"The die is cast."
『賽は投げられた』



 メディア王と呼ばれる男の生誕パーティー…それは豪華を尽くし、著名人の集まるパーティーであり、セレブの集まる社交場でもある。
 淑やかに…上品に…紳士に…上流階級ならではの厳かな空気が漂う会場の中で…日曜日のハイキングかと思うような和やかな一角が存在していた。

「はい、タイガー。あ〜ん。」
「え?これは…また違うやつ?」
「うん。美味しかったんだよ?だからタイガーも。あ〜ん」
「う…ん…あ〜…」

 満面の笑みでフォークに刺さった鶏肉を差し出してくるのはドラゴンキッドだ。いつもと違って豪華で華やかな格好はしていても…中身まで変わるわけではない。その彼女が、袖とカクテルグラスに両手を塞いでしまっているタイガーに料理を食べさせている。
 それというのも…タイガーが会場に入ってから…仲間であるヒーローの面々と挨拶なり、話を弾ませるなりしていたのだが…その中でドラゴンキッドだけは何もしていなかった。
 主催の挨拶もあるし、と遠慮して待っていたのに…気付けば会場の中にその姿はなく…見つけた、と思ったらどこに行っていたのか…両手をスカイハイと折紙サイクロンとで繋ぎ合わせ仲良く帰ってきた。
 …つまり…ドラゴンキッドにとっては仲間はずれにされたようなもので…頬を膨らませて文句を言いに行けば一緒にビュッフェを突こうか…という話の運びになった。
 もちろん彼女は大喜びしたわけで…すると、スカイハイと折紙サイクロンの上司、及び、スポンサーのお偉方が手招きをしているというので二人並んで料理に舌鼓を打っている。

「美味しいでしょ?」
「ん、すっげ美味いよ」

 にこにこと微笑むキッドにつられるようににこにこ笑うタイガーにご満悦の様子だった。
…とはいえ…タイガーの方は必死に繕っていたりなんかして…
 ……というのも…ドラゴンキッドの食べる量に比べればほんの僅かでいい。その上お酒も飲んでいるからそれほど食べなくてもいいのだが…満面の笑みで差し出すドラゴンキッドのフォークを断ることが出来なかった。
 そんなわけで…結構満腹に近い状態である。

「…ねぇ?タイガー…それはなぁに?」
「んー?」
「綺麗な色してる」

 ぴたり…と指差すのは今、口に付けているカクテルグラスだ。一流ホテル…とだけあって…そんじょそこらの酒屋で買える市販のお酒とは全く違う。

「うん…カクテルだよ。エメラルド・クーラーっての。ミントの香りがするんだぜ?」
「…ふぅん…」
「匂いを楽しんでみるか?」
「!うん!」
「飲むなよ?」
「分かってるよ!」

 差し出されるグラスを両手で包み込み興味津々に中を覗き込む。シャンデリアの光の中に輝く液体は綺麗なグリーンをしているのだが…自分の目線よりも下に持ってくると途端にその色が濁ってしまった。とりあえず鼻を近づけてみると、確かに爽やかな香りが立ち込めている。会場の熱気にはちょうどいいかもしれない。
 …けれど…とキッドはグラスを目の高さより少し上に持ち上げた。

「?」

 きらきらとした輝きを取り戻した液体の横にあるタイガーの顔。同じアジア系だから…というわけではないのだろうけれど…とても親近感が湧いてくる。ただいつもと違ってメイクも施されているし、どこからどう見ても女性にしか見えないのだが…

「…タイガーの色だね?」
「うん?ヒーロースーツのことか?」
「うん。能力発動させてるとこんな感じ。」
「んー…まぁ…近いわな?」

 どこか腑に落ちないような雰囲気ではあるものの、ちゃんと同意してくれる優しさに笑みを浮かべグラスを返した。
 差し出されたグラスをすんなりと受け取ると、ふと気付いた、というような表情になる。すると手に持ったカクテルを顔の横へと並べられる。

「お前の色でもあるよな?」
「………」

 言われてようやく気付いたように頭を押さえるとにっこりと笑ってくれる。いつもは暗めの金髪だが、ヒーローの時は色鮮やかなグリーンにしていた。つまり…今のこの髪の色でもある、といってくれているようだ。

「…お揃い?」
「ん、お揃い。」

 嬉しそうに満面の笑みを浮かべたキッドにタイガーは無意識の内に愛娘を重ねていた。まだまだ小さい頃に同じようなことを聞かれて答えた時の嬉しそうな顔…その表情が酷似していて…浮かべる微笑みが柔らかく優しく…周囲の目を奪うものになったのを本人は知らない。

