「……おい」
二週間ぶりに訪ねてきた叔父は部屋に入るなり、承太郎をソファーへと押し倒してきた。その唐突な行動に反応が遅れてしまったが故、為すがままになってしまったのが現状だ。
低い声で諌めてみても胸元に埋もれた顔はピクリとも動かない。「やれやれだぜ」と小さく嘆息し、手を伸ばせば届く位置にある書類をたぐり寄せると天井を背景にめくり始める。無理に引き剥がしてもいいのだが、後々面倒な事になるのは日の目を見るより明らかだ。少々重たいが、呼吸を止められたり、命の危機に瀕することはないので放置しておいても問題はなさそうだ。
「…………」
ぺらぺらとたまに響く紙の音以外には至極静かな部屋に深く呼吸を繰り返す音が追加された。布越しに胸へとぶつかる息が擽ったいが、ようやく動き出しそうな気配にもう少し好きにさせておく。
「承太郎さんだぁぁぁ」
「……ちったぁ満足したかよ」
自慢のリーゼントがくしゃくしゃになるのも構わずにずるりと這い出した顔は、感極まったかのように頬が赤く目も潤み、泣き出すのを堪えるような表情だ。書類を片手に持ったまま手ぐしで簡単に整えてやると今度は頬ずりを始める。これはまだまだ開放されそうにないな、と諦めて再び書類へと視線を移した。
「満足なんて全然しないっス〜」
「そうみたいだな」
「だいたい酷いっスよぉ」
「何がだ?」
ようやく喋りだしたと思えばぐずぐずと鼻を鳴らしながら文句を溢し出した。
「テスト終わるまで『承太郎さん禁止令』なんてっ」
「何言ってやがる。始まるまでさんざ勉強に付き合ってやっただろうが」
「それでも最終日に解禁してくれてもいいじゃないっスかぁ!」
「甘いな。テストってのは結果が返ってくるまでがテストなんだぜ」
しれっと言い返せば反論出来なくなったのか、うー、だの、あー、だのと唸りながらも引き下がっていった。再び埋もれた頭を見下ろしながら小さく笑いを零すと勢いよく顔を上げてくる。
「笑ったっスね!?」
「さぁ?」
「しらばっくれてもダメっス!ココから聞こえました!」
そう言って胸の上に手を押し当てられる。どうやら誤魔化せないようだ。意地悪がバレたな、と小さく笑うと見下ろしてくる顔が勢いよく真っ赤になった。それにまた笑いを零しながら首を傾げる。
「それで?」
「へ?」
「持ってきたんだろ?」
「あ、は、はい!」
そう、解禁の証拠として今回の結果順位と各教科の点数を表記された紙切れが必要なのだ。ズルをして来ようにもその紙がなければすぐにつまみ出してしまう。このことはテスト最終日に身をもって経験させてあった。
乗り上げていた上体を起こすとポケットを漁り、くしゃくしゃになった紙切れを取り出した。承太郎も一緒に体を起こすと、書類を机に戻して渡された紙を綺麗に伸ばす。
朋子から聞いていた前回の結果を脳裏に思い浮かべながら数字を比較していくと、確実に上がった順位の通り全て上回っていた。
「有言実行。よく頑張ったな」
「へへっ」
頭を撫でてやりたいとこだが自慢の髪型が崩れてしまうので、代わりに頬を撫でてやる。すると照れたように得意げに笑みを深めた。
「しかし、記憶力が悪いわけでもなし、理解もそこそこ早いのに。何故こうも低かったんだ?」
「あー、それは、そのー……」
「何だ?」
「モチベーションの違いっていうか……」
ふと感じた疑問を口にするとわかり易いくらいに大きく視線が泳いでいく。更に突っ込んで聞いてみればぽつりと漏れた言葉に、「あぁ」と納得した。
朋子から勉強を見てやってほしいと頼まれた時に仗助と約束をしていたのだ。良い結果を出せたら褒美を出してやる、と。褒美欲しさと言えば聞こえはよくないが、効率は良かったらしく、要はやる気スイッチを上手く押せたということだ。この年齢の時ならばよくあることだろう。
