「おう、お疲れさん」

 ドアの外にまで聞こえてくるタイピングの音に苦笑を漏らしていると廊下の突き当たりからイアンがひょっこりと顔を出した。満足げな笑みに思わず苦笑が漏れる。

「ったく。俺まで巻き込むなんて酷いでしょ?」
「いやいや。お前さんでなくてはここまでの効果は得られなかっただろうに」

 すぐ傍まで来たイアンはにやりと人の悪い笑みを浮かべて今しがたまでライルがいた部屋の扉を見る。

 渡された資料は二人ともほぼ同じ枚数がある。しかし、イアンによって仕分された為に内容が随分違っていた。というのも、ライルの方はほとんどコピー・ペーストで済ます事が出来るのだ。大差を開いて彼の方が先に上がるのは当然である。
 一方のニールの方はというと、同じような文字列は幾度か出てくるとはいえ、忘れた頃に出てくるのでコピーする為に文字を探すより新たに打ち込んだ方が早い。その為文字の数だけタイピングを強いられている状況だ。

 部屋の中から苛立たしげな叫び声が聞こえてくる。スペルミスでエラーが出たのだろう。

「おぉ、イライラしてるな」
「あんたがそう仕向けたんでしょに」

 酷く楽しげなイアンに裏手パンチを見舞う。
 この施設に向かう途中、ライルだけにイアンからメールが来ていた。ラグランジュに着いたらライルに何をしてもらうか。そしてニールに『何をさせるか』を説明したメールだ。目的と意図を見て大いに賛成・協力をしたのだが……さすがに哀れに思えてきた。

「なぁに。これが終われば解放してやるさ。むしろこれだけで終わってやるんだから感謝の一つもしてほしいもんだ」
「感謝って……」
「こっちの気持ちを考慮すれば当然だろう?だが『もう1人』が可哀想になってきてな」

 『もう1人』という言葉に首を傾げていると端末を差し出してきた。メールが一通開かれていて「見てみろ」という事らしい。送り主のスメラギの名を確認するとざっと目を通して唖然としてしまった。

「……マジでか」
「あの子も日々変わり続けておるからな。そう驚くことでもないだろう」

 朗らかに笑ってみせるイアンとは対照的にライルは驚愕に包まれたままだ。
 小さなモニタの中に写っているのはトレミーの医務室だ。そこにはフェルトと、目の前に椅子へ座った刹那がいる。その刹那の頬骨の辺りに……見事な青痣。フェルトの持つアイスパックで冷やしていたようだが、当の本人よりも彼女の方が痛々しい表情になっている。そして刹那はというと、とても涼しげな表情。彼女らしいといえばらしいのだが……どう見てもかなり痛そうだ。
 添えられた文を読んでみると……

 『刹那が頭上の棚に気づかず派手にぶつけた』

 ……という。
 『あの』刹那が?というのが最初の感想。けれどスメラギの現状報告からすると、早めに『安定剤』を帰してやった方がよさそうだった。

「まだ潜入したままだと思ってんのなら心配で仕方ないかな……」
「そうだな。さすがのスメラギもそろそろ許してやろうか、という事だろう」
「そうっスね……」

 現在は世界を脅かすような武装組織も集団も存在していないとはいえ、いつまた始まるかもしれない戦闘を考えると『この』状態はかなり危ないだろう。
 否……たとえ戦争がなくとも危ない。

 二人して苦笑いを浮かべているとまた部屋の中からヒステリックな悲鳴が聞こえてくる。

「……あとは兄さん次第、かな?」
「あぁ。『こう』なってくると早く終わらせてほしいもんだが……」

 呟く二人の会話にまた悲鳴が重なった。

 * * * * *

「お帰りなさい」
「ただぁいまぁ〜……」

 へろへろになったニールがトレミーへと帰ってきたのは翌日の朝だった。
 ライルが出て行ってからどうにか早く終わらせてやろうと躍起になって打ち込んでいたのだが、焦れば焦るほどスペルミスが増え余計に時間を取られてしまったのだ。意地と根性のみをフル稼働させて終わったのは明け方。よろよろになり部屋を出れば、イアンが淹れたてのコーヒーを振舞ってくれた。仮眠すればいい、という言葉を振り切ってトレミーを修繕しているラグランジュへと戻ってきたのだが……もう倒れそうだ。

「大丈夫?」
「あ〜……あんま大丈夫くない……」

 目の下にくっきりとしたクマを作ったニールを出迎えてくれたのはフェルトだった。彼女も何らかのプログラミングをしているのか書類の束を持っており、ようやく開放されたニールからすればその束を見るだけで頭痛が引き起こされる。へらりと笑ってみるも力の無い気の抜けた笑みになってしまっているのだろう、余計に心配そうな顔にさせてしまった。

