ハーフタイムに入りグラウンドの端に戻ってきた先輩たちに、マネージャーが用意してくれた飲み物を手渡しつつ、ふと2年1年チームの方を盗み見ると、どうも険悪な雰囲気になっているように見えた。
戦術を変えるのか、後半のチームに前半に出ていた西森先輩が何やら指示を出しているのが見えた。
前半は守備重視のシステムだったみたいだが、後半はそれを変えてくるんだろうか。それとも、システムはそのままでポジションにあたる者を変えるのか……。
「悠二、後半はどうするよ。スタミナ持つか?」
俺が2年1年チームの後半のシステムを予想していると、傍で木原先輩がそう言っているのが聴こえた。
あ、そうか。
2年1年チームはまるごと人員を変えられるけど、3年の先輩は交代要員がそれほど多くはない。
「最近、練習出てなかったからね。さすがに体力が少し落ちてるみたいだ」
木原先輩の問いに間壁先輩が苦笑しつつ答える。
そうすると、今のままで行けば攻撃力が落ちるかも知れないし、もし2年1年チームが攻撃に転じれば対応できるかどうかってことになるんだろう。
再び3年の先輩方で相談が始まる。
「最初のに戻すか?」
「戻したって得点できなきゃ取られたらお終いだろう」
「守りを堅くすりゃ問題ない」
「まてまて、向こうの後半チームにゃ攻撃力は無いと見たんだが、どうだ?」
「オレはそうは思わん。それに前半のヤツと交代せんとも限らんだろ」
「向こうは関係ねぇ。徹底守備、徹底攻撃だ」
「ふん、そうだな」
「全員攻撃、全員守備か」
結局、どうなったんだろうと見守るもシステムはとくに変わりないようだった。
全員攻撃、全員守備をやるつもりなんだろうか。
2年1年のチームを見るとシステムは変わらず、2年がディフェンダーとミッドフィルダーに固まり、1年がフォワードとミッドフィルダーに配置されていて、奇しくも3年チームと少し似たような力配分になったように見える。
それと、雄樹はフォワードで友明はミッドフィルダーに配置されたようで、2人とも希望のポジションになれたようだ。
しかし、3年は前後半続けてという体力差があるから、これじゃあ力は拮抗するんじゃないかと思ったのだが――
最初は互いに攻めあぐねているような感じだった。どちらもゴール前まで攻めて行けるのに、そこからゴールまでが遠いような気がした。
だが、俺は3年の先輩の力を侮っていたらしい。
先輩方はハーフタイムのときに言っていた、全員攻撃を本当にやってしまったんだ。
ボールを持った一瞬の内に判断し、全員が上がっていくと一斉に攻撃に転じた。隙を突かれた形で相手の陣形は崩れ、あっという間に3年チームに1点が追加されることになった。
俺はそれを見ながら興奮して声を上げていた。
やっぱり間壁先輩も、木原先輩も、柳先輩も――3年の先輩はすごい!
ただ、2年1年チームも当然それを警戒しはじめ、さらに全員攻撃に入ったときに守備が手薄になったのを見計らって、ボールを奪うと逆に素早い攻撃に転じる動きを見せた。
そのため、何度かゴールを狙われたりもしたが、やはりそこでも3年のゴールキーパーがスーパーセーブを連発する。
ところが、後半も半分ほど来て3年チームの勝ちが濃厚かと思われたとき――
「――?」
3年チームの先輩ゴールキーパーが、相手のシュートをセーブしたあと、ピッチにうずくまって動かなくなってしまった。
「何があったんだ?」
「たぶん……」
よく見ていなくて何が起こったのか分からなかった俺が呟くと、横で観戦していた2年の山本先輩が説明してくれた。
「セーブしようとして手に当てたボールが、弾きそこねて顔に当たったんじゃないかな」
それを聞いて改めて見ると、先輩は確かに手を顔に当ててうずくまっていた。手の位置から目に当たったんじゃないかと推察できるけど……。
大丈夫だろうかと見守っていると、ゴールキーパーに駆け寄った先輩のうち、木原先輩が観戦していた1年の内1人を呼んで、負傷したらしい先輩の移動を手助けさせた。
先輩は手伝ってもらいながら歩くことは出来るようだったけど、当たったのが目だったら大事かも知れない。
山本先輩が駆け寄ろうとして、俺もそれに続こうとしたら、
「橋谷っ」
なぜか木原先輩に呼ばれてしまった。手招きまでされると嫌とも言えず、ピッチ上の木原先輩の元まで駆ける。
「あの、先輩大丈夫ですか?」
駆け寄って聞くと傍にいた間壁先輩が答えた。
「ああ、辛うじて目は外れてたから」
「そうですか」
それなら良かった、とホッとしたのも束の間――
「でだ、お前ゴールキーパーしろ」
「ええっ!?」
木原先輩の言葉に、俺が驚きの声を上げたのは言うまでもない。
ゴールキーパーの経験なんてほぼ皆無だし、そもそも3年でもない俺が3年のチームに入るなんて……。
それは2年の先輩も思ったんだろう、同じように傍に寄っていた西森先輩が多少遠慮がちに咎めるような声を上げた。
「木原先輩、それはどういう――」
すると片眉を上げて木原先輩が不適な笑みを浮かべ、
「ハンデだ」
と言った。その一言だけで意味をくみ取った西森先輩は、ムッとした顔で何故か俺を睨み付けると、踵を返して仲間の元に駆けて行った。たぶん、事の次第を説明するためだろう。
「そういうことだ、橋谷。わかったな。返事は?」
木原先輩の命令に否とも言えず、俺は「はいっ」と返すしかなかった。
「よしっ」
「じゃあ、これ」
