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『はるか、はるかに。』   byRiko

 

悟空と三蔵が出逢って幾度目かの春のこと、二人は長安の都から十里程離れた小さな村を訪れていた。何でもその村に唯一つある寺院の蔵から大層古い書物がみつかったということで、三蔵がその書物の調査を依頼された為だった。当初は一日あれば充分と踏んでいた三蔵だったのだが、思いの外貴重な書物が多く、滞在は二日、三日と延びていた。

 

 

うららかな午後の陽射しの下、悟空は川辺の草原でのんびりと寝そべっていた。三蔵は仕事にかかりきりで、このところロクな会話もしていない。宿屋すらない小さな村には悟空がそぞろ歩いて楽しめるような華やかな場所もなく、村の子供達には「格式ある僧侶のお供」というように受け取られているようで、話し掛けようとしても何とはなしに遠巻きにされてしまっていた。

「毎日一人で退屈かしら?」

ぼんやりと雲の流れを目で追っていると、不意に穏やかな声が降ってきた。悟空は急いで身を起こし、声の方を振り返った。

「お姉さん…外に出たりして大丈夫なのか?」

その声の主は、二人が宿を借りている村長の家の一人娘だった。

色白でほっそりとした優しげな女性だったが、その儚げな容姿のとおり病弱らしく、自室から出ているところを悟空はほとんど見たことがなかった。

悟空の心配そうな問い掛けに、彼女は薄く笑んでみせた。

「今日は調子が良いみたい…風も暖かだし…もうすっかり春なのね。三蔵様はとてもお忙しそうで…お傍にいられなくて淋しい?」

「え…あぁ、えっと…まぁ、そーゆーこともちょっとはあるけど、しょうがないよ。大事な仕事なんだし。」

今度はこちらが心配そうに顔を覗き込まれ、悟空は慌てて首を振った。話題を切り替えるように、悟空は川向こうの景色を指差した。

「アレさ、スゴイね。あそこだけ、花の冠みたい。」

悟空が指差した先にあったのは、既に『森』と表現しても差し支えのない、百本は下らない桜の木の群生地だった。悟空が『花の冠』と称したとおり、木々は満開の花々を咲き綻ばせていた。

「素敵でしょう?あの桜と共に、この村には春がやって来るの。森の中には入ってみた?」

悟空の感嘆の声に彼女は何処か誇らしげに笑って応え、悟空にそう問い掛けた。

「ううん…ちょっと覗いてはみたけど、勝手に入っちゃいけないかなって…」

「森の奥に、この村ができるよりもずっと前から立っている、大きな桜の木があってね…その木には、村の守り神である公主様が宿ってらっしゃるの。」

「桜の木の…神様?」

「そう…三年に一度村のお祭りがあって、この桜の季節だけ特別に公主様にお逢いすることができるのよ。」

「ヘェ…」

「お逢いしてみたい?」

優しい色の瞳が、悟空の金の瞳を覗き込む。悟空は戸惑いがちに小首を傾げた。

「この村の人でなくても逢えるの…?」

彼女はニッコリと笑い、その右手を悟空に差し出した。

「一緒に来て。」

一瞬その意味するところを掴めなかった悟空だったが、やがておずおずと、白い掌の上に自らの手を重ねた。彼女は笑んだまま悟空の手を柔らかく握り、春の風の中を歩き出した。

いつも外で活発に動き回っている悟空とは明らかに色合いの違う細い手の、女性にしては少しひんやりとした感触が、彼女の儚げな様子を一層際立たせていた。

 

ゆったりと手を引かれて辿り着いたのは、彼女の家の裏手にある、少し小さな造りの蔵の前。ポケットから取り出した鍵で錠前を外した彼女は、余計な物音を立てぬよう、ゆっくりと慎重に扉を開いた。

「うわぁ…」

扉の向こうに見えた鮮やかな色に、思わずといった感じで悟空が声を上げる。金の瞳に映ったのは、心躍る「春」の色。衣紋竹にきちんと伸ばして掛けられた、おそらく祭礼用であろうその衣裳には、よく見ると幾重にも桜の花びらの模様が織り込まれていた。

「これはお祭りの時にお供え物を奉納する係が身に付ける物で、この衣裳を着ている者にだけ、公主様はその御姿を現して下さるの。公主様にお逢いした者は、お供え物を納めるのと同時に、村からのお願い事をお伝えするのよ。作物の豊作とか、みんなの無病息災とかね…今年は本来のお祭りの年じゃないから、お願い事は聞いて頂けないと思うけど、これを着ていけば、お逢いすることはできると思うわ…でも昼間は目立ってしまうから、行くのならやっぱり夜になってからね。」

