前のお話はこれ⇒記念日32の続き。 「最初は、やっぱり覚えててもらいたいからね」 何のことかわからない。まだその片目が赤かった頃に見た素顔と、今は揃いの瞳になった俺を覗き込んでくる顔は、あれから随分経つのに殆ど変わっていないように見える。 とてもとても綺麗なイキモノ。同性だし、容姿が整ってるから惚れたわけじゃないが、見ているだけで胸が騒ぐ。 こうして素顔を見るのは、ずっと昔、一緒に飯を食ってたときと、それから。 …一度だけ、これと同じくらい近くで、この人の素顔を見た事がある。 任務明けで飯を食おうと誘われて、そのときのこの人は妙に上機嫌だった。 当たり障りないが、機密を器用に避けて話される任務絡みのあれこれは、男が話し上手なこともあって思わず噴出してしまうほどにおもしろかった。 むしろ見事なまでの誤魔化し方は逆に関心するほどで、からかいがてら受付担当に任務のことなんか話していいのかと苦笑交じりに聞いてみれば、共犯だと笑うからそういってもらえることが密かに嬉しくて、杯を重ねた。 楽しかったんだ。…それに実のところその頃にはとっくにこの人に惚れていた。 色々あって、それでも何かと声を掛けてきてくれたこの人と、時には議論を戦わせ、時には下らないことで笑い合い、そのうち無意識に目がこの人を追いかけるようになって…そのうちなにがあっても仲間を守るその志の高さも、時々見せる甘えた表情も、一人で慰霊碑に立っているときのどこか虚ろな姿も、どれもこれも俺の心の隙間に入り込んで、気付いたときにはもう恋に落ちていた。 望んだことなどない感情はすっかり心にはびこって膨らみ続けて苦しいほどで、それと同時に気付いてしまった。 この思いは叶うことはないし、誰も幸せにしない。…俺以外の誰も。 知ってしまってからも気軽に誘ってくる男を、逆恨みでも出来たら良かったんだが、俺ときたらどこまでも単純な男だから、側にいられる事が嬉しいばかりで、断ることなんで無理にきまっていた。 独り身の気安さで、それに気が合ったんだろう。多分、俺にとっては不幸なことに。 頻繁な誘いに喜び沸き立つ心を縛めて、この恋を殺す努力をしようと必死になっていたところだった。 居酒屋の小さな卓袱台を挟んで、思い人が笑ってくれている。それが嬉しくない訳がない。 だからついつい俺も酒が進んで、この人にも勧めて…結果的に酔い潰した。 大失態だ。それは痛いほど分かっていた。意識のない相手にどうこうする気はないが、無防備な姿に欲を感じなかったかと言われれば嘘になる。 夜も更けて、任務開けの人に無理をさせた事を後悔して、詫びても鼻歌でも歌いだしそうなほど機嫌のいい男に抱き付かれるだけで、家を聞きだせる状況なんかじゃなくて。 それを全部言い訳に変えて、すやすやと健やかに眠り込んだこの人を、担いで俺の家に連れ込んだ。 あの時だけだ。ベッドに寝かせて幸せそうな寝顔を間近で覗き込んで、一度だけ。 …その唇を盗んだことがある。 罪悪感と、それを凌駕する喜びとで、あの時も頭の中がぐちゃぐちゃになった。これを最後にしようと決めて、布団をかけて、同じ部屋になんかいられなくて、かといって離れがたくて、ドアの前に座り込んで一睡もしなかった。 翌朝にはすっかり元気になっていた男にどうしてそんな所にいたのと問われても、酔っ払ってへたり込んでそのまま寝てしまったと言い訳した。いつもそうあろうと心がけているように、笑顔で飯を食わせて送り出して、それから…里が滅茶苦茶になって、この人は俺を守ってくれて、敵をあの子が退けてくれて、一緒になって泣いて、笑って、喜んで。 それっきりだ。この人の笑顔をみたのは。 大戦が始まってしまえば、当然の結果ではあっただろう。なにせお互いの立場が違いすぎた。こんなもの、すれ違いとさえ呼ばない。 平和を取り戻してからもしばらくは外貨獲得と里の復旧と安定のための任務に追われ、いつからか思い出せないが、もうその頃には冷たい視線を向けられていた気がする。 側に立つ女性をみたことも幾度もあったし、笑い合う二人を見ていると、吐きそうなほど苦しいのに嬉しかった。やっとあの人が幸せになってくれるんだと、それを守りきるために存在しているんだと信じていたかった。 会うたびに連れている女性が変わることに安堵する自分が情けなくて、正式に持ち込まれた見合いを受けたと聞いたときにはもう嬉しいのか悲しいのかわからなくなっていた。 