夜中、胸騒ぎのような動悸を覚えて目が覚めた。
途端に寝苦しさを感じて寝返りを打ち、今は何時だろうかとベッド上の目覚まし時計を見ると午前3時33分で、「3」という数字は大抵いいイメージのはずが、この時ばかりは不吉な数字に思えて俺はもう一度寝返りを打った。
あと5時間もすれば当然学校があるし、その前に朝練もあるから早く寝てしまいたいのに、苦しさに寒気と震えが重なって更に眠れなくなる。
仰向けになると腹が張っている感じがよく分かったし、更には口の中にすっぱいものが込み上げてきて、ああこれはもう駄目だなと上半身を起こすとまた動悸が早くなって息をするのも苦しいと思いながらトイレに急いだ。
部屋を出るとすぐ右手にトイレがあるんだけど、この時ほどトイレが部屋の隣にあって良かったと思ったことはない。
俺はトイレの戸を開くと閉めるのももどかしく、便器の蓋を上げてそこへ顔を突っ込み、我ながら情けなくも終わりごろには濁点付きの「おえ」という声を発して、それどころか涙なんかも流しながら吐いた。
そんなただ事ではない雰囲気を感じたのか、単に俺の情けない声が聴こえたのか、俊也さんが起きだして来て状況を察し俺の背をさすってくれる。そして近くに救急があるから行こうと言われて、ちょっどひどくなった風邪や腹痛ぐらいだったら朝まで我慢するよとか市販の薬で大丈夫だよとか言うんだけど、吐いた直後で気弱になっていた俺は遠慮することができず、俊也さんに抱えられるようにして病院に行くことになった。
さすがに俊也さんは服を寝間着から普段着へと着替えたが、俺は着替える余力も無く寝間着の上に白のジャージ上下を俊也さんに手伝ってもらいながら着て、その上からコートを羽織った格好で行くことになった。
病院に着くと意外にも待合室に人が多かったが、そんなことは実はあとから思ったことで、受付へ行くと体温計と用紙を渡され、体温を測りながら用紙に書かれた質問に従って自分の状態や過去の病歴の有無などを、隣で付き添っている俊也さんに「大丈夫か」と言われながら震える手で記入していく。
結構長いこと待たされ、4時間くらいしか寝てないのだから待っている間に眠気を感じても良さそうなものだが、吐き気と寒気と震えに苦しくてそれどころじゃない。
本当にやっとと言う感じで名前を呼ばれ、俊也さんに付き添われながら指定された診察室へ入り、一般的には若いとは言えない、でも中年と言うにはまだ早いような年代の医師が一通りの診察を行ったあとで、「昨夜は何を食べました」と訊ねてきた。
未だ息苦しさを感じながらも必死に思い出そうと、あらぬ方向に視線をやりながら記憶を辿っていると、俺ではなく後ろにいた俊也さんが「あ」と声をもらした。
「カキフライ……」
なぜか呟くように俊也さんが言って、俺も今まで牡蠣を食べたことはなかったが中ることがあるということは知っていて、じゃあ俺も牡蠣に中ったのかと納得したから「ああ……」と思わず頷いた。
すると医師は「それかも知れないねぇ」と曖昧に言って、吐き気止めと整腸剤、解熱剤を3日分だけ処方して、加えて柑橘系やすっぱいものは避けて、脱水症状を起こさないようポカリを温めたものを飲むようにと言われて、それで診察は終わった。
待合室に戻ってまた名前を呼ばれるまで待ち、医師が言っていた吐き気止めと整腸剤と解熱剤を受け取って、やっと家に帰ったときにはすでに午前5時が過ぎようとしていた。
家に帰るとすぐにまた寝間着姿に戻って、俊也さんに支えられながらベッドの中へ戻るが、寝てしまう前に薬を飲まなければいけなくて、俊也さんが持って来てくれた薬と白湯を受け取ると無理やり胃に流し込んだ。
そうして、普段だったらなんでもないような着替えや家から病院までの行き来が、本当にしんどくて俺はベッドへ倒れこむようにして寝ころがると大きく息をついた。