「お楽しみ中に失礼。」

 和やかな雰囲気はどこまでも続きそうだったのだが…遠慮がちに掛けられた声によって霧散してしまった。二人のすぐ近くにまで来ていたのは、大手出版社のロゴが入ったネームカードを首から下げた男だ。
 インテリらしい細身の眼鏡に小さなチェーンはハートの形を象っていた。そつなく着こなしたスーツはコレといった特徴はないのだが、上品さを醸し出す落ち着いた光沢と柔らかさを表す皺が折り曲げられた肘の周りに刻まれている。それ以上に、重役だろう存在感とそれに見合ったオーラを纏った男はどこか有無を言わせない雰囲気があった。

「ドラゴンキッドには申し訳ないのですが…ワイルドタイガーと少し仕事の話したいんですよ」
「仕事の話ですか…?」
「あ…え、と…は、はい…お仕事だもん…ね…」
「悪いな、キッド…また後でな?」
「ん、うん。気にしないで」

 楓によく言うような言い回しに少々罪悪感を募らせつつ、タイガーは宥めるように頭を優しく撫でてやる。すると少し淋しそうになった表情がいくらか和らいだ。軽く手を振って歩き始めた男の後へと続く。

「そちらの方でお願いします」
「あ、はいは〜い」

 人気の少ない一角に来ると彼は会場内にいくつかある柱を指差した。何か筒抜けになっては困るようなないようなのだろうか?…と僅かながらに警戒を強くする。

「テレビで拝見させていただいておりました。大変でしょう?今までと生活が一変してしまうのは…」
「え?…あぁ、そうですね…今までのように気楽に…とはいかなくなりましたかね」
「その体は…いつまで?」
「んー…そうですね…解薬が出来る方が先か…薬の効果が切れる方が先か…ってとこですかね」

 苦笑を浮かべつつ空になったカクテルグラスを手渡して、新しい物を勧められるが『仕事中』という言葉が頭を過ぎり断った。少々手持ち無沙汰になってしまった手を持て余して両腕を組むと、微笑みを象った唇が僅かに跳ね上がったような気がする。しかしそれも一瞬で戻ってしまったので気のせいだったかもしれない。

「そうですか…実はですね…近々…ヒーロー達の写真集を企画してましてね」
「…写真集ですか…」
「えぇ。せっかくですから…その姿のワイルドタイガーも掲載させて頂きたいな…と思いまして」
「…この姿をですか?」
「いずれなくなってしまうのなら…存在する内にその姿を形に残しておけたら…と…それに今なら話題性として充分に価値があると思いますしね?」
「あぁ…なるほどね…でも…話題性にページを割いてしまうと勿体無いでしょう」
「…勿体無い…ですか…」
「ランキング上位の人気があるヒーローがページを占めた方が売り上げが伸びる。それも一過性にはならない。違いますか?」
「…いいえ、違いないでしょうね。」

 ワイルドタイガーは元々出版社のスポンサーが付いていたのだ。商品の売り上げを左右する内容もだいたいなら把握できる。確かに話題性で売るならワイルドタイガーにページを割くのもいいだろう…けれど写真集は週刊誌や日刊新聞とは訳が違う。後々まで…それこそ重版が掛かるには時間がかなりかかるし、価格としても手に取りやすいものではない。そんな商品に話題性だけでは…社内在庫を抱えてしまいかねないだろう。
 その辺りを考慮して返答をすると彼はひょい、と肩を竦めた。企画者として熱が入りすぎたのだろう…苦笑を浮かべて見せる。

「それにしても…」
「うん?」
「…お美しい…」

 …ほぅ…と溜息混じりに囁かれた言葉にぞくっと鳥肌を立てる。さきほどからの嘗め回すような視線もさることながら…ねちっこい言い回しもタイガーの神経を逆撫でしてきていた。けれど…営業、営業…と貼り付けたスマイルを崩さずに微笑み続ける。

「う…美しいなんて…俺…あ、いや…私、なんかに使う言葉じゃないでしょう…」
「…そうですか?」
「えぇ。それこそ…ブルーローズの方が相応しい言葉で…私などには…」
「あぁ…なるほど…確かに…ブルーローズは美しいですね…」
「でしょう?」
「しかし…彼女の美しさは氷柱のように鋭利で近寄りがたく…危うい美しさだ」
「…は?…はぁ…」
「それに比べ貴女は…獰猛な猛禽類をも惹き付けるような色香を持つ美しさ…まったくの別物ですよ」

 すぅっと細められた瞳に体がぎくりと強張った。思わず後ずさるがすぐ後ろには柱がある。

「私が焦がれるのは匂い立つその美しさだ…」

 ゆるりと伸ばされる手を払おうとしたのに逆に囚われてしまう。

…トン…と肩が柱にぶつかる…
……カツッ…と小さな音を立てて更に男が詰め寄ってくる…
振り解けない手…
押し返せない手…
手首へ簡単に回る手…
柱に押さえつける手…

