覆い被さる広い影…体を押さえつける大きな手…固い皮膚…びくとも動かないその存在に心が震えあがる。
でも…泣かない…絶望しない…
だって…知ってる。
ちゃんと…繋がってるって…
1人じゃないって…
みんながいるって…
那由他も…フェルトも…ジュニアも…クリスも…
ティエリア…ネーナ…
アレルヤ、ハレルヤ…
ヨハン…ミハエル…
…ロックオン…
分かってる…
−…し…て…
俺は…
−…か え し て ッ…
…俺…は…
−…娘 を か え し て ッ…
…おれ…は…?
−…いやぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!…
「ッぅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
喉の奥が裂けるような悲鳴が上がる。胃をひっくり返されるような嘔吐感と息が詰まる苦しさが冷静さを奪っていった。
−…神の子…我らの神の子…
−…祭壇に…清き体…
−…慈悲を…導きを…救いを…
耳の奥に響く幾人もの声…ぼんやりと…しかし、確実に聞き取れる声はわんわんと鳴り響き目の前が霞んでいく…遮られる太陽の光…逆光の中の男の影が幾つにも分かれ、大きく、小さく…細く、太く揺れ始める。
−…主が御遣わしになった神の子…
−…清水を…
−…神の子の…体を…清めよ…
手。手。手。
腕を掴む。腰を掴む。足を掴む。
近づく顔は…岩を削ぎ落としたような頬と、ぎらぎらと鈍く光る獣の瞳。赤い髪が返り血のように鮮明で…歪んだ口が酷薄な笑みを象る。鍛え抜かれた肩に腕の禍々しい刺青がまるで生きているように動き、鋼のような冷たい指が顎を捕らえた。
−我らが神の子よ…迷える狗にどうぞ御慈悲を…
岩の天井…紅く灯る蝋燭…肌に纏わりつく薄い布…手首には男の手…足首には冷たい鉄の鎖…凍えるような冷気と相反して体は燃えるような熱を帯びている。
−神の子よ…主より遣わされたその身を持って…我らを導きたまえ。
黒い水差しがゆっくりと傾けられる…中から溢れる液体ははちみつのようなどろりとした黄金色…むせかえるような甘い匂いが鼻をつき、こじ開けられた口に流し込まれる。舌の根が痺れるような味と喉の奥を圧迫する液体に嗚咽感と呼吸が出来ない苦しさに手足が暴れるも、状況が変わることはない。
口の端から溢れさせつつ…呑みこめずに吐き出しつつ…ようやく水差しが遠のいていく…纏わりつく空気の気持ち悪さと吐き出す息の熱さに頭がぐるぐると回るような気分の悪さにますます吐きそうなムカツキが込み上げてきた。
−…さぁ…神の子よ…謳いたまえ…
胸元に落ちてきた手が肌に触れた瞬間、皮膚を裂くような痺れが全身に走る。耐えようもない衝動に首を反らして血を吐く代わりに切れる音が喉から吐き出された。四肢が震え…指先が引きつり…視界がぶれる。
「 !!!!!」
自分の叫ぶ声すら…分からない…
* * * * *
校舎の入り口までくると手分けして探すことにする。屋内と外とで2手に分かれ、さらに3棟並んだ校舎をそれぞれ分かれて見回りに行く。
その中で那由多とライルが受け持った校舎は、厄介なことLの形にH字の建物を追加したような作りになっており、1フロア見回すにも少々手間がかかってしまう。
一番人目に付きにくい屋上へと非常階段を駆け上がるが、がらんとしたその場所には人の気配は微塵もなかった。中等部では使用しない初めて訪れる棟とあって那由多の足取りが少々鈍くなる。けれど、ライルに聞きながら、刹那の気配を辿りながら走り回っていれば徐々に感じる強さが大きくなっていった。
「?那由多?」
鍵が開いてたり閉まってたりする教室を、入って調べたり、扉に額を押し当てて気配を感じ取ったりしていたら…2階に下りてきた那由多が走りだした。その方向はL字の建物の一番奥で、外には倉庫がいくつか並んでいる。その地図を頭に描き出しつつもライルは那由多を追い掛けた。
角を曲がり廊下に那由多を捕えると彼女は窓の外を見ながら走っている。その視線を追うように外へ目をやれば第3倉庫の横に人影が見えた。
「ッ!あそこか…って…」