そんな俺をベッド脇で心配そうに見下ろしてから、また我慢できなくなったら呼んでくれと言って俊也さんが部屋を出て行く、そのうしろ姿を俺は申し訳ない気持ちになりながら見送って、見送ったあとの記憶がないほど俺はストンと眠りに落ちた。
ただ、まだ体に熱や、あるいは寒気や吐き気、そういった苦しさが残っているためか眠りは浅く、ずっとうとうととしていて夢現の浮き沈みから、ふと意識が戻ったときベッド脇にスーツ姿の俊也さんがいて、俺の様子をやっぱり心配そうに覗き込んでいた。
俺はその気配で目が覚めたのだろうかと、あまり意味の無いことを考えた次に、俊也さん仕事に行くんだと思うと一抹の不安というか淋しさを感じた。そして感じた途端にそんな気弱になっている自分が恥ずかしくて、慌てて頭の中で不安や淋しさを取り除こうと必死になった。
こんな状態だからといって「傍にいてくれ」と人に縋りつきたくはない、そんな弱い自分を晒したくはない。ましてや、ここは俺の家でも無ければ傍に居るのは母さんでも祖母ちゃんでもない、我侭は言えない、言いたくない。
だけど、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか俊也さんが、
「ごめん、仕事休めたら良かったんだが……」
と申し訳無さそうに言うから、俺は弱気な自分を押さえ込み、なんとか笑顔を作って
「もう吐き気もあまりないし、大丈夫だって」
と言うも、声に力が入らないのは隠しようがなかった。
そんな俺の強がりを察したのかどうなのかは分からないが、俊也さんも微笑むと俺の頭に一度手をやってから、ベッド脇の棚の上に電話の子機と、「これ、僕の会社の番号と携帯の番号だから」と言って番号の書かれた紙を置いて、それでもまだ心配そうにしながらも部屋をあとにした。
残された俺は、中途半端に寝てしまったせいか視界がぐるぐると回って、もう一度寝ようと目を閉じると眩暈は更に強くなり、そんな地の底に落ちるような感覚を味わいながら、これは一体何の罰だろうかと思いつつまた眠りについた。
今度は少しだけ深い眠りだったと思う。夢も見ないほど意識は深いところへ落ちて、俺の感覚としては結構長い時間そこに沈んでいたと感じていたが、次に目を覚ましたときには幾らか気分は楽になって目覚まし時計で時間を確認すると、まだ午前10時過ぎであまり時間が経っていないことに驚いた。
最初に眠りについたのが午前5時くらいで、それから次に起きたときは俊也さんが出勤する頃だったから午前8時くらいのはずで、その後またすぐに眠ったがまだそれから2時間しか経っていないんだ。
やっぱり寝るのにも体力が必要と言うことなんだろうかと思いながら、それでも起きて何かをする気にはなれず、もう一度寝ようと寝返りを打とうとしたその時、部屋の戸の向こうで何かの物音を聴いた。
まさかこんな時に泥棒かと一瞬思ったが、ここはオートロック式なのでちょっと考え難い。ただ、必ずしも有り得ないことではないのだろうけども……。
もしかして、俊也さんが「やっぱり心配で……」とか言って戻って来たんだろうかと、それに思い至って咄嗟に半身を起こしたとき、俺の部屋の戸がノックされた。
「カズくん、起きてっか? 俺だけど――」
「……陽平さん?」
驚いたことに、俺の返事に応えるように開いた戸の向こうから現れ、遠慮する様子もなく部屋の中に入って来たのは陽平さんだった。
「よっ、生きてたか」
ついでに言葉の意味ほど心配した様子もなくそう笑顔で言うと、椅子をベッド脇に引き寄せて座り俺の顔を覗きこんだり額に手を当てたりして、どうやら俺が調子悪くして寝込んでいるのを知っているようだから、どうして今陽平さんがここにいるのか察することは出来たが、それでもつい口から漏れた言葉は「どうしてここに?」だった。
「俊也から聞いてな、カズが牡蠣食べて死にかけてるっていうから、来た」
やっぱり……。
