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『missing link』by Riko







「早春」と呼ぶにはまだ肌寒さの残る三月上旬のこと。悟空は中学校の卒業式
を迎えていた。
既にこの世にはいない両親に代わり、父兄席には唯一人の兄である三蔵の姿が
あった。五つ歳上の三蔵は大学生なのだが、ピシッとスーツを着こなして座っ
ているその姿は、実年齢よりも遥かに落ち着いて見える。
それにしても───彼の人は我が兄ながら、本当に人を惹き付けずにはおかな
い『華』のある存在なのだと、悟空はつくづく思う。女子生徒は元より、同じ
父兄席に座る母親達、果ては担任の女教師までが彼に熱っぽい視線を向けてい
る。もっとも、当の本人はふてぶてしさすら感じるほど至って冷静で、一心に
向けられている注目も何処吹く風といった様子なのだが。あの人が自分の唯一
人の家族だと思うと悟空は何とも面映いような、それでいて何処か誇らしげな
気持ちになった。


滞りなく式が終わり、生徒達が外へと繰り出す。想い出を辿り涙する者、満面
の笑顔で語り合う者。正に悲喜こもごもの中、悟空は同級生・後輩を問わずあ
ちこちから声をかけられ、忙しなくクルクルと動き回っていた。
「ねぇ悟空、アタシ達の写真にも一緒に入ってよ」
「オッケー、いいよ」
クラスメイトの女子グループにそんな風に呼び止められ、悟空が笑顔で応じる。
明るく素直で顔立ちも愛らしい悟空は、男女の区別なく人気が高かった。
「ねぇ〜、あの超イケてる人、悟空のお兄さんなんだって?スゴイねー、もう
メチャクチャモテるんでしょ?」
「え…う、うん…でもどうなんだろ?ウチのお兄ちゃん、あんま自分のこと話
さないから…」
興味津々といった表情で問い掛けられ、悟空は困ったように口篭もる。三蔵は
悟空ほど外でのことを家で話さないし、ましてや女性に関してのことなど二人
の間で話題に上ったこともない。勿論三蔵が女性にモテるであろうことは悟空
にも容易く想像はつくのだが、とにかく彼は徹底していて、誕生日のプレゼン
トやバレンタインのチョコレート等を一切もらって帰ってきたこともない。
だから悟空としてはそれを具体的な事実として実感する根拠がないのである。
「フーン…男の兄弟ってそーゆーモンなのかな?でもあんなカッコイイ人なら
絶対彼女いるに決まってるよねぇ〜、それもきっとスゴイ美人の。」
「カノ…ジョ…?」
虚を突かれたように、悟空は大きな瞬きを一つした。こうして第三者の口から
発せられた言葉によって初めて、悟空は自分の中にその類いの認識がすっぽり
と欠落していたことに気付かされた。
どんなに無愛想で人付き合いが苦手とはいっても、三蔵はもう二十歳の『大人
の男性』で。そう考えればある程度の付き合いをしている女性がいると考える
のは寧ろ当たり前のことなのに。三蔵がこれまであまりに外でのことを家に持
ち込むことがなかった為、悟空はいつまでも『自分の兄』という側面しか見て
いなかったのだ。
「悟空ってば、何ボーっとしてんの?ホラ、真ん中入って」
クラスメイトの一人に腕を取られ、悟空はスナップの真ん中に収まる。賑やか
な笑い声が響く中、悟空は自分の笑顔が何処かぎこちなくなっていたことを感
じていた。
「悟空」
少し離れた場所から呼びかける、よく通る落ち着いた声。写真を撮り終えた悟
空が、弾かれたように声の方を振り返った。
「お兄ちゃん、何?」
周囲から湧き上がった黄色い声をバックに、悟空は三蔵の元へと小走りに駆け
寄る。三蔵はいつにも増した仏頂面で悟空の額をコツン、と叩いた。
「何?じゃねぇだろ。いつまであちこちで油売ってんだよテメェは…この後の
予定もあるんだから、そろそろ行くぞ。」
「う、うん…でも、予定って…?」
戸惑う悟空の問いに答えることなく二の腕を掴んだ三蔵は、無遠慮に注がれる
あまたの視線をキレイに無視して歩き出した。


