「そんなに落ち込んでいるのね」
―こくん
「相手の手を払ってしまったことに」
―こくん

あれから保健室に連れられ足の消毒をしてもらったのだが、何故か教室には戻らせてもらえず…そのまま話し込んでしまっている。とはいえ、喋らされたようなものだが。
マリナは刹那がこの学園に来る機会を与えてくれた人間だった。いわゆる恩人といった立ち位置であり、そんな相手に色々聞かれては無下にすることも出来ず、刹那はぽつぽつと事のあらましを話した。
両手に包み込んだホットミルクの入ったマグカップは少し温くなり、猫舌な刹那でもすぐに飲めるほどになっていた。途端にしんっと静まりかえる室内…けれども決して居心地が悪いわけではなく、穏やかに感じるのはきっと目の前にマリナが座っているからだろう。

「…それに…」
「うん?」
「…握手しようと差し出された手も無視してしまった…」

しょんぼりと、きっと猫ならば耳と尻尾がぺたんと下りてしまっているだろうその様子にマリナは微笑みを浮かべる。
刹那は人が傷ついている気配に敏感だ。けれど、そうと分かっていながらも言葉を添える事も出来ず、その上無表情なので誤解を受けやすい。しかし、その不器用さの下に隠された素のままの刹那は人一倍優しい。ただ優しさをどう表現するのかが分からないのだ。
だから一度理解してもらった相手は刹那の不器用さにいとおしさを感じる。
今のマリナのように。

「ねぇ、刹那。その相手にはもう会うチャンスはないの?」
「…フェルトが仲良くしていた」
「じゃあ、会えるように頼んで少しお話ししてみたら?」
「…話?」

マリナの提案に刹那は首を傾げてみせた。人付き合いの苦手な刹那には会って何をするかなど、まったく見当がついていない。ましてや話をするなど、何を話せばいいのやら…そんな困り果てた顔をしている。

「そう。『触れられるのは苦手だ』って。それだけでいいの。」
「…それだけでいいのか?」

ますます曇っていく表情にマリナは苦笑を浮かべた。
「大丈夫よ」と安心するように告げると一限目の授業が終了する鐘の音が響いた。



一方ニールは昼休みにライルとアレルヤに屋上へ誘われ朝の事を話せば、「女の子に拒絶されたのがショックだったんじゃないですか?」と納得の出来る言葉をもらって、落ち着きをみせた。それでもまだライルは何か考えているようだったが、それを話すことはなかった。

 * * * * *

あっという間に授業は終わり、下校時間に突入する。部活もテスト前ということで活動はしていない。
ライルはアニューと帰り、ニールは晩御飯の買い出しをしようといつもと違う道を歩いていた。

「今晩は何にすっかな…ビーフシチューは昨日したしな…ニョッキでもいいけど…パスタあったな。ホイールトマトもこの前買ってあるし…ミートスパでいいか。」

献立を決定したと同時に曲がり角を曲がる。と…

「ッ!」
「おわッ!?」

曲がった途端、人にぶつかってしまった。しかも相手は小柄なので飛ばしてしまったらしい。

「悪い!…って…刹那・F・セイエイ?」

地面で蹲っているのは、朝、中等部の校門前で出会った黒髪の少女だ。下を向いたままだが、同じデザインの制服に癖の持った黒髪と蜂蜜色の肌で見分けがついてしまう。ほとんど無意識に口から滑り落ちた名前にしっかり反応して顔を上げてくれた。

「いた」
「へ?板?」
「違う。あんたがいた」
「俺がいた?」

なんのことやらさっぱり分からないニールを余所に刹那はさっと立ち上がるとパタパタと制服を叩きホコリを払う。未だに首を傾げたままのニールを上目遣いに見上げると、淡々と言葉を並べ始めた。

「ロックオン・ストラトス。フェルトからあんたが帰りに夕飯の買出しに行くと聞いた。スーパーまで行ったがいなかった。」
「スーパーまで?!」
「だから学園に向かって戻ってきたら、ここにいた」

ニールの頭の中で時計が浮かび上がった。学園からスーパーまで、それなりに距離がある。それを彼女は今行って戻ってきたという。ざっと計算してみるが…かなり早い…朝のあの身体能力を考えばあり得なくはないが…何故そこまでして探していたのか…新たな疑問を呼んだ。