俺の質問に予想通りの答えが返って来て、陽平さんにも迷惑をかけてしまったなと思ったのだけども――
「な、牡蠣っつってもカキフライだったんだろ? それでも中ったのか? よっぽど運が悪いか、牡蠣が体に合わなかったんだな。吐いたの? トイレで? さっきチラッとトイレ見たけどキレイだったぜ? 下痢は?」
矢継ぎ早に問われて、一瞬だけ閉口して思わず陽平さんを見つめるけど、俺の気持ちに気付いた風もなく「何?」という感じで見つめ返されて俺は、ふと浮かんだ「無神経」という言葉を胸のうちに押し込めた。
まだ胸の辺りがムカムカして、ふと込み上げるような感覚が時折襲ってくる、そんな状態なのに思い出させるようなことを言わないでくれと思うのだけど。
それでも俺は、起こしていた体を横にすると「下痢はあまりない」と一応答えておいた。
俺の答えに「ふ〜ん」と返した陽平さんに俺も問い返す。
「陽平さんは、仕事は大丈夫なんスか?」
一昨日に会ったときには、これから少し忙しくなるというようなことを言っていたけど……。
俺の心配を振り払うように陽平さんが顔の前で手を振ってみせる。
「へーき、へーき。今日一日くらいは問題ナシ! それより何か欲しいもんとかあるか? 朝喰ってないんだろう?」
「食欲ない……」
「ま、そりゃそうだろうな。でも、何か腹に入れとかねぇと、薬も飲めねぇからな。昼にはおかゆ作るから、それは絶対喰えよ。あ、もしかして水分とってねぇんじゃねーの? キッチンにポカリがあったから持って来てやるよ」
そう言って陽平さんは俺の返事も聞かずに部屋を出て行ってしまったのだけど、ポカリがキッチンにあったということは仕事に行く前に俊也さんが買って来てくれていたのだろうか……。
少しして陽平さんが持って来たポカリは、俊也さんから言われていたのかちゃんと温められていて、本当は何も喉を通らないと思っていたのだけど、一口だけ口に含むと思いの外口の中が乾いていたことに気付いて、ゆっくりとではあったが俺はポカリをすべて飲み干し、幾らか気分がマシになったような気がした。
ポカリを飲み干しホッと一息ついていると、俺の手から空になったコップを当たり前のように取り上げて陽平さんは、立ち上がるといつもと変わらない表情で俺を見下ろし、
「じゃ、昼まで少し寝とけよ。俺はリビングに居るから、何かあったら子機の内線で呼んでくれ」
と言って部屋を出て行った。
水分を取って人心地ついたというのもあるんだけど、陽平さんの普段と変わらない様子に俺は安心感を覚えて、またベッドに潜り込むと今日何度目かの眠りについた。
次に目を覚ましたとき、胸騒ぎや動悸を覚えたわけでもなく、かといって自然と目が覚めたわけでもなく、誰かの声か物音で目が覚めたような気がして、俺は布団の中で半分ほど目を開けて天上を眺めながら、夢うつつの堺で聴いたあの音は何だったのだろうとぼんやり考えていた。
すると、今度は戸が開くか閉まるときの音がした。
咄嗟に誰か――といって陽平さんしか居ないんだけど――入って来たのかと寝たまま顔だけを戸の方へ向けたが、そこには誰の姿もなくてさっきの音は戸が閉まった音だったのだと知った。
陽平さんが様子を見に来たのだろうかと、何気なく耳をすましていたら戸の向こうで微かに陽平さんのしゃべる声が聴こえて、もう一人誰かが居るようには思えなかったから、もしかしたら誰かに電話しているのかも知れないなと俺は察した。
察したあとで時計を見たら12時を30分ほど過ぎていて、昼食の時間が来たから陽平さんは俺の様子を見に来たのだろうかとも思ったが、食欲は当然ないのでそれはどうでもいいとして、俺は寝返りを打つとまた目を閉じた。
ところが、ふと尿意があるのに気づいて俺はダルいなと思いつつも、このままだと寝るどころではないので仕方なく重い体を起こすとベッドを這い出した。
