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「二人で『恋』をはじめよう」 by Riko


季節も冬に傾きつつある、十一月も終わりに近付いたある日のこと。
彼───玄奘三蔵は、一人の女性と共にあるバーにいた。そこは生バンドの演奏が評判の落ち着いた雰囲気の店で、その時にも店内には軽めのフュージョンジャズが流れていた。
「…ねぇ、この後どうする?」
艶やかな口許が思惑ありげな笑みを刻むのを横目でチラリと見ながら、三蔵は深く紫煙を吐き出した。
「俺は会社に戻る。明日までにプランを提示しなきゃならない案件が残っているんでな。」
「えぇ~?せっかくバースデーに会えたのに?」
きっちりとした流線形の描かれた美しい眉が、不本意そうに歪む。そう、今日は彼の二十三回目の誕生日なのである。彼のすぐ横には、目の前の女性から贈られたとおぼしきスタイリッシュなデザインのネクタイが箱から覗いている。そんな女性の反応にも三蔵は全く表情を動かすことなく、灰皿の上で煙草を揉み消した。
「ンなコト知ったことかよ、俺は時間があるなんて一言も言ってねーぞ。あんまりしつこく電話してくるから、渋々顔を見せに来ただけだ。」
それは女性に対しての格好つけではなく、三蔵の本音そのものである。実際彼にとって誕生日などというものは特別な記念日でも何でもなく、それをめでたいだの何だのと言われても煩わしいだけなのだ。
三蔵のにべもない一言に、女性は一瞬呆気に取られたような表情になったが、彼の平素からの言動をよく承知しているのだろう。次の瞬間には半ば呆れたような顔で笑ってみせた。
「いいわ。渋々でも顔を見せに来てくれた分で、今夜は勘弁してあげる…その代わり、次は絶対よ?」
深い紅で彩られた唇が軽く彼の頬に触れ、離れていく。「じゃあね」と鮮やか
な笑みと共にヒラヒラと手を振り、女性は店を出て行った。全身に纏わりつくような甘い残り香に、形の良い眉が顰められる。三蔵は何か邪魔なものでも振り払うように、頬に触れた唇の跡をグイときつく拭った。それから十分も経たぬうちにグラスの中味を空けた三蔵は、会計を済まし店を出た。

店は地下にある為、狭い階段を上って地上へと出る。階段を上がりきって細い路地を歩き出したところで、不意に背後から「なぁ」と声をかけられた。訝しげに振り返ると、自分から2、3歩離れた地点に一人の少年が立っていた。人懐こそうな大きな瞳が、真っ直ぐにこちらに向けられている。確か今日入っていたバンドの面々の中に、この顔があった気がする。普段三蔵は商用以外で人の顔を意識して見ることなどほとんどないのだが、目の前の少年は、店内の雰囲気にはそぐわぬあまりに子供子供した様子だったので、妙に印象に残っていたのだ。
「…何だ?」
問い返した三蔵の所まで歩み寄ってきた少年が、ある物をスッと差し出した。
「忘れ物。コレ、プレゼントなんだろ?」
そう言って彼が差し出したのは、先ほどのネクタイの入った箱だった。それを見た三蔵の表情はといえば、「そういえばそんな物もあったか」という程度で
ある。故意に忘れてきたわけではなかったが、別段置いてきて困る代物でもなかった。それでも少年がわざわざ届けに来た手前、三蔵は「あぁ」と短く呟いてその箱を受け取った。
「今日が誕生日…?」
そう問いかけながら、ひどく印象的な金の瞳が下から覗き込んでくる。
「だったら何だ」
素っ気無い三蔵の返事にニコッと笑った少年は、ジーンズの後ろポケットから何かを取り出した。それは彼の掌より少し大きいくらいのブルースハープ。そのまま口許にあてられた楽器から奏でられたのは、『ハッピーバースデー』の
メロディー。
突然の展開に暫し茫然としているうちに、軽快なメロディーが終わる。口許からブルースハープを離した少年が、その口を開いた。
「…俺からも、誕生日おめでと。じゃあね!」
もう一度満面の笑みを三蔵に向けた少年は、クルリと踵を返して足早に元来た道を戻っていった。何となく三蔵はその場を動くことが出来ず、自分の視界から完全に消えるまで、その小さな後ろ姿を見送っていた。
「…変わったガキ…」
ぽつりと落とされた呟きは、自分でも驚くほど柔らかで。口許が微かに上がっているのを三蔵は自覚する。「誕生日おめでとう」などという恥ずかしいこと
この上ない台詞を、あんな屈託のかけらもない笑顔で言う人間は、自分の周りにはいなかった気がする。
唯一の家族だった、亡き義父以外では───。
女性に告げたとおりそのまま会社に戻った三蔵は、深夜までかかって予定の仕事をこなしてから、一人暮らしのマンションへと帰宅した。
シャワーを浴び終え眠りに就こうと瞼を閉じかけた時。じっとこちらを覗き込んできた丸い瞳が、不意に脳裏に浮かんだ。少しの間白い天井を見上げていた三蔵は、今度こそ静かに目を閉じた。

