"Manners and money make a gentleman."
『馬子にも衣装』
「はぁ〜い、何難しい顔しちゃってるのよ?ココだけお通夜みたいよ?」
「うぉおッ!おい!こら!ベタベタと尻を触りにくるんじゃないっ!」
「あん…残念…」
突然雄たけびを上げたロックバイソンは慌てて後ろを振り返る。すると満面の笑みを浮かべたファイヤーエンブレムが更に手を伸ばして獲物を撫でようとしていた。その手を掴み取られてべりっと引き離された彼は小指を立てつつ拗ねたように口を尖らせる。
「…お疲れ様です」
「あら、ハンサムちゃんたら…いつにも増して気合入ってるじゃない」
「そうですか?いつも通りのつもりなのですが…」
「ふふ…そういう事にしておいてあ・げ・る」
「…ねぇ?…ファイヤーエンブレム?」
「うん?あっらぁ、今日は一段と可愛いわね、ブルーローズ」
「あ、ありがとう…」
いつもよりも些かテンションの高い彼の口から出る賞賛の言葉にブルーローズは思わず本気で照れてしまう。それでなくとも女王様系として売り出している彼女にとって『可愛い』なんて言葉を掛けられる事はまずない。
「…タイガーの奴は一緒じゃないのか?」
「うん?えぇ、すぐそこまで一緒に来てたんだけどね?私のエスコートじゃ恥ずかしいからって…」
「逃げたの!?」
「いえいえ。5分だけ猶予をあげたの」
「…猶予って…」
「5分経っても入ってこなかったら強制的に連れ込むって言っておいたから逃げられないわよ」
「…つまりは更に恥ずかしい入り方をさせるって事か。」
「そゆこと。」
…ふふっ…と不敵な笑みを漏らす彼になにやら企みが成功したといわんばかりの雰囲気が窺える。
一体タイガーにどんな格好をさせたのか…アニエス以上に心配を募らせながら至極楽しげな彼をじっと見つめていると胸ポケットから懐中時計を取り出して時間を確かめる。
「…うん…時間ギリギリね。」
満足気なファイヤーエンブレムの声と共に会場内が大きくどよめく。きょとり…と顔を見合わせた三人は周りの様子を見渡した。すると皆一様に一点を見つめているようで…その視線の先を辿っていくと…会場の入り口に女性が立っている。
長身に黒髪…顔を覆うアイマスクは…見覚えのあるものだ。彼女は会場をぐるりと見渡すとこちらに視線を止めてまっすぐ歩いてくる。
前髪の一部を垂らしている他は全て後ろに纏め上げ、夜会巻きにしているようだ。纏めた部分に差し込まれた扇形簪には、歩くたびにしゃらしゃらと音を立て揺れる銀の鎖にティアドロップが繋がれ幾筋か垂らされていた。
顎から首、背中にかけて書き込まれた模様は…インドのヘナを拡大したかのようなデザインで肌を埋め尽くし、顎に残っていたヒゲの名残を模様と一体化してしまっている。遠目ではトーションレースを巻いているようにしか見えなかったが…アクセサリーをつけなくても充分な華やかさを演出していた。
身に纏った着物は首周りを大胆に開いているが、深緑の地に流水の絵羽模様が描かれ、シボによって小さく流れる花弁が表現された大人しく上品な柄行だ。
腰に巻かれた黒地に細かな唐草模様の織の帯も少しずつずらして巻いている為、コルセットを着けているかのようで…本人の持つ腰の細さが強調されていた。
全体的に見れば『着物』という点で和装にも見えるのだが、計算の上で崩した着付けが堅苦しさを緩和させている。いつも付けているタイガーのアイマスクが…まるでマスカレードの仮面のようだ。違和感を全く感じられなかった。
ゆっくり…ゆっくり…楚々と歩む彼女はバーナビーの横までくるとそっと手を伸ばしてジャケットの裾を摘んできた。
そうしてゆるりと開く唇から言葉が零れ落ちる…
「…っバニーちゃん…俺、もう…帰りたいっ…」