「大変だったね。みんなの……『帰還祝い』?」 「はは……この程度で済ませてくれるみんなの優しさを感じるけどな」

 『帰還祝い』……一度目ならば手厚く、温かく迎え入れてもらえるのだろうけれど……流石に二度目となるとそう甘くはいかない。仲間を失う悲しみや辛さを余計に味あわせてしまったのだからこのくらいの仕打ちは当たり前だろうと腹をくくってはいるが……これほど長期間に渡って刹那と会えないのは精神的に厳しいものがある。
 むしろ『その状態』に陥れるのが目的なのかもしれない。

「でも……」
「うん?」
「ラグランジュへ行ってたんだよね?」
「ん、あぁ。たっぷり扱き使われてたけど」

 首を傾げとても不思議そうな表情をするフェルトにニールも首を傾げることになった。今しがた戻ってきたニールがどこで何をさせられていたかスメラギから大まかに聞いているはずだろうし、『帰還祝い』を知っているのならなおさらだ。

「荷物は……ないの?」
「荷物?」
「………」
「………」
「………」
「………あ。」

 ラグランジュへと向かった当初の目的は以前の私物整理の為だった。だが、早く帰ることばかり考えていたせいかすっかり忘れていた。せっかく戻ったのにとんぼ返り決定。足の力が抜け落ち、その場に座り込んでしまう。

「……はぁ〜……」
「……ロックオン」
「うん〜……?」
「一緒に行こう」
「……へ?」
「二人ならすぐに片付くし、まだ刹那は寝てるから。今から行って帰ってくる間にちょうどお昼になってすんなり会えるよ?」

 そのフェルトの提案にニールはきょとりと瞬いた。確かに時間帯からして今は早朝にあたる。フェルトが起きていたのもたまたまで、普通に考えればまだみんな就寝していておかしくない。しかも連日の慣れない修繕で疲れているはずだ。そんなメンバーや、刹那を無理に起こして癒しをもらうわけにもいかないだろう。
 けれどまた一人きりの作業に気が滅入りそうだが、フェルトが手伝ってくれるといった。

「フェルトっ……マジ天使っ」
「ふふ、大げさだよ」

 思わず目尻に滲む涙を隠すべく目の前にある足に抱きついて感激すると笑い声が落ちてきた。これだけでもかなり癒される。

「さて。もう一仕事頑張りますか」
「うん」

 勢いつけて立ち上がり、凝り固まったように重たい肩を回しながらドッグへと向かった。

 * * * * *

「結構残ってたんだな」
「うん。大破した位置が私室のエリアから逸れてたからね」

 フェルトと連れ立って保管庫へと来ると、部屋中に並べられた私物の量に驚いた。5年も経っているし、帰らぬ人となったから処分されていると思っていた。けれど、地上で使っていた車も譲渡されていたので使えそうなものはなるべく置いてあるのかもしれないと考えを改める。

「服のサイズは変わってないだろうから使えるかな」
「じゃあカバンに詰めるよ」
「ん、よろしく」

 ニールの私物を纏めてある棚へと行くと回収できたものは片っ端から置いてくれていたらしく、一度きりしか使わなかった海パンまであって苦笑がもれる。移動させる時に何も思われなかったのだろうか?

「あ、そういえばロックオン」
「うんー?」

 私物整理とはいえ、さほど量はないのでさくさくと片付いていく。フェルトの方もニールから手渡される物を丁寧にカバンに詰めていくだけなので特に滞ることはない。けれどふと思い出したように声をかけてきた。

「これ。地上の待機場に置いてあったスーツケース」
「わぁ……これも回収してくれてあったのか」
「うん。厳重にロックされてたし」

 部屋の隅から持ってきたのはステンレス製の大型スーツケース。もちろん身に覚えもあるし中に何が入っているかも分かっている。今になってまたお目にかかるとは……思わず苦笑が浮かんできた。

「刹那が抱き枕が入ってたって言ってたけど……」
「ん?刹那が?」
「うん。合流してすぐに刹那もここに来たの。それで、このカバンのロックの解除が刹那の網膜だったから」
「あ〜……なるほどな」
「……ロックオン?」
「うん?」
「何か違うものなの?」

 刹那がこのカバンを触った時期と、彼女の答えに納得がいった。まさか中にウェディングドレスが入っていたとは言えなかっただろう。なにより、合流してすぐ、という事はまだみんなに己は男だと思わせていた時だ。ニール自身もカモフラージュで抱き枕のカバーに入れていたのだからあながち間違いでもない。
 けれど、ここにいるのはフェルトだ。いまさら隠すことでもないし彼女なら見せてもなんら支障はないだろう。

「……あ、あの……言いにくいことだったらいいよ?」

 何か踏み入れてはいけないものに触れてしまったのではないだろうかと思ったフェルトはすぐに引き下がってしまう。何年経っても変わらないその気遣いの仕方に小さく笑いが漏れた。

「フェルトならいいよ」

 そう言ってスーツケースを引き寄せる。確かに付属の鍵だけでは開かなくしておいたが、ちょっとした裏技であっさり開くことが出来るのだ。その裏技の為にニールはモレノの私物の中から細いペンを取り出すとスーツケースを横倒しにした。