悟空に簡単に祭礼の説明をしながら、彼女は丁寧な動作で衣裳を衣紋竹から外していく。悟空は焦った様子で彼女に近寄った。

「でっ、でもそれってイケナイことなんじゃないの!?」

三年に一度の祭礼の時にのみ用いられる神聖な衣裳を、本来祭礼の無い年に、しかも完全な余所者である自分が身に付けることなど許される筈がないと、いかに知識の無い悟空にもそのくらいは見当がつく。焦る悟空とは対照的に、彼女はいたずらっ子のように目をクルクルとさせて、口許に人差し指をあてた。

「もちろん、これは二人きりの秘密よ。お父様にも、そして三蔵様にも内緒。」

「でも、もしバレちゃったら、お姉さん叱られない…?」

「まぁそうでしょうけど…その時はその時よ。」

躊躇いを隠せない表情で見上げてくる悟空に彼女は優しく笑いかけ、「だってねぇ?」と言葉を繋げた。

「せっかくこんな綺麗な季節にいらしたのに、『退屈で淋しかった』なんて思い出しか残らなかったら哀しいもの…ね?」

彼女は唄うようにそう言って、もう一度悟空に向かって微笑んだ。

 

 

その夜のこと。「夕食後、お風呂を済ませてから来てね」との言葉に従い、悟空は彼女の部屋を訪れた。そして少々面映い気持ちを感じながらも、彼にしては大人しく華やかな衣裳を着付けられていった。

「お姉さんは、これを着たことあるの?」

「ええ。今よりもう少し、幼い頃にね…悟空さんはお幾つになるの?」

「俺はこの春で、十五歳。」

「まぁ偶然ね…私がこの衣裳を着て公主様にお逢いしたのも、十五の時なのよ。さて…と、はい、これで完成よ。」

最後に背中で結び終えた帯をポン、と軽く叩いて、彼女は鏡越しに悟空を見た。

「…やっぱさぁ…何か、ヘンじゃない…?」

鏡に映った自分の姿をまじまじと眺めた悟空が、俯きがちにぼそりと呟く。通常腕白盛りの少年がまず着ることはないであろう「春」の色合いは、悟空に何とはなしの居心地の悪さを覚えさせた。

そんな悟空の態度に気を悪くした風もなく、彼女はふうわりと笑った。

「あら、どうして…?朱華色の着物、とてもよくお似合い。そうそう、せっかくですもの。髪を結う飾り紐も色を合わせましょうね。」

ひどく楽しげにそう言った彼女は、手際よく悟空の髪を梳き始める。

いつもより少し高めの位置で束ねられた大地色の髪には、着物の色より少し明るめの、珊瑚色の飾り紐が結ばれた。

「ほら、思ったとおり素敵。今度こそこれで出来上がりよ。さぁ…勝手口まで送るわ。」

他の家族の者に気付かれぬよう、ひっそりと勝手口へ向かう。静かに扉を開いた彼女が、後に続いてきた悟空を振り返った。

「今夜は眩しいくらいの月明かりだから心配ないと思うけど、くれぐれも足下には気を付けてね。それから…途中でみつかるといけないから、森に入るまではこれを被っていってね。」

白くか細い指が、手にしていた薄手の毛布を悟空の肩にかける。悟空は顔を上げて彼女と目を合わせ、くすぐったそうに笑った。

「ありがとう…いってきます。」

「いってらっしゃい。公主様に、よろしくお伝えして。」

大きく頷いた悟空は、春の夜の中へと駆け出した。

 

 

穏やかな春の風が、悟空の頬を緩く撫でていく。彼女の言葉どおり今夜は目映いほどの満月で、その光を受けた桜の森は、花明かりでほわりと浮き上がって見える。時折り風に紛れてしまうくらい微かな声で唄を口ずさみながら、踊るような足取りで悟空は森の中を小走りに進む。肩からかけた毛布が風を孕んで捲くれ上がり、朱華色の大振りの袖が、花明かりの下でフワリを翻った。