車を停めていた駐車場に着き、腕を離した三蔵が悟空を助手席へと促す。シー
ト越しに後部座席へ視線を向けた悟空は、見慣れぬ少し大きめのボストンバッ
グが置かれているのを見て小首を傾げてみせた。
「アレ、何?」
三蔵は内ポケットから取り出したマルボロを咥え、火を点けた。
「時間があれば一旦着替えに戻るつもりだったんだがな…無駄に時間食ったの
はテメェだから、制服のままでガマンしろよ?」
「…?何処行くの?」
こちらを覗き込むようにして問いかけてきた悟空へチラリと視線だけを投げ、
三蔵はフゥ…ッと紫煙を吐き出した。
「…伊豆のホテルに、二泊予約を取ってある。」
「え…」
「…卒業祝いってヤツだ。たまにはいいだろ。」
思いもかけない言葉に金の瞳を見開いた悟空から、三蔵が面映そうにフイと視
線を前へ戻す。次の瞬間、満面の笑みを浮かべた悟空は、三蔵の左腕にギュッ
としがみついた。
「ありがとうっ…すっげぇ嬉しい…」
どちらかと言うと人嫌いの気がある三蔵は、そもそも人の多い場所に出かける
こと自体を好まない。その三蔵が自ら観光地への旅行を決めたということは、
悟空の為に他ならなくて。遊びに行くことそのものより、悟空には何より三蔵
の気持ちが嬉しかった。
「…わかったから、腕離せ。運転の邪魔だろーが…」
「あ、ゴメン。なぁ、そしたら途中のサービスエリアで何か食ってこう?俺、
腹減っちゃった。」
三蔵に押し戻され、悟空は素直に腕を離す。屈託のない笑顔で肩を竦めてみせ
た悟空は、自分がしがみついたその時に、三蔵の瞳に宿っていた複雑な色合い
を知ることはなかった。


三蔵が悟空を連れて行ったのは、露天風呂が幾つもある大型の観光ホテルで、
風呂好きで好奇心旺盛な悟空を満足させるのに充分な処だった。夕食には膳に
並びきらないほど海の幸が満載で、座椅子に腰を下ろした悟空は顔を綻ばせて
目にも鮮やかな数々の料理を眺めた。
ビールの栓を抜いた三蔵が、悟空のグラスにもそれを注ぐ。戸惑いがちに見上
げてくる悟空に、三蔵は微かな苦笑いを返した。
「祝いだから、特別な…乾杯程度ならいいだろ。」
『特別』と言いながら注がれたビールは、ほんの少し大人になったことを三蔵
にも認めてもらえたようで。悟空は照れ臭さと嬉しさが半々に混じったような
笑顔で、三蔵と乾杯をした。


心ゆくまで豪勢な夕食を堪能した悟空は三蔵と並んで布団に腰を下ろし、テレ
ビで放映されている洋画を見ていた。初めてまともに口にしたアルコールのお
陰で既に舟を漕ぎ始めていた悟空の身体が、グラリと前へ傾ぐ。三蔵は咄嗟に
その腕を掴み、自らの肩へと引き寄せた。もっと幼い頃には甘えてじゃれつく
ことも日常茶飯事だったが、高校生になろうという歳にもなれば、流石にそん
なこともほとんどなくなってしまっていた。だがこの時ばかりは酔いの力も手
伝ってか、悟空は子供のように無防備な笑みで三蔵の肩口に頬を摺り寄せた。
ほんの刹那、躊躇いがちに空で止まった三蔵の手が、緩くこげ茶色の髪を梳く。
悟空は心地良さそうに目を細め、久しぶりの三蔵の温もりに身を委ねた。
「今更だけどさ…お兄ちゃんてやっぱ、すげぇモテるのな…式の時さ、学校の
女子達だけじゃなくて、父兄席のお母さんや、俺らの担任の先生までチラチラ
お兄ちゃんのこと見てたもん…」
「フン…くだらねぇな。」
「あんなにカッコイイ人なら、絶対スゴイ美人の彼女がいるだろうって…クラ
スの子が言ってた。俺達って全然そーゆー話したことなかったけど…お兄ちゃ
んは、付き合ってる人とかいねーの?」
三蔵は不本意そうに形の良い眉を寄せ、手にしていた缶ビールを煽った。
「んなモンいるかよ、面倒臭ェ…そーゆーテメェこそ、ずいぶんとあちこちで
引っ張られてたじゃねーか。」
三蔵のその言葉を自分をからかっているのだろうと受け取った悟空は、笑って
首を振ってみせた。
「ちげーよ、そんなんじゃなくてさ…ホラ、俺ってチビッこいから、女子も声
かけやすいだけだってば…俺も高校生になってもうちょっと大人っぽくなった
ら、彼女とかできるようになんのかな…?」
「ヘヘッ」と照れ隠しのように笑う悟空は、自分を見下ろす紫の瞳に、微妙な
翳が差したことに気付かない。悟空はより一層三蔵へと身体を預け、眠気を帯
びたトロリとした瞳で、非の打ちどころのない秀麗な顔を下から覗き込んだ。
「もしさ…本当にそーゆー人ができたら、俺に遠慮とかしないでな…?もう俺
も、父さんが死んじゃったばっかの頃の子供じゃないんだからさ…お兄ちゃん
は、自分の幸せのことを考えていいんだよ。その時は、俺にも紹介してな…?
お兄ちゃんが選んだ人なら、きっと仲良くなれると思うから…」
あまりに早く亡くなってしまった父母に代わり、三蔵は生活の全てにおいて常
に悟空のことを優先してくれていた。自分の好きなことに熱中すること、友達
と遊びに行くこと、ガールフレンドとデートすること。年頃の少年なら当たり
前のそんなことを、おそらく三蔵は様々な場面で我慢してきたに違いないのだ。
無論、三蔵の少年時代を取り戻すことは適わないけれど。せめてこれからは、
三蔵の望むように生きてほしいと願わずにはいられない。自分も小さいだけの
弟ではなくなり、ようやくそれができる時が来たのだから。
悟空と視線を合わせる三蔵の目許が苦しげに歪む。次の瞬間、
「え…っ?」
何かを考える間も与えられず、悟空の視界が反転する。困惑の中目線を上げれ
ば、自分の身体の上に乗り上げる形となっている三蔵が、真っ直ぐにこちらを
見下ろしていた。
「…俺は俺の幸せを考えていいって言ったな?」
あくまで静かな声での呟きに、悟空がコクリと頷く。
「自分はもう子供じゃないとも言ったな…?」
再びそう問われ、悟空は戸惑いながらも「うん…」と答える。「だったら」と
言葉を繋げた三蔵が、そっと丸い頬に触れた。

