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『歪んだ王国』 by Riko
悟空と三蔵が悟浄・八戒の二人と出会って数ヶ月が経過し、初対面から何とな く通ずるところのあった四人は、大した時間もかからず互いの名前を呼び捨て し合い、ふとした折りに差し入れを持って行き来をする仲になっていた。 そんなある日のこと。悟空の好みそうな菓子を持って寺院を訪れた八戒は、中 庭を横切ろうとしたところでとある場面に遭遇した。 四、五人の人影───ふとそちらに目を遣れば、比較的年若い僧侶らにぐるり と周りを囲まれた悟空の姿があった。距離がある為にそのやり取りは聞き取れ ないが、どうやら彼らはほとんど一方的に悟空を責め立てているようだった。 知り合ってからの月日がまもない自分の目にも歴然としているほど、この寺院 での悟空の扱いは激しく差別されていた。曰く『人ならぬ異端の者』は『神聖 なる寺院』に相応しくないそうである。 その『異端なる存在』を、神に最も近いと称される三蔵が許容しているという 事実が、彼らの憎悪をより一層根深いものにしているようだった。 悟空が反論をしている様子はない。ただじっと俯き、拳を握りしめて嵐が過ぎ 行くのを待っている。 「…っ!」 八戒の表情が成り行きを見守っていたものから驚きのそれに変わる。どれほど 責めても一向に反応しない悟空の態度に焦れた一人の僧侶が、思いきり悟空の 背中を突き飛ばしたのだ。まるで無抵抗だった悟空の身体は、そのまま地面へ とうつ伏せに倒れた。無様に地面へと突っ伏す悟空の背中へと尚も二、三の雑 言を放ってから、僧侶らはその場を離れていった。 僧侶らが完全に立ち去るのを見計らっていたかのようにムクリと身を起こした 悟空が、立ち上がって服についてしまった土埃をはたく。その様子は実に淡々 としたものだった。数瞬の間を置いて、八戒が「悟空」と声をかける。こちら を振り返ったその顔はもう、いつもどおりの幼さが色濃く残る笑顔だった。 「八戒!来てたんだ…っと…」 ふとつい先刻までの状況に思い至ったらしく、悟空の笑顔にはバツの悪そうな 表情が混ざった。 「…見てた?」 確かめるようにじっと見上げてくる悟空に、八戒は小さく頷く。悟空は少々大 袈裟に「あーぁ」と声を上げ、照れ隠しに頭を掻いてみせた。 「カッコ悪ィとこ見られちゃったなぁ…あの、大したことじゃないからさ、ホ ントに、気にしないで?」 「な?」と同意を求めるように、悟空は翡翠色の瞳を覗き込む。だが相対する 八戒の胸中は何とも複雑だ。詰まるところ悟空は『大したことではないから三 蔵には言うな』と暗に告げているのである。 「唇の端…切れてますよ。」 結局八戒は応とも否とも答えず、悟空の口許を指し示してそう言った。悟空は ハッとした様子で口許を指で抑えた。 「マジ?倒れた時にぶつけたかな…結構目立つ?」 「いいえ、それほどでもないですけど」 「そっか、ならいいや…ヘーキ、俺って頑丈なのが取り得だからさ。あ、そう いえば悟浄は?一緒じゃないの?」 「へへ」と悪戯っぽく肩を竦めてみせた悟空は、話題を切り替えることで今の 話を終わらせようとしている。おそらくこれ以上追求しても何も答えようとは しないだろうと判断した八戒は、いつもどおりの人当たりの良い笑顔を悟空に 向けた。 「それがね、どうやら昨夜相当深酒してきたらしくて…朝からウンウン唸って ダウンしてます。」 「バッカだなー、今度会ったら絶対からかってやろーっと。」 無邪気な笑顔も、「早く行こう?」と腕を引く子供らしい仕草も、よく見慣れ ているはずの彼なのに。 八戒は胸の内に生じた微かな違和感を拭いきれないでいた。 いつもの如く執務室に向かえば、これまたいつもの如く仏頂面で書面に筆を走 らせる三蔵がいて。しかし今日は比較的余裕があるらしい。本当に忙殺されて いる時の彼は、話し掛けようが何をしようが目線すら上げようとしない。