そろそろ秋の気配も陰を潜め、いよいよ本格的な冬を迎えようというその月の
終わりに近いある日のこと。王宮は祝賀ムード一色に包まれていた。
この日は国王・三蔵の誕生日であった。とは言っても、三蔵は川岸で先代の王
に拾われた孤児である為、正確な誕生日というのは定かではない。その昔、先
代の王が自らの世継ぎとして三蔵を国民にお披露目した日を記念して、誕生日
としたのだった。
美しい音楽が奏でられ、見目麗しい踊り子達が軽やかに舞い、絶え間なく祝辞
が述べられる中、三蔵はこれ以上はないくらいの仏頂面で玉座で頬杖をついて
いた。そもそも三蔵は華美な宴というもの自体を好まないし、決まりきった祝
辞や豪奢な捧げ物に心動かされるタイプでもない。心中で何度も大きな溜め息
をつきながら、三蔵はこの退屈極まりない時間が一刻も早く過ぎること願って
いた。
一方悟空はといえば、自室でいつもどおりの日を過ごしていた。宴の喧噪も、
別棟の最も奥に位置する悟空の部屋までは届かない。無論悟空とて今日が三蔵
の誕生日で、今が正に宴の真っ最中であることは承知している。しかし悟空は
正式な礼儀作法を必要とするような席は苦手だし、それに何より───三蔵が
自分を不特定多数の人間が集まる公の場に出したがっていないことを、聞くと
もなしに察していた。楽しい歌や舞い、珍しいご馳走は確かに魅力的だけれど。
それも悟空にとっては三蔵への気持ちに勝るものではない。だから悟空は華や
かな宴を覗きに行くこともなく、一人この部屋にいる。三蔵へ「おめでとう」
と伝えるのは、後でひっそりとでいいのだ。
それよりも今、悟空の頭の中を占めているのは……
「なぁ旬麗、やっぱり『おめでとう』って気持ちを伝えるには、贈り物があっ
た方がいいよな…三蔵は物なんか要らないって言うけどさ。」
旬麗がこしらえてくれた焼き菓子を食べ終えた悟空が、珍しく何かを思い悩ん
でいるような顔でそんなことを口にする。永い間あの塔にいた悟空にとって誰
かの誕生日を祝うというのは初めての経験だったが、周囲から聞こえてくる話
の端々から、祝いの気持ちを表す為には何がしかの贈り物をするらしいことを
知った。しかし三蔵に尋ねても「そんな物は要らない」という答えが返ってく
るばかりだし、もっと根本のところを言えば、悟空は他の人々のように高価な
贈り物をするような、自分の自由になる金銭を持っていない。
愛くるしい横顔から垣間見えるのは『大切な人の特別な日を祝ってあげたい』
という精一杯の気持ち。旬麗の口許には、自然と穏やかな笑みが浮かんだ。
「物を贈るというだけが、お祝いの気持ちを表すことではありませんわ…国王
様にとっては、悟空様が元気に笑ってお傍におられることこそが、何にも勝る
贈り物なのだと思いますよ…?」
悟空は名目上は三蔵の幾多いる夫人達と同列の立場である。しかし三蔵が悟空
に向ける想いが単なる情人への寵愛というものとは明らかに次元が異なること
を、旬麗は知っている。三蔵にとって悟空の存在とは、何にも代え難い唯一つ
の『宝』なのだ。
「んー…でもさぁ…」
そんな旬麗の言葉にも、悟空は今一つ納得しかねている様子で口を尖らせる。
旬麗は皿を片付けながら「そうですわねぇ…」と小首を傾げた。
「でしたら…近頃悟空様が出会った珍しかったものや楽しかったことなどを、
お話して差し上げては如何でしょうか?国王様はお忙しくて外の様子をゆっく
り眺めるお時間もないでしょうから…きっと喜んで頂けると思いますが…?」
「珍しかったものや楽しかったこと…か…」
ここ最近の出来事を思い返すように、悟空は左右に大きく首を振る。それを何
度か繰り返していた悟空が、弾かれたように椅子から立ち上がった。
「俺、ちょっと出かけてくる…もし俺が帰ってくる前に三蔵が来ても、内緒に
しといてっ」
慌ただしく中庭へと続く窓から外へ飛び出していこうとした悟空が、旬麗を振
り返る。旬麗はニッコリと笑い頷いた。
「どうぞお気を付けて、いっていらっしゃいませ。」