「どうしてまた…そこまでして俺を探してたんだ?」
「…今朝のこと…話したかった」

じっと表情を伺っていると僅かではあるが、気落ちしている雰囲気が感じられた。今も目を合わせるわけでもなく、不自然に反らされたままだ。

「今朝ってことは…」
「握手をしなかったことと手を払ったこと」

またも淡々と告げられる言葉。今度は正面から真っ直ぐに見上げてきている。そこでニールは気付いた。彼女は照れ屋であるが、伝えたいことは真っ直ぐにぶつけてくるのだと。

「あぁ、うん、あれな」

手を払ったことというのは安易に予想はついたが、握手の方まで入っているとは思わず言葉に詰まりかける。そんなことをおくびにも出さず先を促した。が、今度は刹那が言葉に詰まっている。よくよく見ていると眉間にシワも寄ってきた。

「俺は…」
「あ、あぁ…」
「…人…に…ふれ…」
「あ、そういうこと」
「?!」

なんとか途中まで言葉が出たところでニールが手を叩いた。その音にびくりと肩を揺らせば満面の笑みを向けられる。ぱちくりと目を見張れば落ち着きのある声音でゆっくりと囁かれた。

「人に触られるの怖いんだろ?」

刹那の瞳が見開かれる。
マリナにも回りにも『苦手』としか言っていなかったが、それでも納得してくれていた。『触られるのが怖い』なんて言えば、それこそ腫れ物のような扱いをされるかもしれない、ましてや、今のように外へは出ない方がいい、とまで言われそうで言えなかったのだ。みんなが自分を安じてくれるのは嬉しいが、刹那は今のままではダメだと常々考えている。マリナの為にも変わらねばならないと…その為に『苦手』だと偽っていたのに、目の前の女性はあっさりと『怖い』のだと見抜いてしまった。
子首を傾げて確認を促す相手に刹那はこくん、と小さく頷いた。

「そっか、じゃあ悪いことしたな。あん時、急に手を伸ばされて怖かったろ?ごめんな?」

言葉は軽い調子だが、声音はひどく優しく、表情は後悔の色を伺える。小さく首を横に振ればふわりとした笑顔をかえされた。
言葉がすらすら出る彼女に対して自分の言葉が拙くて焦れてしまう。表情の柔らかさも自分にはない。あまりにも対照的な彼女から、刹那は目を離せないでいた。

「あー…俺、これから夕飯の買い出しに行くんだけど…一緒に来ないか?」
「…」

てっきり別れの挨拶が来るものだと思っていたら、はにかむような笑みと共に全く正反対な言葉をかけられた。意外な展開に刹那はきょとんと見上げるばかりだ。
一方、ニールの心中は穏やかではなかった。自ら発した言葉のはずだが、どうしようか?とぐるぐる悩んでいたのだ。単にこのまま別れるのがどことなく寂しく思えて言ってみたのだが、よくよく考えると自分の行動に振り回しているのではないか、と冷や汗が吹き出してきている。けれど、はやりここで別れるのは嫌だった。

「またスーパーに逆戻りになっちまうけど…どうかな?」
「………………行く…」

しばしの間を置いてこくりと振られた頭にニールの表情が動く。それはとても嬉しそうに、楽しそうに輝いた笑みだった。



スーパーへの往復の間に、色々と話し、さらに問いかければぽつりぽつりと返してくれた。なんだか気難し屋の猫を手懐けた気分でニールの顔はさらに緩んでいる。
とりあえず、色々聞いた結果、中東の出身であり、自分と同じで妹がいること、マリナ先生を慕っていることが分かった。ちなみに、妹はこの国に来た時インフルエンザを患ってしまい、編入が遅れているらしい。僅かに動く表情から妹を大切にしているのがありありと伝わり、どこの国でも同じなんだな、と喜んでしまった。
スーパーからの帰り道は刹那を気遣って住宅街を選んだ。その選択は正しかったらしく、夕暮れの路地は人気が少ない。
始終ニコニコて話し続けるニールを見上げ、刹那は違和感を見出だした。朝の時と今はどこか笑顔が違うように思う。あまりじっとは見れないから『多分』という言葉が付くが。
なんだろう?…とチラチラ見ていたら不意にニールの表情が険しくなった。

「刹那…ちょい我慢してくれ」
「?!」

ニールが急に体の向きを変えたと思うと不意に近づいてきた。反射的に一歩下がると背中に壁が付いた。その壁と横の電柱にニールの手が添えられたことで、刹那はその場に閉じ込められることになる。途端にぎしりと軋む様に体が動かなくなる。次いで体が震えだしそうになった時、鼻腔にふわりと甘い香りが漂った。