八戒 の挨拶に「あぁ」と顔を上げた三蔵はその表情から何かを察したのか、珍しく 悟空に茶の支度を言いつけた。素直に頷いた悟空の足音が遠ざかるのを確認し て、八戒が徐に口を開いた。 「三蔵…今更僕が問うまでもなく、貴方はこの寺院で悟空が置かれている状況 を把握していますよね?」 努めて冷静な口調で、八戒は話を切り出した。自分がたまたま初めて目にした あの光景はおそらく今に始まったことではなく、悟空にとってごく日常的な出 来事なのだ。既に慣れきってしまっている『日常』。だからこそ彼はすっかり あきらめてしまって、どんな理不尽な責めにも抗おうとすらせず、平素の彼か らは想像がつかないくらい淡々と、時が過ぎるのを待っているのだ。 三蔵はさして興味もなさそうな顔で煙草に火を点け、ゆっくりと吸い込んだ。 「…で?あのサルが、坊主どものイビリが酷いからお前から俺に言ってくれと でも泣きついたか?」 「そんな…悟空が自分からそんなことを言う子じゃないって、貴方が一番承知 しているでしょう?」 あまりと言えばあまりな三蔵の物言いに、いつも穏やかな彼らしくなく八戒が 語気を強める。しかし三蔵はそんな八戒の反応に眉一つ動かさなかった。 「だったら何故お前がそんな余計な口出しをする?言っておくが、ヤツのして いることは全てヤツ自身の意思だ。俺は手出しもしない代わりに強制もしない。 坊主どもの仕打ちが我慢ならないならやり返せばいいし、ここでの扱いが不満 なら新しい居場所を探せばいい。それだけのことだろうが。」 事もなげに三蔵はそう言い放ったが、現実問題はそう単純ではないと八戒は思 う。多少なりとも悟空と手合わせしたことのある八戒は、その強さを身を持っ て知っている。実際のところ、悟空がちょっと本気になればあんな連中を黙ら せることなど、赤子の手を捻るくらい容易いことなのだ。しかしそんなことを すればこの寺院における三蔵の立場を悪くしてしまうだけだと、悟空はわかり 過ぎるほどにわかっている。その悟空が自分から手を出そうなどと思うはずが ない。それに他に居場所を探すといっても、封印されていた五行山から三蔵に 連れられて長安にやって来た悟空には、他に頼るべき身内もいない。だからこ んな周り中が敵だらけのような場所で、厳しい視線に晒されながら暮らしてい るのではないか。 三蔵の言葉からそんなことを考えていた八戒が、ふと何か思いついたような表 情になる。暫しの沈黙の後、八戒は改まった表情で三蔵へと視線を向けた。 「三蔵…もし僕が…僕達が、悟空をあの家へ引き取りたいと言ったなら…どう ですか?」 そうだ。何もわざわざこんな居心地の悪い所での我慢をあの子供に強いる必要 などないではないか。気のいい家主はきっと賛同してくれるに違いない。悟空 はいつでも会いたい時に三蔵に会いに来ればいいのだし、三蔵とて離れて暮ら せば少しはマメに顔を見せに来るだろう。 突然の八戒からの提案に、三蔵の反応は至って淡白だった。 「別に。俺がどうこう言う筋のことでもねぇからな。」 「じゃあ貴方は、特に反対はしないんですね。」 「しねぇよ…あいつがどうするかは、あいつの意思で決まることだ。」 念を押すように言葉を重ねた八戒に対し、全く動じることなくそう答えた三蔵 は「もっとも」と付け加え、深く紫煙を吐き出した。 「あいつはそんなことは望まねぇだろうけどな。」 あくまで淡々と言葉を紡いだ三蔵の秀麗な横顔に刻まれた笑みを目の当たりに した八戒が、思わず瞠目する。それは皮肉や自信などという、そんなわかりや すい言葉で表せるようなものではなくて。 圧倒的なまでに凄絶な笑みを形作る紫の瞳に宿る色は、底が知れないほど昏く、 深い。こういう笑い方をする男だったのかと、周りの空気にすら痛みを感じる ほどの威圧感に、八戒が無意識に息を詰めた時───勢いよく執務室の扉が開 け放たれた。瞬く間に張り詰めるような緊迫感が四散していき、八戒がホッと 息をつく。三蔵は短くなった煙草を消し、柳眉を寄せて扉の方を振り返った。 