聞き慣れた言い回し…少し顰められているし、性別が変化した為に少々高くなったとはいえ…耳に馴染んだ声音…間違いなくワイルドタイガー、その人のようだ。
長い袖が縺れないようにと押さえている左手には見慣れた結婚指輪が光っている。信じられない気持ちでいっぱいになりながらそっと視線を上げていく…拗ねた子供のように半泣きの表情は…確かにおばさんと同じに見える。
けれど、施されたメイクが別人のように見せていた。
色濃く長い睫毛…隈取に使われるようなはっきりとした赤いラインが瞳の淵を飾る。唇には着物の柄に合わせたフューシャピンクのルージュが引かれているが、浮く事もなく愛らしさを表現していた。
ぎしりと固まってしまったままのバーナビーを不思議そうに見上げてくる瞳にはっと我に返るとぎゅっと眉間に皺を寄せた。誤魔化すようにずれてもいないサングラスを押し上げてじろり、と見下ろす。
「…帰りたいって…今来たところでしょう?」
「…だってぇ…」
喋らせれば喋らせるほどいつもとなんら変わりのない彼女の調子に狂い掛けた雰囲気も立て直すことができた。へなりと下がる眉に…ふぅ…と溜息をつく。
「だって…何です?」
「みんなじっと見てて…居心地悪い…」
「…あぁ…ね…」
「やっぱ俺がこんな格好してんのは可笑しいんだってぇ…」
「「「そんなことないない。」」」
口を尖らせて呟かれる愚痴に、二人をじっと静観していた三人が揃って否定をすると…ぐゆぅっ…とさらに歪む顔…メイクのせいか…色を纏っている為になんだか余計に可愛く見えてしまう。
その表情に小さく笑いながらバーナビーは指を解かせると絡ませるように左腕へと巻きつけさせた。
「………うん?」
「そんな風にジャケットを掴んでいると小さな子供みたいでしょう?どうしても何かに縋りたいならこうしてください。」
「…うん。」
柔らかく笑みを浮かべるバーナビーにぱちくりと瞬きながらも絡めた腕にきゅっと力を入れる。
…そういえば結婚式でエスコートする時に腕をこういう風に組むんだって言われたなぁ…などと考えていると、バイソンが関心したような唸り声を上げた。
「それにしても…上手く隠したな?」
「あったり前でしょ?誰の仕事だと思ってるの」
タイガーの斜め後ろに回り込んだバイソンにファイヤーエンブレムは得意満面に笑ってみせる。両手を腰に付いてもっと褒めろ、と言っているようだ。話の主題がイマイチ掴めなかったブルーローズは首を傾げつつバイソンの隣へと移動する。
「え?何の話?」
「タイガーちゃんの背中よ」
「…背中…アラベスクみたいな模様?」
そこにファイヤーエンブレムもやってきた。つい、と指で指し示した先は襟ぐりが大きく開かれた背中。首から続く細かな模様が書き込まれた背中は何も纏っていないのに、厭らしさを感じさせない色気があった。
見れば見るほどに美しい模様に思わず魅入ってしまいそうになる。けれどこの背中に何があるのだろうか?…ちらり、と見上げて首を傾げた。
「その模様で分からないけどね…古傷がかなりあるの。」
「…え…?」
言われて再度背中と睨めっこをする。しかし、いくら見つめても鮮やかに描き込まれた模様ばかりで全く分からない。
「まぁ、10年も戦ってりゃ傷の一つや二つ付くもんだろ」
「一つ二つじゃきかねぇだろうに…それにお前の場合は戦うってよりは庇った時の負傷だがな。」
「いいじゃん、それで市民が無傷だったんだからさ」
「結果がそれだったから良かったってだけでしょうに…」
「んー…あのさ、ブルーローズ…あんまジロジロ見るなよ…余計に居た堪れなくなる…」
「え?あ、ごめん…」
じっくりと見つめる視線に耐えかねたタイガーが音を上げた。本当に居心地が悪かったのだろう、首を竦めているのだが…正直に言うと仕草が可愛くて逆効果だ。
