"Having an itch that one cannot scratch."
『隔靴掻痒』



「…何あれ…カバディ?」
「いや…俺もちょっと…詳しくは…」
「僕もついさっき来たところなので経緯が分からないんですよ」
「…ふぅん…?」

 いつものトレーニングジム…タオルを片手に入ってきたカリーナは可笑しな光景に遭遇した。キラキラといつにも増した輝きを放つ表情のドラゴンキッドこと、ホァンと…こちらはギラギラとした瞳の輝きを宿し真っ黒なオーラでも放っているのか?と思うほどの淀んだ空気を纏うネイサン・シーモア…口元が笑みを象っていなければ間違いなく犯罪者級の人相の悪さになっている。そしてもう一人…こんな場所にいるのがとても珍しいキャリアウーマン…アニエス。こちらもネイサンに負けず劣らず恐ろしい形相だ。
 それに対するはたった一人…青褪めた顔に笑みを貼り付けたおばさん。今日は真面目にトレーニングをしにきたのか、ジャージ姿だ。けれどじりじりと迫り来る三人からこちらもじりじりと下がり逃げ腰になっている。

 そんな4人の手前…バーナビーとアントニオが静観していたので問いかけてみると、二人揃って首を傾げる。全く分からないらしい。

「カバディだとしても…3人が一人に迫っているのって…は可笑しくないですか?」
「…というか…どうしてアニエスさんが混ざってるんだろう?」
「そうだな…それに…何か持って…企画書?…ネイサンも何か持ってるな…」
「………あ。」
「え?知ってるんですか?」
「何の袋だ?あれ。」
「あー…なぁるほどねぇ…」

 手ぶらのホァンに比べ、ネイサンもアニエスもその手に何やら携えて迫っていた。むしろ虎徹はその代物から逃げているように見える。そんな二人のうちネイサンの持っているものを確認したカリーナは納得したような色を示した。

「あれね…この前おばさんの服をフィッティングするときに混ざってた服なのよ」
「あー…あのこすp」
「先輩っ…」
「えー…うん…ごふごふ…」

 うっかり口を滑らせそうになったアントニオの脇腹をバーナビーが小突くと彼はわざとらしいにもほどがある咳払いをして黙り込んでしまった。そんな彼にカリーナは当然首を傾げてしまう。

「え?何?」
「何でもありません。」
「?????」
「あー…まぁ…なんだ…あの時虎徹の奴が酷く否定してた服ってやつか。」
「えぇ、そうみたいね。…あんなに否定しなくてもいいと思うんだけどなぁ…」
「…あれは…何だったんですか?」
「んー…秘密。着させてからのお楽しみね。私も混ざってこよっと!」

 スキップでもしそうな足取りで混ざりに行ってしまったカリーナを見送った二人はまた傍観者へ戻ってしまう。

「おはよう!そしておはよう!」
「よぉ。」
「おはようございます」

 爽やかな風と共にやってきたのはキング・オブ・ヒーロー=スカイハイ、ことキース。フロアの一角で繰り広げられる異様な空気を吹き飛ばせるんじゃないか、というほど爽やかな彼は少々眩しくて目がしぱしぱとしてしまいそうだ。

「ワイルド君達は何をしているんだい?」
「んー…なんだろうな?」
「さしずめ…女の戦い…と言ったところでしょうか?」
「ふぅん?」

 曖昧な答えではあるが、あながち間違ってはいないバーナビーの答えにアントニオは肯定も否定もせずに黙り込んでしまった。
 そんな和やかな男性陣と打って変わって…女性陣プラスオカマは白熱したオーラを醸し出している。

「なんでそんな企画通しちゃうんだよッ!在り得ねぇ!!」
「そぉんなことないわよ!確実に売り上げが期待できるものなのよ!?」
「だからまずコレ着て確かめてみたらいいじゃな〜い」
「その袋ッ!この前のっ…」

 ほら。ほら!と企画書を突きつけてくるアニエスの横ではネイサンが小指をぴん、と立ててナイロン製の袋を差し出す。その袋には某メーカーのロゴがでかでかと印刷されていた。見覚えのあるそのロゴに虎徹は更に毛を逆立てる。

「大〜丈〜夫よ〜。前も言ったけど…今のタイガーちゃんならまったく問題はな・い・わ・よ☆」
「今度こそ無・理!だっ…だいたいっ、確かめるっつったって…仲間内じゃ信用ならねぇだろ!」
「あら。仲間内でもみんな素直な子ばかりじゃない?」
「す…素直だろうけどっ…審美眼が可笑しいだろ!?」
「なッ…失礼ね!何を根拠にそんな事言うのよ!」