「お前を、俺に寄越せ。」

「お兄…ちゃん…?」
零れ落ちそうなほど見開かれた金の瞳が、不安定に揺れる。三蔵は合わされた
視線を逸らすことなく、互いの吐息が触れ合う距離まで顔を近付けた。

「したり顔でまとわりついてくる女も、遊びで寝る相手も、そんなモノは要ら
ない…俺は…お前がここにいれば、それでいい。」

身体に突き刺さりそうなほど真摯な告白の後、茫然と見開かれたままの目許に、
唇が落とされる。
(…コノ人…誰…?)
今自分を組み敷いている相手は、ぶっきらぼうで素っ気無くて、でも本当は誰
より優しかった、自分がよく知っている『兄』とは別の…『一人の男』だ。
こんな彼を、自分は知らない。
「悟空…」
今まで聞いたこともない声が、その名を呼ぶ。耳朶に緩く歯を立てられて、悟
空の薄い肩がビクリと大きく震えた。

(怖い─────)

怖い。抱きしめられた腕の強さも、心底まで覗き込まれそうな揺るぎのない眼
差しも、自分の名を呼ぶ深い声も、焼印を押し当てられているような、唇の熱
も。何もかもが堪らなく怖くて、何処でもいいから逃げ出してしまいたい。

逃げたい。此処から逃げ出したい─────何処へ……?

そう思い至った時、焦点が虚ろになっていた金の瞳に光が戻った。微かに震え
る指先が、眩い金の髪にそっと触れる。
「悟空…?」

逃げる処など、何処にもありはしないのだ。
一番大切なのも、一番心を許せるのも、そして一番……愛しているのも。
世界中で唯一人、自分にはこの人以外の存在などいないのだから。

今にも泣き出しそうに滲んだ瞳が、真っ直ぐに三蔵を見上げる。

「いいよ…全部…攫って─────。」

他のものなど、何も見えなくなるくらい。
僅かに瞠目した三蔵は、まだあどけなさを色濃く残す唇に、噛みつくように口
づけた。


逆巻く波に呑み込まれるような一夜だった。最初はあまりに無垢な悟空を怯え
させぬよう傷付けぬよう意識していた三蔵だったが、分け合う熱の甘さに溺れ
るうちに、そんなものは彼方へと消し飛んでしまった。
欲しかった。欲しくて欲しくて堪らなかった、唯一人の相手だった。
桜舞う春の日、突然目の前に現れた小さな『弟』。初めはただ単純に愛しいと
思っていた。一体いつ、純然たる肉親への情がこのような変貌を遂げてしまっ
たのかは、自分でもわからない。だが気が付けばそれは、目も眩むほどに狂お
しいまでの『想い』になっていた。
その濁りのない瞳が、自分以外の者を映すことが許せないほどに。
自分以外との新たな世界を持とうとすることが認められないほどに。
己でさえもどうにもならないこの身勝手な激情を、それでも悟空は拒まない。
未知の感覚と与えられる甘い悦楽に震えながら、頼りなげな身体は精一杯三蔵
を受け入れようとする。
三蔵をより深く掻き抱いた細い腕は、その背中に紅を掃いたような熱情の証を
残した。