「なんスか?」
思わず零してしまった笑い声に不興を買ってしまったようだ。口を尖らせ、眉間にくっきりとシワが刻まれる。そのシワを伸ばすように指を押し当てて首を傾げた。
「褒美がでるってのはそんなに魅力的だったか?」
「もちろんっス!」
「……っくく……」
「なんスか、もぉ!」
「いや、可愛いな、と思ってな」
一瞬ぱぁっと明るくなった笑顔はすぐにしかめっ面に戻ってしまった。これではますます機嫌を損ねるな、とは思うものの、すぐには抑えられそうにない。それでもご機嫌伺いに頬を撫でる手はそのままだった。
「それで?何がいい?」
遊びたい盛りであろうこの時期に、机に齧り付いて必死で結果を出してきたのだ。ちゃんと本人の望む褒美を与えてやるべきだろう。褒美の内容を何にするか以前尋ねていたのだが、結果が出てからと頑なに口を開かなかった。何を希望してくるか分からないが、こちらも学会の準備や論文が一段落ついたので時間の融通は利く。
「承太郎さん」
「ん?」
呼ばれた名前に首を傾げるとじっと見つめ返された。その視線に何かしらの違和感を感じ取る。
「何だ?」
「だから、承太郎さん」
「うん?」
「承太郎さんがいいです」
言葉の意味を測りかねて身動きできずにいると、仗助の手が伸びてくる。何をする気だ、と瞬いているとぐっと肩を押されてソファの上へと沈められた。逆光の中に浮かぶ真摯な、それでいて焦っているような表情に近づこうとする胸に手を置いて押しとどめた。
「おい?」
「なんでもいいって言ったじゃないスか」
「いや、言ったが……」
「男に二言はなしっスよ!」
「……あぁ、そうだな」
確かに約束は約束だ。反故するわけにはいかない、と止めさせた手を下ろす。すると頬を震える指先が触れてきた。そっと滑らせて顎のラインを撫でると親指が唇にかかる。
「…………」
なんとなく、そういう事か?と気づいていたのだが、これで、やはりな、という核心に変わる。そろそろと近づく顔を見つめていたが、伺いを立てるような視線に小さくため息を零して瞳を閉じた。
「ん」
弾力のある温かい感触が唇を包み込む。柔らかく触れるだけだった唇は恐る恐るといった風に下唇を食むように動くと深さを変えて再び重ねられた。鼻から抜ける声に伸し掛る体がぴくりと跳ねる。
てっきり唇だけで済むと思っていた接触は、指が加わり、頬を撫で降りてハイネックの淵をめぐり始めた。情欲を煽るならば及第点だ。年相応の拙い愛撫に心の中で苦笑が零れる。何せ唇は相変わらず重ね合わせてるだけで、たまに角度を変える以上の深さは強請られない。
さてどうしたものか。こちらから舌を差し出して教えるべきか?そろそろと服の上を這い回る手に思考を鈍らせながらも考え込んでいると、彷徨っていた指がベルトに引っ掛けられた。
「……ちょっと、待て」
「なんスか?」
ぴたりと合わさったまま離れようとしない唇を開放すべく胸を押しやるとあっさりと離れる。けれどベルトに挟まった指はそのままで、むしろ離すどころかさらに食い込ませてきていた。
「俺が……『下』なのか?」
「え?」
身長の差から下敷きになっていただけかと思えば違うらしい。口に出した疑問に不思議そうな表情が返された。はっきり言えばかなり気が進まないが、仗助が望むならばとは考えていた。今の仗助の手の動きだと明らかに繋がる所まで行くつもりだったのは明らかだ。しかし承太郎はお触りで済む範囲で終わらせようと考えている。何せ彼はまだ未成年だ。そんな若い内に誤った道を歩ませるつもりはさらさらない。
「だ、だって貰えるって事はこっちだと……」
「あぁ?貰えるっていうなら咥え込む側にも該当するだろうが」
「咥え込むとか言わんでくださいっ」
