たいせつなもの6(適当)



これの続き。

 幸せな朝なんて、二度と来ないと思っていた。
 ただこなすべき職務を処理し、いつかこの体が使えなくなる日がくるまでは里の歯車であろうと、そのためだけに生きてきたはずだった。
 煩雑な書類仕事に埋め尽くされる日々は無味乾燥ではあるが、少なくともこうして必要とされている間は、大切な人を守れるかもしれない。そのこと自体は納得もしていて、間接的かもしれなくてもあの人の役に立てるならそれだけで良かった。
 毎日毎日、いっそ朝が来なければいいと願う日々が続いたとしても、まとわりつく痺れるような疲労感を自覚しつつ机に向かえば増える一方の書類たちに追われてそれどころじゃなくなる。…手に入らない人のことを考える時間も減らしてくれる。
 そうやって日々をやり過ごしてきた。
「お?目、覚めましたか?」
「ん。え?あー…ごめんなさい」
 ほんの少し意識を手放したつもりで、随分時間が経っていたらしい。陽の角度からいって、もう正午に近い時間だろう。この部屋の居心地の良さはまるで毒のようだ。気づかないようにしていた疲労感を強制的に突きつけられて、この人が惜しげもなく寄越す温もりに甘やかされた体は、あっさりそれに屈服した。
 情けなくもあるが、眠るというより気絶に近かったそれのおかげで、大分頭はスッキリした。
 それを家主であるこの人も認めてくれたようだ。
「謝らない!顔色は…まあ昨夜よりマシですね。良かった!」
 シャキッとした顔と寝ぼけていた時の顔との差がたまらないなんて言ったら、この人はどうするんだろう。この人と距離を置く前はさりげなく誤魔化せていたはずなのに、今は錆びた機械のように口が動いてくれない。二枚舌は得意なはずなんだけどね。この人を相手にするとてんで駄目だ。
 特に間近でしげしげと顔を眺められたりなんかしたら、目が泳いでしまう。
「あの、ね?その」
「さ、飯食って風呂ですね」
 酔いが回ってくれば多少こっちと話がかみ合わないってこともあったかもしれないけど、こんな風に最初からこっちの返答を一切無視されるのなんて初めてだ。
 礼節を重んじるこの人を怒らせるだけの何かを、俺がしでかしたってことだろう。言葉で何かを伝えることは俺にとって酷く難しい。特にこの人に対しては、言えないことが多すぎて、気づかないうちにに怒らせてしまったのかもしれない。
「イルカ先生。ごめんね」
 謝るなと言われたばかりで口走った謝罪は、うっすらと青筋を立てた人にバッサリと切り捨てられた。
「あんたは…!謝んなって言ったでしょうが!飯!風呂!話はその後です!」
「…はい」
 怒らせた。でも理由は分からない。理由が分からない謝罪はこの人の怒りに油を注ぐだけだ。それくらいは理解できる。特にこの人は形だけの物を嫌うから。
 残った選択肢なんて決まっていた。
「サンマと飯なら食えますか?こっちはかぼちゃの煮物と後は春菊のお浸しです。無理せず食べられる分だけ食べてください。ただ食べられるならしっかり食べてください!おかわりはたっぷりありますから」
「うん。おいしそう。ご…ありがとう」
 一緒に食事をしたとき、確か料理は苦手だと言っていた。わざわざ俺のためにしてくれたのかと思うとついつい零れかけた謝罪の言葉を何とか飲み込んだ。…謝ろうとすると瞬時に怖い顔になるからなんだけど、とっさに口をついて出た感謝の言葉の方は受け取ってもらえたらしい。
「へへ!そりゃよかった!はいしっかり食べてくださいね!味の保証はできませんが、材料はいいですよ!」
 照れくさそうに鼻傷を掻く癖を見るのも久しぶりだ。むしろ二度と見られないかもしれないと思っていた。
 自信がなさそうな言葉通り、さんまのしっぽは少し焦げていて、かぼちゃは少しに崩れているけど、どれも本当に美味そうだ。