 虎徹の言葉にカチンと来たのはカリーナの方だ。…審美眼が可笑しいなんて…目の前の元おっさんにだけは言われたくない、と頬を膨らませる。

「この前のパーティーだよ!
 案の定新聞の一面になってたあの時の格・好!
 何が綺麗だっ!似合うだッ!俺は鳥肌もんだった!!!」
「綺麗過ぎて鳥肌?」
「ちっげーよ!逆に決まってんだろ!?気持ち悪くてって方!」
「あぁら、言っておきますけど…
 あのコーディネートは秘書を始め皆からベタ褒めだったのよぉ?」
「そりゃネイサンの身内だからだろが!」

 虎徹の突っ込みに…確かに『身内』だった…と思わず黙ってしまう。けれどその横でカリーナが口を尖らせて首を傾げた。

「でも私、スポンサーに怒られたわよ?」
「…はぁ?」
「どうして2ショットを撮ってもらわなかったんだー、って」
「あ、ボクも言われたー。撮っておいたら肖像権発生してお小遣い増やせたのにーって」
「はぁぁ?」

 怒られた、という二人の言い分がイマイチ理解出来ない。彼女達のスポンサーは一体何を言っているのだろうか?首を捻り続ける虎徹にネイサンが呆れた声を上げた。

「知らないの?タイガー」
「な…何が…?」
「あの日のあんたの写真…高額取引されてるのよ?」
「へ?」
「アポロンメディアの許可が出ていない媒体への
 展示・掲示・データの流出は全て取り締まるから…
 唯一公に出回った新聞の一面の写真がオークションなんかで
 破格の取引されてるらしいのよ。」
「それにプラスして生写真を少しずつ出してるみたいでね…
 偽装できないように透かし模様なんかもいれてそれはもう厳重なんだから。」
「……初耳なんだけど?」
「そりゃそうでしょう。」

 なんだ…そのアイドルのような扱われ方は…
 思わず青ざめる虎徹にアニエスが畳みかけるように持っていた企画書を突きつける。

「これだけの人気を誇ってるんだから
 今回の別冊マンスリーヒーローの緊急企画も間違いないのよ!
 しかも今だから出来るビジネスチャンス!」
「賠償金がちゃらになるチャンスだものね?」
「だっ…だとしてもッ!」
「Mrs.鏑木?コレは会社命令よ?」
「…ぁ…う…」

 留めの一言をアニエスが呟いたところでもう虎徹には拒否権という当然の権利が存在していなかった。

 * * * * *

「お待たせ〜」

 隣室に篭ること一時間。ようやく中からホァンが出てきた。そして入室許可を得た他のメンバーは一様に今しがたまで使っていたトレーニング器具を置いて移動を始める。扉を潜ると低いパーテーションの向こうに椅子へ座らされた虎徹と、その顎を掬い上げてメイクの仕上げをしているらしいネイサンがいる。薬指で唇をちょいちょいと撫でると満足気な笑みを浮かべて離れた。
 すると閉じられていた瞳がふわりと開かれる。色濃くマスカラを施された睫毛の下から琥珀色の瞳が覗く…わずかに伏し目がちな表情がやけに色っぽい。各々がその表情にくぎ付けになっていると、虎徹はゆっくりと立ちあがる。するとパーテーションで見えなかった服装が全部見えた。

「…ッ…ら…ラヴリー…そしてメルヒェンッ!」
「とりあえず、落ち付け、キングオブヒーロー」
「…フレンチメイドがかすっていたようですね…」

 当社比5割増しできらきらと飛び交う輝きを放つキースは頬を赤く染め上げ大興奮をしつつ叫び上げた。その勢いはうっかり台風を巻き起こしそうでアントニオが慌てて宥めに入る。その反対側ではバーナビーが眼鏡を押し上げつつ冷静…さを装っていた。…というのも、その指が酷く震えていて、眼鏡の金具がカチャカチャとうるさかったりする。明らかに動揺しているらしい。

「この前は着物で隠しちゃったけど…いいわねぇ…ミニスカートも…」
「無駄に細いもんね…」
「…いいなぁ…ボクもこんな風になりたいなぁ…」

 女性陣プラスαの視線は若干下へと注がれていた。というのも、太腿半ばから下が生足であり、細く綺麗な脚線美を描き出している。
 虎徹が今着せられているのは2WAYタイプのチュニックだ。花柄のシフォン布地に柔らかなレースをあしらわれ、胸元でギャザーが寄せられているのだが…肩紐は付けられておらず、少し屈めば胸の谷間がしっかり見えてしまう。虎徹より身長の高い面々にははっきり言って目の毒だ。
 けれど…似合っているのは確かで…黙っていればそれこそ可憐な女性に見えたりする。恐るべし…メイクマジック。