旬麗は軽く会釈をし、走り去る小さな背中を見送った。
三蔵が悟空の部屋に姿を見せたのは、悟空が出かけてから一時半ほどが過ぎて
からだった。
姜氏黄氏が機転を利かせてくれたお陰で早めに宴から抜け出すことの出来た三
蔵だったが、肝腎の悟空の姿がないことに、不機嫌の色を隠そうともしなかっ
た。平素は冷静沈着な三蔵の子供のような一面に、旬麗は気付かれぬようひっ
そりと笑みを漏らした。
「急に何かを思い立ったご様子でお出かけになられました…国王様には内緒に
しておくように、とのお話でしたが。」
「全く…あれほど物など要らんと言っておいたのに。」
自分へ何かを贈ろうと考えて悟空が出かけたのだと察した三蔵は、あからさま
に柳眉を寄せる。旬麗は何処か困ったような苦笑いを目許に滲ませた。
「そうは仰いましても…やはり誰より大切な方の特別な日をお祝いして差し上
げたいという、精一杯の御心の表れなのですわ。」
無論三蔵も、旬麗が言わんとしていることはわかっている。しかし三蔵にとっ
て悟空の存在そのものより価値のある物など、この世に一つとしてありはしな
いのだ。
結局三蔵はそれ以上何も言わず、口をへの字に曲げたまま煙草に火を点けた。
悟空が帰ってきたのは、それから更に一時半ほどが過ぎた、すっかり外が夕闇
に包まれた頃だった。旬麗が既に数回取り替えている灰皿に何度目かの吸い殻
の山を築いていた三蔵は、呑気に「ただいまー」と言いながら窓から入ってき
た悟空を思いきり睨みつけた。
「遅ェッ、こんな時間まで何処をフラフラしてやがったんだ!?」
「あれー?三蔵、随分早かったんだなぁ…悪い悪い、もうちょっと早く帰って
くるつもりだったんだけど」
帰って来た早々いきなり落とされた雷を全く気にした風もなく、悟空はニコニ
コと上機嫌の笑みを浮かべたまま、三蔵の元へと歩み寄った。
「…?」
背凭れに身体を預けるように長椅子に座る三蔵の真正面で、悟空が足を止める。
三蔵が訝しげな視線を向けると、悟空は何かを包んできたらしい布を三蔵の頭
上に掲げ、袋状にして持っていた布を注意深く開いた。
「───…っ」
はらり、はらりと。瞼の奥に染み入るような鮮やかな紅が、三蔵の髪に、肩に、
膝に、零れ落ちていく。膝に落ちた一枚を、三蔵がそっと指で摘み上げる。
それは───この季節に深く色付く、紅葉の葉だった。
「誕生日おめでとう、三蔵。」
真っ直ぐな言葉と共に向けられたのは、小さな花が咲き零れるようなその笑顔。
「誕生日には贈り物をするんだって聞いてから、色々ずっと考えてたんだけど
…俺、他の人みたいに立派な物はあげられないし。そしたら旬麗が、俺が見た
珍しいものや楽しかったことを話してあげたらどうかって言ってくれて…この
葉っぱのこと、思い出したんだ。俺がいたあの塔の中にあった木って、葉っぱ
はずっと同じ緑のまんまだったから…初めてコレ見た時、すっげぇキレイだな
と思ったんだ。三蔵はゆっくり外見てる暇なんてないだろうから、話を聞かせ
るだけじゃなくてやっぱり本物を見せたいと思って。どうせなら一番キレイな
ヤツを…って思って探してたら、森の奥の方まで行っちゃって…心配かけて、
ゴメンな。」
自分が感動したものを、相手にも見せたいという気持ち。そこには一切見返り
を期待するような打算はなく、只々ひたむきな想いがあるだけだ。
三蔵は目の前の小さな身体を抱き寄せ、その胸に頬を押し当てた。
「…身体、冷えちまってるじゃねーか、バーカ…」
胸の内では様々な思いが交錯しながらも、結局三蔵の口から出たのはそんな言
葉で。それでも充分気持ちは伝わったようで、悟空は少し面映そうに笑った。
「ヘーキ。暗くなって走ってきたから…寒くないよ。」
しかしその返答に三蔵が納得することはなく、旬麗を呼んで風呂の支度を云い
つける。すると何事にも手際のよい彼女は、悟空がいつ帰ってきてもすぐ入浴
出来るよう、すっかり準備を整えていたのだった。
「キレイ…」
しみじみとした呟きが、悟空の唇から零れる。温かな湯気の立ち上る湯船には、