目標地点が分かった途端、窓を開ける音に気づき前を見やると那由多が枠に足をかけるところだった。まさか飛び降りる気か!?…と思った瞬間、彼女の瞳が光ったように思える。一瞬呆気に取られたがそれよりも窓の外へと飛び出すその姿に、全身から一気に汗が噴き出した。
「〜ッこちらライル!目標は第3倉庫にあり!!」
震える手でスイッチに指をかけマイクに向かって叫ぶと、那由多が飛び出した窓へと駆け寄る。空中に放物線を描き落下していく那由多を確認しつつ、ライルは矢を取り出すと弓を構えるや否や立て続けに2本放った。
* * * * *
「おいっ…どうしたんだよ?こいつ…」
「し、知らないわよっ」
「知らないと言っても…尋常ではないだろう?これ。」
押さえ込んだ時までは鋭い瞳の色もそのままに、嗜虐心を煽られていた男がうろたえ始めた。突然表情に変化が出たと思えば絶叫ともいえる悲鳴。青ざめる顔に焦点の合っていない紅い瞳が際立つ。がたがたと震える体は痙攣を起こしているようだった。
「どうする?…コレ…」
「どう…するって…」
明らかに様子のおかしい刹那に焦り始めていると、何かが風を切る音に気付いた。顔を見合わせると足元に矢が二本突き刺さる。思わず後ずされば辺りが暗くなっている事に気付き空を振り仰げば、人の形が…
「「ッ!!!!??」」
重々しい音とともに地面へと着地したのは…黒い髪…蜂蜜色の肌…軍服のようなジャケットに身を包み、ミニスカートにスパッツとロングブーツを合わせた人物…那由多だ。
ゆらりと顔を上げられる…と…黒髪の隙間からぼやりと光が垣間見えた。息を呑む間にも顔は上げられ…
金色に輝く瞳が二人を射竦める…
「ひっ!!」
「ッ!?」
無表情の中に輝く瞳はまるで肉食獣を思わせる鋭さを持っており…じゃりっ…と土を蹴った途端、男のすぐ目の前まで移動してきていた。繰り出される拳を間一髪で避けはしたが、バランスを崩して倒れてしまう。
「あ…あ…あ…ッ!」
すぅっと動く瞳にまともな言葉すら出てこない。ぴたりとその瞳が相手を捕らえると再び拳が振りおろされた。
「那由多ッ!!!」
名前を呼ばれた瞬間、びくりと肩が跳ねた。けれど下ろされる拳の勢いは衰える事なく落ちていく。
「ぃやぁ!!!」
ごつ…と鈍い音に思わず目を覆い、叫んでしまう。恐怖のままにそろりと指の隙間から覗き見ると、那由多の拳は頭にめり込むことなく…すぐ横の地面へと落されていた。震える手をゆっくりと下ろしていくと…その拳を中心に地面がめり込んでいた。
「ひっ…ぃ…ぃ…」
男も声を出すことすらままならず、かちかちと鳴らされる歯の音とともに小さな悲鳴を口から切れ切れに吐き出していた。
「那由多、そこまででいい。」
静かに…良く響く声が発せられる。俯いた那由多の顔がゆっくりと上げられると、輝いていた瞳はいつもの紅い瞳に戻っていた。ゆらりと立ち上がるも、腰を抜かしてしまったのか二人とも今の体勢から変える事が出来ないでいる。
「…初めまして…いや?お久しぶり、と言った方が正しいかな?」
「なっ…なにの事よ…」
「こちらが君達の事を把握できていないとでも思ってたかい?」
「元風紀員、ヒリング・ケア、ディヴァイン・ノヴァ…否、元風紀員候補、と言った方が正しいか。」
「…ティエリアっ…」
ニールとヨハンが優雅に歩み寄っていく後ろから姿を表わしたのはティエリアだった。小脇に一抱えの書類を持ち、眼鏡をついっと挙げつつ見下ろしてきている。
首謀者は推測した通り、風紀員から下ろされた2人組。
元はヴェーダによって候補として上げられていただけであり、決定ではなかった。確定済の役員と顔合わせをして可否を決めるのだが…悉く逃げ回っていたのだ。なにせ、この2人は他の役員と仲良くするつもりも協力し合うつもりもなく…ただ目立てるという優越感と一生徒には持てない権限が欲しかっただけ。しかし、学園行事も始まる時期になっても役員に空席があるのはまずい…ということもあって、刹那と那由多が転入してこなければこの2人に仮として勤めてもらうことになっていたのだ。
刹那と那由多が学園に来た途端、ヴェーダが新たに役員の名を弾き出したことを知らない二人は、自分達が役員であるとばかり思い込んでいた。そんな二人を余所に時間は経ち、球技大会の決起会が行われることになる。新役員が決まっていなかったことから前役員が取り仕切る事になっていたのだが…開始早々告げられたのは新役員のお披露目。近々作られた正装衣装とともにピンバッチを手に入れるのだと思っていた二人にとって驚愕の出来事だ。