 この部屋から漂う幸せの匂いが、少しでもこの体に染みつけばいいのに。あの空っぽにされてしまった家のように、残り香すら俺のそばに置くことは許されないだろうから。
「いただきます」
 素直に箸をつけて、炊き立ての飯と共にさんまを口に運んだ。脂の乗った身がやわらかく口の中で解れて、香ばしい香りが口いっぱいに広がる。
 美味い。そう感じるまで、好物だったのだと思い出せなかった。
 この人のことだから何かの拍子に口にした言葉を覚えていてくれたのかもしれない。
「ゆっくりしっかり噛んで食べるんですよ?」
 まるで子どもに言い聞かせるような言い方だ。これは俺が弱っているからか、それよりも子供扱いされるようなヘマをしたってことでもあるのか、どっちなのかわからない。
 仮にも火影だ。なりたくてなった訳じゃないなんて言い訳は許されない。里を支える要として選んだことに間違いはなくても、ああして呼び出したことには私情を挟まなかったかと言われればそれは嘘になる。
 だって俺はこの人に一目だけでもいいから会いたかった。ずっと。こんな風に。
「うん。…美味しいです」
「へへ!なら良かった!」
 この人は心配性で誰にでも優しい。大雑把だけど絶対に心の痛みのありかを外さない。
 だから、昨日体調を崩してよかった。この人が見咎めてしまうくらい誤魔化せないでいたことは恥じるべきだろうが、こんな風にたいせつなものみたいに扱ってもらえるのはきっと今だけだから。
 あの孤独な子どもを簡単に掬い上げてしまったように、俺みたいな厄介なイキモノまで引っ掛けてしまったことを後悔させないようにしなきゃね。
「ありがとう」
 この時間がどれだけ俺にとって大切で、この人がくれた優しさがどんなに嬉しいことなのか、一生言うつもりはない。
 だから意味なんて伝わらないことを知っていて、社交辞令と受け止められてもいいからそれだけは言いたかった。
 怒られるかなと思ったのに、思い人は鳩が豆鉄砲を食ったみたいな顔をして、固まってしまった。
「…お腹落ち着いたら風呂にも入ってくださいね?」
 やっと何か言ってくれたと思ったら、寄越された言葉はたったそれだけ。
 どうしたのなんて聞けるわけもないから、大人しく食事をした。自分の分も豪快に食べながら、甲斐甲斐しく、でもちょっと荒っぽくお茶やお代わりのごはんや味噌汁なんかも用意してくれたおかげで、普段以上に食が進んだ。
 この人からもらえるモノなら全部欲しいと欲をかいた。
 そのツケは当然、自分が支払うことになった。…腹がいっぱいで動けないなんて初めてなんじゃないだろうか。やたらと俺に食事を食べさせたがる四代目が側にいた下忍のときだって、こんな失態あり得なかった。あまりの事態に自分でもちょっとばかり動揺している。抑制できていたものすべてがその軛を外して暴走しかかっている。…この人に対する感情も。
 ああ、駄目だ、これ以上は。
 でもここにきてから何度そう思ったんだっけ。
「もう入りません…美味しくて食べすぎちゃいました」
 正直に謝って、また怒られるかと思ったら、今度は慌てふためいた様子で顔を覗き込んできた。
「美味そうに食うからつい勧めちまって…!すみませんでした!ええと、もうちょっと寝ますか?」
「いえ、動けなさそうなので、放っておいてもらえればそのうちなんとか」
 比喩でなく、本当に動けない気がする。任務でもあれば別だけど、この状態で動いたら吐くかもしれない。上忍の自制心ってヤツは厄介で、自分でも動かしがたいほど染みついたものだったのに、この人の手にかかるとすぐこれだ。
 やっぱりここにいるとマズイ。色々タガが外れて何をしでかすかわからない。この人がいるだけで、理性は薄く、本能ばかりが強くなる。