「これは……本当は刹那へのサプライズだったんだけどさ。ある意味みんなへのサプライズでもあるかもな」
「サプライズ?」

 しゃがみこんだニールの横にフェルトがちょこんと座る。彼女を横目にニールは鍵穴の横にある小さな穴にペン先を押し込んだ。すると軽やかな音と共に施錠が解除される。

「あ……」

 厳重だと思われた鍵があっさりと開いたことにフェルトが驚いた表情になる。その反応に満足しながら蓋を押し上げると中には箱が一つと、緑色の布地が窮屈そうに入っていた。

「……この鍵は使わないんだね?」
「うん、それでも開けられるんだけど、細工をしてさ。特定の人物以外簡単に開けられないようにしておいたんだ」
「それで刹那だったんだね。ロックオンが、したの?」
「そ。超プライベート品を入れておいたからな」

 本当に器用な人だなぁ、と再確認をしながらニールがスーツケースから取り出したものをじっと見つめる。深い緑色の布地は、ただの布地かと思えば形状から察するに抱き枕のようでぱちくり、と目を瞬いた。

「抱き枕?」
「カムフラージュだよ」

 一旦横に追いやってもうひとつの荷物へと手を伸ばす。取り出した箱を膝の上に置いてゆっくりと蓋を開いた。

「わぁ……綺麗」
「はは、そりゃ良かった。かなり急いで作ってたから不安だったんだよ」
「ロックオンが……作ったの?」
「お恥ずかしながら」
「すごい……」

 箱の中からそっと慎重に取り出したのは青い薔薇の塊だ。隙間を縫うようにパールが散らされ、大小の薔薇をより豪華に見せている。両手でフェルトへと差し出すと恐る恐る取り上げた。

「うんと……カチューシャ?」
「ビンゴ!」
「すごい……」

 ガラス細工を見るようにあちこちから覗き込むフェルトはバラの間に渡されたレースとコームの存在に気がついた。少しだけ手を広げてレースの長さを見てみるとそれほど長さはない。しばし考え込んで出した答えにニールは微笑みながら箱の中からアリアヴェールを取り出した。

「ウェディングヴェール?」
「そ。やっぱ女の子だからすぐ分かるなぁ」
「……それじゃあ……」
「うん。この中にドレスが入ってる」

 すぐ横に置いた抱き枕をそっと撫でる。枕にしては全く弾力のないそれに懐かしさがこみ上げてきた。

「……刹那のウェディングドレス?」
「そう。当時はあいつ男として認識されてたけどさ。戦いが終わったらコレ着せてみんなに祝ってもらおうと思ってたんだ」

 任務の合間に時間を見つけてはこつこつと縫い進めていた純白のドレス。裁縫をして経験もさほどない自分にまさかこれほどの代物が作れるとは思ってはいなかったが、何事もチャレンジしてみるのはいいことだ。なかなかに満足のいくドレスが出来上がっている。
 本当ならば専門店に赴いて選びたかったが、ソレスタルビーイングに所属している以上かなり難しい事だ。いつ使うかも分からず、着用する刹那がまだまだ成長過渡だった為に断念した。それにどうせならこっそりと準備してうんと驚かせたかった。
 しかし自分で作ろうと決心してから気がついだ。夫になるニールの手で作ったドレスに身を包んでくれるというのもかなり喜ばしいものがある。それこそ泣き崩れる予感がするほどに。

 ファスナーが引っかからないように慎重に取り出したドレスにフェルトの瞳が釘付けになっていった。裾をなるべく引き摺らないように持ち上げていると手を伸ばして指先で触れている。やはり女の子はこういった物に興味津々のようだ。表情も幾分輝いて見える。

「刹那と結婚式するの?」
「んー……そのつもりだったんだけどなぁ」
「?何かあるの?」
「いやぁ……ほら、今、結婚式とかって時じゃないと思うんだよ」

 そろそろ腕が疲れてきたので設置してあるソファの上に広げた。自分で言うのもなんだが綺麗に仕上がっている、とニールは瞳を細める。

「戦争が終わって、世界中が発展過渡期だろ?多少の小競り合いが生じるだろうし、何よりソレスタ自体がボロボロのままだからな」
「……そうだね……」
「ま、いずれは御世話になる事になればいいかな、ってわけで。もうしばらくここで眠っててもらいましょうかね」

 軽い調子で話すニールに反してフェルトはとても残念そうな表情のままだ。丁寧に畳んで再び抱き枕のカバーの中へ戻って行くドレスを何も言えずにじっと見つめている。

「みんなには秘密。な?」
「……うん」

 指を立ててウィンクすると渋々といった具合ではあったが頷いてくれた。けれどまだしょんぼりした雰囲気のままな彼女の頭を撫でて慰めておく。

「さて。荷物ももうちょいとで終わりだ。さっさと片付けて戻ろうぜ」

 暗い雰囲気を吹き飛ばすように明るく告げれば今度はすんなりと頷いてくれた。


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