悟空が集めてきた紅葉の葉が浮かべられていた。
「そうか?」
背中から小柄な身体を抱き込むようにして同じく湯船に入ってた三蔵が、水面
に浮かぶ葉と戯れる悟空の右手をヒョイと捉えた。日頃活発に外を駆け回って
いるにも拘らず、思いの外色素の薄い腕の内側に、唇を寄せる。
「…っ」
ほんの刹那の微かな痛みと共に、滑らかな肌には韓紅の花が咲く。
「俺にはこっちの方が鮮やかに見えるけどな。」
「…バカ…」
いつまで経っても物馴れぬいとけない恋人は、気恥ずかしくて堪らないといっ
た様子で耳朶まで真っ赤になっている。三蔵は口許だけで薄く微笑い、頼りな
げな項にもうひとひら花を咲かせた。
二人が浴室から戻ると、テーブルには見るだけで食欲をそそる様々な料理が処
狭しと並べられていた。どう考えても片手間で用意出来る物ではない凝った料
理の数々に驚いている二人に「きっとお二人でお祝いをし直されるのだろうと
思っておりましたので」と、何でもないことのように旬麗は笑う。その細やか
な気遣いに深く感謝しながら、二人は葡萄酒の栓を抜いて乾杯をした。
「なぁ…今日ってさ、お義父さんが三蔵をみつけてくれた日?」
旬麗の心づくしの料理を思う存分堪能して一心地ついた頃。悟空がふとそんな
ことを尋ねた。三蔵は杯に残っていた酒を空にしてから、軽く首を振った。
「いや…正確にはその数日後らしい。俺を正式に自分の子とすることを決めて
国民に披露したのがこの日だそうだ。」
「そっか…本当にお義父さんの子になった日ってことなんだな。」
納得したようにウンウンと頷いてみせた悟空は、真っ直ぐに三蔵を見据えた。
「三蔵の誕生日の話を聞いてから色々思ってたんだけどさ…俺って昔のこと、
覚えてないだろ?だから実際の生まれた日なんてわかんないけど…『今』の俺
の誕生日って、三蔵とあの窓を飛び越えた日なんじゃないかなぁ…って、そう
思うんだ。」
何気なく語られた悟空の言葉に、紫の瞳が僅かに瞠目する。みつめ返す黄金色
の瞳は、柔らかな色を湛えていた。
「あそこにいた時の俺は…ずーっと同じ時間を繰り返していただけで、生きて
なんていなかった。三蔵が来てくれて、この窓の向こう側へ行こうって手を差
し出してくれて、初めて塔の外へ出て…たぶんあの時に、俺の生命はもう一度
始まったんだよ。」
三蔵との出逢いによって『生きること』を取り戻したのだと告げるその笑顔は、
この上なく穏やかで。
三蔵は「そうか」とだけ答え、薄い肩を静かに抱き寄せた。
「…来年のお前の誕生日には、二人でのんびりと春の花でも探しに行くか。」
「ホントに…?」
丸い金の瞳を瞬かせる悟空の唇に、三蔵は返事代わりの甘いキスを送った。
「…誕生日、おめでとう…」
耳元にもう一度、そっと囁きを落とす。
生まれてきてくれたことに
巡り逢えたことに
二人を引き合わせてくれた、全てに。
限りのない、感謝を込めて───…。
…HappyEnd.
《戯れ言》
お誕生日ネタを「Wish~」でやったのは初めてですね。イメージソング…と
いうのもおこがましいですが、これを書いている間私の頭の中では中島みゆき
様の「誕生」が流れておりました。今更言うまでもない名曲ですが、特に
Remember 生まれた時だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して最初に聞いた Welcome
Remember けれどもしも思い出せないなら
私いつでもあなたに言う 生まれてくれて Welcome
…のフレーズが一際印象深いです。しかしまさかこの人の誕生日を4度も祝う
ことになるとは、ハマった当時は夢にも思ってなかったですけどねぇ(苦笑)
やたら甘くなっちゃいましたが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです…。
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