「もうちょい辛抱な?」

頭の上からニールの声がする。しかし、その声を思考の端に留めながら刹那は違う事に気を取られていた。
更に近づいてきた目の前のブラウスから漂う香りに思考がぼんやりとし出した。僅かな距離から感じられる相手の温度が心地よい。うっとりと瞳を細めると目の前が真っ白に染まった。

「ッ!?」
「悪ぃな、姉ちゃん!」
「いやいや、ご苦労様です」

ニールの声を間近に聞きながら刹那は思考停止してしまっている。だが、そんなことに気付かずニールは路地をすれすれで通っていくトラックの運転手と言葉を交わしていた。低いエンジン音を響かせながらゆっくりと通り過ぎていく車体を見送ってようやく刹那へと意識を戻す。

「窮屈だったろ?大丈夫かせつ…な…って…」
「〜〜〜ッ!!」
「すまん!刹那!大丈夫か!!?」

トラックから庇うことだけに気を取られていた結果自分より小さな刹那を思い切り押しつぶしてしまっていた事に気付かされた。慌てて両肩を掴むと俯き加減になった顔を覗き込む。するとそこにはきょとんとした表情をした刹那がぼんやりとニールを見つめ返していた。その意外な反応にニールは首を傾げる。

「…刹那?」
「…いい香りがして…」
「うん?」
「あたたかくて…柔らかくて……びっくりした…」
「……え??」

ぽつりぽつりとまるで独り言のように呟かれる言葉に今度はニールが思考を停止させる番だった。

−いい香り…コレは多分愛用してるミストの香りだろう…
 あたたかい…は…近いから人肌とか体温が感じられただろうし…
 柔らかい???

そこまで考えてふと身長差を思い浮かべた。刹那の身長はニールの胸元までしかない。という事はさっきまでの体勢を考えるとちょうど顔が自分の胸に埋まってしまうことになる。つまり…

「柔らかい…って…俺の胸のこと?」
「ッ!!!」

確認の為に口にしただけだったのだが、言葉にした途端ぼわっと音がしそうなくらいに顔が真っ赤に染まった。刹那の反応にニールは思わず笑みを刻む。その笑みは明らかに悪戯を企んでいるもので、ずいっと顔を近づけると目に見えて焦り始めた。

「なになに?そんなに気持ちよかった?」
「きッ?!」
「なんだったらもっと触っていいんだぞ?」
「なっ!」
「別に照れなくていいんだぜ?女同士なんだし、全然気にしないし」
「ふっふざけるな!誰がッ」
「お。」
「あ。」

近づいてきたニールを遠ざけようと両腕を思い切り突っ張るまでは良い…が…手の位置がニールの両胸を思い切り押している状態になってしまった。事故といえる行動に二人の時間が止まってしまう。僅かの差で正気に戻り声にならない声を上げた刹那が再び顔を真っ赤に染め上げ両手をばっと上空に突き出した。あまりのカワイさにニールは思わず刹那を抱きしめる。

「ッかっわいいなぁ〜、もう〜」
「うるさい!黙れ!!」
「…あ。」
「な、なんだ?」

うりうりと頬擦りまでしていたニールがふと思いついたように声を上げた。あまりにすっとんきょうな声音だったので、刹那もつい抵抗を忘れてしまう。

「や、あの…大丈夫なのか?刹那は」
「何がだ?」

主語の見えない問いかけに首を傾げるばかりだ。そんな刹那に対してニールは困り果てたような笑みを浮かべてそっと腕を放す。途端に離れていってしまった熱に不満を感じ、刹那は眉間にシワを刻んだ。

「何?」
「や、だって…触られるの怖いんだろ?」

恐る恐るというふうに両手を掲げたまま腕を離していった。所謂、降参のポーズだ。
さっきまではあまりの可愛さに夢中になってしまったのだが、ふと我に帰ればとんでもないことをしていると気付いた。相手は今朝悲痛な叫びをあげる程に人との接触を怖れている。なのに、お触りどころか、しっかり抱きついた上に頬擦りまでしてしまった。
今更だが、これ以上刺激を与えないようにゆっくり解放したのだ。…………が…

「……………え?」
「『え?』?」

当事者がきょとんと不思議そうな表情をしている。しばらく見守っていると、ふと両手を見つめだした。またしばらくそのままでいると今度はじっと顔を見上げてくる。そうしてまたしばらくそのままで止まってしまった。
どうしたものかと悩んでいると刹那の手がそろそろと伸びてきた。それでも動かずにいると、伸びてきた手はニールの手を掴んでくる。まるで確かめるようにきゅっと握っては形を指先でなぞる。最後にはぎゅっと握ったまま動かなくなってしまった。

