誰もいないと思っていた。 今はいてくれてよかったと思っている。 休み返上で出た任務の報告後に、好いた女子と花見でもしろと折り詰めを押し付けられて、半ば自棄になりながら桜を見に行った。 女なら花街で済ませる方が楽だ。疲れ切っている所に、面倒な生き物の相手などしたくない。 そんな状態の俺に、わざわざこんな大荷物をよこす里長の気まぐれに、感謝など仕様もなかった。 どんな意図があるのかは知らない。知りたくもない。 どうせ頻繁に女を作れと勧められるのと同じ理由だろう。見合いの釣書がなかっただけまだマシか。 それならいっそ、人気のないところで酒でも楽しんだ方がいい。 …家に帰るなり女が差し向けられている可能性を危惧したとも言う。 任務じゃそんなことしょっちゅうだしね。 そんな花見ができる心当たりは一箇所だけあった。 仲間内では化け桜などと呼ばれるほどの巨木だ。 とはいえ忍の足でも里から離れすぎているせいで、その美しさとは裏腹に見に行くものなど稀で、遠目にも目立つそこに立ち寄る忍も少ない。あまりにも美しく、目立ちすぎるからだ。 ま、俺はよく使ってるけどね。匂いが残るとテンゾウには文句言われ通しだけど。 「あらま、先客」 てっきり誰もいないと思っていた桜の木の下に、蹲る陰があった。 最初は怪我人かとあせりはしたが、すぐに事情は知れた。 どうやら、泣いているらしい。 随分前から泣いていたのか、ぐずぐずと鼻をすすり上げる男の上を覆い隠すように、桜吹雪が降り注いでいる。 行くべきか、それとも帰るべきか。 男とて、こんな姿を見られたくはないだろう。 母を父を呼び、胸苦しいほど悲しげな声で泣く姿など。 迷う俺の背中を押したのは、小さな独白だった。 「さみしい」 そういえば、そんなことを思う暇もなく生きてきた。そうか。でもこの人は寂しいのか。 そう思ったときには、もう声を掛けていた。 「…泣いてる?」 顔を上げた男が目を見開いているのを見て、想像した通り男らしい顔をしているのに、潤んだ黒い瞳も、捨てられた子犬みたいな表情も、想像したよりずっとかわいいと思った。 ***** 「やっちゃった」 誰かと酒を飲むのも飯を食うのも久しぶりだった。それも顔も隠さずに。 任務中に飲む必要も理由もない。食事もせいぜい携帯食がいい所だ。 思えば随分わびしい生活をしているのかもしれない。 そう気づかせてくれただけなら良かったのにね。 頭の上に花弁をのせたまま、男があどけない顔で笑う。美味いといいながら飯を頬張り、頬を染めて無防備に俺を見る。 老人の気遣いとは全く違う方向に行き続ける己の欲に、戸惑いと共に心地よさを感じて、それがまた恐ろしかった。 膨れ上がる制御できない衝動に身を任せても、ここなら誰にも気づかれない。 たとえばこのまま浚っても。 「…それでも、ありがとうございます」 寂しさを埋めることは、どうやらできたらしい。そろそろこの男から離れなくては。 酒を一緒に飲んだだけの相手に、無聊を一瞬慰めただけの相手に、そんな顔を見せないで欲しい。 一緒にいたらきっと…きっと俺は我慢できなくなる。 「じゃ、御褒美、頂戴?」 行きがけの駄賃に唇を奪い取って逃げた。 押し付けられた折り詰めなんかよりずっと美味かった。これまで食べたなによりも。 …もっと欲しいと思うのは当然でしょ? 「さて、どうしようかね」 桜の季節に患ったタチの悪い病は、おとなしく治ってくれるだろうか。 眼下で真っ赤になった頬を押さえる人を見るだけで煩く騒ぐ胸は、それは無理だと嗤っているけれど。 「ま、なるようになるでしょ?」 とりあえず、闇から這い出る努力位はしてみようか。俺は名乗りもしなかったし、あの人の名も知らないから。 そこまで考えて、諦める気などないのだと自覚した。いっそ清清しいほどに自分を塗り替えたあの人を、どうせなら手に入れるまであがいてみようか。 打てる手はいくらでもある。今まで使おうとも思わなかっただけで、階級と実力のおかげで、大抵のことは自由にできるはずだ。 「ごめんね」 こんな外道に気に入られてしまったことも知らずに桜に埋もれるかわいい人を、少しだけ哀れんでおいた。 ********************************************************************************* 適当。 続いてしまったという…。 ではではー!ご意見ご感想等御気軽にどうぞ! |