……その夜見た夢は、ひどく穏やかな色に包まれていた─────。


次の日、三蔵は少し早めの時間に昨夜の店を訪れた。「準備中」の札の下げら
れた扉を開けると、カウンターの中でグラスを拭いていた人物が顔を上げた。
「すみません、オープンは8時からなんですけど…」
翡翠色の瞳をした青年が、穏やかな口調で告げる。短く頷いて承知している旨を示した三蔵は、そのまま店内へと足を踏み入れた。店の奥へと視線を向けると、機材の調整をしているらしきバンドのメンバーが見えた。だがその中に、あの少年の姿は無い。視線を戻した三蔵は、そのままカウンターへと歩み寄っていった。
「訊きたいことがあるんだが…昨夜あのバンドの中にいたガキは、今日はいないのか?」
「ガキ…?あぁ、悟空のことですか…彼は昨夜休んでいた者の代役で入っていただけなんで、正式なバンドのメンバーではないんですよ。悟空に何か御用でしょうか?」
三蔵の問いかけに一見人当たりの良さそうな、それでいてひとクセありそうな笑みを浮かべた青年がそう答える。三蔵はごく簡潔に、昨夜彼が自分の忘れ物を届けてくれたこと、その事について一言礼を述べたいと思い尋ねて来たことを話した。
「あ…はいはい、思い出しましたよ。そういえば悟空、曲の合間に抜け出してましたね…貴方に忘れ物を届けに行ってたんですか。」
納得したように頷いてみせた青年は、バンドの面々の方へ目線を向け「悟浄」と呼びかけた。その呼びかけに反応した人物が、こちらに近付いてくる。
「どーした、八戒?あらま…こちらさん、結構な男前じゃねーの。」
如何にもノリの軽そうな口調の青年が、無遠慮な視線を投げかけてくる。紅みがかった長髪を後ろで一つに束ねた、派手な印象の男だった。
「こちらの男前さんが、悟空を尋ねていらしたんですけど…貴方、今の悟空のバイト先知ってます?」
八戒の問いに悟浄は何かを思い出そうとするように、こめかみをトントン…と突きながら、小首を傾げてみせた。
「えーっと…確か、夜間清掃のバイトに行ってるとか言ってなかったっけか?ほら、隣りの駅にある、外資系の商社だか何だかが入ってる、でかいビル…」
「…天竺ビルか?」
「あ、そうそう、それだよ!そのビルの担当だって聞いた気がすんだけど…」
僅かに紫の瞳を眇めながら呟いた三蔵に、悟浄はパチンと指を鳴らして大きく頷いた。
「そうか…開店前に、邪魔をしたな。」
「いいえ。またゆっくりいらして下さい…次は、一杯奢りますから。」
今度は先刻とは異なる、含みのない笑顔を向けてきた八戒に軽く手を上げ、三蔵は店を後にした。

天竺ビルへと到着した三蔵は、守衛室で清掃会社が何階に入っているのかを確認してからエレベーターに乗った。目的の階に着き、廊下を歩き出す。数分の後、三蔵の視界に熱心にモップがけをしているらしき、小さな後ろ姿が飛び込んできた。
「悟空」
不思議と何の躊躇いもなく、その名が口をついて出た。三蔵の声に気付いたらしい少年が、こちらを振り返る。零れ落ちそうなくらい丸く開かれた瞳が、こちらに真っ直ぐ向けられた。
「アレ…えーっ!どうしたの?よくココがわかったね…何で?」
驚きの声を上げながらも笑顔で走り寄ってくる悟空を見下ろし、三蔵が口を開いた。
「昨夜の店でバーテンと長髪野郎に訊いた…それに、此処は俺の勤め先だ。」
「そっか、八戒と悟浄に訊いたんだ…って、えぇ!?アンタ、ココの商社の人なの?うわぁ…すっげー偶然…」
悟浄の説明に三蔵が間髪入れずにビルの名前を答えられた理由───何とも奇妙な偶然だが、此処は他でもない、三蔵の勤務する商社が入っているビルだったのである。
「今日は何時の上がりだ?」
「へ?えっと…一応十時までだけど…」
三蔵の突然の問いかけに、たどたどしく悟空が答える。腕時計で現在の時刻を確認してから、三蔵は軽く頷いた。
「わかった。その頃また来るから、正面玄関の前で待ってろ…いいな?」
今一つ状況を把握しきれていない様子で、それでも悟空がコクリと頷いてみせる。それを見て取った三蔵は、来た時と同じく唐突にその場を去って行った。
「…何がどうなってんだろ…?」
一人ポツンと残された悟空は、きょとん…とした表情でその一言を呟いた。