「あ…」

軽やかに進んでいた悟空の足が止まった。今まで辿ってきた道らしきものが途切れ、どうやら此処が森の最奥らしいと悟る。悟空は顔を上げ、上空を振り仰いだ。

「うわぁ…すっ…げぇー……」

そう呟いたきり、悟空は暫くの間呆けたように口を開けたまま、視界いっぱいに入り込んできた光景に目を奪われていた。

大人の男が二人がかりで手を伸ばしてやっと届くであろう太さの幹。八方に巡らされた枝々に咲き零れる花、花、花。守り神が宿るに相応しい、その姿は正に「霊木」であった。

被ってきた毛布を地面に敷き、悟空はその大木の前にペタリと座り込んだ。喉許が反り返るくらい空を仰ぎ、飽くることなく咲き誇る花々を眺め続ける。

(…ホントすげぇ…今までにも何回か三蔵と花見はしたことあったけど、こんな立派な木は初めて見た…)

時間にして五分程が過ぎただろうか。周りの空気が明らかに変わったことを、悟空は感じ取った。

 

「はて…今年は祭礼の行われる年であったか…?」

 

不意に鼓膜を震わせた、澄んだ笛の音のような少し高めの声。大木の前に小さな光が現れたかと思うと、それはフワリフワリと広がっていき、徐々に人の形らしきものに変わっていった。唯の光の塊であったものに立体的な輪郭がついていき───やがて一人の女性が現れた。

冴え冴えとした白い肌を包む衣は、これもまた一点の曇りもない白。茫然とした様子で座り込んでいる悟空を見下ろす静かな瞳と、身の丈の優に倍はあろう真っ直ぐな長い髪は、光に透ける淡い銀色。

「公…主、サマ?」

突然目の前に現れた女性を見上げたまま、悟空はやっとのことでそう尋ねた。

「如何にも。其方が、此度選ばれし者か…?」

悟空の問い掛けに、公主がゆっくりと頷く。

─────春の神の、降臨だった。

 

公主は身を屈めるようにしてまじまじと悟空の顔を覗き込み、銀の瞳を細めてみせた。

「…ある時には幸いを映し、ある時には災いを映すという金晴眼…其方、人ではないな。」

「あ…あの、えっと…」

公主の言葉にビクリと肩を震わせた悟空は、困った表情で口篭もる。悟空は今更ながら、己の思慮の足りなさを思い知った。目の前の相手は「神」だ。悟空が人間でないことぐらい、見抜けぬ筈もない。じっと悟空をみつめていた公主の瞳の色が、ふと和らいだ。

「ほぉ…なるほど。なかなか珍しい客人だな…」

「あのっ…そ、その…ごめんなさいっっ!!」

悟空はこれ以上堪えられないといった様子で声を上げ、膝に額が付きそうなほど深く頭を下げた。

「今年は本当はお祭りの年じゃなくて、しかも俺はこの村に全然関係ない余所者でっ…この着物を着ていけば公主様に逢えるからって貸してもらって…とにかく、ごめんなさいっっ!!」

悟空が人間でないとわかってからも公主が怒り出す気配はなかったが、この事で機嫌を損ねてしまうようなことになれば、善意で祭礼用の衣裳を着せてくれた彼女はおろか、村全体に迷惑がかかってしまう。だからこそ悟空はありのままを正直に話し、ひたすら謝った。

暫しの沈黙が流れる中、緩やかな風が枝を揺らし、淡い色の花びらを散らせた。

「…顔を上げよ。」

凛とした響きの声が、悟空の耳に届く。悟空が恐る恐る、といった様子で顔を上げると───全てを包み込むような笑顔が、そこにはあった。

「もうよい…其方のその素直な心根に免じ、多少の礼の至らなさは許すとしよう。」

微笑む公主の背後を風が吹き抜け、長い銀の髪が舞い上がる。周囲の花明かりを受けて朧に煌くその目映さに、悟空は言葉も無く只々見惚れるばかりだった。

「…如何いたした?」

瞬きもせずにこちらを見上げてくる悟空に、公主が小首を傾げる。ハッと我に返った悟空は、真っ直ぐ公主を見上げたまま、弾けるような笑顔をみせた。

「…公主様の髪、スゴイね…月の光が、ここまで降ってきたみたい。」

一瞬呆気に取られた表情になった公主は、やがてクスリと笑った。

「幼いなりに合わず、なかなか女心をくすぐるツボを心得た童子だこと。」

「ヘ…?オ、俺、何か失礼なコト言っちゃった!?」

軽いからかいを含んだ公主の言葉の意味を掴めず、悟空が焦った声を上げる。公主は袖口で口許を抑え、今度は声を上げて笑った。

「気に入ったと、申しておる…よろしい、今宵は祭礼の日ではないが、特別に其方の願い事を聞いてやろう…何か望みはあるか?」

気に入ったと言ってもらえたことにホッとすると同時に、公主の予想外の申し出に悟空は驚き、戸惑った。こんな横紙破り同然のやり方をした自分の願い事を聞いてもらえるなどとは、かけらも思っていなかったからだ。

