冬。僕はきみの傍に、

俺の日々の煩悶[2-5]

「カズ〜! カズっち! カズちん!」
 少し長引いた終礼が終わり、今日返ってきた実力テストの答案用紙を、ニシと見せ合いながら答えをつきあわせていると、教室の入口から底無しのバカ明るい声で名前を連呼された。
 思わず俺はそちらの方を振り返り、開け放した入口に雄樹と友明の姿を見つけたが、ニシとの話が途中だったし何より呼び方にカチンと来たので無視をした。
「やっぱ俺、数学が苦手かもなぁ」
「そうか? 基礎はできてるようだし、あとは応用問題を繰り返し解いてけば問題ないだろ」
「カ・ズ・ちんっ!」
「そう思うか?」
「ああ、あとは途中のケアレスミスだな」
「カーズーちーんーっ!」
「ケアレスミスかぁ」
「ほら、ここ。途中までできてんのに、ここで単純な計算ミスしてるだろ」
「ああ、これね――」
「カズぅ〜っち!」
「うるせぇっ!!」
 ついに俺は我慢ができず廊下に向かって怒鳴った。
 好奇心旺盛なクラスメイトたちの視線が気になったがそれは無視をして。
 だが、それでも雄樹は無邪気に笑って手を振っている。
「ったく、一体何なんだよ。いつもなら先行ってるくせに」
 俺が呆れてため息をつくと、ニシも同じように大きく息を吐きながら、それでも無表情に答案用紙をしまいつつ言った。
「なにか言いたいことがあるんだろ。とにかく、お前はもう少し視野を広く持て、頭を柔らかくしろ。わかったな」
「あ、ああ」
 視野を広く、頭を柔らかく、ね……。
 心中で繰り返しながら、俺も答案用紙を鞄へ閉まって、ニシのあとについて廊下へ向かった。すると、廊下へ出るため雄樹たちの横をすり抜けようとしたニシの肩を、雄樹がけっこうな強さで叩いた。
「鈴っち悪いね、邪魔しちまって!」
 鈴っちって……それ、ニシのことかよ。中学から一緒だったとは言え、会話なんてろくにしたことない相手にそりゃないだろう。
 内心でギョッとして思わずニシを見ると、ニシは相変わらず面白くもなさそうな顔で雄樹に視線をやると口を開いた。
「今井、だったか。今日、実力テストの答案が返ってきたろう。どうだったんだ?」
 おっ、ニシが雄樹に質問するなんて珍しい。
 だが、雄樹はニシとの会話らしい会話など初めてだなどということに気付きもしないのか、ニシの質問に両手で耳をふさぎギュッと目を瞑ると、
「あーあー聴こえなーい」
と質問を拒絶した。
「子供かお前は」
 つい突っ込んでしまったが、雄樹の反応に動じる風もなくニシは続けた。
「今はまだいいだろうが、2年になったら進路も考えなくてはいけないだろう。サッカーは1年ながら上手いようだが、足が使えなくなるような怪我でもしたらどうする。今井はそこまで考えているのか?」
 いや、雄樹はそこまで考えてないだろう。それに、ニシもあまり話したことのない相手に際どい質問をするな……。
 さて、雄樹はどう答えるんだろうかと注目したが、相変わらず耳を塞いで「あーあー」と言って答えようとしない。ダメだなこれは。
 代わりというわけではないだろうが、ずっと黙って雄樹の横で携帯をいじっていた友明が、携帯から視線を外さないまま初めて口を開いた。
「無駄だぞ、こいつは。そんな高等なことを求めても、な」
「高等って友明……大抵の奴はできることだと思うぞ、考えるくらいは」
 俺の突っ込みにニシも頷く。
「そうだな。あと3ヶ月も経たないうちに僕らは2年だ。まさか少しも考えたことがないというのは有り得ないだろう」
 すると友明はやっと携帯から顔を上げ、俺とニシと視線を合わせると嘲笑した。その嘲笑はもちろん雄樹に向けられたものだが。
「ムリムリ。こいつは射手座だからな。射られた矢の如くってやつだよ。とにかく先に進むことしか頭にない馬鹿なんだ」
「ふむ、なるほどな」