十時を十分ほど過ぎた頃───正面玄関へと出てきた悟空がふと道路の方へと目を遣ると、そこには既に車を横付けした状態の三蔵が、煙草を吹かしながら立っていた。悟空は慌てて彼の傍へと駆け寄った。
「悪ィ、待たせた?」
ペコッと軽く頭を下げた悟空に、三蔵は吸い殻を踏みながら首を振った。
「いや…十時上がりで着替えてたらこんなモンだろ。いいから乗れ。」
当然の流れのように助手席のドアを開けられ、おずおずと悟空が車に乗る。自分も運転席に着くと、三蔵は車を発進させた。
「何か食いたいモンはあるか?特にお前から希望がなければ、このまま俺が行こうと思ってた店へ向かうが…」
車を走らせてすぐに、三蔵がそう問い掛けてきた。しかし未だ状況が掴めない悟空は、戸惑うばかりである。
「え?あ、あの…何が?」
「昨夜の礼に、メシでも奢るって言ってんだよ。」
明らかに困惑の色を滲ませている悟空の声に、三蔵が軽い苦笑いを浮かべる。
「え…だって、ただ忘れ物渡しに行っただけだし…それに俺、スゴイ食うよ?たぶん、あんたが引くぐらい。」
予想だにしていなかった三蔵からの食事の誘いに、運転席の方を振り向いた悟空はあたふたと言葉を繋ぐ。そんな悟空の反応がひどくおかしくて、三蔵の苦笑いは更に深くなった。
「テメェに腹一杯食われたぐらいで引くほど、俺の懐は貧しかねぇよ。」
三蔵がそう言ってもまだなお、悟空は何か言いたげな表情をしていたが、結局そのまま黙り込んでしまった。それを了解と受け取った三蔵は、軽快に車を走らせていった。
「…そういえば俺、まだあんたの名前聞いてなかった。」
何度目かの信号待ちの間に、悟空が不意にぽつりと呟く。言われてみればこちらだけが彼の名前を知って納得してしまい、肝腎の自分の名前はまだ名乗っていなかった。
「三蔵…玄奘三蔵だ。」
「三蔵…か。俺の名前は…悟浄達から聞いたんだよな?でもいいや、ちゃんと自己紹介しといた方がいいし…俺は、孫悟空。よろしくな。」
名前を聞いたことで幾分か安心したのか、そう言って向けられたのは、昨夜と同じ屈託のない笑顔だった。

車が向かった先は、海岸線を埋め立てて造られた新興都市。おそらく堅苦しいのは苦手だろうと判断した三蔵が悟空を連れて行ったのは、カジュアルな雰囲気のイタリアンの店だった。料理自体も大皿の物を取り合って食べるという肩の凝らない形式で、程なく店の雰囲気にも、そして三蔵という人物にも打ち解けてきた悟空はよく語り、よく笑い、そして自ら予告していたとおりによく食べた。三蔵自身は日頃から、食事という物に対してさしたる執着のないタイプなのだが、食べ盛りの少年ならこの位は順当かもしれないとも思ったし、心底嬉しそうに次々と料理を平らげていく様は、見ていて却って清々しさすら感じさせた。
和やかなうちに食事は終わり、会計を済ませた頃には既に日付けが変わろうとしていた。
「うわぁ…すっげぇー…」
駐車場に戻った悟空の口から感嘆の声が漏れる。湾岸沿いのその場所からは、眩いばかりに瞬く夜景が一望できる。輝く宝石を散らしたようなその光景に、悟空の瞳は釘付けになった。あまりにも素直なその反応に、滅多に自分から笑うことなどない三蔵の口許にも、自然と笑みが上った。
「…そうか?俺の部屋からの景色も、こんなモンだぞ。」
「ヘェー、すっげぇイイトコ住んでんだなぁ…俺のアパートなんか、ゴチャゴチャした路地沿いに建ってるからさ…夜景なんて夢のまた夢だよ。」
三蔵の一言にそちらを振り返った悟空が「へへ」と笑ってみせる。「夜景が見える部屋なんてステキ」などという媚び丸出しの言葉は、今まで幾多の女達から聞かされてきた。単に生活に都合が良いという理由だけで現在のマンションに居を構えた三蔵にとって、夜景が見えるベランダなどという物はあってもなくても同じだった。そもそも必要以上に他人と馴れ合うことを厭わしいと感じる三蔵は、付き合ってきた女性も含め、人を自分の部屋へ入れたことはない。だが、こんなことで本当に素朴に喜ぶ幼さを残す横顔を見ていると、もしあのベランダからの景色を見せたなら、彼は同じようにこの金の瞳を輝かせて笑うだろうかと、ふとそんなことを考えている自分に気付いた。
帰りの道すがら、悟空は自分が現在十八歳の高校三年生であること、月水金のシフトであのバイトに入っていること、昨夜はバイトがオフだったことに加えて少しだけブルースハープが吹ける為に助っ人に呼ばれたこと、土日は近所のコンビニで別にバイトをしていることなどを話した。
「そんなにバイト尽くめじゃ、ダチと遊ぶヒマもねぇだろ?」
明らかな驚きを含んだ三蔵の声に、悟空の顔に軽い苦笑いが浮かんだ。
「ん…まぁそうだけど、しょーがないね。それに俺、みんなのペースに付き合えるほど、余裕も無いし。」
その後続けて悟空は、自分の家が幼少の頃から母子家庭だったこと、女手一つで育ててくれた母親も彼が中学三年生の時に亡くなり、現在は全くの一人暮らしであることを語った。悟空の口から告げられた数々の事実に、三蔵は彼がその純朴で子供らしい様子に似合わず、同年代の少年らよりずっと厳しい現実と向き合っていることを知った。そういう三蔵当人も十代始めに義父を亡くして以来、ずっと一人であるのだが。ただ、彼の義父は結構な財産家であった為、三蔵が金銭面での苦労をしたことは今まで一度も無かった。
「あ…この辺でいいや。止めてくれる?」
外の景色を眺めていた悟空から、ある通りを走っている途中で声をかけられ、三蔵が歩道側に車を寄せる。
「この近くなのか?別にアパートの前まで車付けてもいぞ。」
「サンキュ、でもアパートまで行ってもらうと、道幅狭くて車回すの大変だから。ほら、あの細い道を入って2~3分くらいなんだ。」
三蔵の申し出に小さく首を振った悟空は、車内からも見える少し奥まった通りを指差してみせた。
「じゃあ、今日はどうもご馳走様。ホントに遠慮なく食っちゃってゴメンな。すごく楽しかった…ありがとう。おやすみ。」
最後にもう一度満面の笑みを向け、礼を述べて車を降りようとした悟空に、三蔵が「おい」と声を掛ける。ドアロックを外した悟空が振り返ると、三蔵はポケットから携帯電話を取り出した。
「お前、携帯の番号は?」
「えっと……」
悟空が十一桁の番号を口にするのと同時に、三蔵の指がボタン上を動く。言い終えた途端にカバンの中の携帯が鳴り、慌てて確かめると、画面には見慣れぬ番号の着信記録が表示されていた。
「また電話する。お前も何かあったら電話してこい。」
忘れ物を届けてくれた礼との三蔵の言葉に、今回限りのことだろうと思っていた悟空は正直戸惑いを覚えながらも、それでもコクリと頷いた。片やの三蔵とて、当初はこんなことをするつもりは毛頭なかった。だが、ほんの些細なことでもひどく楽しげに笑う目の前の少年と、このまま連絡先も訊かずに別れたら後々悔やんでしまいそうな……そんな気がしたのだ。もう一度「おやすみ」と声をかけ、手を振り合って二人は別れた。
こうしてその夜、彼らの二度目の出会いは終わった。


