花散華(適当)

誰もいないと思ってたんだ。
そうじゃなきゃこんなところで一人で泣いたりなんかしない。
「桜、好きなの?」
「うへ!?」
思わず奇声を上げて仰け反った。
見知らぬ男がいきなり顔を覗き込んできたからだ。
「…泣いてる?」
「あああああの!なんでもないです!ちょっとその!」
いつからこの男はここにいたんだろう。
顔を上げて今更ながら気づいたが、もうとっくに日が暮れている。
随分長いこと時間を使ってしまった。さっさと帰って風呂にでも入って寝よう。
…この人をなんとかしなくちゃいけないけどな。
「そ?」
「はい。大丈夫です。ありがとうございます」
咲き誇る桜はいつだってきれいだ。
ちょっとした感傷に浸る自分を、降り積もる花弁で覆い隠してくれる。
物置の掃除なんてするもんじゃない。少しばかり部屋を広くすることには成功したけど、あの日失った人たちを思い出してしまった。
引っ張り出したアルバムの中で笑う両親は、かっこつけてへんてこなポーズを決めて写る自分を見ていた。
優しく、穏やかに…それから大切そうに。
その途端、急に涙が零れて止まらなくなった。
情緒不安定にもほどがある。
…春だからだ。全部そのせいだ。
そう言い訳して、その写真に写る桜のところまで一気に駆けてきた。
いっそ酒でも持って来ればよかったと思うほどその桜は見事に薄赤く咲き誇り、降り積もる花の海に座り込んだら…もうだめだった。
泣いて泣いて、蹲ったまま馬鹿みたいに涙を流し続けていた。
この人に声をかけられるまで、時間を忘れるほどに。
ただ、この口ぶりだとたまたま通りがかっただけかもしれない。
そうじゃないと俺が困る。
…母ちゃん父ちゃんなんて涙混じりにつぶやいたのを聞かれてたかもしれないなんて思うだけで、今にも羞恥で倒れそうなんだから。
「ねぇ。暇?」
「へ?」
「暇じゃなくてもいいや。任務じゃないんでしょ?ちょっと付き合ってよ」
そう言った男がぐいっと押し付けてきたものは、どうやら折り詰めらしきものだ。ついでにその横にはおあつらえ向きに酒瓶も下がっている。
「え、あの?」
「貰ったんだけどさ。一人でこんなの貰ってもつまんないじゃない?花見でもしろっていわれたんだけど。ダメ?」
ダメ?などと許可を求めておきながら、この人は俺の答えを知っているように思えた。
腹も減ってるし、桜はきれいだし、…何より、俺は今すごく寂しいんだよ。側にいてくれるなら誰でもいいと思うくらいには。
「ダメ、じゃないです」
「じゃ、決まりね!飲んでよ。一緒に」
ふわりと気配を緩めた男に、なぜだか俺の頬も緩んだ。
「はい」
*****
勧められるままに見知らぬ男と酒を飲み、折り詰めを広げて片っ端から口に放り込んだ。
見た目もさることながら、味もいい。量は…一人じゃ無理だろうってくらいあった。
最初に広げられたときは、宴会でも開くつもりだったのかと思ったほどだ。
とはいえ、男二人。しかも俺はやけ食い気味と来てる。折り詰めの中身は見る見るうちに胃の中へ消えていった。
酒は死ぬほど美味かった。飯も当然。…それにこの男はおそらく上忍クラスだ。気配がなさ過ぎて桜に溶けそうに感じられるほど、自然と空気に溶け込んでいる。
上忍なんか高ランク任務ばっかりこなしてるんだし、その報酬ならこれだけ美味くても当然だろう。
己の不甲斐なさと引き比べると、ため息が出た。
高ランク任務に就いたことがないわけじゃない。むしろ普通の中忍と比べればずっと多いはずだ。といっても、これから任務に出る機会はぐっと減るだろうが。
それはまあいいとして…両親の写真をみただけでぐずぐず泣くなんてのは、今日で終わりにしなくちゃな。
「美味いもの、ありがとうございました」
酔いもあってか、吹っ切れた気がする。
あの子供を受け持つことになるのだと言われて、己の中のどろりとした暗い思いを抑え切れなかった。…それなのに、遠目から見た子供は普通の、いや、寂しい子供そのもので。
結局は、逃げだ。俺はあの子のことを考えたくなかっただけだ。
「いーえ。こちらこそ付き合ってくれてありがとね?」
それにしても、きれいな顔してんなぁ。この人。
笑顔が様になる。…俺も、こんな風に女にモテそうな顔には慣れなくても、せめてこうやって…人を慰められる人になりたい。
…だから、この人になら言ってもいいかと思った。
「俺、教師になるんです」
「ふぅん」
「ま、まあそれだけなんですけど、ありがとうございます」
「ん。ま、飯食っただけだけど」
自分でも訳がわからないことを言っているのは分かっている。
この人が、あんまり自然に側にいてくれるから、甘えてしまった。
光るように咲く桜に溶けるようにあいまいになる輪郭は、この人の肌が抜けるように白いせいで、その銀髪が桜色に見えるのは、きっと降り積もった花弁のせいだ。
桜の精みたいだなんて、我ながら随分と夢見がちなことを思った。
「それでも…ありがとうございます」
「そんなにお礼言われるとねぇ…?じゃ、御褒美、頂戴?」
すっとあまりに自然に近づく顔を、ぼんやり眺めていた。
ふわりと漂う桜の香りに、その薄紅色に酔いそうだ。
ちゅっと音を立てて離れていったものが、なんだったのか一瞬分からなかった。
「へ?うえ!?」
「ごちそうさま」
それだけ告げて、男はあっという間に、それこそ人外のもののように一瞬で姿を消した。
「なんだったんだ…!?」
唇に触れた柔らかいそれは、あの人の唇だったような気がする。
嫌悪感よりも驚きと、それから…胸がちりりと痛んだ。
「…酔ったんだ。きっとそのせいだ」
足に力が入らないのも、心臓がバクバク煩いのも、頬が熱を持ってるのも全部。
へたり込んだ俺をうずめそうなほどに、桜の花が降り注いでいた。


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適当。
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