(願い事…?そんなの全っ然考えてなかったもんなぁ…だからってここで『腹いっぱいの肉まん』とか言ったら、今度こそ叱られそうだしなぁ…)

「うーん」と真剣に考え込んでいる悟空の瞳を、公主が不意に覗き込んだ。

「はて…其方、遥か彼方の桜の中に『置き忘れた景色』があるようだが…」

静かな公主の声に、肩が跳ね上がるほど悟空の胸がドクン、と高鳴る。その金の瞳が、零れ落ちそうなくらい大きく見開かれた。

「桜の中に…置き忘れた、景色…?」

微かに震える声で呟きながら、悟空がフラフラと立ち上がる。

その一言に何故これほどの衝撃を受けているのか、悟空自身にもわからない。だが間違いなく、気持ちは反応している。

「覚えておらぬのか…ひどく和やかな、美しい景色であるが…よい、其方に特別願い事がないのなら、今一度その景色を垣間見せてやろう…」

公主が優雅な仕草で右腕を挙げる。着物の袖がフワリと広がるのと同時に、一陣の風が舞い上がった─────。

 

 

一方、ようやく今日の仕事を終えた三蔵が村長宅へと戻ってきた。予想外の書物の量に手間を取らされたが、粗方目を通し終わり、長安に持ち帰り専門家の手に委ねた方が良い物の目星も付いた。明日には寺院へ戻れるだろう。

自分用に割り当てられた部屋の扉を開けようとして、隣りの扉に目を遣る。ふと拗ねた表情で頬を膨らます悟空が脳裏に浮かんだ。

この村に来てからロクに顔も合わせていない。放っておかれどおしで、さぞかし不満だらけで過ごしていることだろう。この件が片付けば、少し時間も出来る。あのサルの誕生日も近いことだし、少しぐらいなら甘やかしてやってもいい。三蔵は口許だけで小さく笑ってから、隣りの扉へ歩み寄った。

「悟空、起きてるか?」

そんな言葉と共に、扉を開ける───が、室内に悟空の姿はなかった。ベッドのシーツに使った形跡はなく、この時間に至って悟空が外出している事実を如実に物語っていた。

「あのバカッ、こんな時間に何処行ってやがんだ!?」

憤りを露わにして大きく舌打ちした三蔵が、「何か」を感じ窓の外へ目を向けた。

近くに、「人ならぬ者」の気配を感じる。妖怪や魔物の類ではない。もっと厳かな、高い品格を感じさせる気配。三蔵の紫暗の瞳に、宵闇の中にほわりと浮かび上がった花の冠が映る。

(あそこか…)

直感的にそう判断した三蔵は、急いで踵を返し、部屋を飛び出して行った。

 

 

公主が巻き起こした風で、悟空の視界は舞い上がった花びらで一杯になった。むせかえるような花嵐が、少しずつ収まっていく。舞い散る花びらがまばらになってきた頃。その向こう側に、ぼんやりと別の景色が映った。全体が霞がかっているように朧げではあるが、此処と同様の沢山の桜の木と、その中でも一際大きな木の下で花見をしているらしい人影が見えた。

 

 

『よーし!木登りでもすっか!?』

『する!!てっぺんまで競争な!』

『───おい、気ィつけろよ』

『落ちたら笑いますよ、酔っ払い』

 

 

三人の青年とおぼしき人影と、小さな子供らしき影が一つ。賑やかな空気。はしゃぐ笑い声。

遥か彼方の桜の中に置き忘れた、と公主が言い表したその景色。

それはおそらくあの五行山に封印される以前のもの。こうして垣間見てもなお、悟空は思い出すことは出来ない。だが「間違いなく自分は知っている」と、それはわかるのだ。

自分はあの光景を知っていて───あの小さな影こそ、悟空自身に他ならない。

微動だもせず幻の景色をみつめる金の瞳から、ぼろぼろと止め処も無い涙が零れた。

一緒に花を見たあの人達が誰なのかはわからない。でも。

 

 

愛してくれる人がいたこと。

愛している人がいたこと。

心から満たされていたこと。

思い出せなくとも、自分は「知っている」。

そしてあれが───もう二度と戻れぬ景色なのだということも。

 

