「どうだ?苦しかったりしないか?」
「あぁ、問題ない。」
ベッドに転がり背中を見せる男の背に簡潔な言葉で返すと、彼は寝返りを打ってこちらを振り返った。部屋の明かりで煌く翡翠の瞳がじっと見上げてくる。のそりと起き上がり腕組をして感心した風な表情で一つ頷いた。
「すっげぇな…ここまで平らに出来るとは思わなかった。」
目の前に立つのはマイスター内最年少の刹那。つい先日彼…いや、彼女の隠し事を共有し、協力すると言い出したロックオンは仕入れた情報を元に試行すべく刹那の部屋を訪ねていた。何の試行かといえば…女性の大きな特徴となる胸の膨らみを隠す為の策だ。
この前刹那と2人で担った任務先で心強い助言を頂いた。
任務先で年齢的に遅い初潮を迎えた刹那は鈍い腹痛で情報収集中動けなくなった。それを隠すべく情報収集先で出会った老婦人の家を訪ね痛みが引くまで話相手をしていたのだ。そこに集合時間になっても来ない刹那を迎えに来たロックオンによって結局は明かしてしまうことになった。彼が来たことにより、張っていた気が緩み、痛みを訴え泣きじゃくるような事までしてしまった。そんな刹那を気遣ってくれた老婦人は家の中へ招き入れてくれ、痛みを緩和出来るようにと手を尽くしてくれた。
2人に見守られ眠りに落ちていった刹那はその後何があったか知らない。
…実は、刹那が寝た後、ロックオンはその老婦人と色々話しをしていくうちに、彼女が昔舞台女優だったことを知った。おっとりとした見た目に反して当時は男役を主に演じていたそうで、女性特有の体のラインである胸をどうやって隠していたかを教えてもらったのだった。
それが今刹那がつけている…コルセット。
普通は腰に巻きウェストラインを美しく見せるものであるが、胸を潰して平らに見せるのに丁度良く、サラシなどを巻くよりは断然簡単で伸縮布地なので呼吸も楽だと言う。物は試し…とさっそくロックオンが任務から帰還する途中に購入して刹那に試着させたのだ。
先人の知恵とは素晴らしいな…と曲線を描いていた胸が真っ直ぐになっているのを確認したロックオンが満足そうに頷いていた。
「もともと膨らみが少なかったんだ。おかしいことじゃない。」
「ん?…あー…そんなもんか…?」
素っ気無く返してコルセット以外は何も着けていない上体に黒のタンクトップを着る。じっと首回りや肩回りを確認すると、スポーツブラでは見えていた部分がちょうど隠れていた。どこで調べたのかは知らないが刹那にとってはありがたいことこの上ない。
−確かに…ロックオンの言うとおりだな…
ちょいとタンクトップを引っ張って中を覗き見るとスポーツブラでも完全に間っ平らにはなってくれなかったが、ロックオンが感心するほど本当に胸板のようにしか見えない。それがなんだか無償に腹立たしく思えてしまい思わず首を傾げてしまう。
「?…どうかしたのか?」
「…別に。」
「そうか??」
またも素っ気無く返して白の上着も羽織ってボタンを留め始めると、今度はロックオンの腕が伸びてきた。
「お前さんさぁ…」
「…何?」
ベッドに腰掛けたままに刹那を抱き寄せていつも見下ろす顔を今は見上げる形でじっと見つめる。突然抱き寄せられて驚いたのか指が中途半端に止まってしまった。それでも気にせずに腰と太ももの裏に腕を回して拘束するとさすがに焦るらしい、両肩に手をついて軽く押してくる。
「離せ。」
「イヤだ。」
「…何がしたい?」
「一つ確認したい。」
「…何?」
急に真剣な顔つきになったから驚いたのか…刹那は訝しげな表情をする。そんな彼女を見上げながらロックオンはこのところ気になり続けた疑問を直球でぶつけた。
「今月のもんきてる?」
「先週終わったところだ。」
ロックオンの言う『月のもん』というのを正確に理解して即応えれば訝しげな表情をされる。
「…なんだ?」
「お前さん、最近機嫌悪くないか?」
「そんなことはない。」
「そんなことあるね。」
「ない。」
「ある。」
「ない。」
「あ・る。」
「な…っ!」
「ほら。」
くだらない押し問答になり始めたがすぐにロックオンの指が刹那の唇に押し当てられて止められてしまった。むにっと押しながら蘇芳の瞳をじっと見上げると腕の中の体が身じろぎ出す。
「ちょっと前だったらこのくらいで眉間に皺なんか寄せてなかった。」
「………」
指摘を受けた刹那が思わず額に手を当ててむっとした表情をするからロックオンは小さく笑ってしまう。
「今更遅いっての。」
「!」
くすくすと笑いながら回した腕をずらして持ち上げると軽い体をぽん、とベッドへ放り投げる。衝撃に身を丸めたところに覆い被さればびっくりしたような表情が見上げてきた。
