―幸―
「お邪魔かしら?」
突然声をかけたつもりはなかったのだけれど……ビーストマスターはずいぶんと焦って振り向いた。彼の事だからとっくに私の気配なんか気付いているのだと思ったけど。
何か考え事でもしてたのかしら?
茂みから出てきた私に彼は気まずそうな顔をする。
「レディポイズンか」
「お久しぶり。依頼の物を運んできたわ」
「……あぁ、ありがとう」
私が運んできたのは一抱えほどの大きさがある木の箱。その中には動物達用に使う薬草が詰まってる。私が自分のパフューム用の薬草を採りに行くと言った際に頼まれた物。頼まれたと言えど依頼は依頼。運び屋なんだから御礼を言われる筋合いなんかないんだけどね。でも照れくさそうに受け取るその姿がなんだかおかしかった。
―ピィィィィィィィィィィィ………
箱を手渡したら彼の腕に止まってた鷹が飛び立った。夕暮れの赤い空へ向けて勢いよく飛んで行く。さっき帰ってきたところじゃなかったのかしら?
「また行くの?」
「あぁ……ずっと銀次に付いていたいらしい」
「そう……変わりないのね」
「……あぁ」
ここ最近ビーストマスターと話す機会が増えている。なんの事ない、平凡な話。変りのない会話。『変わらない会話』が意味するのは……
『狂った』ままだという事。
皆が『狂った』ままでいるという事。私も、その一人。今でも狂ったまま……
自覚はあるのに、正気に戻ることなど出来ない。『日常』に向かいながら自分に開いた穴を見てみぬふりしてる。そのふりが出来るのは『天野銀次』が『普通』だからかもしれない。
『天野銀次』
元雷帝だっただけのことあって……『強い』人。
心の『強い』人。
……なんでもないように『冷たい笑顔』をして……
「なんともないよ」
と……平気そうに言える……
『強い』人。
あぁ……そうか。だから吊り合ってたんだ。
蛮は強い。とても強い。でも……『脆い』。
蛮が相棒に選んだ男は……『脆い』けど『強い』。
精神面が強い。その強さで、蛮を支えていたんだ。守っていたんだ。
今初めて気付いた。同じ時を過ごしていたのに、今こんな形で思い知らされるなんて……
ふと我に返ると、ヴァイオリンの音が耳に届いた。
曲は……今テレビで騒がれてる女歌手の歌。この頃よくテレビやラジオで流れてる歌。
「この音はまどかちゃん?」
「あぁ……この所毎日弾いてる」
「そう……いい曲ね……」
「……あぁ」
彼女には何も言っていないと言っていたけれど、気付いているんでしょうね?……あの子、誰かが『泣いている』時の『心声』には敏感だもの。兄貴の命日の日に言われちゃったしね……
……ねぇ、兄貴。もしさ……あいつがそっちに行くなんて事あったら……追い返してくれる?
あいつに限ってそんな事ないだろうけど……一応ね?
兄貴……あいつまでいなくなったらどうしたらいい?
私……『普通』でいられる自信なんかない。
『天野銀次』みたいに『普通』に働いて、話して、笑って……
―「卑弥呼ちゃん蛮ちゃん見なかった?!」
その日は珍しく仕事が早く片付いて帰るところだった。
街を歩いていると猛スピードで走ってくる金髪の男が見えた。私の目の前まで走ってきて切れた息を少しでも整えようとしてる。
足はおろか……手にも血がにじみ、顔は汗だくだった。それと向けられた瞳がすがるような色をしていて……
「蛮ちゃん……見なかった?」
息絶え絶えに重ねられた質問に私を首を横に振った。途端に肩を落とし、瞳の光がすぅっと消えていくのが分かった。
「そっか……ありがと!」
瞳の光は戻らずとも、明るい笑みを向けられた。……その笑顔が痛い。
「ちょっと待ちなさい!」
再び走り出そうとしたのを止める為にジャケットの裾を鷲掴みにする。とりあえず蛮がいない事は分かった。それにこんなになるまで探し回ってるって事はいつものような気まぐれじゃないんだ、と悟ったから……
ひとまず誰に聞いたかを聞き出し、他に当たれる人がいないかと思考を廻らせる。
……ビーストマスター……波児さん……キツネ女……マクベス……女男……
「ねぇ?……マリーアさんは?」
「あ!そうか!」
「あの人に占ってもらえばいいのよ!」
「そうだね!じゃ……」
「私も行くわ」
「え?でも卑弥呼ちゃん仕事じゃ……」
私の服装は普段着にも見えるけど、もっと動きやすい服。それに腰には香のビンが6つ差してある。
「悪いけど仕事はもう終わったの」
「そっか」
「行きましょ!」
意図して急いだわけじゃなかった。何かに走れって言われてる感覚。兄貴の時もそうだった。何故だか急がないといけない気がして慌てて呼びにいった。そうしたら………
……もし……また最悪の事態を目の当たりにしたら?
……もし……また誰かが…目の前から消えたら?
……もし……その誰かが……蛮……だったら………
そんな事ばかり考えてた。数歩前を走る『天野銀次』の背中を見ながらそんなことばかり考えていた。
走って……走って……走って……
占い横丁のマリーアさんの店に着いた頃には二人とも汗だくで……肩で呼吸をしていた。
二人してある程度呼吸を整えたところでドアノブに手をかける。そうして……
―……リンッ……
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