ようやく事態が収拾し、各々が自室へと戻っていった。皆の背中を見送り、最後にティエリアと別れて刹那は俯き気味に廊下を移動する。じんじんと痛む頬に冷却パットなどを当てた方がいいのだろうけれど、今さら方向転換する気にもなれず腫れた頬のまま部屋に戻った刹那はすでに戻っていたニールに迎えられた。
「あ〜あ……」
「………」
「ったく……相変わらず不器用だな。」
まさか刹那の部屋に来ているとは思わず、きょとりと瞬きを繰り返して見上げていると苦笑とともに頬を撫でられた。
羽が触れるように微かな感覚を感じるとともに温かな指先の気配がじわりと胸の中を熱くする。まるで金縛りにあったように動けずにいるとニールが手を引いてベッドに座るように誘導した。
刹那を座らせたニールが近くのデスクの上に用意したタオルを広げ始める。どうやら冷却パックを取ってこないと見越していたらしい。手際よく動く手をニールの背中越しに見つめてぽつりと囁いた。
「……ありがとう……」
「ん?」
「止めないでくれてありがとう。」
「そういうこと言うなよ。余計複雑な気分になる。」
「?複雑?」
「そりゃそうだろ。」
小さな声だったにも関わらず、ニールがちゃんと返事を返してくれたことに今度ははっきりとした声で応える。だが返ってきた苦笑の滲むその声に刹那は首を傾げた。
「ライルの気持ちもよく分かるし。お前さんが何を思ってやったかも分かる。」
「俺の考えてたことも分かったのか?」
「まぁね。」
タオルの中に冷却パックを包むと刹那の横に腰を下ろした。腫れている頬を指先でそっとなぞって不敵な笑みで顔を覗き込む。
「ライルを……『家族』を……失いたくなかったんだろ?」
「!」
ニールの言った言葉にピクリと体を跳ねさせると気まずげに視線を反らした。その行動はまさに図星をつかれたことを物語っており、思わず苦笑を浮かべてしまう。以前はまったく結婚するという事がどういうことに繋がるのか、またそれによって周りにどういう波紋を広げるのか分かっていなかった刹那が、ニールの弟ライルが自分の『義弟』という間柄になり、『家族』として繋がっていくことを理解し受け入れ始めているのだ。
そして『家族の一員』になっていたかもしれないアニューの存在もまた刹那にとって密かな喜びだっただろう。『家族』が皆、幸せになっていく……という波紋が広がるのを楽しみにしていただろうから。
それなのに……一番身近な家族になるライルの愛する人をその手にかけ、彼の幸せを摘み取ってしまった。
しかし、あの瞬間に選択肢はなかった。
アニューを撃たなければライルは生きて帰れなかったのは間違いない。
たとえライルの言うように彼女がこちらに戻ろうとしていたとしても、その時限りだったかもしれない。
刹那に残された選択肢は2つだけだった。
アニューを失うか……それとも……ライルを失うか。
この選択肢は2つに見せかけて刹那にとっては1つしかなかったかもしれない。
なぜなら、ライルを失えばニールが悲しむのだ。
家族という存在を大事にしていたニールを悲しませることを刹那が選ぶわけがなかった。そしてその事をニールも知っている。知っているからこそ、複雑なのだ。
ライルが恋人を失ってしまったこと。
ライルがいつか死ぬのならせめて彼女の手で殺されたいと願ったこと。
ライルに愛する人を失う苦しみを味あわせてしまったこと。
刹那にトリガーを引かせてしまったこと。
刹那に苦しい思いをさせてしまうこと。
刹那がまた一つ罪の枷を自分に取り付けたこと。
それらを自分も一緒に背負ってやれない遣る瀬無さ。
だからニールは止めなかった。
ライルに思いをぶつけられることを望む刹那を。
刹那に理不尽だと分かっていながらも感情をぶつけるライルを。
止めることなど…………出来なかったのだ。
それならばせめて互いの望むことをさせてやるしかなかった。
その歯がゆさが己への裁きでもあるように。
「……っ……」
「………」
腫れた頬にタオルを押し付けると冷たさのせいか、痛みのせいか肩を跳ねさせて刹那の表情を歪んだ。よくよく近くで見てみると口の端を少し切っているようだ。白いタオルに小さく赤い染みが広がっている。
しばらくあてがい続けてから温くなったタオルの面を変えるついでに頬の具合も確かめると、思ったよりも早く引いてくれたようで、赤みも治まりつつあった。青あざになるかと懸念していたがならずに済みそうだ。どうやらライルはただ怒りに任せて殴っていたのではないらしい。念のためともう一度タオルを押し当てていると逸らしたままだった刹那の瞳がゆるりと動き見つめてくる。
「……まだちょっと腫れてるように見えるがな。」
「……問題ない。」
無言の内に「もう大丈夫だから」という含みを読み取ると、あまりしつこくして嫌がられる前に手をどけた。もう少し当てた方がいいんじゃないかと思ったが、頬に触れた刹那が言い切ってしまったらどうしようもなかった。頬の痛みが引いたからか口の端に違和感を感じたらしくそっと指を滑らせて、傷に触れた瞬間またしかめっ面になる。ゆっくりと動かして指先に付いた血で切っていることを判断したらしく、小さく息を吐き出すだけに終わった。
その一連の動作を見守ったあと、洗面器にタオルを投げ出すと細い顎を捕らえて強引に上を向かせた。滲む血を舐め採るとすぐにくぐもった声が聞こえる。それを無視して唇に噛み付けば驚いたのか肩に添えられた手が跳ねた。押し返そうとする手を掴み取り静かにベッドへと押し倒して刹那に覆いかぶさると不思議そうな表情で見上げてくる。その顔に笑みを返すとそっと囁いた。