「ちゃんと答えるまでこのままだからな。」
−とはいえ…あんま長時間挑める体勢でもないがな…
内心苦笑を浮かべつつ、逃げないようにと肘を折って顔を近づければ明らかにうろたえ始める。押し返したいのか、距離を取りたいのか定かでない両手が胸板に添えられているのに思わず笑みが漏れてしまう。
目の前の少女は分かっていないだろう…
その小さな手が己の体に触れるだけでどれほど胸の内を熱くしているかなど…
こうして悪戯に密着するような体勢に持ち込んだ瞬間のその表情にどれだけ煽られるかなど…
その体を拘束して頭の先から爪先まで独占してしまいたい欲が疼いているのだなど…
そう…自分はこの少女を欲している。
凛として真っ直ぐに前を見据え、打ち立てた未来へと羽根を広げ勇ましく飛ぶ小さな天使。
その翼をもぎ取り自分だけのものだと所有の印を刻んでどこかに閉じ込めてしまいたいほどに。
けれどその『一線』は越えてはならない。
自分が『男』という部類に括られない為にも…
己の性に従い目の前の少女を汚さない為にも…
その美しい翼を失わない為にも…
だから…この醜い欲求を抑える為に今自分は彼女に問いただしているのだ。
彼女と自分の間に『知らない事』をこれ以上増やさないように…
「観念なさいな?」
まだ留められていない上着の間から見える鎖骨に舌なめずりしながらも胸の内を押さえ込んで、なかなか言葉を紡がない唇を指の腹でなぞる。胸元でぴくりと震える指先に獣の笑みを浮かべていることなど自覚せぬままに見つめ続けた。
目の前で微笑みを浮かべる男にいつか問いかけられる事は分かっていた。
それほどにこの男は自分の些細な変化にもすぐに気付いては何かと世話を焼きに来る。
そうなると自分はいとも簡単に陥落させられてしまうのだ。
今まさにその状況に持っていかれている。
「刹那?」
−…その表情のせいだ…
見下ろしている顔は天井から降り注ぐ灯りによって陰影を刻み、よく知る顔を全く知らない顔にしてしまう。表情は綺麗な笑みを象っているのに、その瞳にはゆらりと立ち上がる灼熱の炎が垣間見える。唇をなぞる指もするすると右へ左へと行き交っているだけなのに、革越しに感じる温かさがじわりと滲んできた。
この男は前から戯れにこうやって至近距離で顔を覗いてきていた。何かを隠している時は特に。近づいて息のかかる位置まできて釘付けにしてしまうのだ。
その瞬間にぞくりと背筋を走り抜ける感覚を知っている。
いや…正確には教えてもらった。
目の前で笑っている男に…
「…それは…」
「それは?」
『自分にだって分からない。』
そう言えばきっとあっさり『そうか。』といって頭を撫でるなりして離れるのだろう。そして自分はこの拘束から開放されるのだ。なのに…
「あんたのせいだ。」
「うん?」
口は全く違う事を呟いている。
「俺のせい?」
「そうだ。」
「…何かしたっけ?」
呟いた言葉は咄嗟に出たものではあるが、あながち間違いでもない。このところロックオンの視線を感じるだけでむずむずとするし、声を掛けられるとじわりと胸が温かいのに耳元で話しかけられると思わず殴りそうになる。彼が誰かといるのを見るだけで何故かムカムカするし、横にいるとそわそわとしてしまう。全くもって分からないことだらけだ。
わざわざそれらのことを感じる度に聞くのも気が引け…何より面倒で…どうせ今逃げられないのならそれを聞くのもいい。それに…
言葉に対して考え始めるロックオンはきっとこの体勢のままでいる事を忘れているのだろう。顔を僅かに横へ向けて視線をどこかへ彷徨わせ始めていた。けれど互いの体は密着したまま。刹那の手だって胸元に添えられたままだ。
「う〜ん?」
真剣に考え出したロックオンに刹那は知らず知らず口元に笑みを刻む。
重ね合わせた体温も自分に触れる指も離れていない。今この瞬間自分だけのものなのだ。
−…俺だけの…ロックオ…
「ッ!」
突然胸元に添えてあった刹那の手がぎゅっと服を握り締めたのに驚くとロックオンの視界がぐるりと回転していった。それがどういう状況かと理解する前に体が重力に従って落ちていくのが分かる。
「いッだぁ!」
どだんッ!と少々鈍い音を鳴らして床に落とされてしまったロックオンは涙目になりながらベッドの上に座った刹那の後ろ姿を見上げる。
「何すんだよ、刹那!」
「いつまでも乗っているからだ。重い。」
ばっさりと切り捨てれば下から…うー…と唸り声が聞こえてきた。そちらを見ることなく刹那は外れたままのボタンを留めていく。…が、指先が微かに震えて頬も熱いのが分かる。幸いな事と言えばロックオンからは見えないということではないだろうか?