 今の友明の説明の何に納得したのかわからないが、ニシはそういうと眼鏡を押し上げながら頷いた。
「確かに射手座にはそういう所があると読んだことはある」
「へぇ、鈴木は星座の性格診断は信じる方なのか?」
「いや、ネットで少し読んだことがあるだけなんだが、ギリシャ神話に由来したり、星の意味なども関係があって興味深かったのを覚えている。射手座は確か“目的を見つけると矢のように邁進する”とか“考えるよりも先に行動に移す、ゆえに人の気持ちを逆なですることもある”とか、そんなようなことを書かれていたな」
「ああ、よくわかるよ」
 と、これは俺。
 確かに雄樹には考えるより先に動くってところがあるし、人の気持ちを推し量るってことは絶対しないな。ま、同じ射手座でもそうじゃない奴はいるだろうが。
「なるほどな。俺も実はそんなに信じちゃいなかったんだが、そんな風に書かれてるんじゃ信じていいかも知れないな」
 友明が納得顔で頷いていると、やっと雄樹が耳を塞ぐのをやめて俺たちを睨みつけた。たぶん耳を塞ぎつつも会話は聞こえてたんだろう、不貞腐れた顔をして声を上げる。
「なんだよ、みんなしてー! それじゃおれが考えなしのバカみたいじゃないか!」
『違うのか?』
 俺と友明の言葉がダブった。
 それで返す言葉を失くしようで、雄樹はしばらく何かを言いたそうにしていたが、断念したらしく肩を落としてうつむくと押し黙った。
 あーあ、落ち込んじまったな。
 すると、そんな雄樹を励ますように、意外にもニシが助け舟を出した。助けたと言ってニシが追い込んだようなものだが。
「まぁ、今井は中学3年のときに猛勉強して、見事にこの学校に合格したんだったな。目的に向かって進む能力は長けているらしいし、あとは不注意で怪我をしないように、それだけは気をつけて頑張るんだな」
 そう言ってニシは「じゃあ」と帰って行ってしまった。いや、部活があるはずだから、たぶんそっちに行ったんだろうが……。
 ふと雄樹を見ると、去っていくニシの背中を呆然と見つめていたが、少しして目をキラキラさせると興奮したように言った。
「なぁ、鈴っちっていい人だったんだなぁ! おれ、もっと陰険な奴かと思ってたよ」
 これだもんな……。
「お前な、その発言もずいぶん失礼だぞ」
「そうか?」
 俺の注意に雄樹は、きょとんとして首を傾げている。
 こいつは素直に褒めたつもりなんだろうがな……いや、もういいか。何言っても駄目な気がする。
「ま、いいや。で、なんで待ってたんだ?」
 教室の入口近くでたむろして話すのも何なんで、部室まで歩きながら話そうと思ったら友明の
「3年の先輩の卒業式に、何するか聞いときたくてな」
と言われて足が止まった。
「え? 先輩の卒業式に?」
「そうそう、何か花束とか渡そっかって」
 すっかり復活した雄樹が楽しそうに言うが、俺としては少々複雑だったりする。卒業式まであと1ヶ月と少しだから、今から考えておいて余裕を持たせようというのはわかる。だが――
「それって2年の先輩方の役目じゃないのか?」
 別に面倒だとか、やりたくないとかそういうんじゃない。もちろん、3年先輩最後の日だから、行って会って感謝の言葉とか別れの挨拶とか、いろいろ言いたいと思う気持もある。でも……
「2年もそりゃ何かするだろうな。でも、俺ら1年でも花束渡すくらいやってもいんじゃねぇかなと思ってさ」
「昨日の日曜日にな、そういう話が出たんだ」
「ふ〜ん……」
 俺がいない時にねぇ――と、少々気のない返事をしていると、友明が眼鏡越しに意味深な視線を投げかけてきた。
「もしかして、やりたくねぇの?」
「そうなのか!? カズちん」
「いや、まさか。そんなわけないだろ。ただ、1年がでしゃばっていいのかなって思っただけだよ」
 慌てて誤魔化したが友明は妙に鋭いからなぁ。悟られないようにしないと。
