―幸―
―ピィィィィィィィィィィィィィー
夕暮れの赤い空の中から鷹が下りてきて差し出した俺の腕に乗る。
ずっしりとした体重を受け止めて餌を与えた。
よほど腹を空かしていたらしくあっという間に平らげた。
一呼吸を置いて静かに語る。
『今日も動く冷たい人を見た』
―と…
それが銀次の事だというのはすぐに分かる。
ただ…こいつらにとって、銀次は『銀次』ではなく『動く冷たい人』らしい。
そして、告げた後は必ず俺の頬に頭を摺り寄せて『泣く』。人のように声を上げ、涙を流して泣く事はしないが、『泣いて』いるのは確かだ。
いつも変わらない情報を運んではこうして『泣く』。
銀次の情報が変わらなくなったのは『あの日』以来…ずっとだ。ずっと『動く冷たい人』。今の銀次はこいつらにはもう『死んだ』も同然らしい。だから銀次を見る度こいつらは『泣く』。
頬に摺り寄せた小さい頭を撫で、俺は数週間前を思い出していた。
「銀次?」
外は酷い雨が降り、遠くに雷の音が聞こえていた。
昼間のはずなのに真っ暗な部屋。俺は開きっ放された扉を開け、そこにいるであろう人物の名を呼ぶ。
数日前まで普通に会っていたやつらがぷっつり来なくなったのだ。HONKY TONKを訪ねても同じらしく、ひとまずいるであろう場所を当たっていく。情報屋にも聞いてはみたが、どうやら仕事ではないらしい。
前に聞いていた部屋を訪れると探していた人物がいた。…一人で。
「…銀次?」
真っ暗な部屋の明かりをつけると銀次が壁にもたれて座っていた。
ただいつもと違うのは…幸せそうな笑顔を浮かべない事…手足が力なく放り出され、傷塗れな事。
前髪がかかって隠されている顔を覗いてみると、背筋がぞくっとした。雷帝の時よりもさらに虚ろな瞳。焦点が合っていない。
周りを見回してもあいつはいなかった。いつも影のように寄り添っているあいつ。銀次がこんな状態になった理由を問おうにも、肝心の相手がいなくては意味がない。
ひとまず手足の治療をさせる為、無限城の薬屋を訪ねた。
傷は見た目よりもひどいらしく、傷口から細菌が入り込んでしまっていたらしい。だが銀次は何もじゃべらない。かなり痛むだろうとは言うが銀次はぴくりとも動かなかった。人はここまで落ちれるんだな…無限城の中だってのに…静電気すら立ってねぇ…
これは俺の知っている『銀次』じゃない。ただそこにいるだけの『抜け殻』。
なぜこういう風になったんだ?
あいつはどこにいった?
銀次がこんな風になってるって事はあいつに何かあったのか?
瞬時に俺の頭の中には様々な疑問が思い浮かぶが、どれも答えであって答えではない気がした。
それから何度か会いに行ったが、いつ行っても、どんなに話し掛けても反応が返ってこなかった。生気のない表情と虚ろな瞳、動く事を忘れた体がそこにあるだけ。誰が行こうが、話し掛けようが…同じ事だった。
それでも俺は『やっぱりこいつは強いんだ』と思った…何故なら…銀次はまだ『ここにいる』…銀次の姿を見れば今まで何をしてきたかなんてすぐに分かった…数日前俺の元へ血相を変えてきた時、銀次はまだ『銀次』だった。別れの際には笑って手を振っていた。俺の知る銀次だった。
…あの時はまだ銀次の変化には気付けなかった…
銀次の心に大きな穴が開いていて…その穴がじわじわと大きくなり銀次を壊している事に…
だが…ここ最近になって『銀次』はまた走り回り始めた。仕事も…以前と同じとまではいかないが、きちんとこなしているらしい。どうやら自力で立ち直ったようだ。俺が無限城で惹かれた強さ…偽りの強さを使って…
自分の奥底に悲しみを沈めて自らが好きな人間に心配をかけまいとしている。『自分』を押し込めて他人の悲しみを薄めていく。『雷帝』であった頃と同じ、『寂しい笑顔』を浮かべて…瞳はいつも悲しみを映している。自分がどんな顔をしているのか、分かっていない。…そんな『冷たい強さ』を再び使う銀次に俺はもう何も言えなくなった。
今街中や、いつもの店で顔を合わせれば『いつも』と同じ挨拶が返ってきている。『いつも』と同じ笑顔を浮かべて、『いつも』と同じ調子で語りかけてくる。俺もなるべく『以前と変わりなく』応対をしているものの…違和感を感じてしまうのは仕方のないことであって…銀次の為を想い、知らぬふりをした方がいいだろう、という結論が出ただけ。
ふと視線を腕に落とせば、鷹はまだそこにいた。時折小さく『泣いて』は、羽毛に首を差し入れ涙を拭っている。
『冷たい人』を見るのは辛いだろうと思い、辞めるか?と聞いたことがあった。こいつだけではなく、他のやつらにも…だが返ってくるのはすべて『NO』という返事。『見る』辛さより、『冷たい人』を助けたいと想う気持ちの方が強いのだとスズメが教えてくれた。俺が頼むからではなく…自主的にしているのだと…
同じ事が繰り返されてずいぶん時がたっている。俺の元にくる報告も変わったところはなにひとつない。日に日に何かが狂っていっている…日に日に銀次が『銀次』じゃなくなっていっている。
『銀次』が仕事に復帰して、チームを組んだ事もあった。
そのくらい『以前と変わりない』ふりが出来るようになったわけだが…決定的に違うことが手にとって分かる。…作業的な行動。
プログラム通りにしか動かない機械のように動く『銀次』。正直吐き気がした。追っ手を殺す事なく、外す事もなく電撃を当てて行く。前ならばどんなに凶悪な奴であっても「ごめんね」とか言って苦笑いを向けていたが…それすらもない。あったのは冷たく見下す金色の瞳。
…あぁ…『銀次』は失ったんだな…
そう確信したのは銀次が『いつも』のように振舞えるようになって数日程経過してからだった。その間もあいつの姿は見ていない。これまでのことを考えると、あいつがこれほどまで音沙汰がない事はなかった。
いやでも目立ち、噂になるやつ。
銀次の心に空いた穴の正体…
…美堂蛮がいない…
『銀次のそば』から、ではなく『忽然』と…まるで存在していなかったかのようにいなくなった。空から鳥達に探させても…地を這うねずみを始め、様々な動物に聞いても見かけていないという返事が返るのみ。
銀次はいま支えであった美堂がいなくなって『崩れて』しまったんだ。
俺はすぐに探し出して連れ戻そうと、あちこち探し回った。
どこに行っても見つからないが…諦めずに探し回った。
必ずどこかにいると心の底で信じていたからだ。
銀次の元に連れ戻す為…俺が探し出して…そして…
そして?
俺は今何を考えた?
銀次を正気に戻す為に美堂を連れて帰ることのはずだ…
だが俺の中には確かに別のことが浮かんでいた。それは…
「お邪魔かしら?」
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