それから悟空のバイトが入っている日に待ち合わせをし、二人は週に1~2回のペースで会うようになっていた。大概は三蔵が選んだ店で夕食を共にし、その後車で送っていくだけというただそれだけのことだったが、三蔵はそんなたあいのない時間が、驚くほど己を和ませていることを自覚し始めていた。また悟空の方も、当初は口数が少なくぶっきらぼうな態度の三蔵に少し戸惑っていたのだが、会う回数を重ねるごとに、ふとした言葉や仕草から垣間見える、不器用だが偽りのない彼本来の優しさを感じ取れるようになっていた。

そんな風にして半月以上が過ぎた、十二月も後半に入ったある日のこと。
いつもは遠慮して自分からは滅多に電話をしない悟空が、珍しく三蔵に電話をかけてきた。
「珍しいな…どうした?」
『うん。あのさぁ俺、昨日バイト代入ったんだ。でさ、いっつも奢ってもらってばっかで悪いから、たまには俺がご馳走しようかと思って…今日、シフトの日じゃないけど…どうかな?』
「悪ィが、今日はどうしても今晩中にケリつけなきゃなんねぇ仕事があってな…また今度誘ってくれ。」
『そっか…忙しいんだ…わかった、また今度、な。』
「わかった」とは言いながら気落ちを隠せない様子だった悟空の声に少々心は痛んだが、明日の朝一番で提出すると約束した資料は、何としても仕上げなければならない。電話を切ってからの三蔵は、ひたすら仕事に没頭した。
そして時刻が九時を過ぎた頃。三蔵の携帯が再び鳴った。画面を確かめると、かけてきた相手は悟空。電話を受けると、再び受話器の向こうからあの明るい声が響いた。
『忙しい時にゴメン。ちょっと下りて来られる?』
そんな言葉に促されて一階まで下りて行くと、正面玄関の前に軽く息を弾ませた悟空が立っていた。
「わざわざ来させてゴメンな…はい、コレ。」
笑った悟空が、目の前に小さな紙袋を差し出す。受け取った袋を少し開いてみると、そこに入っていたのは、まだ熱々の湯気を立てている肉まん。
「…差し入れ。コレさ、俺がよく行く中華屋の、おばちゃんの手作りなんだ。ぜってーお薦めだから、温かいうちに食ってな。じゃあ、仕事頑張って。」
何処か照れ臭そうに笑って立ち去ろうとした悟空のコートのフード部分を、三蔵が咄嗟に掴む。驚いて振り返った金の瞳が、紫の瞳と重なり合った。
「お前…この後どうすんだ?」
「ん?別に…このまま家に帰るよ?」
「だったら、少し寄ってけ。」
思いがけない三蔵の言葉に、金の瞳が丸く開かれた。
「でも…三蔵、仕事中だろ?」
「一人で五つも食うかよ、バカ…だから、テメェも責任持って減らしてけ。」
「え…そっかな?俺、自分がいっぺんに三つくらい平気で食っちゃうからさ…三蔵、俺より大きいし…」
「俺の繊細な胃袋を、テメェみたいな食欲バカと一緒にすんな。」
「ムーッ!!『食欲バカ』って言うなっっ!!」
まるで子供のようにムキになって頬を膨らます悟空の前を歩き出した三蔵の横顔に、何とも微妙な笑みが浮かぶ。

本当はウソ。この十二月の寒空の下、温かいうちに食べさせたいという一心で白い息を吐きながら駆けてきたのであろう彼のことを思ったら───何となく離れ難くなってしまっただけ。