明け方のこと。ふと目を覚ました三蔵は、腕の中にいたはずの悟空の姿がない
ことに気付き、急いで身を起こして辺りを見回した。すると巡らせた視線の先
には、海に面した窓からぼんやりと外を眺めている悟空がいた。ホッと短く息
をつき、立ち上がった三蔵は背後に歩み寄る。その気配を察した悟空が、顔だ
け振り返って小さく微笑った。
「おはよう…三蔵。」
「…っ」
全くの不意打ちで初めて名前を呼ばれ、ほんの一瞬三蔵が息を詰める。しかし
みつめ返す悟空の瞳はとても穏やかで。三蔵は背中から、小柄な身体を抱き竦
めた。
「身体…大丈夫か…?」
「ヘーキ…思ったほど、つらくない…ねぇ、せっかく起きたんだから風呂行か
ない?」
「ダメだ」
「何でだよ」
あっさりと提案を却下されて、悟空が不服そうに丸い頬を膨らませる。三蔵は
悟空を抱き込んだまま、細い項に唇を押し当てた。
「お前、自分が何言ってるかわかってねぇだろ…この状況で赤の他人と風呂に
入る気か?」
そのまま次々と唇を落とされ、その意味を悟った悟空の口から「あ…」と声が
上がる。熱を分け合った肌のあちこちには、三蔵が残した蘇芳色の花が咲いて
いた。
「後で貸し切り風呂を借りてやる…それまでは内風呂でガマンしろ。」
「貸し切り風呂…?ヘェ…楽しみ…」
幼子をあやすような三蔵の言葉に軽く笑ってから、悟空は身体ごと三蔵の方を
振り返る。それまでとは打って変わった神妙な表情で「三蔵」と呼ばれ、三蔵
は無言のまま言葉の続きを待った。

「…好きだよ…」

ひどく静かな声で紡がれた、清涼な雫のような囁き。見上げてくる金の瞳に、
もはや躊躇いの色はなくて。心の中の『何か』に区切りを付けるように、悟空
は自分から三蔵へと唇を寄せた。


今までとは違う繋がりを持ったからといって、自分達が「兄」と「弟」である
事実が変わるわけではなく、これまでの肉親としての情愛が消えてしまうわけ
でもない。だが、それでも。

夕暮れの帰り道 繋いでくれた温かな手
夏祭りの花火大会 『しょうがねぇな』とおぶってくれた背中
父が死んだ嵐の晩 『大丈夫だ』と抱き寄せてくれた胸の鼓動

自分達はもう二度と、あの懐かしい情景の中には戻れないのだと思う。
ただひたすらに優しかった、あの時間には。でもいいのだ。
何かを失っても、元に戻れなくても───
自分は他の誰でもない、この人の『手』を選んだのだから。

確かな力強さを持つその腕に、息が詰まるほど抱きしめられて。
悟空は自らも背中へ廻した腕に力を込めた。



      口にしたら生きてゆけそうもない言葉と、
      口にしなかったら生きてゆけそうもない言葉、
      それらが同じ一つの言葉である時
      何故あなたはそこに立っていられるのでしょう?

                         谷川俊太郎『質問集続』



                              …END.


《戯れ言》
……(黙)。「最初で最後」と言った舌の根も乾かぬうちに、結局またやって
しまいましたよこの女は。フッと今回のネタ思いついてしまったのと、「また
やってもいい」という優しい言葉を聞かせて下さった方がいたのをいいことに
…ま、私が嘘つきなのは今に始まったことでもないし(開き直りかー!?)
そんなワケでして、今回の話はそのお優しい言葉を下さったkiyoraサマに、
一方的に奉げさせて頂きますvこの兄弟ネタはワタクシ的にはとっても書き
やすいです。おそらくそれは、このお兄ちゃん三蔵のズルさが、私の思う感じ
に一番近いからでしょう…しかしつくづく犯罪だよなぁ、この兄貴(苦笑)




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