冷たい視線から逃げたくて、あの人が誰かと幸せになるのを見届けたいのに、見てしまったら壊れてしまうだろう事を理解していたから逃げようとした。 それを見送るときでさえも、その視線はぞっとするほど冷たいだろうことを覚悟して。 今も、検分するような視線が全身を這い、もうあの赤い瞳は失われているのに、心の仲間で見透かされそうで息が詰まった。 「みるな」 「ヤダね。俺に命令なんてさせないよ。誰にも、ね」 そうだな。確かにそりゃそうだ。この人は里長。たしなめることの出来るご意見番も、年を経て今やその席にあるだけになっているに等しい。見合いを世話したのは彼らだが、この人ならそれを一蹴することもできただろう。だからこそ、今度こそはと思えたのに。 みっともなく反応しかけた下肢を隠したくても、身に纏うものは全て取り上げられている。 こんな状況ですら体も心もこの人を欲しがる。誰もいないことを言い訳に、いっそ玉砕してしまいたくなる。 疑われたままでいたくはないが、この人を害するモノになるくらいなら、息の根を止めてもらいたい。 でも、駄目だ。ここが監視用の部屋なら、モニタリングされているかもしれない。下手なことを言えばこの人の醜聞になりかねない。 「…お疑いなら処分してくださっても構いません。ですから、もう…!」 何もかも暴かれてしまいそうな恐怖を、この人は里への裏切りと取るかも知れない。 それならそれで、この状況を終わりにできるならと懇願した。 「疑う?何を?アンタがウソツキなのはもう知ってるよ?だから言葉なんていらない。可愛く喘いでくれたらそれでいい」 「は?」 あえぐ?だれが、どこで?この人は何を言ってるんだ? 「鈍い。ま、そのおかげで色々楽もさせてもらったけどね。アンタに惚れたってだけで殺したらもめそうだし、アンタにこれ以上逃げられたら困るし。ま、アンタが靡かないのを見るのは気分が良かったから、ちゃんと記憶を消すだけにしておいたよ」 首に手が掛かる。そこは急所だ。締め上げられるのかと息を詰めたら、喉に指を絡ませた男の方が、苦しげな顔をしてみせた。 「それにしてもよりによって里外に逃げるとかいいだすとはね。」 唇が重なる。何度も啄ばむように落とされるそれに頭が真っ白になった。 何を言っているのか理解できない。 「…なんの、話ですか?」 「わかんないフリ?アンタいつもそうだよねぇ?…ま、今更どうでもいいけど。最初は痛いかもしれないけど頑張ってね?俺なしでいられなくなるくらい仕込んであげるよ」 不満げに顔をしかめたくせに笑ってみせるから、その複雑な表情に気をとられてしまう。 いや、ウソツキか。確かにそうかもしれない。理解なんてしたくなかった。 今何が起こっているか理解してしまったら、俺はこの人に手を伸ばす事を止められないかもしれない。 ベッドサイドテーブルの引き出しは、随分丁寧に手入れされているのか、音も立てずに引き出された。そこから取り出されたガラス瓶から、薄紅色のとろみのある液体が手のひらに落ちて池を作っている。 「なにを、するつもりですか」 引き出しに収まっていたモノたちが何かは分からなくても、この人の意図は分かりきっていたのにそう聞いた。 「腹の中からあふれ出すくらい突っ込んで出してあげる。俺のが入ってないと泣き出すくらいにね。俺の形覚えこませて、俺以外見ないようにして、それでも諦めないなら、俺以外何もわからないように壊してあげる」 長く糸を引いて零れ落ちて行くそれがとろりとろりと肌を伝って、そこからこの人が染みこんでいくようで詰めていた息を吐いた。 「だめです」 逃げられないことに背筋が震えた。…俺が消えても誰も意義を唱えないだろうことに歓喜して。 「そ?でもスルから。最初はちゃんと意識は残しておいてあげる。抵抗できないけど。その方がアンタ言い訳できるから嬉しいでしょ?」 不思議なほど逆らえないのはそのせいか。…言葉通り安堵している自分に反吐がでる。 肌が粟立つ。その手に触れられることに喜んで、浅ましく刺激を強請っている。 「…っあ!」 「そうやって喘いでな。…アンタの下らない言い訳は、もういらない」 吐き捨てるような言葉とは裏腹に、男は酷く嬉しそうに目を細めてみせた。 ******************************************************************************** 適当。 どろどろした短期集中連載つづき。次がエロスだけになりそうな悲しみ。 |