部屋を出てすぐのトイレに入ろうとしたら、廊下の突き当たりの扉を開けてリビングに入っていこうとする陽平さんの背中が見えた。俺が出てきたのに気付いたんだろう陽平さんが振り返ると、片手に携帯を持っていてやっぱり電話してたんだなと思っていたら、その携帯を耳から離して陽平さんが
「小? 大? ゲロ?」
って訊ねてくるのを俺は思わず半眼で睨んで「小」と唸った。
そんな俺の様子の何がおかしいのか陽平さんは軽く笑って、
「起きたんなら飯食えよ。あとで持っていくから」
そういうと俺の返事も聞かずに携帯の相手との会話に戻った。
俺もトイレに入りながら、何気なく陽平さんの会話を聞いていたら、「ああ、へーきへーき。ションベンだって。顔色ももう悪くねーし――」と言っているのが聞こえて、それで電話の相手は俊也さんなんだと分かった。
会社に行っても心配してくれていて、ちょうど今は昼休みかなんかで気になって陽平さんの携帯にかけてきたのかも知れない。
仕事に差し支えはなかっただろうかと、用を足しながら俺はふと思った。午前3時半に起こされて、俊也さんだってあまり寝れてないはずだし、今気付いたけど吐いたはずのトイレが綺麗になってて臭いもまったくない。さっき陽平さんだって「トイレがキレイだった」と言っていたじゃないか。きっと病院から帰ったあとに俊也さんが掃除してくれたんだ……。なら、尚更寝る時間もなかっただろう。
それに同居人がこんなことになって心配だろうし――そんな状態で仕事に差し支えはなかっただろうか、と俺はやっとそこに思い至った。
迷惑、かけてるよな……。
胸の中でそう呟くと、それが俺の中で重しになって余計体を辛くした。
肩を落としてトイレを出ると、すでにおかゆとお茶と水の入ったコップを乗せたトレイを持った陽平さんがいて、俺の顔を見るなり不審な顔をする。
「おいおい、やっぱゲロった? んな顔してんぞ」
俺はそんな陽平さんの言葉に言い返す気力もなく、無言で部屋に入るとベッドに潜り込んだ。
「こら、寝んなって。飯を食え。じゃねーと薬が飲めねぇだろ」
後を追って部屋に入ってきた陽平さんが言い、渋々俺はベッドに上半身を起こすとおかゆを受け取った。
おかゆは塩くらいしか味付けのないものだったけど、別の小皿に醤油のかかったカツオ節があって、それと一緒に食べると結構おいしく感じられ不思議と食欲がわいてくる。
黙々と少しずつおかゆを胃の中に流し込んでいる俺の横で、椅子に腰掛けつつ「うまいか?」とか「塩もうちょっと足すか?」とか訊ねてくる陽平さんに、適当に相槌を打ったあとで俺は無意識に「さっきの電話……俊也さんですか?」と訊いていた。
聞くつもりもなかったことに、自分でも驚いて一瞬俺は何を質問してるんだと固まっていると、唐突に陽平さんが「わかった!」と声を上げた。
その声があまりに突然でしかも大きくて、思わずまたそれに驚きレンゲを落としそうになりながら陽平さんを見ると、陽平さんは腕組みなどをしつつニヤニヤと笑っていた。
「な、なんですか……?」
「いや、カズくんのことだから、また迷惑かけちゃったなぁとか引け目を感じちゃってんだろ」
「いや……まぁ……――はい」
咄嗟に誤魔化す気力もなく素直に頷くと、ニヤニヤの上に呆れたような、あるいは可笑しさを我慢しているような、なんとも言えない笑みを浮かべて陽平さんはため息をついた。
「まぁ気にするなっていう方が無理かも知れんが、それでも気にすんなって!」
「でも……」
「あのなぁ、俊也もカズくんをあずかるっつった時点で、そういうのも承知してるし別に迷惑だとか思ってねぇって」
「はぁ……」
「俊也ももういい年だし、その辺はちゃんと考えて同居を提案してると思うぜ。そうでなくて、病気の1回や2回したくらいで迷惑だとか思ってたら、そりゃあ俊也の考えが甘かったってことだろう」
「そう……かな?」