「うるせーぞサル、もう少し静かに開けられねーのか」 「だってしょうがねーじゃん、両手塞がってんだもん。」 開口一番で叱られて、三人分の茶を用意して戻ってきた悟空は不本意そうに頬 を膨らませている。しかしそれはテーブルの上に置かれた箱に視線を移した途 端、満面の笑顔に変わった。 「なぁなぁ八戒、今日の土産なーに?」 「え…あぁ、シュークリームとフルーツロールですけど…お好きですか?」 悟空の呼びかけに我に返った八戒が、ぎこちなく笑みを返す。「どっちも大好 き!」と天真爛漫に答えた悟空は急いで盆を置き、いそいそと箱を開け始めた。 「なぁ、三蔵も一休みして一緒に食べよ?」 屈託のカケラもない笑みが、三蔵へと向けられる。三蔵は素っ気無いながらも 「あぁ」と同意を示し、執務用の椅子から立ち上がった。 そこからはいつもどおりの、和やかな時間だった。悟空はよく笑い、よくしゃ べり、よく食べ、三蔵は新聞をめくりつつ申し訳程度の相槌を打つ。そんな二 人の間で当り障りのない会話をしながら、八戒は完璧なまでに「いつもどおり の自分」を作り上げていた。 空が夕暮れに染まり始めた頃。「そろそろこの辺で」と八戒が席を立ち、門ま で送っていくと悟空も立ち上がった。三蔵は何を言うこともなく、扉の向こう へと消えていく二人の背中を見送った。 たわいもない話をしながら、山門までの僅かな間を二人並んで歩く。夕映えの 赤が、幼さを残す悟空の顔を照らし出す。それを何処か遣る瀬無い思いでみつ めていた八戒は、門が間近になったところで思いきって話を切り出した。 「ねぇ悟空…もし悟空さえよければ、なんですけど…あの家で、僕らと一緒に 暮らしませんか?」 ピタリと、悟空の足取りが止まる。八戒の方へ顔を向けた悟空は、零れ落ちそ うなくらい目を見開いて小首を傾げてみせた。 「八戒…?何でそんなこと言うの…?」 何とも不可思議そうに問い返す悟空は、何故八戒がいきなりこんなことを言い 出したのかが掴めず、只々驚いているといった様子である。 「まだ子供の貴方が言いたいこともやりたいことも我慢して、こんな居心地の 悪い所にいる必要はないでしょう…僕達三人なら、きっと仲良く楽しくやって いけますよ。三蔵には、いつでも会いたい時に会いに来られるんですから。」 きょとん…とした表情でこちらを見上げている悟空に柔らかな眼差しを向け、 八戒は穏やかに語りかける。しかし八戒の話を聞き終えた悟空の口から出たの は、思いも寄らない一言だった。 「なーんだ、そんなこと。」 翳りなど微塵も感じさせない声でそう言い切った悟空は、真っ直ぐに八戒を見 上げて笑った。 「…悟空?」 今自分に向けられているのは、間違いなく「笑顔」だ。だがそれは、つい先刻 好物の菓子を頬張っていた時の、子供そのものという笑顔とは明らかに異なる。 怪訝そうに瞳を眇めた八戒にもう一度ニッコリと笑いかけた悟空は、クルリと 踵を返してその視線を空へと向けた。 「いいんだ。そんなこと、どっちだって…三蔵と二人なら、そんなのどうだっ ていいんだ…他の奴らがみーんな俺のこと嫌いでも、ワケわかんねぇ八つ当た りされても…三蔵と二人だったら、他のことなんかどうだっていいんだよ。」 夕暮れの空を見上げながら、ゆうるりと悟空は微笑う。無理して明るく振舞っ ているとか、仕方がないからあきらめているとか、そういう次元の問題ではな い。理不尽な憎悪も、一方的にぶつけられる敵意さえも……彼にとっては本当 に「取るに足らぬこと」なのだ。 絶対的な輝きで彼を惹きつけてやまない、あの『光』の前では。 「悟空」 不意打ちで背後から響いた、ごく静かな、しかし確かな「力」を伴った声。 「三蔵!」 フワリと振り返った悟空が、花が咲き零れるような笑顔で彼の人の名前を呼ぶ。 澱みのない眼差しは、今まで八戒が漠然と感じていた「ひたむき」や「一途」 等々の表現で片付けられるものとは違う。 その眼差しの奥に秘められていたのは───盲目にも近い、ある種の『狂信』 だった。 