ぶわぁっと顔を赤くした仗助が耐えられないとばかりに胸元へ顔を伏せてくる。その頭を見下ろしながら承太郎は眉間に皺を寄せていた。うっかりしていたのだが、突っ込む突っ込まない以前の話をする機会を自ら潰してしまったのだ。その気にはなれない、と断ればまだ通るだろうか?けれど……
「褒美、ですよね?」
「……そうだな」
予想通りの言葉で念を押してきた。一言断れば済むと言えば済むのだが、この二週間あまり頑張り続けた少年には少々酷に思える。
「くれるんスよね?」
「……あぁ」
「……」
「……」
「……」
「……やれやれだぜ」
「っ!承太郎さん、大好きっスー!!!」
我ながら甘い判断だという自覚はある。けれどこの青い瞳にはどうも弱い。唯一の救いは女と違って男同士の行為は単なる性欲処理にしかならないので、誤ちが後々まで尾を引かないことだろうか。
「分かったから。とりあえずシャワーくらい浴びさせろ」
「ッはい!」
やる、と腹を括った以上はそれなりの準備が必要になる。男同士だからこそ起こりうる危険を出来る限り回避するための準備だ。
蛇口を捻りバスタブに注がれる湯を見つめつつ、承太郎はため息を吐きだした。もう随分時間が立つのに未だ体の奥底に残る不快感に眉を顰める。ある種の擬似作業だ、と自らに言い聞かせて服を脱いだ。
* * * * *
「……上がったぜ」
「っ!」
念には念を、と丁寧に洗い上げてきた為にかなりの時間は食っただろう。願うならばその間に考えを改めて欲しかったのだが、甘い考えだったようだ。待てを言い渡された飼い犬よろしく、ソファの上で正座をしていた仗助の顔がぱっと挙げられる。その顔は赤く染まっていて目は期待の光に満ち溢れていた。
「お、俺も入ってくるっス!」
「は?」
「学校終わって直行で来たんスよ?きったねー体で承太郎さんを触れません!」
「……そう、か」
「すぐ出てきますんで!」
すぐ横をばたばたと駆け抜けていった仗助を見送って承太郎は頭を掻いた。あの様子では煙に巻く事も出来なさそうだ。
仗助の座っていたソファに腰掛けて背もたれへと倒れ込んだ。すぐ出てくるとは言ったが多少なりとも待つだけのこの時間がかなり堪える。未だ湿ったままの髪をがしがしと拭きながらぼんやりと足元を見つめた。脳裏を過る過去の経験にぶるりと背が震える。ざわざわとした不快な感覚が蘇ってきたようで頭を振って散らした。
「……承太郎さん」
「!」
なんとかして蘇った感覚を消し去ろうと集中しすぎたようだ。仗助が出てきたのを気付けなかった。
「承太郎さん」
はっと顔を上げた先にいる仗助は、自慢のリーゼントを崩した髪に不安で揺らぐ表情を隠しながらも、ぎらつく光を宿した目で真っ直ぐに見つめてきている。
呼びかけにそっと手を差し出すとふらふらと近づき、恭しく握られる。静かに瞳が伏せられると手のひらに口づけが落とされた。
* * * * *
何度もキスを交わしながらベッドに倒れこむと仗助は首筋に唇を滑らせた。微かに震える肌と濃く香る承太郎自身の匂いを大きく吸い込みながら、ちゅ、と小さくリップ音を立てて巡る。時折ひきつるような吐息を耳にしながら、仕入れた数少ない情報を頼りにしっとりとしてきた肌を堪能した。
気まぐれに舌を這わせる際にぴくっと跳ねる肌が可愛いと思う。けれど……
「っ……ッ……!」
「……」
素肌を人に触られる事に慣れているように見える。妻も娘もいるのだからさほど可笑しなことではないのかもしれないが、どこか怯えたような、苦痛に耐えるような反応に見えて首を傾げた。
あまり自分の事を話さない彼の数少ない話の中に、もしや、と思う節が浮かび上がった。今目の前に晒された幾つもの刺し傷。腕まくりをした際に露出したそれについて聞いた事があったが少々ぼかした言い方をされたように記憶している。