三蔵が淹れたコーヒーを飲みながら、結局は二つを三蔵が、三つを悟空が食べて、つかの間の休憩時間は終わった。
「仕事の邪魔しちゃってゴメンな…じゃあ、俺帰るから。」
席を立ってドアへと向かった悟空を、三蔵が呼び止める。悟空が足を止めて振り返ると、何かを手にした三蔵が近付いてきた。
「夜は冷えるからな…コレ、していけ。」
そう呟いた三蔵の手が、何気ない仕草で剥き出しの頼りない項にオフホワイトのマフラーを巻きつけた。
「いっ、いいよ、そしたら三蔵が帰る時寒ィじゃんっっ」
「どうせ俺はもう、電車が動いてる時間には帰らねぇよ。直接タクシーで帰るんなら、ンなモンしててもしてなくても一緒だ。いいから、していけ。」
慌ててマフラーを外そうとする自分よりも二回りほど小さな手を、三蔵は上から直接押さえ込んでしまう。手の中の指先が、ピクリと小さく震えた。
「ん…じゃあ、せっかくだから…借りてくな?ありがと。」
ほのかに染まった顔を俯かせたまま、ぎこちなく悟空が礼を言う。三蔵がそっと手を外すと、おずおずと顔を上げた悟空は、はにかみがちに微笑い「仕事、頑張って」と小さく呟いて扉から出て行った。
シン…と静まった部屋に一人残った三蔵は、クルリと返した掌をみつめる。
じんわりと移った小さな手の熱が、いつまでもいつまでも離れていかないような、そんな気がした。


次の日、バイトに来た悟空をいつもどおりに三蔵が誘い、いつもどおりに二人で夕食に行った。悟空は今までと変わらずによく笑い、よく食べ、三蔵もまた平素を変わらぬ態度でそんな悟空に接した。
そしていつもの帰り道の途中───自分の家が近付いた頃、悟空が「あっ」と突然声を上げた。
「どうした?」
「悪ィ…三蔵に借りたマフラー、忘れないようにと思って別に紙袋に入れて、家に置いてきちゃった…あのさ、いつもの通りに着いたら少し車止めて待っててくれる?そしたら俺、返しに戻ってくるから。」
如何にも大切なことを忘れてしまっていたという様子で、申し訳なさそうに悟空が謝る。一方の三蔵の反応は、そんなことかという程度である。
「いらねーよ、ンなモン…そのままお前が使ってろ。」
「!ダメだよそんなの!だってアレ、俺が見たってわかるくらいすげぇイイ物だもん…それをそんな気軽にもらえるワケねーじゃんかっっ」
三蔵が何の拘りもなく言った一言に、悟空は予想外の過剰な反応を示した。三蔵が昨夜貸してくれたマフラーは、その辺りに全く疎い悟空が見てもはっきりわかるくらい、素材も織りも上質の紛うことなき高級品で、大して使った様子もない、新品同様の物である。三蔵にとってはどうということのない物でも、人一倍金銭面で苦労をしてきた悟空が、そんな品物を簡単に受け取れるはずがなかった。暫しの沈黙の後、軽い溜め息を吐いてから三蔵がその口を開いた。
「…じゃあお前が昨夜差し入れを持ってきた時、こんなことしてもらう義理はねぇから持って帰れってもし俺が言ったら…どう思った?」
「…っ、それとこれとは違うじゃんっ」
「何が違うんだ、金額の違いか?フザケんな、同じコトだろーが…コイツにそうしたいって思ったんだから…同じコトだ。」
その一言に、悟空は大きく開いた瞳を三蔵へと向ける。運転中の為前を向いたままだが、その意志の強さが表れた瞳には、少しの揺らぎもない。
ほんの少しの間そのまま三蔵の横顔をみつめていた悟空の表情が、やがてゆうるりとした笑みを形作った。
「…そしたら…三蔵が言ってくれたとおり、そのまま貰う。ありがとう…絶対大事にするから。」
あまりに真摯なその声に、三蔵が思わず振り返る。咄嗟にブレーキを踏みながら、歩道側へと寄せて車を止めた。
使い古しのマフラー一つを真剣に語り、絶対大事にすると笑う、何の打算も、一片の濁りも無い、その瞳。
「…さんぞ?どうかした?」
まだいつもの場所に着いていないうちに車を止めてしまった三蔵の顔を、悟空が小首を傾げて覗き込む。三蔵は胸の奥から突き上げるように溢れ出した想いを抑えきれず、ほぼ衝動的に小柄な身体を引き寄せた。

