例えば、『何処かへ行こう』という話になったとする。すると当然のことなが
ら、『いつにする?』という流れになるわけだが───…
「いつでもいいよ。三蔵の都合の付く時で。」
アイツはいつも決まって、笑顔でそう答えるだけなのだ。
無論、俺は一方的な気ままを押し付けてくるような人種は、虫酸が走るほど嫌
いである。だがアイツは寧ろ逆に『何も言わなさ過ぎる』のだ。
要求を押し付けてくることもなく、何一つねだるわけでもなく、『約束』すら
も求めない。
笑って首を振られる度に、ぽっかりと途方に暮れてしまう俺がいる。
三蔵がひととおり話を終えた後。隣りに座る那托は食べかけのホットサンドを
皿に置き、何とも困ったような苦笑いを三蔵に向けた。
「うーん…あいつんちが母子家庭だったってのは聞いてると思うけど、それっ
てあいつが赤ん坊の頃からずっとそうらしいんだよね。俺達が知り合った時に
はもう、親父さんていなかったし…あんまそのこと話したがらないから、死別
なのか離婚なのかは詳しく知らないけど。そんなんで、女手一つで苦労してる
お袋さんをずっと見てたからさ…別に三蔵さんを信用してないとか、そういう
んじゃなくて…何て言うのかなぁ、あいつの場合『甘え方がわからない』んだ
と思う。」
「甘え方が…わからない?」
オウム返しに問いかけてきた三蔵に、那托はコクリと頷いた。
「うん。だからさ…あいつの場合『自分がこうしたい』とかより前に『相手に
迷惑なんじゃないか』ってことの方を、まず考えちゃうんじゃないかな…たぶ
ん。それはもうガキの頃からのクセみたいなモンで、あいつ自身も無意識なん
だと思うけど…」
那托の言葉を聞くうちに、三蔵の横顔には何かを深く考え込んでいるような、
神妙な色が浮かぶ。それを認めた那托は、気を取り直させるように三蔵の肩を
ポン、と軽く叩いた。
「三蔵さんからしたら、もどかしいコトとかいっぱいあるかもしんないけど…
ああいうヤツだからさ。気長に付き合ってやってよ。」
三蔵と視線を合わせた那托は、もう一度同意を求めるように「な?」と呟いて
その顔を覗き込んだ。
コーヒースタンドで那托と別れた三蔵は、数日前に自分の部屋で悟空と交わし
た会話を思い返していた。無事高校を卒業した悟空はそれまでのバイトをやめ
て、春から勤め先となるレストランへと三月の中旬から見習いを兼ねた研修に
行き始めていた。その悟空が、ふとした会話の合間にこんな風に訊いてきた。
「4月の最初の土曜日って、空いてる…?」と。
生憎その週は海外出張が入っていること、成田に着くのは土曜の夜遅くになる
ことを三蔵が告げると、一瞬だけ金の瞳を愁いがちに細めた悟空は、すぐに小
さく笑った。
「そっか…うん、わかった。その日休みもらえそうだからどうかなぁって思っ
たんだけど…いいんだ、じゃあまた今度。」
悟空が自分から三蔵を誘うというのは滅多にないことなので、そんな時にはで
きうる限り希望に沿ってやりたい気持ちは十二分にあるのだが、何分その日に
不在ではどうにもならない。
「わかった」と笑ってみせた悟空とは、その後いつもと変わりなくたわいのな
い話をし、食事をして別れたのだが。
ほんの一刹那、丸い瞳に過ぎった翳が、小さな棘のように三蔵の胸の奥に引っ
かかっていた。
那托と話をしてから数日後。三蔵は悟浄と八戒のいるあの店のカウンターで一
人、グラスを傾けていた。悟空に紹介されて以来、余計な遠慮なく話せるよう
になるまでさして時間もかからず、今はもう互いの名を呼び捨てし合える間柄
となっていた。店の持ち主である悟浄の兄という人物は、店に関することの大
半を彼らのスタイルに任せているらしく、実質的には二人の店と言い切っても
差し支えは無いようだった。
「そういえばさぁ~、三蔵サマってば小ザルちゃんの誕生日のプランて、もう