 動けないからここにいてもいいって、頭のどこかで考えていたのかもしれないのが恐ろしい。
「掴まっててください!」
「え?あの、ちょっと!」
 ひょいっと持ち上げられて、一瞬振動で胃袋がひっくり返りかけたけど、何とか耐えた。というよりは驚きでそれどころじゃなかったとも言う。
「っし!寝ててください!」
「あ、うそ」
 布団に逆戻りさせられて、肩まで優しく布団をかけてくれたと思ったら、寝室のドアがもう閉まっていた。そういえば服だって借りたものだし、お礼もきちんと言えていない。何より書類にサインしてもらうという目的が果たされていない。
 だが起き上がれるかと言われれば、無理に身を起こしたら、その瞬間に嘔吐してこの部屋を無駄に汚す未来しか見えない。
「うそでしょ…」
 鼻歌交じりに食器を洗っている音がして耳は必死でそれを拾おうとする。全神経はあの人に向かってしまうのに、理性がそれを押しとどめる。いっそ忌々しいほどに。
 書類はどこにやっただろう。着てきた服は。
 重要なはずのそれらを思い出せない時点で、忍として失格だ。落ち込むというよりはいっそ絶望に近い感情に支配されかけて、蹴破るようにして入ってきた人がそれを打ち破った。
「泣きそうな顔しなくても…胃薬です。飲めますか?」
「ああはい。ありがと」
 泣きそうな顔なんてしてたの?俺は。何をやってるんだか。情けないにもほどがある。護衛の二人もさぞかし驚いているだろう。火影ともあろうものがこの体たらくなんてね。
 手に取って、そのまま飲み込もうとした口にコップが突きつけられて、病人にするみたいに水を飲まされている。胃薬はあっさり収まるべきところに転がり込んでいって、大きく動いた喉をみてそれを察したのか、水の残ったコップも引き上げられてしまった。
「しっかり休むのも仕事のうちですよ!もうちょっと寝ますか?」
「大丈夫。ほら、チャクラ使えば」
「休めっていってんでしょうが!チャクラってそれ」
「うん。毒食らったときとかに便利でしょ?」
 代謝を上げて分解を早める方法もあれば、逆に代謝を下げて毒が回るのを抑える方法もある。流石にこんな理由で使ったことはないけど、早くこの状態から脱したかった。動けないことには、この穏やかで居心地が良すぎる場所から逃げることもできない。
「なに言ってんですか!ここは里です!そんなもん禁止だ禁止!おら寝なさい!」
「うん」
 寝かされたまま額をゆっくりと撫でられてその心地良さに苦しさが誤魔化される。額当てのない視界で間近で苦笑する人はどこまでも優しくて、それに甘えてしまいたくなんてないのに、体はまるで言うことを聞いてくれない。
「大体、アレをこんな状態で使ったら下痢しますよ?」
 そういえばこの人の戦忍だったんだっけ。あれは外回りでも毒を盛られる可能性が高い奴しか習得しない術だ。チャクラを食うし、こんな手を使わなきゃ解毒できないような代物を食らったら、普通はその場で戦闘不能になるだけだしね。そもそもがある程度耐性があることを前提に考え出された方法だ。
 こんなに里に馴染む人なのに。同じ忍でも俺とはまるで違うのに、ふとした瞬間に共通点が見つかるとそれだけで嬉しい。
 そんな人に手間ばかりかけさせている。この人が平和に暮らせる里を作るために里長に据えられることを受け入れたのに。
「ごめんね?」
「次謝ったらこの部屋に閉じ込めますよ?」
「え!」
「ああ、それとですね。ちゃんとご老体には火影様に無体を強いたことを反省してもらってます。どっちにしろ今日はここでしっかり休んでもらいますから!」
「うそ」
「三代目とのご縁のおかげで、色々あの人たちの都合が悪い事情を知ってるんですよね!ははは!」
「そうなの?」
「ええ。あ、カカシさんのも知っちゃいましたね。食いしん坊」