「今日はありがとう、八戒。また遊びに行くな。」 「…えぇ…その時はちゃんと、悟浄も起こしておきますからね。」 落胆と驚愕がない混ぜになった心境で、それでも薄く笑んでみせた八戒に、悟 空が「うん!」と大きく頷く。おそらく明日になれば、悟空は今しがたの会話 など忘れてしまっていることだろう。僧侶らの無意味な嫌がらせと同じくらい、 己の余計な心配から出たおせっかいなど、それこそ「どちらでもいいこと」に 違いないのだから。 惑うことなく唯一人の元へと駆けていく小さな後ろ姿をみつめる八戒は、ひど く眩しいものでも見るように翡翠色の瞳を細めた。 小さな波紋が巻き起こった一日も終わり、風呂から上がった三蔵は、一足先に 風呂を済ませ不器用な手つきで髪を拭いている悟空の横に腰を下ろした。 暫くは黙ってその様子を眺めていた三蔵だったが、不意に腕を伸ばし、指先で 悟空の頬に触れた。 「コレ…どうした?」 三蔵が指差したのは、昼間に切った口許の傷。一瞬「あ…」という表情をした 悟空だったが、それはすぐに悪戯をみつかった子供のような顔にすり替わった。 「えっと…うん、転んだ時に、切ったみたい」 「ココもか?」 更に問いを重ねた三蔵の指先が、今度は右手首の内側をそっとなぞる。自分で は気付いていなかったが、どうやら軽く擦り剥いていたらしい。 「あ…そうそう、正面からコケちゃってさ」 「へへ」と照れ隠しに悟空が笑う。三蔵は「そうか」と答えただけで、それ以 上深く尋ねようとはしなかった。 「三蔵…?」 そのまま悟空の手を引き寄せた三蔵が、恭しい仕草で傷痕に唇を押し当てる。 厳かに祈りを奉げるように、穢れを洗い清めるように、何度も何度も柔らかな 口づけを送る。ゆっくりと顔を上げた三蔵は、口許の傷にも全く同じことを繰 り返した。 「さん…ぞ…」 見上げてくる金の瞳が、恥じらいと愉悦に淡く滲む。 「悟空」 おそらくは他の誰も聞いたことがないであろう深い声が、その名を呼ぶ。魂の 底から湧き上がるような歓喜に身を震わせ、悟空は静かに瞼を閉じた。 瞳を合わせて、吐息を重ねて、指を絡ませて。それだけが残されたただ一つの 言葉であるように、互いの名を呼び合って。 唯一人の相手が、唯一人自分だけを求めている。 この絶対の至福の前では、手前勝手に向けられる憎しみも、思いやりに満ちた いたわりも、さしたる意味などないことなのだ。 迸る熱を解放し終えた三蔵が、小さく息をついて身を起こそうとする。悟空は その首に腕を回し、がむしゃらに三蔵の身体を引き戻した。 「イヤだ…っ、まだ離れちゃ…イヤだ…」 縋りつくように四肢を絡められて、三蔵の瞳に微かな苦笑いが浮かんだ。 「バーカ…別に何処にも行きゃしねぇよ…」 上気した頬に、小さなキスを落とす。 「ここにいる」 内側からの熱でほんのりと色づいた唇を、戯れに甘噛みする。 「お前といる」 甘い潤みを帯びた金の瞳を、紫暗の瞳が真っ直ぐに捉えた。 「他に必要なモンなんか何もない…そうだな…?」 真摯な声でそう告げた口許に、緩やかな笑みが刻まれる。 腕の中の幼子は、この上なく幸せそうに薄らと微笑んだ───。 歪んだ王国に ぼくたちは住んでる 歪んだ鏡を 守っている 歪んだ王国の 歪んだ鏡に ぼくときみだけが まっすぐにうつる 谷川 浩子 『王国』 …END. 《戯れ言》 どーしてこう私は「アイタタ…」って感じの二人を書くのが好きなんでしょう なぁ…不意に書きたくなったので書いてみました。谷山浩子さんの歌というの は「ほのぼの優しい系&爽やか系」と「キレイで残酷系」が割合くっきり分か れているのですが…この歌は紛れもなく後者ですね(苦笑) このテの話は好き嫌いがはっきりと分かれる思います。好みじゃないのについ うっかり読んじゃったという人には、どうもスミマセン。 …というわけで、別名「八戒さんヤブヘビ話」でした(笑) |
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