決めてあんの?やっぱ二人でラヴラヴディナーとか?」
「悟浄、貴方はすぐそういう茶化した言い方をして…いえね、昨年まで悟空の
誕生日はみんなでお祝いしてたんですけど…やっぱり三蔵は、悟空と二人きり
の方がいいですよね?」
野次馬精神丸出しの悟浄をやんわりと窘めながら、八戒が穏やかな口調で尋ね
てくる。二人の会話の内容に、紫の瞳が訝しげに眇められた。
「アイツの…誕生日?」
「ナニを今更そんなすっとぼけた声出してんだよ?5日だよ、4月5日の土曜
日…って、もしかして、まだ聞いてなかった?」
最初は明らかに呆れた様子だった悟浄の声が、三蔵の反応を確かめるような色
を帯びる。だがそれすら、今の三蔵の耳には届いていなかった。
『4月の最初の土曜日って、空いてる?』
『…いいんだ、じゃあまた今度。』
(あのバカ…ッ)
その日は日本にいないと告げた時、金の瞳に映った淡い愁いの色。それすら次
の瞬間には、柔らかな笑顔に覆い隠されてしまって。まただ。またしても自分
は、彼の『本当の望み』を聞かされないまま、スルリと擦り抜けられてしまっ
たのだ。
「悟空も新しい職場のことでバタバタしていて、話すタイミングを逃しちゃっ
てるんでしょう…悟空の口から聞いた時には、ちゃんと『初めて聞いた』って
顔してあげて下さいね?僕達が先に話してしまったなんて知れたら、後で叱ら
れちゃいますから。」
二人の間で交わされたやり取りなど知る由もない八戒が、微かな茶目っ気を含
んだ笑みを三蔵に向ける。そんな八戒の気遣いも素通りしてしまっている三蔵
の胸の内では、何とも言い表し難い、昏いモヤのようなわだかまりが広がって
いた。
そして迎えた4月5日の夜。悟空は一人、自分のアパートにいた。当然悟空は
三蔵とこの日を過ごしていると信じている仲間から、誘いの声はかからない。
三蔵の不在を、悟空は誰にも話さなかった。自分一人の事情で、みんなに要ら
ぬ気遣いをさせるのは嫌だったのだ。
夕方繁華街に出て直径15センチ程の小さなホールケーキを買った。しかし何
となく食べようという気にはならず、結局は箱からも出さぬまま、悟空はテー
ブルの上に置かれたそれを、ただぼんやりと眺めているばかりだった。
いつもなら意識などすることのない秒針の音がやけに耳について、ふと壁掛け
時計に目を遣る。日付けが変わる時間まで、あと幾らでもなかった。
(…しょーがないよな、大事な仕事なんだし…)
大体、誕生日だから特別何がどうということでもない。普段からとてつもなく
忙しいはずの彼は、おそらく自分には悟らせない部分で様々な時間のやりくり
をしながら、二人で過ごす時間を作ってくれているのだ。それを、たったこの
一日を一緒にいられなかったくらいで何となく淋しいなんて思うのは、単なる
自分の身勝手でしかない。
悟空がそんな逡巡をしながら己の感情を納得させようとしていた時。
突然けたたましい勢いで、玄関のチャイムが繰り返し鳴らされた。慌てて立ち
上がった悟空がドアロックを外すと─────
「三…蔵…?」
開かれたドアの前には、忙しなく肩で息を継ぐスーツ姿の三蔵が立っていた。
険しい表情のままズカズカと玄関に入ってきた三蔵が軽く袖を引き、腕時計を
確認する。文字盤に視線を落とした三蔵の口から、「チッ」と大きな舌打ちが
漏れた。
「ったく…ギリギリじゃねぇかよ、クソッ」
文字盤が示していた時刻は、0時15分前。短く悪態を吐いた三蔵は視線を上
に戻し、次の瞬間、有無を言わさず目の前の悟空を力一杯抱きしめた。
「さ…んぞ…?ど…したの…?」
嵐のような三蔵の出現に戸惑うばかりの悟空が、苦しいまでの抱擁の中から言
葉を繋ぐ。三蔵は腕の力を緩めぬまま、柔らかなこげ茶の髪に顔を埋めた。
「…フザケんのも大概にしろよ…テメェ本気で、俺に誕生日のことを言わねぇ
まま通り過ぎる気だったのか?」
(…知ってる…!?)