 しかし、俺の返事には友明ではなく雄樹が応えた。
「カズちんってさぁ、“きまじめ”だよなぁ。おれのこと考えてないとか言ったけど、おれカズちんは考えすぎだと思う」
「ぐっ……」
「同感だな。俺もそう思う」
 少しだけ難しそうな表情で言う雄樹に、友明が口の端に笑みを浮かべて同意する。
 俺は咄嗟に言い返せなかったが、友明は無理としても雄樹ぐらいは言い負かしたいと思って、何とか口を開くと言い返した。
「そ、そうか? でも、雄樹にしては珍しく難しい言葉を使ったな。“生真面目”ってどういう意味か言えるのか? お前」
「え? そりゃあ……」
「どした。意味もわからず使ってたのか?」
「う〜ん、だからぁ――すっごい真面目ってことだよ!」
「まぁ、間違いではないがな」
「すぐに答えられんような単語を使うな、馬鹿」
「バカって言うな!」
 少々無茶なことを言って雄樹を言い負かした気になり、それで一旦この話は終了ということにしておいて、時間もだいぶロスしたことだし早く部活へ行こうと2人を促した。
「そう言えばカズ」
「なんだ?」
「お前、足をどうかしたか?」
「は? 足?」
 部室へ向かいながら友明に問われて、俺は歩きながら自分の足を見下ろした。
 何か変か? と少々焦ったが、見た目がどうということではなかった。
「いや、朝練のとき足かばってただろ」
「……そうだったか?」
 訊かれて今朝のことを思い出してみる。
 そういえば準備中のときから――いや、もっと言えば自転車をこいでる時から右の足首に違和感はあったっけ。それでも、痛みはないしちょっと変かなというくらいで、そこまで意思表示していたつもりはなかったが……。
 こいつ、ほんと観察眼はするどいよな。
 再び携帯を操作しながら、危なげなく廊下を進む友明の横顔を、俺は思わず見つめてしまった。その友明の視線が、一瞬だけ携帯から俺に向けられる。
「で、もしかしてケガか?」
「いや、ちょっと違和感があるだけだ。昨日、自転車でコケてな」
 右足に違和感で思い出すのはそれしかない。実家に行ったあとの帰り道、偶然かわからないが義弟に会って喧嘩になり、あいつに掴みかかったが逆に突き飛ばされて自転車ごと倒れてしまった。
 その時に自転車が右足の上に倒れたから、それが関係しているんだと思う。
 だが、傷みもないからたぶんすぐに治るだろう。
「自転車でコケたってハズカシ〜」
「う・る・せぇ!」
 いちいち揶揄する雄樹に蹴りを入れていると、横で友明が冷静に忠告する。
「痛みがないからって放っておいて、あとでどうなっても知らねぇぞ」
「……ああ。続くようだったら病院行くよ」
 一応そうは答えてみたものの、本当はできれば病院には行きたくない。
 昨日、言われたばっかだからな、母さんに。
『もしまた病気になったり、俊也くんに迷惑になるようなことがあったら、その時は帰って来てもらうからね』
 今度、病院になんか行って、それが知られたら強制的に実家に連れ戻されてしまう。
 多少小遣いは溜めてるから、軽い治療だったら誰にも内緒で病院には行けるだろうけど……いや、保険証でバレるのかな。すぐには知られないだろうけど。
 病院に行ってそれがバレて家に連れ戻されるよりは、痛みもないんだったら俺は我慢する。
 内心でそんな風に考えていると、視線を感じて振り向けば友明が何か言いたそうな顔をしていて、俺が「なんだよ」と訊くと「どうだかな」と呟き返し、だがそれ以上は何も言わずにまた携帯に視線を戻した。
 なんだ? 友明の奴。
 やっぱ下に兄弟がいると、人のこととかが気になって仕方なかったりするんだろうか。それとも、俺の実家の事情とかを察しているんだろうか――。

2010.06.08

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