「随分気に入ったのね?」
「う…うん…綺麗だから…」
「なんだったら今度、手でも足でも…好きなとこに描いて上げるわよ?」
「ホント!?」
女の子ならではの「私もしてみたい。」という願望を正確に読み取ったファイヤーエンブレムの言葉にブルーローズの顔が輝いた。その年齢相応な笑みにニコニコと微笑みかけていると、バーナビーがふと顔を上げる。
「…おばさん」
「うん?」
「マーベリックさんが呼んでいるので行きますよ」
「え?俺も?」
「………」
「…あぁ…そうね…直属の部下だもんね、俺…」
まだ分かっていないのか…と問いかける冷ややかな瞳に思わず顔をそらせてしまう。ついでに大きな溜息まで吐き出されるのでどうやらご機嫌ゲージを盛大に下げてしまったようだ。
「そろそろ時間だもんね…」
「おら、背筋伸ばしてお勤めしてこい」
「うぁ〜い…」
「行って来ます」
「いってらっしゃ〜い」
にこやかな雰囲気で送り出してくれる三人に気の乗らない返事を返して会場に視線を走らせる。
するとスカイハイの仮面が微妙にこちらの動きに合わせて動いている気がする…顔が見えない分、どんな表情をしているのか分からないので殊更居心地が悪い。
さらに違う場所へと動かせば料理ばかり見ていたはずのドラゴンキッドがにこにことした笑みでこちらを見ていた。軽く手を振るバーナビーに腕ごと手を振り回して応えている。
もう少し視線を動かせばフルーツタワーの影から真っ直ぐにこちらへ顔を向けている折紙サイクロンがなんだかモジモジしているようだ。それもそうか…とタイガーは自分の姿を見下ろす。盛大にアレンジされたとはいえ、着物は着物だ。これが彼の琴線に触れないわけがない。
自分の歩調に合わせて殊更ゆっくりと歩くバーナビーに…エスコートし慣れてんねぇ…と心の中で溜息を吐き出していると、簡易舞台の横にいたマーベリックの元に辿り着いた。
「こんばんは、マーベリックさん。誕生日おめでとうございます」
「ありがとう、バーナビー」
和やかな挨拶の交し合いにじっと口を噤んでいると、彼の視線がバーナビーから移動してきた。
「やぁ、こんばんは。」
「…ども…」
「報告には聞いていたけれど…化けたねぇ?」
「えぇ、おかげさんで…」
にこやかな笑みで掛けられる言葉には刺々しい雰囲気は感じられない。むしろ、関心しているだけのようだ。そんな彼に苦笑を浮かべて肩を竦めると近くに控えていたロイズが苦い表情を浮かべる。きっと目上の人物に対する態度ではない、と言いたいのだろう…けれどメディア王ともなればそんな些細な事は気にならないようで笑みを深めるだけだった。
「まるで花街から連れて来た太夫みたいだね?」
「ははっ…太夫とは荷が重いですね。俺みないなのならせいぜい平の花魁止まりですよ」
「そうかね?素質なら存分にあると思うが…それに、その姿ならば傾城とも呼んでもいいくらいだ。私なら花代を惜しまないね」
「お、だったら臨時ボーナス頂けます?」
「それは君の上司と相談してくれたまえ」
「ちぇー…残念。」
珍しいほどの和やかな二人の遣り取りにバーナビーは完全に置いてけぼり状態だ。というのも、知らない単語が出てきて何を言っているのかよく分からなかったりする。
「さて。今から挨拶に向かうので…すまないが後ろに控えてくれるかな?」
「はい。」
「了解です。」
二人が頷いた事に満足したマーベリックは司会者へ、マイクや音源の準備をするようにと指示を出しに行ってしまった。その後ろ姿を見つめたあと、バーナビーはちらりと視線を横へずらす。
「太夫に…傾城とか…花魁とか…花代…って何ですか?」
「んー?…あぁ、バニーちゃんは知らないのか…太夫と傾城と花魁ってのはさ…遊女の事だ。」