 ニカっと毒のない笑い方をするくせに、意外と食えないところはそういえば三代目仕込みか。この性格だから、あの狸たちも逆らえないのかな。
 かわいいなんて言ったらどうするんだろう。
「俺も、知っちゃったかも。イルカ先生の意外な一面?」
 間抜けな顔で笑っていたんだと思う。だって嬉しかった。この人のことで知らないことなんてないくらいに側にいられたらなんて夢を見るくらいには。
 そうやってぼんやりしている間に、さっきまで笑ってくれていた人は、急にきりっと顔を引き締めたと思ったらベッドの上で正座していた。
「あーその、ですね、ついでにというのも何なんですが、もう一つ、言いたいことがあるんです」
「うん。なあに?」
 引き受けてくれるのかな。それともこの体たらくを注意してくれる?どっちでもいいや。この人にかまってもらえるなら。
 無意識に手を伸ばして頬に触れて、その瞬間泣きそうな顔をされたから、心臓が止まるかと思った。
「あんたが、好きです」
「うそ」
 うそだ。なんで。泣かないで欲しくて慰める言葉なんて知らなくて、混乱するばかりの頭にさらに起爆札を投げ込むような真似をされるなんて想定外にもほどがある。
「嘘じゃないです。残念ながら片思いを拗らせて早10年…まではいかないか?」
「なにそれ」
 片思いって、それはこっちのセリフだ。そんな素振りちっとも気づかなかった。一応上忍で、色めいた視線から性的に搾取しようとする欲に満ちた視線まで、ガキのころから嫌ってほど向けられてきたけど、そんなの全然なかったじゃない。
「あー安心してください。疲れ切ってる人をどうこうしようなんて思ってませんから。ただ同じ布団が嫌ってんならその、俺はどこか他所で寝ますから。あ、でもここからは出しませんよ!仕事なんざ明日になれば嫌って程降ってくるんですから今日は禁止です!」
 なんでそんな駄目って決まってるみたいなことを、妙にすがすがしい顔で言ってくれるんだろう。この人は。
 ねぇ。今なら許されるんじゃないかな。なんて、俺なんかそんな風にズルいことしか考えられないでいるのに。
「ッ!なに言ってんの!嫌じゃないです」
「え!あ、あの!それって、期待していいんですか? 」
 期待って期待なんて俺の方がしてる。これが罠でも迷いなく飛び込んでしまいたくなるくらいには。
「俺の方こそ、いいの?欲しいっていって」
「ったりまえでしょうが!あんたは我慢しすぎなんですよ!アンタが、俺でいいなら!いくらでも持っていきやがれ!」
 ごちんと頭がぶつかって、唇は掠ったくらいしか触れられなかったけど、この人の意図は間違えない。キスをくれた。
   …ねぇ。ならいいよね?これがこの人の気の迷いでも、どうにかしてしまっても。例えばもう二度とどこにも逃げられないように縛り付けてしまっても。
「で、サインくれる?」
「え!ああ、あなたがちゃんと正気なのかどうかはさらにあやしくなりましたけど、謹んで引き受けさせていただきます」
「ああうん。そっちもだけど。…結婚して?」
「は?」
「俺と結婚してくださいって言ってるんですけど、駄目?」
「え?え?え?」
「…駄目ですか?」
「だめじゃないですが、アンタ本当に大丈夫ですか!?」
 心配は尤もだ。正気じゃないのは自分だってわかってる。だってこの人を何でもいいから縛り付けておかないと安心できない。
「すきです」
 そう言った途端、泣きながら抱き着いてきた人に苦しいくらいに抱きしめられて、これで死ぬなら最高かもしれないなんてことを思ったりもした。

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つづき。後ろ向き上忍祭。あといっかいだといいな。

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