「え…?」

ほんの一瞬、触れ合うだけの軽いキス。それでも悟空は、零れ落ちそうなくらい大きく瞳を開いていた。
「…初めてだったか?」
「ううん…初めてじゃ、ない…あ、でも…家族以外とは、初めて…かな…」
驚きが覚めやらぬ様子でたどたどしく答える悟空の顎に手をかけ、改めて三蔵が顔を寄せる。
「そうか…じゃあこのキスは、俺が初めてだな…」
吐息混じりの囁きと共に、重ねられる唇。悟空はほぼ反射的に、ギュッと目を閉じた。
軽く食むように下唇を挟まれて、悟空の薄い肩が小さく震える。戯れのように唇のラインをなぞっていた舌先が、並びの良い歯の間からスルリと入り込み、決して焦らず、じんわりと口腔を侵蝕していく。
「ん…ぅ…っ…」
まるで足底から何かが這い上がってくるような、得体の知れない感覚から逃げ出したくて悟空は身体を引こうとするが、三蔵の腕は悟空を逃がさない。寧ろ悟空を追い込むように、濡れた音を耳の内側に響かせながら捉えた舌先を絡め合い、甘噛みするように緩く歯を立てる。
「…ふ…ぁ……っ」
呼吸さえままならない悟空の身体から力が抜けかけた頃、三蔵はようやく未だあどけなさを残すその唇を解放した。
三蔵からバッと身体を離した悟空は、手の甲を口許に押し当てて荒い呼吸を繰り返している。全く物慣れていないその様子が如何にも彼らしく、そしてそんな彼の無垢さを明らかに喜んでいる自分の身勝手さがおかしくて、三蔵の唇に自嘲気味の笑みが上る。すると、子供のように真っ赤になって頬を膨らませるかと思われた悟空は、ひどく透明な瞳で真っ直ぐにこちらを見据えていた。
「…何で笑ってるの?」
ぽつりと、悟空の唇から零れた呟き。しかしその口調は決して三蔵を責めているという感じではなく、どちらかというと何処か心許ない響きを帯びている。
「…今時こんなコトも馴れてないヤツが、珍しくておかしかった…?」
続けてそう言った悟空の瞳は今にも泣き出しそうで、そのくせ口許は、懸命に笑おうとしていて。瞬間的に三蔵は、己が失態をやらかしたことを悟る。しかし三蔵が口を開くよりも、悟空が次の行動を起こす方が早かった。
「もう…ここでいいよ。ここから歩いて帰れるから。」
そう言ってシートベルトを外した悟空は、三蔵が腕を伸ばすより一瞬早くドアを開け席を立った。
「今日はどうもありがとう…でももう電話はいいから…じゃあ、おやすみ。」
冬の夜風に紛れてしまいそうな儚い声が、三蔵の耳に届く。もう一度泣き出しそうな瞳で三蔵に笑いかけた悟空はドアを閉め、次の瞬間には夜の闇の中へと駆け出していた。
「ごく…っ」
自らも車を降りてその後を追いかけようとした三蔵が、何かに縛られたように立ちすくむ。

追いかけていって…それから?それから何と言う?
「決して気まぐれなんかじゃない」とでも?
では、気まぐれでなければ一体『何』だ……?

自らの疑問に答えを出せないまま、結局三蔵は小さな後ろ姿が見えなくなるまで、一歩もそこを動くことが出来なかった。


次の日も、三蔵は丸々一日悟空に連絡を取ることは出来なかった。電話をしたところで何をどう語ればよいものか、三蔵は未だ考えあぐねていた。勿論、悟空の方から連絡があるはずもなかった。
更にその次の日、三蔵は意を決して電話をかけてみた。とにかくもう一度会ってみようと。直接彼と顔を合わせれば何を語ればよいのか、何を伝えるべきなのかがもう少し明確な形で捉えられるのではないかと、二晩考えた末に三蔵はその結論に辿り着いた。しかし。
登録された番号へかけた電話の向こうからは、数回の呼び出し音の後、その番号が現在使用されていない旨を告げる、無機質なアナウンス音が流れるばかりだった。こうなれば直接本人を捕まえるしかないと、三蔵はいつもの時間にビルの前に車を付けて彼を待った。だが三十分待っても、悟空らしき人影が玄関から姿を現すことはなかった。その日一体何本目になるのかわからない煙草を苛立たしげに揉み消した三蔵は、そのまま悟空の自宅へと向かった。
「狭くて車を回すのが大変だから」という悟空の気配りで今まで一度も来たことのなかった細い路地へと車を入れる。悟空の説明どおり、路地を入って程なくの場所に、一棟のアパートが見えた。車から降りた三蔵は、規則的に並んだドアに掲げられた名札を一つ一つ確かめて回った。アパートの大体の位置は聞いていたが、悟空が何号室に住んでいるかまでは知らなかったからである。悟空の部屋は、二階への階段を上ってすぐの所にあった。
三蔵がドアの前で待ち始めて十分程が過ぎた頃、階段の下からコツコツとこちらへ向かってくる一つの足音が響いた。三蔵がそちらへと視線を向ける。少しずつ近付いてきた足音と共に、よく見慣れたこげ茶色の頭が揺れているのが見えた。階段を上がりきって顔を上げた彼が、息を呑む気配が伝わってきた。
「さん…ぞ…?」
予期せぬ待ち伏せに、金の瞳が丸く開かれる。三蔵は寄りかかっていたドアから身を離し、悟空の正面へと向き直った。
「ど…したの?よくココがわかったね…」
困惑の表情を色濃く滲ませながらも、なるべく平静を装った口調で悟空が話し掛けてくる。
「いつもどおりに玄関の前で待ってたが…お前は現れなかった。」
「…うん、担当の場所変わったんだ…だからもう、あのビルには行かない。」
いつもより少し低めの三蔵の声に、ぎこちなく悟空が応える。
「一日経ったら携帯は繋がらねーし」
「機種、変えたんだ。だから…番号も変わった。」
「だったら何で知らせてこねぇんだ?」
責めるような三蔵の口調に、悟空は小さく首を振った。
「だって俺、電話はもういらないって言っただろ…?だから教えなかった…」
「テメェッ、何勝手に自己完結して…っ」
不自然なくらい淡々とした悟空の答えに三蔵が思わずカッとなりかけた時、階段の下から別の足音が聞こえてきた。悟空は軽く息をつき、コートのポケットから鍵を取り出した。
「とりあえず、上がって。話なら、中で聞くから…な?」