「何か…したっけか…」
ボタンを留め終わってさっさと部屋から出ようと思っていたのに、のそりとベッドに上がってきたロックオンの腕の中へと閉じ込められてしまった。彼の長い足の間に体を挟まれ、腰と胸元を抱き寄せられれば腕ごと拘束されて先ほどのように投げることが叶わない。
「離せ。」
「ん?ダメに決まってんじゃん。」
「何故決まっている。」
「だって解明出来てない。」
しれっと言われると更に深く抱き寄せられて背中に温かい体が押し付けられる。移ってくる熱に胸が甘く疼き居た堪れなくなるが、心地いいのも確かなのでそのままでいいか、と思ってしまった。
「で?俺の何がお前さんの機嫌損ねてんの?」
「…今はない。」
「はい?」
「けれどたまにムカムカする。」
「…うん…?」
「それだけだ。」
明らかに言葉の足りない答えにロックオンは更に首を傾げる。何か糸口はないかと宙に視線を泳がせてぐるぐると考えてみるが一向に分からない。視線をもう一度刹那に戻すと彼女は完全に体をロックオンに委ねきっているらしく、胸元に寄りかかる重みが先ほどより少々増したようだ。
−『知らない事』を減らすどころか謎掛けをされたみたいだな…
天井をぼんやりと見上げて苦笑を浮かべた。
* * * * *
「………分からん…」
あれから結局何も分からず、食事の時間だからという理由で離れたのだが…ロックオンは食後滅多と吸わないタバコを吹かすべく展望室にきていた。自分が選んで持ち込んだ長ソファに寝そべって携帯灰皿を手に天井へ向かって紫煙を吐き出す。床にはオレンジ色の相棒がコロコロと意味もなく転がっていた。
頭の中では刹那の言葉を幾度となく繰り返し、何か繋がりはないか、とピースの足りないパズルを組み立てようと回転させている。けれどどれほど考えても分からないままだ。
「…ピースが足りねぇなぁ…」
「なんのピース?」
「あ…」
落ちそうになった灰を灰皿に落として再び咥えると無機質な天井しかなかった視界にひょこっと顔が入り込んできた。茶色の癖っ毛と豊満な胸ですぐにスメラギだと分かるが一瞬反応が遅れてしまう。
「誰かと思ったらロックオンだったの。」
「誰かって…誰と思ったんです?」
「ん〜…イアンとかかしら。」
「俺そんなに老けてませんけど。」
「違うわよ、タ・バ・コ。」
あまりにショックな間違われ方をされているようで思わずしかめっ面をすれば苦笑を返された。ちょいちょいと指差されたものを見れば今まさに咥えているタバコで…
「あなたも吸うのね?」
「そうですね…マイスターに加わってからは体力面を考えて吸ってなかったんですけどね。」
「吸わないといけないような悩み事?」
「…まぁ…そんなもんですかね。」
苦笑を浮かべながら上体を起こしてタバコを灰皿に押し付けた。
「別に吸っててもいいのよ?」
「いーえ。女性の前では吸わない事にしてるんで。」
「あら、そう?」
灰皿を胸ポケットにしまい込んで手持ち無沙汰になった手に相棒を抱えて膝の上で撫でてやる。犬や猫ではないが、目がちかちかと光り羽(耳?)がぱたぱたと動いてどうやら相手してもらえるのが嬉しいらしい。その光景に淡く笑みを浮かべながらスメラギは空いたソファに腰掛けた。
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ケダモノニールは書いてて楽しいです←
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