「そうだって。大人が未成年をあずかるってことは、病気とか問題とかそういうのも一緒にあずかるってことだと、俺は思うぜ?」
普段、俺の前では何かとふざけてるような印象の陽平さんが、失礼な言い方だけど意外にも大人な意見を言うから、何だか緊張したときのように動悸が早くなってしまって陽平さんの目を見ることが出来なかった。
それでまだ3分の1ほどおかゆの残った碗を黙って見つめていると、「もういいのか?」とやっぱり普段と変わらない調子で陽平さんが言うから、俺も咄嗟に「はい」と返して陽平さんの方を振り返った。
すると水の入ったコップを持った右手と、何も持ってない左手を差し出すので、俺も無意識に右手に持った碗を陽平さんの左手に渡し、陽平さんの右手に持ったコップを左手で受け取った。
それから陽平さんに差し出されるまま薬を受け取ると水で喉の奥に流し込む。
俺が薬を飲み終えるのを待ってたらしく、コップを受け取ると陽平さんが続けた。
「それとな、カズくんと俊也って従兄弟だろ。従兄弟っつったら親戚だろ。だから、もうちょっと甘えてもいいと思うぞ、俺は。じゃないと――」
そこで言葉を切って、碗やコップを乗せたトレイを持って立ち上がってから
「俊也が淋しがる」
そう言って意味深な笑みを浮かべて部屋を出て行ってしまった。
俺はと言えば、また布団の中に戻ると陽平さんの意味深な笑みはともかく、「俊也が淋しがる」という言葉の意味を考えていた。
それはやっぱり、頼ってもらえなくてということなんだろうか。だけど、この部屋に住まわせてもらってるということがもう俊也さんに頼ってるってことで、これ以上は俊也さんに迷惑はかけられないって俺は思ってるだけで――
考えながらも薬の作用か、しばらくして強い睡魔に襲われて俺はまた深い眠りについた。
額に何か冷たいものがあてがわれて、俺は暗い意識の底から目が覚めた。ゆっくりと目を開けて天井を見たつもりが、辺りも真っ暗で本当に自分は目を開けたのかどうかさえ咄嗟に分からなくなる。
だが、目が闇に慣れてくるにつれて薄ぼんやりと天井の模様が見てとれたし、俺の額に手を当てて心配そうに見下ろしてくる俊也さんの姿も見えた。
まだスーツの上にコートを羽織た姿だったり、手が冷たいのは帰ってきたばかりだからだろうか。帰って来て玄関を入ってすぐに俺の部屋に来てくれたんだろうか。
息を吸うと外の冷たい空気の匂いがした。
「おかえり……」
小さく掠れた声で言うと、心配そうにしていた俊也さんの表情がふっと綻ぶ、その笑みに俺の身体が芯から温かくなって、まだ油断すれば襲ってきそうな悪寒と震えが霧散していったような気がした。
「ただいま。ユキ、調子はどうだ?」
「うん、もう大分マシ」
薬の作用で眠ったせいか、まだ頭の奥が痺れたように鈍く疼くけど、吐き気もなく胃も落ち着いてきていた。
「そうか。まぁ大事を取って明日もう一日休もうな。食欲はあるか?」
問われて俺自身も自分の腹に、声に出さずに訊ねてみる。
「うん、ちょっと減った」
少しだけど空腹感がある。回復している証拠だった。
「じゃあ何か持って来よう」
安心したように微笑んで部屋を出ようとする俊也さんに、俺はそういえばと気になって俊也さんを呼び止めた。
「あのさ、陽平さんは……?」
俺の問いかけに振り返った俊也さんだったけど、なぜか俺から視線をそらして「帰ったよ」と言っただけで部屋を出て行ってしまった。
もしかして、また俊也さんと陽平さん喧嘩したんだろうか。高校からの親友とか言うけど、よく意見の食い違いから喧嘩する2人なんだというのは、この数ヶ月見てきてわかっている。それでも、よく一緒にいるから不思議な関係だと思う。
俺は布団の中でもぞもぞと仰向けから横向きに体を動かすと、今日一日の陽平さんがしてくれたこと、言ったことを思い出して、今度会ったときにちゃんとお礼を言わなきゃなと自分に言い聞かせた。