これの続き。 「ダメですよ?」 「…お前…!危険だから下がりなさい!」 見覚えのある顔だ。 印を結ぶ前に手をとられたおかげで、発動前に術は霧散してしまった。 どうやら腕は落ちていないらしい。 そういえばこの部下の微笑みはいつも穏やかで、返り血に染まっていてもその美しさを損なうことが無かった。 一度は背を預けたことのある相手なだけに、実力も知っている。 ねじ伏せようと思えば出来なくはない。 手の内もある程度知られている上に、多少厄介な術を使うことも知っているが、それを封じ込めるすべなどいくらでもある。 それに、相手はくノ一だ。体力でも俺の方に分があるのは明らかだ。 …だが、そうか。この人を手に入れるのは、どうやら相当に難しくなったらしい。 「この人、私のなんです」 「…そうか。ウミノサンの。抜けるときに聞いた、か」 普通の奥さんになるんですよ。私。 そういって笑ったのを覚えている。 異質のモノたちの中にあってなお、俺もこの部下も浮いていた。 血に狂うこともなく、淡々と屍の山を築き、人であるよりも忍であることが自然な、そんな存在はそれほど多くはいない。 闇に属する部隊にあって、俺と似すぎているこの部下は、使いやすいが興味も持てなかった。 鏡のようにそこにある姿に、自分そのもののような存在に、どうして興味を持てる? 心を動かすことは一度として無かった。 ただ、彼女の方がずっと俺よりは人らしかったかもしれない。 女というイキモノは、驚くほど狡猾であるくせに、不条理なものだから。 信頼というのとは、すこし違うか。 互いのことが手に取るようにわかるだけに、この部下ならばと任せた策も多かった。 だからこそ、抜けた後も覚えていたのだろう。 生きたまま抜けるものが少ないというのもあるが、この部下が抜けることを、恐らく俺は惜しんだ。 すでに記憶は曖昧だ。失った仲間の数すら、もはや多すぎて数えることをやめて久しい。 はっきりしているのは一つだけ。 彼女もまた俺と同じように、自分のモノを奪われることをゆるさないだろうということだけだ。 「そう。この人と一緒なら、私は普通の母でいられる。かわいいでしょう?私の息子。この人にそっくりで」 「…そうか」 そうだな。この人は、俺をケダモノと呼んで罵ることはあっても、俺を二つ名で呼んだことはない。 今、目の前にいる俺だけを見てくれている。 「お前は帰れ!このケダモノにはこれから…!」 「あ・な・た?…ちょっとだけ、いい子にしててね?」 「うぐっ!?」 容赦ない一撃を受けた思い人が、低い声でうめいて倒れこんだ。 あれではしばらく立ち上がれまい。意識も…どうやら落ちてしまったようだ。 「お話があります」 「ああ」 「あなたとやり合うつもりはありません。だって勝てないのがわかってますから」 「…そうか」 的確な自己評価。久しぶりに会うこの部下に感じているこれは、懐かしさだろうか。 戦略を立てるときも、こんな顔をしていたな。そういえば。 「で・も。差し上げるつもりもありません」 「そうか」 奪うだけなら簡単だ。多少の怪我位は覚悟する必要がありそうだが、部下の言葉通り、実力に差がありすぎる。 だが…人の物を欲しがってはいけないと、彼女が言っていた。 やはり諦めなくてはならないのだろうか。安らげる場所をようやく見つけたというのに。 「でも、やっぱりダメな人ですね。貴方は。…あの子を、置いて逃げるつもりですか」 見透かされている。 それもそうか。この部下なら誰よりも俺を理解するだろう。 痛みも、寂しさに飲まれかけたこの心も。 「彼女が、どこにもいないんだ」 代わりを求めたつもりなど無い。 ただ、この人から漂う何かに、逃れがたく捕らわれている。 失うことを考えるだけで、恐ろしくてたまらない。 「こうなるのが嫌だったんですよ。昔から趣味が似ていて。…貴方の妻になった人、昔私が好きだった人ですもの」 「…そうか」 彼女が俺を選んでくれてよかった。…いや、選択の余地すら奪うつもりで囲い込んだ自覚もあるが、彼女が心から拒めば、俺は否応なくそれに従うしかなかった。 それほどまでに、彼女は俺の絶対だった。 この人のように。 「抜けたときも心配だったけど、本当に仕方がない人。でも…親友だからこそ頼むって言われて、放っておいた罰が当たったのかもしれません」 「罰?」 「貴方を、頼むと。…嫉妬したんです。貴方に。もう私にはこの人がいるのにね?」 意識のないウミノサンを愛しげに撫でる手が、自分のものであればいいのに。 「そう、だな」 この人にはもう部下がいる。 どうしようもないこの飢えは、押さえ込むべきだとわかっている。 かさついたこの感情も、きっとすぐにわからなくなるだろう。 …生きるのに倦んだ自分が、それほど長いとは思えないから。 「だから、ちょっとだけですよ?貸してあげます」 「え?」 「イルカが貴方の息子を選んだのもわかります。外見はそっくりなのにね?中身は彼女にそっくり。独占欲強いところは貴方に似ているかもしれませんが」 「カカシは、もう見つけた」 「それを言い訳にするつもりだったんでしょう?ダメですよ。約束やぶったら」 「約束…」 「この人、どうしても嫌だったら殺す気で抵抗しますよ?そうじゃなかったでしょう?だってそんなことしてたら、とっくにこの人はあなたの手でどこかに閉じ込められているはずだもの」 どこまでも見透かされているらしい。 確かに、本気の殺気を向けられれば、とっさに反応する。 クナイを向けられても、それが威嚇だとわかっていたからこそ、これまでこうして捕えずにいたのだろう。 「貸すとは」 「うちに住まわせるとこの人の血管がもたないでしょうから、食事をいっしょにするくらいなら。それから、この人の話を聞いてみてください。理解はできませんけど、面白いですよ?私たちみたいな生き物にね?」 「そうか」 どうやら、この人に触れることを許されたらしい。 少しというのがどの程度なのかは判然としないのだが、それだけでも感じていた胸の重苦しさ軽くなった気がした。 いや、むしろどうやら俺は浮かれているらしい。 「じゃあ、帰ります。カカシ君は…そうね。今晩うちに泊まらせますから。もうちょっといい子にできたら、貴方もお泊りできますよ?」 「努力、しよう」 「…楽しみにしていますね?」 笑顔で去っていくかつての部下を見送りながら、俺は少しだけ、ほんの少しだけなら、あの人に触れることを我慢できるだろうかと考えていたのだった。 あの人の側に少しでも長くいるために。 ********************************************************************************* とりあえず子カカイル祭り継続中。 いろんな意味で母ちゃんがこわい話。 ではではー!ご意見ご感想等御気軽にどうぞ! |