 その強さに背筋がぞくっと震えた。今まで感じることのなかった『恐怖』…目の前に迫る卑下た笑みが一瞬にして血の気を失わせる。さらには逆の手が腰骨から太腿のラインをなぞるように撫でまわして腰に回されると引き寄せられた。
 …体が……微かに震えている…

「…っ…!」
「失礼。」
「…君は…」

 突然違う方向から手を掴まれる。あまりに驚いて思わず肩を跳ね上げてしまった。けれどすぐに聞こえてきた馴染みのある声に…その手がバーナビーだと気付く。

「お話し中、申し訳ないんですが…上司が呼んでおりますので…」
「そ…そうかね…」
「さ、行きますよ?先輩」
「…う…ん…」

 男の前から連れ出される事にほっとしたのだが、しっかりと握りしめられた手に新たな不安が湧きあがる。それでもエスコートされるがままに歩いていると、ロイズのいる場所とは違う方向へと歩いていることに気付いた。

「…?あれ?…ロイズさんのとこ…」
「しぃ…」
「ッ!」

 気づいてないのか?とバーナビーを見上げようとしたら急に腕を引かれて半ば凭れかかるような格好になった。不安定な体を支えるように腰に腕を回されて軽くパニックに陥る。

「あら?どうしたの?バーナビー」

 固まってしまった体を介助しながら歩くとアニエスが声を掛けてきた。思わず肩を跳ね上げると、ぐっと抱き込まれる。息が止まりそうな感覚に胸の奥がカタカタと震えている…コレはなんなんだろう…ぐるぐると考え込んでいると、耳のすぐそばでバーナビーの声が響いた。

「着慣れない服装で少し疲れたみたいですので、奥で休ませてきます」
「あぁ、なるほどね…今ならまだ時間的余裕もあるわ。ゆっくりさせてきても大丈夫よ」
「えぇ、それでは」

 和やかな会話…傍目には普通に聞こえるのだが…生憎とタイガー自身、疲れたとも休みたいとも一言も言った覚えはない。それでも会話は成立しており、バーナビーの導くままに歩みだしてしまう。

「…バニーちゃん?」
「はい?」

 会場から出て廊下に来たところでそろりと呼びかけてみると普通に応えてくれた。けれどどこか強引さを感じる手と肩を掴む彼の力強さに不安が込み上げる。

「…俺…別に疲れてなんか…」
「でも今、会場にい続けるのは辛いのでしょう?」
「そんな…こと……ッ!」

 何故か心に突き刺さる言葉に動揺が隠せなくなってきた。それでもなんとか言葉を返し続けている…すると急に顎を掴み上げられて正面から目を合わせられる。

「今にも泣きそうな顔をしていては説得力がありません」
「………」

 すぅっと細められる瞳…どこか怒りの含むその視線にぐっと黙ってしまった。自覚はなかったのに、指摘されると目頭が…つん…として途端に熱くなる。何も言い返せずに俯いていると手を引かれてまた歩き出してしまった。

 黙ったままに廊下をひたすら歩く…着いた先はバーナビーの控え室だった。

「どうぞ」
「…ん…」

 扉を開いて中へと促される。そのままソファを指し示されるので…ぽすり…と腰をかけた。

「それで?何されたんですか?」
「え?あ…いや…別に…」

 部屋の明かりは点けずに窓の外の逆光の中、バーナビーが振り返る。唐突に突きつけられた質問に瞳を瞬いてしまったが、何でもないのだ、と手を振ると、すぅ…っと温度が下がった気がした。

「何されたんです?」

 重ねられる質問とソファの肘掛に手をついて迫ってくる彼の顔に…あぁ、誤魔化せないんだな…と悟ると軽く息を吐き出した。

「………腕を…掴まれた…」
「…?それだけ?」
「…………『それだけ』…だよなぁ…」

 正直にぽつり…と吐き出すととても不思議そうな顔をされる。それもそうだろう…本人にとっても不思議でならないのだ。そんな気持ちを肯定するように苦笑を浮かべると腰で結ばれた帯にも気を払わずに背もたれへと凭れかかる。

「…自分でもこんなに動揺すると思わなかったんだ…」
「………」
「…腕掴まれて…強引に引き寄せられて…でも振りほどけなくて…怖くなった…」
「………」
「咄嗟に能力を発動しそうになって……」

 掴んできた手が意外に大きかった事…力を込めても振りほどけなかった事…容易く引き寄せられた事…それらの事実がまるで自分は無力になったのだと言われているようで…怖くなった。
 能力を使えばいくらでも抵抗出来ただろう…
 けれど…傷つけてしまったら?
 相手は単なるパーティーの参加者…犯罪者でも悪人でもない。
 …そう思うと怖気づいてしまった。
 そんな自分に嘲笑の笑みが広がってくる。


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