唖然としている間にも、新たに選ばれた二人は歓声に包まれる。
自分達の居場所を奪ったやつ…その意識の中で日頃から姿を追うようになれば…あの気難しげなティエリアや、人の好き嫌いがはっきりしているネーナも含め…楽しげに過ごしている姿が嫌でも目に付いた。
…普段ではまったく接触のない高等部のメンバーとも…
…妬ましい限りだった。
何か引きずり落とせる方法を…学園から追い出す方法を…
そんな時に気づいたのが、ロックオン…ニールの酔狂的なファンの女生徒だ。よくニールに構われている刹那の存在が目障りでならないらしい。何かしら嫌がらせを思いついてはどう実行するのか話している姿もちらちら見たことがある。
決定的だったのは体育の時。手元が狂っただのと言い繕ってボールを刹那目掛けて飛ばしていたのだ。その彼女達を利用して嫌がらせのグレードを上げさせていた。
それでも全くめげる様子のない刹那に次第に苛立ちはピークに達する。階段から突き落としたり、校舎から物を落としたりして事故に見せかけようとしたが全く功を奏さない。
最終手段として取ったのが…今回の呼び出しだった。
リスクは高いが、確実に刹那を傷つけられるし、巧くいけば助けに来たメンバーを何人か陥れることが出来るだろう。
高まる期待を胸に刹那が一人姿を現した瞬間、暗い悦びが体中を満たしたのだった。
「先に言っとくけど言い逃れなんてできないわよ?」
ティエリアに続いて出てきたのはネーナだ。勝ち誇った笑みを浮かべる彼女をヒリングは睨みつける。
「校内に設置されていたカメラの位置をすべて把握出来ていたことについては褒めておこう。」
「でも新しく設置されたものまでは分からなかったみたいね?」
そういって取り出したのは先ほどみんなで見ていた画像を引きのばしてプリントアウトしたものだ。小さく分かりにくかったものを必要部分だけ切り出して拡大されてある。その為、はっきりと顔が確認できる上、表情までも鮮明に描き出されてあった。
「…っく…!」
それでも何とか逃げ果せ様と腰を浮かしたディヴァインは隠し持っていたナイフを取り出すと一目散に駆け出し振り回した。けれど切っ先が誰かを切り刻むよりも先にその手から矢がナイフを弾き飛ばす。指先に走る痺れに怯んだ一瞬の内に、ニールが手に持っていた杖が腕を絡め取り地面へと沈めてしまった。
「ッぐぅ!!?」
どしゃっ…と派手な音を立てて這いつくばる状態にされた彼は目の前に突き刺さるナイフに尚も手を伸ばそうとする。しかしその指が届くより先に彼の膝へ激痛が走った。
「ぐぁああああああぁぁぁッ!!!!!」
その悲痛な叫び声にヒリングがびくりと震えあがる。みしり…と音が鳴るのではないかと思うほどにめり込んでいたのは、ニールのブーツだ。
「ッ、ッ、ッ!!!」
「あぁ、こんなとこに足があったんだ…気付かなかったなぁ?」
涼やかな声音とともに浮かべられる笑顔はとても綺麗だった…底光りを宿す碧の瞳を除けば…
痛みにのた打ち回るディヴァインを恐怖に震えながら見ていると、じゃり…っと音がしてそろりと見上げれば弓を携えたライルがいた。矢筒に入った矢と地面に突き刺さる矢の羽が全く同じところからどうやら放ったのは全てライルのようだ、と推測できる。
その彼女はニールと相反して笑顔は浮かべず、能面のごとく無表情だった。普段にこにこと穏やかなイメージがあるだけにこの変化は恐怖をさらに駆り立てる。
「このナイフは証拠品として預からせて頂きます。」
「目撃証人もここにいるしな。」
「ふむ、しかと見たりっ!!」
ヨハンが取り出したハンカチでナイフを拾っていると新たな人物が合流してきた。生徒指導室の責任者でもあるカティ・マネキンと先ほど彼女を呼びに行くと言っていたグラハムだ。
「ディランディ、そのくらいで解放しろ。」
「…まだまだ軽いと思いますけど?」
「ッぅああ!!!」
カティの言葉が不服だと言う代わりにニールは踏みつけた足を捩じる様に動かす。すると再び悲痛な叫び声が発せられた。
「歩かせるのに支障が出ると言っているんだ。」
「…なるほどね。」
