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『彼方へ飛び立つために』    by Riko








いつもと変わらぬうららかな午後のこと。執務室の机にて山と積まれた書面に
黙々と目を通していた三蔵の耳に、パタパタパタ…と小走りにこちらへと近付
いてくる足音が届いた。あんな忙しない足音を響かせて己の元へとやって来る
のは、最近拾ってきた小猿以外にいない。
予想は違えることなく、三蔵が筆を止めたのとほぼ同じタイミングで、執務室
の扉が派手な音を立てて開け放たれた。
「さんぞー!なぁなぁさんぞーっ」
この地上で神に最も近いと称される三蔵法師を、これだけ何の衒いも屈託もな
く『さんぞー』呼ばわり出来るのは、目の前のチビぐらいである。敬愛する唯
一の師を失って以来、常に他者との間には一定の距離を保ってきた三蔵だが、
この子供が自分の名を呼ぶ伸びやかな声は、不思議と不快に感じたことはない。
尤も、「ウルセェッ」と怒鳴りつけたくなるくらいしつこくしつこく頭の中で
呼ばれ続けた為、既に慣れてしまっただけなのかもしれないが。
「ウルセーぞサル、もう少し静かに入って来いって言ってんだろーが」
「なぁコレ見て、コレッ」
他の者なら震え上がってしまうであろう、眉間にシワを寄せながらの三蔵の一
睨みも、悟空に対しての効果はほぼ皆無に等しい。トテトテと机の前まで歩み
寄ってきた悟空は、その手に持っていた木の枝を三蔵の眼前に差し出した。
「ハ…?」
見ろと言ったって枝は枝だろう、と訝しげな声を上げた三蔵の視線が、ある一
点で止まる。
「…蝶の蛹か。」
悟空が手にしていた細い枝の中心辺りには、蝶の蛹と思しき虫が付いていた。
今正に羽化の只中らしく、一筋線を入れたように割れた背中からは、半分ほど
蝶の姿が見え始めている。
「サナギ?サナギって何?」
初めて聞く言葉に、悟空は興味津々の様子で三蔵の顔を上目遣いに覗き込む。
三蔵は完全に仕事を続ける気をなくしたらしく、一応は持ち続けていた筆を机
の上へと放り出した。
「蝶は芋虫から蛹の状態を経て、初めて蝶になるんだ。この蝶はたった今、蛹
の殻を破って外へ出てくるところなんだろう。」
悟空はただでさえ大きな丸い金の瞳を、今にも零れ落ちそうなくらい見開いて
三蔵の話を聞いている。おそらく悟空の頭の中では、この固い殻に覆われてい
る蛹と軽やかに宙を舞う蝶とがどうにも上手く結びつかないのだろう。
「何でわざわざこんな狭い中に閉じ篭ってんの?」
「じっとひたすらに閉じ篭り続けることで、外へ出る時に必要なエネルギーを
蓄えているんだ。より高く、より遠くへ飛ぶためにな。」
まだまだ疑問は解消しきらないらしく、尚も悟空は三蔵に問い続ける。平素は
何事に対しても億劫そうな態度を露わにして最低限の受け答えしかしない三蔵
が珍しく律義に答えを返していたのは、向き合う幼子が思いの外真剣な表情を
その横顔に刻んでいたからなのかもしれない。
二人が会話を交わしている間に蝶は蛹の殻を抜け出し、完全に外へとその姿を
現していた。クシャクシャに縮んでいた羽が少しずつ滑らかになっていき、色
鮮やかな模様が浮かび上がる。
「あ…っ」
小さく羽を震わせた蝶は悟空が手にしていた枝を離れ、執務室の窓から外へと
飛び立っていった。
暫し無言のままその残像を目で追っていた悟空が、窓の外へと顔を向けたまま
「俺も、そうだったのかな」とぽつりと呟いた。
「何がだ」
微かな呟きを聞き届けた三蔵が、紫の瞳を眇める。視線を戻した悟空は、いつ
もの彼のものとは趣を異にする、少し複雑な表情を見せた。

「あそこにいた時の俺も、サナギだったのかな…三蔵と外へ出るための力を、
溜めてたのかな。」

風のない水面のように静かな声音で紡がれたその言葉に、三蔵が僅かに瞠目す
る。悠久の年月を見据え続けてきた賢者を思わせる金の瞳は、何処までも穏や
かで。
しかし次の刹那、「そうだったらいいな」と言いながら見せた微妙に面映そう
な笑みは、いつもと変わらぬ子供そのままの顔だった。
「フン…只でさえあり余ってる力を溜め込んでどうすんだ、馬鹿力ザル。」
「ムーッ!?馬鹿力ザルとか言うなっ」
子供らしい丸い頬を更にプクッと膨らませて怒り出した悟空を「事実だろ」と
軽くあしらいながら、三蔵が席を立つ。
「三蔵、何?どっか行くの?」
「煙草が切れちまったんでな。」
「え…街に行くの?俺もっ、俺も一緒に行きたいっ!」
立ち上がり廊下へと向かう三蔵の後に続く悟空は、これが小犬であるならちぎ
れんばかりに尻尾を振っているであろう勢いで、懸命にまくしたてる。
チラリと悟空を見下ろした三蔵は、すぐに前へと踵を返した。
「勝手にしろ。」
「やったー!」
「但し、くだらねぇ寄り道はしねぇぞ。出店も菓子屋も却下だからな。」
「え~っ、三蔵のケチ。じゃあ肉まん、肉まんは?」
「ウルセェ。さっさと来ねぇと置いてくぞ。」
「な…ちょっ、待ってよさんぞーっっ」



闇の中で一人 遠く高い空を見上げていたのは
いつの日か出逢う人と 新たなる世界へ飛び立つため───…



                             …Fine.



《戯れ言》
ちょっと前まで繰り返しスピッツのベストを聴き続けていまして…

君と巡り合って もう一度サナギになった
嘘と本当の狭間で 消えかけた僕が

というワンフレーズから思いついたエピソード。因みに『遥か』という曲です。
三蔵が手を伸ばし、悟空が手を伸ばし返して封印が崩れたあの瞬間、まさしく
悟空は『生まれ変わった』のだと思います。だから『蛹が蝶になった』という
比喩も、あながち間違いでもないよなぁーと思ったりしつつ。




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