…あぁ、暴れられた時に少し切りました」
「…ご苦労様」
「…大した傷ではありませんよ。それに…いつまで保つか…」
ちらりと視線を動かす先にはソファの上で眠りに落ちた虎徹の姿がある。顔色が優れないというのもあるが、呼気がやけに浅い。
「眠り薬を飲ませたんでしょ?」
「いいえ」
「え?じゃあコレは?」
「単なるラムネです」
「…気付かなかったのか?虎徹は…」
「えぇ、味覚すら正常に働いていない状態…ということでしょうね」
床に散乱してしまった白い粒と『睡眠薬』のラベルが付いた小瓶を拾い上げるとさらっとした答えが返ってくる。その答えに全員が唖然とする中、アントニオが頭を掻き毟った。
「何やってんだか…まったく…」
「でも…じゃあ…どうやって眠らせたんだい?」
「少し暴れさせて疲れたところで視界を無理矢理暗くさせたんですよ。そうしたらすぐに眠りに落ちました」
「…そんなに…眠ってなかったんだね…タイガー」
眠る彼のすぐ傍に座り込んだホァンは今にも泣きそうな表情だ。
黙り続けていた虎徹への呆れが半分…こうなるまで気付けなかったことへの苛立ちが半分…
深い溜息が吐き出される。
「…あ…」
「?どうしたの?」
「…タイガーの様子が…」
「…ッ…ッ…」
もともと浅かった呼吸が更に浅く短く…忙しなく吐き出されている。顔も青ざめて寄せられた眉が苦しそうだ。ぎゅっと握りしめる拳は己のシャツをくしゃくしゃにしながらも震えていた。
「…5分も保ないのか…」
「…ッ……ッッ…」
「たいっ…」
「しっ!」
「…どうして?」
あまりの苦しそうな様子に虎徹を起こそうとするホァンをネイサンが押しとめる。そんな彼に心の底から浮かびあがる疑惑を瞳に閉じ込めて見つめ返した。
「もう少しだけ待って…もしかしたら魘される言葉に何か原因が分かるヒントがあるかもしれない…」
囁くように説き伏せるネイサンの言葉にホァンはぐっと声を呑み込んだ。その代わり辛さを耐える為に肩を掴む大きな手に縋りつく。そんな彼女の肩を抱き寄せてネイサンはじっと虎徹の様子を見つめ続けた。
「っと…ぇ…っ…」
「!」
「…何って?」
「…しぃ…」
意図した通りに震える虎徹の唇から掠れた声が零れ落ちる。吐く呼吸にまぎれて消えた声は聞き取れず、もう一度…と息をのんで待ちかまえる…
「っ…ぇで…っ!」
必死に縋るものを探して手が宙を掻く。閉じられた目じりからは涙が溢れ頬を濡らしていた。途切れ途切れにもれ出る声は荒い呼吸にかき消されてほとんど聞こえていない。
「ぃや…だ…いやだぁぁぁッ!!!」
びくりと体を跳ねさせた直後、涙に濡れる琥珀の瞳が見開かれる。呆然と…愕然と…どちらが正しい表現なのだろうか…空ろな瞳は天井に向けられたままに何も語らない。すると、急に体を丸め蹲った虎徹にネイサンが駆け寄る。
「ビニールの袋とかはない!?」
のたうち回る虎徹の体を横向けさせると背中を摩る。叫ばれた言葉に固まっていたメンバーが回りを見渡して棚にあった袋をアントニオが掴み取った。
「これを!」
「OK。タイガーちゃん…我慢しないで吐き出しなさい?」
「…う…ぇ…」
受け取った袋を口元に押し当てて背中を撫でると素直に吐き出した。咽て咳き込んでと繰り返しようやく落ち着いた頃にはぐったりと横たわる状態になっている。汗の滲み出た額に張り付いた髪を掻き上げてやると…ふっ…と目元が弧を描いた。
「…落ち着いたかしら?」
「…ん…」
「口の中、気持ち悪いでしょう?水飲んで来なさい?」
「…あ…ぁ…」
「私が手伝おうか?」
「そうね、運んであげてくれる?」
「任せてくれ、そして任せてくれ」
「ん…よろしく…」
ぼんやりと瞬いていた瞳を覗き込んで微笑みかけるキースに虎徹がぎこちなく笑いかけた。そんな彼の頭を大きな手で撫でると振動を与えないようにと風を繰り出して体を運んでいく。隣にある簡易キッチンへと入ると、室内をため息が埋め尽くした。
「…どうするの?」
「とりあえず…栄養剤を点滴して体に養分を摂らせましょう」
「そうね…このままじゃどちらにしても体を壊しちゃう…」
「それから…交代で誰かが常時傍に付いていた方がいいわね…単なる悪夢でこの状態になるのって…酷すぎるわ」
メンバーでどうやってローテーションを組むか話し始めた頃、隣の部屋ではシンクを前に虎徹の体を浮かせたキースが眉を潜めていた。水道の蛇口を捻るとまた虎徹の瞳が空ろになったように思う。どこか遠くに行ってしまいそうな雰囲気の彼に怖くなって風の中に包まれた体を抱き寄せた。
「?…え?キース?」
「…水…口に含み辛いかい?」
「ん?…んー…いや…ちょっと…手が動きにくくて…」
いまだぼんやりとした眼差しをする虎徹にキースは抱きかかえた体をシンクの横に座らせた。上体を己の体に凭れかからせるように抱き寄せると大人しく任せてくる。いつもなら恥ずかしがったり照れ隠しに怒ったりするのに…と随分弱ってしまった彼にキースは眉を寄せた。
「さぁ…飲んで?」
「…ん…」
器用にも片手で掬い上げた水を口元へ運べば静かに上を向く。開かれる唇から水を流し込めば小さく喉を動かして嚥下していくのをじっと見守っていた。
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