「な……刹那……俺の感情もぶつけていい?」
「……出来る限り酷く扱うなら構わない。」
* * * * *
まずはシャワーを浴びてくるように、と開放された。ただし出てくる時に一切何も身に着けるな、との指示付ではあるが。どうせまた汗塗れになるのだから、と簡単に洗い流して扉を開けると脱いだ服の類が一切ない代わりに、いつの間に持ってきたのかバスタオルが置かれていた。
どうやらちゃんと拭いてから来いという事らしい。彼らしい気遣いに思わず苦笑いが浮かんでくる。
「……ニール……」
体も髪もしっかりと拭き終えてからバスルームから出てくるとベッドの上に腰掛けたニールがじっとこちらを見ていた。恐らくバスタオルを運んでからずっとそのままでいたのだろう。
彼の指示通りタオルすら巻かず、身一つで出てきたのだが……想像していたよりも羞恥を煽られる。その上ニールの視線が全身を嘗め回しているようで居心地が悪い。思わず視線をずらすとおもむろに立ち上がる気配でぴくりと肩を跳ねさせてしまった。
「ここにおいで。」
そう言って指差されたのは彼の目の前だ。ほんの数歩の距離がとても長く感じる。顔を上げられずに……ひたひた……と裸足で歩み寄ると肩を掴まれて後ろ向きにされた。
「!」
「そのまま動くなよ。」
耳元で聞こえる声にこくりと頷くと小さく「いい子。」と囁き背後で動く気配がした。何をされるのだろう、と処刑を待つ罪人の気持ちでいると目の前が真っ暗になる。驚き思わず逃げかけたが、「動くな」と言われたのでぐっと我慢した。
「お前さんの目を見ると揺らぎそうになるからな。隠させてもらうぞ?」
「……了解……」
優しい彼らしい言い訳に小さく笑ってしまう。刹那としては気にせず彼の思うままに扱えばいいのに、とは思うが、ニールの性格や考え方を思うと難しいものなのかもしれない、と納得した。視覚が完全に真っ暗にされてしまうと羞恥がいくらか和らいでいることに気が付く。すると心にも余裕が出来てしまったのか、そういえば4年前にもこんな風に目隠しされたな、と考えている間に首へ何かを引っ掛けられた。視界を遮られ聴覚が敏感になると布擦れのような音がすると紐らしい感触が肌の上を滑りくっと前に引かれる。不意打ちのような引きに足がふらふらと歩いてしまった。視覚を封じられ前後の感覚が鈍くなっているせいか、足が縺れ倒れそうになったところを支えられる。
「しっかり立ってろ。」
体勢を直されるとまた指示を出されたので、今度は引っ張られても倒れはしなかった。しばらくの間肌の上を紐が右に左にと交差していたが、腕を後ろに引かれて縛り上げられる。目隠しに体の拘束。この後は弄られるだけか、と与えられる罰を思い描いていると体がふわりと浮いて柔らかな地面に下ろされる。肌に当たる布の感触から恐らくベッドの上だろう。床の上でいいのに、と些か物騒な事を考えてしまいつつも下りてくる手を待ち続けた。
「あとは……コレで終了。」
「なに?」
「お前さんが噛み付かないようにする道具。」
「……んむ……ぅ?」
唇に何かを押し付けられて素直に口を開くと丸いボールのようなものを含まされた。そのボールの横には紐かゴムがついているらしく彼の手が頭の後ろへと辿っていく。息苦しいのかと思えば穴が幾つか開いているのか、思った以上に空気を取り込めた。ただ、口を開いたままになるので上手くつばを飲み込まないと伝い落ちるだろうことに気付く。
「あー……失敗したな……ハロを連れてくるべきだった。」
「……ぁえ……?」
「こんなえろい光景になるならデータとして残したかったかな。」
「……〜……」
すんなりと答えた彼の声が僅かに掠れている事に顔がかっと熱くなる。酷く扱えと言ったのだからもっと言葉を無視するなり攻め立てるなりすればいい…などと普段では考えないようなことが頭を過ぎった。
「さ、準備も出来たことだし。始めますか。」
少しわざとらしくもあるが、開会宣言でもするように語り掛けると刹那はこっくりと頷いた。何をされたとしても受け入れるつもりなのだろう。
その彼女の意思にニールは苦笑を漏らす。
残念ながら刹那の求める事をしてやるつもりなど、ニールには一欠けらもない。何故なら、彼が望むことは……
……刹那が泣きじゃくる事だけだからだ。
刹那自身は最愛の女性を失ったライルへの償いと、未来の家族を失ったニールに対する贖罪として体罰を欲しているのだろう。けれど、仲間を、家族を失って悲しんでいるのは刹那も同じなのだ。愛する人を失う痛みも絶望も悲しみも刹那はよく知っている。何せそれを与えたのが他でもない、自分であるからこそ刹那には泣いて欲しいのだ。
失ってしまった存在を嘆いて欲しいのだ。決して内に仕舞いこんで、全ての罰をその身に受けてほしくはない。たとえ罪を償わなくてはならないのだとしても。せめて、泣くことくらいは許されるだろう。
しかし……この刹那がそう言い聞かせたところで素直に受け入れるとは到底思えない。だからこそのこの手段だった。姑息な手かもしれない。刹那の気持ちを踏み躙ることになるかもしれない。
……けれど……それでも………
刹那に涙を流して嘆いて欲しいと。
みんなと同じように。ひた隠しせずに悲しんで欲しいと。
刹那にだって悲しむ資格はあると分かってほしいと。
ニールは心から願うのだ。
届いて欲しい思いとともに、ニールはじっと横たわる刹那へと手を伸ばした。
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