「…遊女…?」
「太夫はその花魁の中でも最高位の限られた人間にしか使われなかった言葉で、花代ってのは…なんつうかな…一晩その遊女を買い取る代金の事ってとこかな」
「………」
「一昔前のことで今ではもういなくなったけどな。
何も体を売るだけじゃなくて…踊りを披露したり聞き手に回ったり…お酌したり…ま、コンパニオンみたいなもんか」
「…そう…ですか…」
遊女…というからてっきり娼婦の類かと思ってしまった。そんな内容を穏やかに話してたのか?と思わず怪訝な顔をしてしまったが、何も夜の営みばかりをしているわけではなかったという…しかし動揺してしまった声が隠し切れずに少し震えてしまった。
耳敏く震えた声に気付いてしまったおばさんがにやり、とあまり好ましくない笑みを浮かべて顔を覗きこんでくる。
「あれ?何?バニーちゃんたら、遊女に興味持っちゃった?」
「…はぁ?」
「お座敷遊びでもいいならお相手しますけど?旦那様?」
ふわりと微笑む顔が愛らしく傾けられ、するり…と肩を撫でられる。途端にぶわっと噴出す熱に若干焦りながらも手を振り払った。
「ふ…ふざけないでください」
「あら、そう?バニーちゃんとなら『金比羅』とか『とらとら』とかしたら楽しそうだと思ったんだけどな…」
「………」
また分からない単語が出てきてしまった。意味が分からないが、いちいち突っ込んで聞いていると、きっとこのおばさんは悪乗りして遊ばれるのが目に見えている。とりあえず単語は覚えておいて後で調べればいい、と今は流しておいた。
…流しておいたのだが…気になる…かなり気になる…しかも遊女との遊び…それって確実に…と、うっかりアダルティな妄想を広げてしまい頬が熱くなる。
「…バニーちゃん、お顔が真っ赤よ?」
「…うるさいですよ…」
結局からかわれてしまい、余計に頬が火照ってしまった。そんなバーナビーの横顔にクスクスと笑いを溢していると、マーベリックから目配せをされる。俯いてしまっているバーナビーの肩を突くと彼は漸く顔を上げた。
「…!」
ただ、その顔が…完璧な笑みの仮面を被っていたことにタイガーは苦笑を浮かべてしまう。プロ根性…と言うのだろうか…パーフェクトな彼には脱帽させられてしまった。
腕を引かれるままに舞台脇まできた虎徹は、低い階段を前に長い袖を手に持ち直す。これで後は裾をあげればうっかり踏んづけてしまうことはないだろう。会場に来るまでにファイヤーエンブレムから着物の袖や裾の捌きをレクチャーされたのだが…受けておいてよかった…と心の底から思った。
「ぉわっ!?」
「暴れないでください。」
「はぁ!?ちょっ…下ろせ!バカ!」
「黙らないと余計目立ちますよ?」
「…〜〜〜ッ…」
がくん、と体が傾きいきなり変わった視界に目を瞠っているとバーナビーにお姫様抱っこさせられていることにきづいた。しかもそのまま階段を上がって舞台の上へと連れ出されてしまう。自分で上がれるわ!と吼えたかったのだが、さっさと上がってしまう彼の歩みに結局なすがままになった。
居た堪れない気持ちでいっぱいになっていると舞台の下からシャッターの切れる音が聞こえる…どうやら明日の新聞の一面はこの写真がド派手に飾るようだ…
軽く眩暈に襲われている中、壇上で微笑むマーベリックの斜め後ろまで運ばれると漸く下ろしてもらった。
「…仕返しですよ…」
「…性質悪ぃ…」
「貴女に言われる筋合いはありませんね」
「…はいはい…俺が悪ぅございました…」
むすっとした表情の彼女に満足したバーナビーは心からの笑みを浮かべて正面へと向き直る。まるでそれが合図かのようにマーベリックの挨拶が始まった。
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