「承太郎さん……経験あります?」
「……いや、ない」
「今、何か引っかかりましたよね?」
「……」
自分よりもずっと大人のくせ、年齢の割りに嘘をつくのが下手な甥っ子は、じっと見つめていると気まずげに視線を逸らせた。
「承太郎さん?」
「未遂だ」
「え?」
「未遂で掘られてねぇっつってんだよ」
諦めずに詰め寄ると、ため息の後にぽつりと零された。思わず首を傾げると今度ははっきりとした声で答えてくれる。
「その……未遂ってのは?」
「……エジプトの話はしたか?」
「えーと……ほんのちょっとだけ」
祖父に当たるジョセフと他に数人の仲間とともに、母を救うためエジプトへ行ったと言う話を聞いていた。体のあちこちにある刺し傷はその時のものだと教えてもらったのだ。けれどそれだけで突っ込んでは聞いていない。一体何があったんだろう?不安と焦りとで頭の中をぐるぐるとさせながらもじっと語られるのを待った。
「仲間に同じ歳の野郎がいてな」
「え!?その人とシたんスか!?」
「してねぇっつってんだろうが」
思わず叫んでしまえば額に手刀が突き刺さった。加減はされているがそれなりに痛い。
「で……でも……」
「だから……その……マスを掻きあっただけで」
「……それだけ?」
「それだけ」
所謂性欲発散の手っ取り早い方法だ。互いを擦りあい、そのついでに盛り上がって口付けとか首筋に吸い付いたりとかしたのだろう。少々複雑ながらも内心胸を撫でおろした。
「……分かったっス」
「それから」
「え!?まだあんの!!」
「…………」
更に続いた言葉に仗助が聞き捨てならないとばかりに叫んだ。しまった、黙っとけば良かった、と後悔してももう後の祭り。険しい表情に逆戻りしてしまった仗助がぐぐっと顔を近づけてくる。
「それで?」
「……DIOにとっ捕まった時に指突っ込まれた」
「だぁーっ!!!」
「うっせーぞ」
「す、すんませんっ」
更に喚き立てる仗助に承太郎は再び右手をめり込ませた。どちらも10年以上前のことであって、こんな事態に陥らなければずっと忘れていた苦い思い出だ。
「でも……未遂、なんスよね?」
「……奴は俺ごしに違う奴を見てたからな」
ずきずきと痛む頭を押さえながらも上目遣いに聞いてくる仗助にため息が漏れた。世の中知らない事だらけの少年に、こういった刺激の強い話は中途半端に語るもんじゃない。
「どうにか無反応を決め込んでたら興醒めしたとかで引き下がった」
「お、おぉ……よく……ご無事で?」
「まぁな。流石に覚悟はしてたんだが、屈辱に塗れて屈服させたいって奴だったから、反応が薄くて愉しくなくなったんだろうよ」
「すごいっスね……承太郎さん」
「ま、こっちにも男の意地ってもんがある」
さらりと告げられるとんでもない内容にも承太郎の表情はいたって冷静を保っている。なんつぅ経験積んできてんだよ、あんた。と思いながらも男前過ぎてやっぱり好き!とかわけのわからないループに嵌りかけていた。
とりあえず聞きたいことはちゃんと聞けたので、そろりと伺うように顔を覗き込む。
「……じゃあ、処女に間違いないってことっスね」
「しょ……っ〜〜〜、あぁ、そうだ」
肝心なところを的確に貫くと慌てたような反応を見せた後、気まずげに顔を逸らされた。こういうつっけんどんな態度で素直に答えるところが非常に愛らしい。面と向かって告げると照れ隠しのオラオラが来るから黙っておこう、と仗助は再度承太郎の肌に手を這わせた。
「優しくしますから」
「……そういうセリフは可愛い女の子にとっておけ」
苦々しく歪められる顔に近づき柔らかく口づけた。
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