「………」
「………大丈夫なのか?」
「………問題…ない…」

そう言う本人が不思議そうにしているのだが、その表情はどこか嬉しそうに見える。
試しに少し遠ざけるような素振りをすれば、逃がすまいと握ってくる力が強くなる。逆に握り返してみると一瞬強ばったがすぐに元通りになった。そんな行動にニールの顔が弛んでしまう。

「手…繋いだまま帰ろうか?」
「…………ん」

 * * * * *

一方的な会話は続いているものの、行きの道のりで僅かに開いていた二人の距離は、帰りでは打って変わってぴったりと寄り添うようにくっついている。とはいえ、明らかにニールの顔は嬉しくてならないと言わんばかりに微笑み、対する刹那は恥ずかしさと手放したくない気持ちで俯き加減になっていた。

「そういや、刹那も寮なのか?」
「…トレミー第2棟」
「え!?マジで!俺も同じ。」
「…本当か?」
「おう。じゃ、このまま一緒に帰れるんだな。」
「………ん。」
「ん?第2棟は個室はないよな…妹も一緒?」
「あぁ、もうすぐ来る」
「へー…楽しみだな、刹那の妹。歳は離れてんの?」
「いや、双子だから」
「え!?じゃあ刹那がもう一人いるような感じになるのか!うわー…刹那とそっくりなら可愛いんだろうなぁ…」
「あいつの方が可愛い」
「刹那だって可愛いじゃん」
「………あんたの目はおかしい。」
「そんなことないって…って」

ようやく振り向いてくれた顔は見事なしかめっ面だった。それを残念と思いつつも自分の『可愛い』発言をすげなく切り落とされたことに抗議をしかける。が、寮の入り口に見知った姿を見つけた。

「ライル?」
「あ……」

入り口の横で何やら話しているようだが、こちらからは後ろ姿しか見えない。けれど、自分と同じ容姿のライルを間違えるわけがない。その後ろ姿の横に座り込んでいる女の子が見えた。
大きめの旅行カバンを横に置き、キャスケットを目深にかぶっている。丈の長いシャツにデギンスを履き、キャスケットの下からはみ出す黒髪はウェーブを描いていた。
誰だろう?と疑問符を浮かべていると横から声が上がる。それと同時に下を向いていた女の子がぱっと立ち上がった。

「那由多」
「なゆた?」
「俺の妹だ。」

那由多の変化に気付いたライルがこちらを振り返る。ちょっと驚いた顔をしたがすぐに戻った。その反応に首を傾げつつ二人は近づいていく。

「何かあったのか?」
「その質問、そっくりそのまま返すよ」
「へ?」

複雑な顔をしたライルの視線が下に下がる。ついでに横の那由多の視線も同じくらいの位置を向いているらしかった。二人の視線を不思議に思ったニールと刹那は共に視線の先を辿る。それはしっかり繋いだ手の辺りだと判明した。
視線の先を確認すべく繋いだ手をひょいと持ち上げ、首を傾げるとこっくりと頷いた。

「羨ましかろう?」
「ッ!!?」

持ち上げた手にちゅっと口付けながらにっこり笑うと隣で刹那が声にならない叫び声を上げたようだった。次いで必死に手を振り払おうとするがどうも本気では払えないらしく、悪戯の延長として益々強く握り締めて唇を添えると顔だけではなく耳までも真っ赤に染まっていく。そんな二人の状況にライルはふとため息をついて見せた。

「あぁ…なるほど。手懐けたわけね。」
「もちっと他の言い方はないわけ?」
「間違いじゃないでしょ?」
「うーん…そうなるのかな?やっぱり」

ぐぐーっと必死に繋がれた手をニールから引き離している刹那を余所に双子はのほほんと会話を繰り広げる。そんな事を繰り広げていると突然ぐらりとニールの体が傾いた。不思議に思い視線を下げると背伸びをしてニールの首元に抱きついている那由多がいる。

「ど…どした?」
「………」

突然の事に目を丸くするディランディ兄弟を余所に刹那は那由多と視線を絡めるとこくりと小さく頷いて見せた。

「…那由多はあんたの事が気にいったらしい。」
「へ?」
「……モテモテだな、姉さん」
「あ?…あぁ…まぁ…ハーレム状態だわな」

困惑を隠せない顔をしながらも抱きついてきている那由多の背にそっと手を回している。そうして背伸びして凭れかかっているのを補助しているのだ。
そんなニールをライルは複雑な表情で眺めていた。そしてそのライルを刹那が不思議そうに眺めているのに気付いていない。