 

突然、目の前が一面の白になる。何かが柔らかく頬をなぞっていく感触に、公主が袖口で涙を拭ってくれているのだとわかった。

「美しい景色であったが…其方にはつらい想い出であったようだな…」

何処までも澄んだ公主の声には、深い労わりの色が滲んでいる。気が付けば、周りの景色は元の桜の森に戻っていた。悟空はゆっくりと首を振り、手の甲でゴシゴシと目許をこすった。

「心配させちゃって、ごめんなさい…俺にも、キレイな景色だったよ。やっぱり思い出すことは出来なかったけど…でも俺、知ってる。俺…確かにあそこにいたんだ。キレイで、楽しそうで、あったかい、あの景色の中に…見せてくれてありがとう、公主様。すごく嬉しかった…。」

金の瞳に淡い潤みを残しながらも、悟空は気丈に顔を上げて笑った。

「ちょっとだけ…ホントにちょっとだけ、胸が痛くなったけど…大丈夫。あの景色は、俺に『力』をくれるよ…きっと。」

 

 

戻れない優しい景色に少しだけ胸は痛んだけれど、大丈夫。

この『春の痛み』はきっと、明日を踏み出す為の「力」になる。

愛されていたこと。愛していたこと。

其処に確かに自分がいたこと。

それはきっと、これからの「自分」という存在を支える、心の礎となってくれるはず。

 

 

「だから大丈夫だよ…ありがとう。」

少し照れ臭そうに笑いながら、悟空はもう一度公主に礼を述べた。穏やかな眼差しで悟空を見下ろす公主は、うっすらと微笑んだ。

「…そうか…其方はまことの、強き魂を持っておるな。またいつかの春に…この森を訪ねてくるとよい。」

「うん…またいつか、遊びに来るよ。俺きっと、今日のことを忘れない。」

「さて…ではそろそろ、其方を『あちら』へ返すとしよう…しびれを切らして待っている者がおるようなのでな。」

「えっ…待ってるって、誰が?」

公主は悟空の問いには答えず、ただ笑ってみせた。その姿が現れた時とは逆に、集まっていた光が四方に散っていき、公主の姿は少しずつ朧げになっていく。

「さようなら…強き大地の申し子よ…」

「さようなら公主様…どうもありがとう…」

別れの挨拶を交わし、公主は笑んだまま静かに消えていった。次の刹那、先刻と同様の一陣の風が巻き起こり、悟空の周囲の花びらが一斉に舞い上がった。

「うわっ…」

予想外の突風に悟空が声を上げる。風は一瞬にして吹き抜けていき、舞い上がった花びらは静かに地へと落ちていく。音も無く降る花の雨の向こうに、人影が見える。

悟空の瞳が、驚きに大きく開いた。

「さんぞ…?」

其処には、苦々しげな表情でこちらを見据える三蔵の姿があった。

 

 

ズカズカと大股で歩み寄ってきた三蔵が、ジロリと音のしそうなくらいきつい目付きで悟空を見下ろす。

「…テメェのそのカッコは何だ」

途端に悟空はばつが悪そうに視線を落とす。

「えっと…これは村のお祭り用の着物で、これ着てると桜の神様に逢えるからって、村長さんとこのお姉さんが…」

実を言えば三蔵はかなり前から此処に来ていた。三蔵の法力からすれば祭礼用の衣裳の力など借りなくとも、神の姿を見ることは造作もないことだった。あちらもすぐに三蔵の気配に気付いたらしく、ほんの数瞬視線を送ってきた桜の神は、小さく笑った。しかし神の周囲の空間は一種の結界になっていたようで、姿を見ることは出来ても、三蔵が中に入ることは適わなかった。