いつの間に預かったのか、ゴールキーパーから受け取ったらしいキーパー用のグローブとゼッケンを、間壁先輩から手渡される。
「大丈夫だ。守りは3年で固めているから、安心しろ」
グローブとゼッケンを手渡されながら間壁先輩が励ましてくれるのを聞いて、俺は心強く思いつつもやるからには全力でゴールを守ろうと決意を固めた。
試合は再開されたが、中断が長引いて集中力が途切れたのか目に見えて3年チームの攻撃力は落ちたようだった。
それでも、ディフェンスやミッドフィルダーにいる3年の守りは堅い。
ゴールキーパーは1年の俺っていうことで、全員攻撃に転じる機会は明らかに減ったが、その変わりゴールを狙われる回数も減った。
ただ、2年1年チームはこれを好機と見て取ったらしく、以前よりも積極的にゴールを狙ってきていた。
そんな中で俺も負けてはいけないと、見よう見まねでゴールキーパーらしい掛け声を出して盛り上げようと頑張ってみる。
まさか3年の先輩に指示なんて出せないが、「ナイスです」とか「後ろ来てます!」とか分かる範囲で声を出した。
先輩のお陰でほとんど危機的状況もなく、後半もあと5分ほどで終わろうかというとき、先輩方はどうも追加点を諦めてはいなかったようで、終わりかけにたぶん最後のだろう攻撃へと転じたのだが――
「!?」
途中のパスを見事にカットされ――カットしたのは友明だ――それから今試合の2年1年チームの中で一番の切り替えで2年1年チームは攻撃に転じるとこちらに迫ってきた。
しかも友明のパスを受けて上って来たのは雄樹である。
実のところ1年の中でも一番センスがあるんじゃないかと言われる雄樹だ。止められる自信はないが……しかし、先輩の有終の美を汚すわけにはいかない!
先輩ディフェンダーも上がって来てはいるが、たぶん完璧なクリアは難しいだろう。
留まるべきか、飛び出すべきか瞬間迷った。
雄樹がディフェンダーに圧されてサイドに寄ると一瞬だけ辺りを見た。2年1年チームも数人上がって来てはいるが……。
俺はそれを頭に入れつつ目の前のボールに集中した。
ディフェンダーが迫っているのを感じたらしい雄樹は、たぶん3年相手じゃ回避は出来ないと思ったんだろう。ペナルティーエリアの端まで来るとシュートを打った。
不思議な感覚だったがボールはよく見えていた。鋭い角度で飛んできたボールだったが、飛びついて手で弾くことはできた。
だが、弾いたボールはゴール前に転がり、そこにいた相手チームに取られてしまう。
すぐに飛んでくると予測して立ち上がり、再びゴールを狙ったシュートを今度こそクリアして、弾いたボールはゴールの上を飛び越えてピッチの外へ――最大の危機を乗り越えることが出来たようだった。
いや、咄嗟には信じられなかったんだけど……
「ナイスセーブ!」
ハッとして振り返ると間壁先輩が駆け寄って来るところだった。
「いや、正直今のはやられたと思った。ナイスキーパー!」
そう言って俺の肩を軽く叩くと持ち場に帰って行き、変わりに今度は木原先輩の声が飛んでくる。
「集中切らすな! 次、来るぞ!」
あ、そうだった。コーナーキックだ。
だが、それ以降は先輩も守備を徹底し、ロスタイムも集中を切らすことなく2年1年の攻撃を尽く跳ね返した。
そして、終了のホイッスルが鳴り、3年との最後の部活動が終わった。
3年対2年1年の最後の試合が終わると、今度は3年の先輩たちがそれぞれ一言ずつ言っていくことになっていた。
3年間楽しかったとか、一昨年は全国出場まで行ったのに昨年今年と行けなかったのは悔しかったとか、来年はお前らで絶対全国に行ってくれとか――。
そういう今までを振り返った感想とか、後輩に対する期待や希望を語って行った。
そんな中で俺が一番印象に残ったのは、やっぱり間壁先輩の言葉だった。
「3年間本当に楽しかった。小学生の頃からずっとやってきたサッカーだけど、高校での活動が一番楽しかったし、充実していたし、それにいろんなことを学べたと思う。
途中で何度も挫折したけどその分成長できたと、それだけは自信を持って言える。
僕はこの先、大学に入ってサッカーが続けられるかどうか分からないけど、高校3年間で経験したことを励みに、これからも頑張って行きたいと思う。
僕が1年のときには偉大で尊敬できる先輩がたくさんいて、僕は少しでも先輩に近づこうと頑張ったつもりだったけど、3年になった今部長として、後輩にも同じように思ってもらえたかは自信はない。
だけど、出来ればみんなには根湖高校としての誇りを持って、これからも頑張って行って欲しい。
ここで経験したことは決して無駄じゃないから、全力でサッカーを楽しんでくれ」
最後に「以上」と括って、その後、2年1年の代表として西森先輩が3年の先輩に感謝の言葉を贈り、俺たち全員の言葉が入った色紙を渡して、そうして3年の引退式は終わった。
それから、部長は西森先輩に、副部長は八坂先輩に引き継ぐと公表して解散ということになった。
ただ、1年には後片付けがあるからグラウンドに残らなきゃいけない。
俺は遠ざかる先輩たちを、ほんの少しだけ眺めた。
間壁先輩はああ言ったけど、でも俺にとって3年の先輩たちは、確かに尊敬できる存在だった。俺がこの高校に入るきっかけにもなったんだから。
……そう言えば、それを間壁先輩に伝えたことはなかったかも知れない。
いつか、それを先輩に伝えよう、必ず――。
やっぱり俺にとって間壁先輩は、中学のときから憧れ続けたプレーヤーだったんだから。