「何が『また今度』だ、テメェの誕生日は、一年で今日しかねーだろ。」
「そ…だけど…でも…」
「でもじゃねぇ、だからあの時お前は、ものわかりのいい面して『わかった』
なんて言うんじゃなく、」
そこで一旦言葉を切った三蔵が悟空の顎に手をかけ、顔を上げさせる。目を逸
らすことなど許さない強さで金の瞳を捉えた三蔵は、再びその口を開いた。
「『何が何でも日付けの変わらないうちに帰って来い』って、たった一言そう
言やよかったんだ。」
思いも寄らなかった三蔵の一言に、悟空の瞳が淡く揺れる。
「…ンなこと言ったら、三蔵困るじゃん…今だってすごい無理して、成田から
直接来てくれたんだろ…?」
「いい加減理解しろ、何度同じこと言わせんだ…っ」
苛立ちを隠さない口調でそう言った三蔵の紫の瞳が、真っ直ぐに悟空を見据え
た。
「お前が本当に望んでることなら、俺にとってそれは迷惑でも無理でもねぇん
だよ。」
たった一人の相手だから、自分がどうにかできることなら叶えてやりたい
譬えそれが、どんなにちっぽけな願いであっても
瞬きすら忘れてしまった様子の悟空の瞳から、ぽろぽろと透明な雫が零れ落ち
る。子供をあやすように緩く背中を撫でながら、三蔵はその涙が止まるまで、
悟空の顔中に飽くることなく小さなキスを送った。
何とか日付けの変わる寸前に、一本だけ点したケーキの上のロウソクの火を吹
き消す。切り分けたケーキをようやく口にした悟空は、何処か照れ臭そうに微
笑った。
二人でコーヒーを飲んで暫く経ってから、三蔵の肩に頭をもたせかけるように
して傍らに座る悟空が、ぽつぽつと話を始めた。
「ウチさ…最初っから親父はいないんだ…母さんは人一倍働いて俺を育ててく
れて…そんなだから、授業参観とか、運動会とか、遊園地に行こうとか、約束
しててもダメんなっちゃうこととか結構あってさ…俺は約束がダメになっちゃ
うのも淋しかったけど…でもその後に、母さんが本当につらそうな顔で『ゴメ
ンね』って言う方が、もっとイヤだった…そういうことが何回かあって…その
うち俺、大事な約束ってしなくなった。誰も悪くないのにつらいのって、イヤ
じゃん…でも…今日三蔵が来てくれて、すっごい嬉しかった…ありがとう。」
すぐ間近にある端正な横顔を見上げ、子供のように悟空が笑う。三蔵はスーツ
のポケットを探り、何かを取り出す仕草を見せた。
「オイ、手出せ。」
短く促され、悟空が素直に右手を出す。チャリ…と微かな音を立てて、その掌
に『何か』が落とされた。
「コレ…って…」
「俺んトコの鍵だ…これからはお前が好きな時に、好きなように来たらいい」
「約束なんて、なくても」と、三蔵が静かな声で呟く。悟空はギュッと手の中
の鍵を握りしめ、おずおずとその口を開いた。
「あの…さ、えっと…ウチの鍵も…もらってくれる…?」
耳朶まで紅く染めながら、ぎこちなくも精一杯悟空が問いかける。三蔵は返事
の代わりに、小さな唇にとびきり甘いキスを落とした。
『約束』を 信じさせてやりたい
誰も悪くないのにつらいのはイヤだと困ったように笑う
不器用で無防備で無欲なお前に
どんなささやかな約束でもいいから 信じさせてやりたい
……俺が信じさせてやる、と言いたい─────…
…Fine.
《戯れ言》
…というわけで「悟空お誕生日ネタ」でございました。実は私、悟空の誕生日
話って書いたの、コレが初めてです(苦笑)。三ちゃんのは2つ書いていると
いうのに…ちょっと不平等(笑)?そしてほのかな期待をしてらした方には、
申し訳ありません…またしても「清らかさんなまま」です、この人達(爆)
いえね、自分の誕生日で自分がいただかれちゃうって、「やっぱどう考えても
おかしいだろう!?」と思いまして…後日に持ち越し(?)です。
次回…どうでしょうねぇ…えぇ…おそらく…きっと…?(^^;)
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