「あ…の……おはようございます…」

 皆して虎徹の回りを囲み鑑賞をしていると、おずおずとした声が聞こえてきた。ふと振り返ると扉の隙間からイワンの顔が生えている。

「おはよー、折紙ちゃん。みんなここにいるわよ〜」
「ちょうど良かったわ、折紙サイクロン。あなたもこっち来て感想を述べてちょうだい」
「感想…ですか?」

 首を傾げつつも手招きされるがままに近付いてきたイワンの肩を掴むと、勢い良く虎徹の方へと向き直らせた。その強引さに驚き固まってしまっていたが…次第に別の驚きの表情へと変化していく。

「…タイガーさん?」
「おう。」

 囲まれた中心に立つ虎徹の姿を目の当たりにしたイワンは開いた口が塞がらない状態になってしまった。

「…その格好は??」
「マンスリーヒーローの緊急企画なのよ。」

 満面の笑みでアニエスが掲げて見せたのは…やけに分厚い企画書。その表紙にはデカデカとした文字で…

『緊急企画:ワイルドタイガーの華麗なる変身』

 変身したくてしたわけではないので少々引っ掛かる気もするのだが…要は『現在のワイルドタイガーをもっとよく見せろ』という要望が集まりに集まった結果…という事だ。
 企画書…とは言うものの…大半は寄せられたメールをプリントアウトしたもので、いつもの格好からもっと違う服装をした姿をみたい…といった数多くのメールが綴られていた。

「それでちゃんと女っぽい服装も似合うかどうか見る為にねぇ〜」
「この前のフィッティングの中に混ざってた服なんだけど…そんな大騒ぎするほどのデザインじゃないでしょ?」
「あのなぁ…元おじさんにしてみたら…こう…なんつぅか…
 ふりふりふわふわ?…そういう…少女趣味全開な服装は恥ずかしいったらないわけ。」
「でも似合ってるよ?タイガー」
「ぅえぇ〜?」
「うん。とても似合っている!そしてプリティだよ、ワイルド君!」
「はぁ…そりゃ…どうも…」

 メンバーの表情を見渡すも…誰一人として笑いを堪えてもいなければ…茶化すような意地の悪い笑みを浮かべてもいない。…あぁ…これは…年貢の納め時か…と虎徹は盛大にため息を吐き出した。

「そこでね。メールでどんな服装をしてほしいかって送られてきているんだけど…
 その量が半端ないくらいに多くてね?
 一人の意見に偏ってしまうのはどうかと思うから意見を聞かせてほしいの」
「あら、もちろんOKよ☆
 こんな可愛いワンピースも着こなせるんならかなり幅広くなんでも着させられそうねぇ」
「男性陣の意見もあった方がいいんじゃない?」

 近くのテーブルに書類を広げ始めたアニエスにネイサンがスキップしながらついていく。即座に後を追うカリーナがくるり…と他のメンバーを見やった。

「それもそうね…」
「ぜひとも!ぜひとも選ばせてほしい!」
「俺なんかの意見が参考になるとは思わんが…」
「あぁら、そんな事ないわよぉ?同年代の意見ってのも結構重要なんじゃない?」
「それに暴走してしまいがちな選考を諌められると思いますが。」
「抑止力ってやつか」
「そんなところです」

 条件反射ではなかろうか、と思う程のスピードで挙手をするキース。その横で眉間に皺を寄せるアントニオをバーナビーが上手く説得してしまった。自分も意見を言ってもいいものか、と悩むホァンをアントニオが背中を押して移動させてしまう。

「…タイガーさん?」
「うん?」

 ぞろぞろと移動する中、虎徹だけは少しだけ離れた椅子へと腰掛けてしまった。そんな彼女にイワンが気づき、首を傾げる。

「あの…」
「あぁ、選ぶのはみんなに任せるよ」
「…でも…」
「ほら、俺が選ぶと私情が入っちまうだろ?
 この服でもかなり渋ったんだし。」
「…はぁ…」
「かっちょいいの選んでくれよ?」

 にこにこと微笑んで手を振る虎徹に何も言えなくなったイワンは小さくお辞儀をして輪の中へと入っていった。
 その後ろ姿を見て一つため息を吐き出す。

「俺は…男…なんだよ」

 ぽつりと吐き出された言葉は賑やかなホールに溶けて消えていった。


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