キッチンに六畳が一間の悟空の部屋は至って簡素で、年相応の少年の部屋のように、遊び道具が所狭しと並べられているという様子がない。おそらくは遊びに回せる程の金銭的余裕が無いのだろうと、視線を一巡りさせながら漠然と、三蔵はそんなことを考えていた。「インスタントで悪いけど」とテーブルにマ
グカップを置き、悟空は三蔵と向かい合う形で腰を下ろした。
「…きっと三蔵はあの時まで俺のことなんか気付かなかったと思うけど…俺は結構前から、三蔵のこと知ってたよ。」
三蔵がより先に口を開いた悟空が、穏やかな声で語りだす。思いもよらなかったそんな悟空の言葉に、三蔵の紫の瞳が僅かに開いた。
「あそこさ、悟浄の兄貴の店なんだ…でさ、俺はバンドの代役以外にもカウンターの中で八戒の手伝いしたり、人手が足りない時はウェイターの真似事したり、今までにもチョコチョコ出入りしてたんだ…三蔵目立つし…しかも連れの女の人、毎回美人ばっかでさ…やっぱモテる男は違うなぁ~って思ってた…」
悟空は小さく笑ってから、カップに口をつけた。
「忘れ物届けに行ったのがきっかけで三蔵と顔見知りになって…三蔵が何を面白いと思ったのかわかんないけど、メシ食いに連れてってくれたりするようになって…たぶん三蔵が飽きるまでの、ほんのちょっとの間のことだろうと思ってたけど…それはそれでいいって思ってた。俺は三蔵と知り合いになれて嬉しかったし、一緒にいるの、すげぇ楽しかったし。でも、さ…」
そこで一度言葉を切った悟空は、幾分か俯き加減だった顔を上げて正面から三蔵を見据えた。
「あんな風にキスされて、俺は笑えない。シャレもわかんないガキだって思われるかもしんないけど…それでも俺は『気まぐれの一つだ』なんて、笑い返せない。だからそういうのはさ…笑い返せる余裕のある人と…して。その方が、三蔵もきっと楽しいよ。」
いつもの彼とは打って変わった落ち着いた態度で言葉を繋ぐ悟空は、目を逸らさない。真っ直ぐに向けられた瞳の色は、半端な誤魔化しなど弾き飛ばされてしまうくらい、真摯で深い。ある種の緊張感を伴った沈黙が数瞬落ちた後、悟空の口許が静かな笑みを形作った。
「…今まで色々ありがとう。結局最後までご馳走になってばっかでゴメンな…マフラーも、返さなきゃ。」
笑顔で礼を言ってから、悟空が立ち上がる。戸棚から何かを取り出しているらしい小さな後ろ姿に視線を送る三蔵の頭の中で、悟空の口から発せられた様々な言葉が巡っていた。
(…『最後まで』…?これで、終わる…?)
結局返されることになったマフラーを受け取って、あのドアを出て…
そうしたら、この出逢いは終わる?
別段構うことでもないだろう。元々ちょっと気が向いたから、声をかけてみただけのこと。キスの一つ程度でこっちが引くぐらい真剣に語る、うざいガキ。そんなヤツを誘わなくても、こっちが目線でちょっと促せば自分から足を開く女なんて、幾らでもいる。適当に煩わしくない女と、適当な間隔で付き合って…元に戻るだけのことなのだ。
目の前の少年が「忘れ物だ」と言って追いかけてきた、あの夜よりも前に。
「はい、コレ。たぶん汚してないと思うんだけど…クリーニング出してなくてゴメン。そこらの店に出して、却って傷んだりするとマズイと思って…どうもありがとう。」
振り返った悟空が、小さめの紙袋を三蔵に差し出す。こんなマフラー一つくらいで馬鹿みたいに気を遣って、当たり前のように「ゴメン」と謝り、「ありが
とう」と笑う彼。この笑顔を見るのも、たぶんこれが最後。
どうせ気まぐれだったのだから、いいではないか。どうということもない。
………いや、違う。

「…いいワケねーだろ」

「…三蔵?」
三蔵が何かを呟いたのはわかったのだが、その声があまりに低くて聞き取れなかった悟空が、不可思議そうに小首を傾げる。次の瞬間、
三蔵の手は紙袋を通り越して悟空の手首をきつく掴んだ。突然の衝撃に、悟空の手からパサリと乾いた音を立てて紙袋が落ちる。それを全く気にも止めず、三蔵は悟空の手首を掴んだまま玄関へと歩き出した。
「さんぞ……っ、どうしたんだよ急に!?痛いってば…っ」
悟空は掴まれている方の腕をブンブンと振って叫ぶが、三蔵は無言のまま悟空を引き摺るようにして足を進めていく。結局悟空は戸締りも出来ないままに、強引に外へと連れ出される形となった。
押し込むように悟空を助手席へと乗せ、三蔵は車を発進させた。別に拘束されているわけではないのだから、こちらも強引に降りてしまってもよかったのだが、三蔵の周りの鋭さすら感じさせる空気が、それを許さなかった。通り慣れた道を抜け、車は見知らぬ景色の中を走り始めていた。