だから、ただ黙って見ているより他なかった。

自分には見えない「何か」に心を揺すぶられて、一人静かに涙を零す悟空の姿を。

「ちょ…さんぞっ、くるし…」

不機嫌な様子のままの三蔵に、骨が軋みそうなくらいきつく抱き込まれ、悟空が苦痛を訴える。しかし三蔵は力を緩めることもなく、背中に回した手を動かし始めた。

「!?何してんだよ、三蔵っっ」

その意図に気付いた悟空が非難の声を上げるが、三蔵の手は止まらなかった。

呆気なく帯の結び目を解かれてしまい、そのまま身体ごと地面に抑え付けられる。悟空は懸命に身を捩って抗う意思を見せた。

「さんぞっ、着物、汚れちゃうってばっっ…」

「丁度あつらえたみたいに敷布があるじゃねぇか。」

悟空の責めの言葉を全く意に介さず、長い指先が着物の衿元をくつろげていく。三蔵の返事に悟空の顔が真っ赤になった。

「こっ、これはそんなんじゃなくて、着物が目立たないようにってお姉さんが被せてくれて…ちょっ…ホントによせってば!!公主様に見られちゃうだろ!?」

「ンなコト俺の知ったことか」

「ふざけんなよっっ、何勝手なことっ…」

「テメェは、俺を待ってたんだろう。」

あまりと言えばあまりの物言いに怒鳴ろうとした悟空の声を遮った、ひどく静かな三蔵の声。その声音にそれまでの一方的な態度とは異なるものを感じた悟空は、抗う手を止め、改めて三蔵の顔を見上げた。

「…お前が待ってたのは、俺だろうが。」

もう一度、ぽつりと零れた呟き。見下ろしてくる紫の瞳は、身勝手なその物言いとは裏腹にひどく心許なげで、何だか途方に暮れてしまった子供のような、そんな色を宿していて。

三蔵の左手をとり、指を絡ませるように握る。その手の甲にそっと口付けて、悟空は緩やかに笑った。

 

「…間違えないで。俺は、ココにいるよ。『俺の場所』は、戻れない景色の向こう側なんかじゃない。間違えないで…俺は、ココだよ。」

 

間違えるなと、自分の在るべき場所は此処なのだと、はっきりとした声でそう告げる悟空の瞳には、迷いのかけらもない。絡ませた指にギュッと力を込めて、悟空はもう一度「ココにいるよ」とはにかみながら呟いた。

三蔵の瞳が、不意打ちを受けたように大きく見開く。暫し言葉もなく悟空をみつめた三蔵だったが、わざと乱暴に絡ませた指を外し、目の前の小柄な身体を強く抱きすくめた。

「…ンなこたぁ、わかってる…」

ほとんど吐息に近い三蔵の囁きが、悟空の耳元に届く。「ならいいんだ」と悟空は笑って応え、三蔵の背中にその腕を回した。

 

 

緩やかな風が流れる中、はらり、はらりと。淡い色の花びらが、互いの熱を分け合う二人の下にも降り注ぐ。与えられた悦楽にピクリと背を反らし、忙しなく息を継ぐ度に小さく揺れる長い大地色の髪にも、幾枚かの花びらが地面に落ちきらず残っていた。

小さな耳朶の裏に唇を寄せ、未だ成長しきらない頼りなげな衿足から背骨のラインを辿るように、次々と唇を落としていく。咬み痕を残す寸前の、とても「口付け」などという優しい響きでは片付けられない容赦のない愛撫に、薄い肩が震える。それでもその声は、拒絶の言葉を紡ごうとはしない。内側からの熱で淡く色付いたあどけない唇は、何処までも甘く三蔵を呼ぶ。

平素陽の下に晒されることのない白い背に、舞い落ちる桜色よりも鮮やかな、唐紅の花が散る。自らが残した痕を辿る三蔵の唇が、微かな笑みを形作った。

 

 

その胸を一瞬でもよぎった『春の痛み』など、

全て消し去ってやる。

戻れない景色への感傷などよりも、

もっと鮮やかな、もっと確かな『痛み』を。

 

 

ドクドクと脈打つ項に、きつく歯を立てる。薄く開かれた艶やかな唇から、声にならない声が漏れる。

柔らかな肌に、またひとひら花が散った─────。

 

 

───愛咬や はるかはるかに 桜散る───

                    時実新子

 

END

 

 

《戯れ言》

自前サイトの一発目は桜ネタにして前世ネタ、でもってアウトドアという(笑)てんこ盛りな内容となりました(^^;)。ところであの着物の色、読めた方いらっしゃいます?因みに「はねずいろ」と読みます。色合いとしては桜色よりもう少しはっきりした、クリームがかったピンク色という感じ。実を言えば、あの着物を着て満開の桜の下を駆けていく、という場面を書きたさに思いついた話だったりします(苦笑)。

「春の痛み」という言葉は、コブクロの「風」という曲を聴いた時に浮かんだイメージ。最後に入れた句は私の大尊敬する時実新子様の句です。この句を読んだ時私はまだ十八ぐらいで、そりゃもう凄い衝撃を受けました。

「たった十七文字でこんなことが出来る人がいるのかぁ…」と。この句の鮮烈な印象を崩さない仕上がりになっていればいいのですが…。

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