ため息交じりの言葉にニールは渋々といった様子で足をどかせた。すると、ようやく足を解放されたディヴァインの前にグラハムが仁王立ちになる。
「立ちたまえ!」
腕組をしてふんぞり返った状態で言われると少々迫力に欠けるが…彼を纏う覇気が反抗する気力を奪い去っていた。よろりと立ち上がる彼の腕を掴むとグラハムはそのまま校舎へと向かっていく。痛みに足を引きずっているようだが、お構いなしに…半ば引き摺るような状態で去って行ってしまった。
「…っ…っ…!」
連れていかれたディヴァインの背中をかたかたと震えながら見ていたヒリングは、入れ替わるようにして歩いてきたフェルトの姿に気づいた。
「ッフェルト!」
助けを求めるように手を伸ばして必死に名前を叫びあげる。その彼女をフェルトは表情を変えることなく見つめ返した。
「助けてっ…助けてフェルトっ…」
ずりずりと這うようにフェルトの足元まで来た彼女は震える腕で縋りついた。青褪めた顔で涙を浮かべながら救いの手が下ろされるのを待ち続ける。
「同じクラスだったでしょ!?一緒に遊んだりもした友達じゃないっ!」
「あー…確か…初等部の頃同じクラスなんだっけ?フェルト。」
「ん、6年間同じだった。」
ライルの言葉にこくりと頷いたフェルトの下でヒリングが安堵からか笑顔を浮かべている。けれど青褪めた顔色も怯えた色を宿した瞳もそのままで、笑顔というには少々違ったものになっていた。
「そうよね!覚えてるわよね!」
「うん、でも…人を傷つける人と友達になった覚えはない。」
「…え?…ッいゃあ!?」
吐き出されたフェルトの言葉に唖然としていると、おもむろに持っていたペットボトルの中身を頭の上からかけられてしまった。ばしゃばしゃとかかる水から逃げるように離れていく彼女をフェルトは静かに見下ろしている。
「刹那にって…持ってきたけど…使えて良かった。」
「なっ何するのよ!?」
「6年の時…こうしてくれたから…そのお返しに。」
「はぁ?!」
「ごめんね?雑巾が入ってなくて。」
「ッ!!!」
こてん、と首を傾げるフェルトにヒリングは絶句してしまった。ほとんど無表情に近くおっとりと穏やかな雰囲気を受ける顔が…今は酷く脅迫じみた恐ろしさを醸し出している。静かに侵食してくる毒のように…じわりと伝わる怒りの気配が手足から血の気を引かせてかたかたと震えさせた。
「うちの姫さんにオイタしてくれた礼はきっちりさせてもらうぜ。」
「ッ…」
びくりと震えて見上げた先のその笑顔はすぅっと気温が下がり、体の芯が震えるまでに凍えるものだった。それは表情のみに留まらず声音にも出ていたらしく聞かされた当人は顔色を真っ青にしてただただ見上げることしか出来ていない。そんなニールを回りも止めることなく、ゆっくりと近づいていくその歩みを止めるものもいない。すっと屈み視線の高さを合わせると顔を反らせないように顎を掴み上げるとその見開かれた瞳に己の瞳の炎を焼き付けるように覗き込む。
「退学だけで済まされると思うな。」
「…え?…」
「処罰が言い渡される日を楽しみにしてるんだな。刹那が受けた以上の苦しみをプレゼントしてやる。」
「…ぁ…ぁ…」
「せいぜい心が壊れないようにな?」
最後に酷薄な笑みを浮かべて手を放すと黙って見ていたカティが腰の抜けたままのヒリングを無理矢理立たせて連れて行ってしまった。その後姿が校舎に隠れてしまうと那由多は一目散に刹那の元へ走り寄る。
拘束から逃れられた刹那だが、その場の雰囲気と卑劣な手段を講じていた事から何が起こっていたかなど容易く予想できてしまう。それは刹那の精神にとって致命傷を容易く負わせる事の出来る方法であり、ありきたりの方法であっても最悪のパターンだった。
そしてその最悪のパターンに陥った証拠に刹那の着ていた体操服は無残にも切り裂かれて切れ端が転々と落ちている。さらにあちらこちらに泥で汚れたあとや引きずった痕があることから、刹那がただただ恐怖に流されていたのではない事を知らされた。
刹那はちゃんと、一人で、必ず助けが来る事を信じて戦っていたのだ。
なのにその結果が『この状態』だなんてあんまり過ぎる…それがこの場にいるメンバーの想い…
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