車は二十分程走り、悟空の住んでいる周辺とは明らかに色合いの異なる、所謂山手の高級住宅街とでもいう地域に入っていた。中でも一際目立つ、シックなデザインのマンションの地下へと、車は滑り込んでいく。当たり前のように駐車場に車を停めた三蔵がシートベルトを外し、悟空にも降りるよう促す。どうやら此処が、三蔵の暮らすマンションであるらしい。三蔵に導かれるままその後について行き、エレベーターに乗る。行き先を点灯させるボタンは、最上階を示していた。
到着を告げる音と共に扉が開くと、三蔵は自然な動作でフロアを歩き出し、悟空は遅れぬよう後に続いた。三蔵の部屋は、最上階の一番角だった。
玄関の鍵を開けた三蔵は真っ直ぐにリビングへと向かい、薄手のカーテンを引いた。ベランダへと繋がる窓を開け、悟空へと軽く手招きする。遠慮がちな足取りでリビングを抜けてきた悟空が、ソックスのままベランダへと出た。
「う…わぁ…っ…」
思わず、といった感じで悟空の口から溜め息混じりの声が漏れる。眼下の光景は、一面の瞬く光の渦。クリスマスなどという浮かれたイベントが近いせいもあり、街には彩鮮やかなイルミネーションが溢れていた。
純粋な感動に零れ落ちそうなくらい見開かれた金の瞳。ほの紅く染まった横顔には、心底嬉しげな笑みが浮かんでいる。
そう───見たかったのは、この顔。無理やり感情を納得させてしまったような不自然に落ち着き払った表情ではなく、小さな花が咲き零れるような、その笑顔。そしてその笑顔を傍らでみつめるのは、いつだって自分一人でありたいのだ。
そっと後ろに廻り込み、小さな身体を背中から抱きすくめる。口付けを落とすように耳元に唇を押し当て「悟空」とその名を呼ぶと、腕の中の身体がビクリと震えた。
「離せ…よ…っ」
言葉とは裏腹に、その声は今にも泣き出しそうに頼りなげで。三蔵はそのまま柔らかな髪に顔を埋めた。
「イヤだね」
「何だよそれ…っ」
腕の中でこちらを振り返った悟空を、三蔵はより一層深く抱き寄せた。
「…ンなモン、離したくねーからに決まってんだろ。」
互いに吐息のかかる程の距離で、二つの視線が絡み合う。
「…ナニ言ってんの…?」
見開かれた金の瞳が、不安定に揺れた。あどけなさを残す頬のラインを、そっと指で辿る。
「…あの時俺が笑ったのは、馴れてないお前がおかしかったからじゃねぇんだ…初めてかって訊いたらそうじゃないって答えられて…自分でも何だかわかんねぇくらいカチンときて、そしたら家族以外は初めてかもってお前が付け足して…二度目のお前の様子見て、本当に言ったとおりなんだなって、バカらしいくらい安心してる自分に気付いて…ンなコト考えてるテメェのくだらなさが滑稽で…アレはお前を笑ったんじゃなくて、俺が俺自身を嘲笑ってたんだ。」
「さんぞ…」
額に、目許に、頬に、柔らかなキスを落とす。
「それをどう伝えていいかテメェでもわからなくて…追いかけられなかった…答えなんか、とっくに出てたのにな…不安にさせて…悪かった…」
ぽつりぽつりと落とされる不器用な呟きの裏から覗くのは、偽りのカケラも無い、その『想い』だけ。何度も大きく首を振る悟空の瞳が、淡く滲む。
「いい…んだ…三蔵の思ってること…ちゃんと話してくれて、ありがとう…」
途切れがちの声で精一杯応えようとする小さな唇に、三蔵は今度こそ、互いの『想い』を伝え合う為のキスを送った─────。

「最初に海から夜景を見た時言ってたとおり、スゴイね…ココからの景色も、すっげぇキレイ…」
「…此処からの景色を誰かと見たのは、お前が初めてだ」
「…ホントに?」
「こんなつまんねぇことでわざわざ嘘なんかつくかよ、バカ…たぶん…お前が最初で最後だろーよ」


気まぐれで拾い上げたちっぽけな石ころは 
いつの間にか光の結晶に化けていた
いや───気まぐれでは、なかったのかもしれない
「誕生日おめでとう」という明るい声と共に
呆れるくらいの満面の笑顔を向けられた時
この『想い』は既に 始まっていたのだ
無駄とも思える回り道をしながら
ようやく捕まえることのできた君と
今、ここから

二人で『恋』をはじめよう─────


                             …Fine.


《戯れ言》
…というわけで、三蔵サマお誕生日ネタ2002年バージョン・ウチにしては大変珍しい現代物パラレルでございました(笑)。何が凄いといってこれだけ
の容量を喰っておきながら、チューしかしてないという清らかさんぶり(爆)
いつもの手の早さを思うと信じられませんな(苦笑)。
いいんです、今回はこういう「ザ・少女マンガ」みたいなモノをやりたかったんですよ、この女…何をとち狂ったのやら(^^;)。
一応私の中では「この後の二人」というのも考えてはおりまして…「また読んでやってもいいな~」という奇特な方がいらっしゃれば、一話完結のシリーズ物なんてヤツにしてもいいかなぁーと思っているのですが…さて…?




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