「とりあえず、いつまでもこんなとこにいるのもなんだし、中に入らね?」
「そうだな」
「…了解」

入り口付近でいつまでも立ち話をするのは気が引けるといったライルの進言によりようやくその場の空気が動き出した。四人してエントランスをくぐりエレベータの前で降りてくるのを待つ。その時ふと気付いたようにライルが話題を振ってきた。

「そういや…この寮に新しく住人が来たみたいなんだ」
「へぇ?この時期にか?珍しい。」
「ちなみに俺らの隣の部屋。」
「んじゃ後で挨拶に行くか。」
「で?おたくらは何階なんだ?」
「…同じ」
「え?マジでか。何号室だ?」
「角の部屋。」
「角って…俺らの隣じゃん」

その事実に4対の瞳が驚きの視線を絡ませあう。そうかそうか…と呟くように頷いているとエレベーターが下りてきた。
目的の階に着いたのでぞろぞろと下りれば那由多がきょろきょろと興味深く周りを見回し始めた。まるで自分のテリトリを確認するようなその仕草は警戒心の強い仔猫のようでディランディ姉妹は顔を見合わせて小さく笑い合う。お互い部屋の前まで来ると二人が刹那達を振り返った。

「朝って何時くらいに出る?」
「一緒に登校しようぜ?」
「え…と…八時少し過ぎ…」
「同じくらいだな。」
「よし、んじゃ、明日!」
「あ…あぁ」

曖昧に頷くと2人は満面の笑みを残して扉の向こうへと消えていった。その姿をじっと見ていた刹那のジャケットをおずおずと那由多が引っ張ると、二人も部屋の中へ入っていく。







「…刹那」
「なんだ?」
「学園はどうだ?」

制服から私服へと着替えた刹那と、自分の荷物を与えられた部屋に運び終えた那由多がキッチンに並んで立ち夕食の準備を始めている。那由多が刻み終えた野菜を刹那が持つフライパンへと投入しながらぽつりと話しかけてきた。
那由多は本来刹那と一緒に転入してくる予定だったが、インフルエンザにかかり先日まで隔離病棟にいたのだ。幼少の頃からいつも傍にいたのに一週間ほどとはいえ離れていた。那由多にしては自分がいなかった間刹那がどうしていたのかが気になって仕方ないのだ。そんな彼女の心を感じたのか刹那はふと頬を弛めるとフライパンを忙しなく動かしながら話し始める。

「楽しい…んだと…思う」
「…楽しい?」
「友達と呼べる存在が出来て…毎日他愛のない話をして…微笑かけられる…」
「…うん…」
「勉学はまだ少し付いていけないが…そんな自分に『先生』は分かりやすいようにと説明を加えてくれたり、遠慮なく質問をするように、って…心がけてくれる…」
「…うん…」
「だから…友達だけじゃなく…勉強も楽しい…知らないたくさんの事をいっぱい知る事が出来る。」
「…そうか」

ぽつりぽつりと語られる言葉に那由多は耳を傾け、目の前の刹那の表情に釘付けになっていた。普通の子に比べて表情の変化に乏しい刹那だが、今目に見えて頬弛ませてうっすらと綻んだ笑顔を浮かべている。長年連れ添っている那由多だが、刹那のこんな表情は初めて見た。これはきっとマリナの言う『良い傾向』であり、喜ぶべきことだろう。けれどなぜだか置いてけぼりを喰らった気がして少し寂しい気もする。複雑な気持ちに陥り、那由多はまな板や包丁を手早く片付けることで誤魔化してしまった。
出来上がった料理を更に盛り付けると2人は各々食器や他のおかずなどを手にテーブルへ向かった。

「明日…」
「え?」
「明日、一緒に学校へ行ったら紹介する。」
「…うん」
「那由多も仲良くなるから。」

その言葉に那由多はぱちくりと目を瞬かせた。『きっと』という単語が付いていないし、きっぱりとした言い切りの言葉になっているのだ。なので刹那の中では那由多と友達が自分のように仲良くなるのは確定しているらしい。未だにふわりと淡い笑みを浮かべる刹那に那由多も頬を弛ませた。

「楽しみだ。」
「あぁ。」

2人は顔を見合わせて小さく笑うと合掌して食事に手をつけ始めた。


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