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『笑顔の行方』by Riko







『春は弥生』───とはいえ、本格的な春の気配はまだ少し遠い、三月上旬の
こと。悟空は三年間通った高校の卒業式を迎えていた。お世辞にも「優秀な成
績で」とは言い難かったが、自分よりも優に5ランクは上の進学校に通ってい
る那托が根気良く勉強に付き合ってくれたお陰で、大きな赤点を取ることもな
く無事卒業ということになった。
当然のことながら、卒業生の父兄の席に悟空の家族の姿はない。昼間は時間の
空いている悟浄と八戒から参列の申し出があったのだが、悟空は気持ちだけあ
りがたく受け取ることにした。如何にも『我が子の卒業式』といったフォーマ
ル姿の父兄の中にあの二人がいては、誰がどう考えても違和感だらけである。
それに───このような学校行事で自分が一人なのは今に始まったことでもな
いので、周りが気遣ってくれているほど、悟空自身はそれを気にしていない。
淋しくないと言えば嘘になるが、悟空は割合サバサバした気持ちで卒業式を終
え、その後は後輩から小さな花束をもらったり、仲の良い友人達と写真を撮り
合ったりして、様々な思い出の詰まった学び舎を後にしたのだった。

そのままクラス単位での打ち上げ、更に仲間内でゲーム・カラオケと流れ、皆
と解散する頃にはすっかり夜となっていた。交差点で信号待ちをしていた悟空
はふと「そういえば、この制服着てるのも今日が最後だな」などと思い───
『ある事』に考えが至った次の瞬間には、信号が変わる前に踵を返し、自宅と
は異なる方角へと足を進めたのだった。


ソファーで雑誌をめくっていた三蔵の耳に、玄関のチャイムの音が届いた。
こんな時間に尋ねてくる人物の該当者は、三蔵が考える限り一名しかいない。
インターフォン越しに返事をすれば、案の定「…オレ」という予想通りの声が
返ってきた。
チェーンロックを外し、三蔵がドアノブに手をかける。開いたドアの向こうに
は、見慣れないブレザー姿の悟空が立っていた。
「…いきなりそんな格好でどうした?」
「俺さ、今日卒業式だったんだよ。でさぁ、考えたら三蔵に一度も制服着てる
トコ見せたことなかったなぁ~って思って…もう今日で最後だから、ちょっと
顔見せに来た。」
珍しく不意を突かれたような表情で問い掛けてきた三蔵に、卒業証書の入った
筒をクルクルと回しながら、悟空が笑って答える。天竺ビルでの清掃のバイト
の際は一度帰宅してから出かけていた為、三蔵が悟空の制服姿を見たのはこれ
が初めてのことだった。
「まだ家に帰ってないのか?」
「うん。式の後そのままクラスの打ち上げ行ったりとか色々してたから…遅く
にゴメンな?じゃあ、おやすみ。」
そのままあっさり帰ろうとする悟空の二の腕を、三蔵が急いで掴んだ。
「…お前、メシは?」
「ん?そう言われれば、ちゃんとしたメシって食ってないけど…まぁダラダラ
適当につまんでたから…」
突然の三蔵の問いに、悟空が小首を傾げながら答える。
「食欲バカのテメェのことだ、それならピザとワインくらい楽勝だろ。」
「だーれーが『食欲バカ』なんだよっっ…って、え…っ?」
三蔵の憎まれ口にムキになって怒鳴ろうとした悟空の表情が、キョトン…とし
たものに変わる。三蔵は掴んでいた二の腕ごと強引に悟空を引き寄せ、間近に
なった金の瞳に自らの瞳を絡ませた。
「仲間との打ち上げとやらは終わったんだろ…?だったら、この後の時間は俺
に寄越せっつってんだ。」
「あ…」
式に出席する家族がいなくても、帰ればいつもどおりの何もない家でも。
見送ってくれる後輩がいて、一緒に騒げる仲間がいて、それで充分だと思って
いた。でもやはり納得しているはずの気持ちの何処かで、一抹の淋しさを覚え
ていたのは紛れもない事実で。
どうして目の前のこの人は、欲しいと思う時に本当に自分の欲しいものをくれ
るんだろう。
自分の腕を掴んでいる三蔵の手にそっと自らの手を重ね、悟空はひどく小さな
声で「ありがとう」と呟いた。


デリバリーのピザ、チキン、サラダ、デザート等がソファーセットのテーブル
に並べられ、軽快な音と共にコルクの栓が抜かれる。「卒業祝いだから」とい
うことで三蔵がこの日選んだのは、ロゼのスパークリングワイン。涼しげな泡
が弾けるグラスで乾杯をした二人は、どちらからともなく小さく微笑った。
悟空はいつもどおりの旺盛な食欲を見せながら、今日の式のこと、賑やかだっ
た打ち上げのこと、また三年間の思い出などを楽しさと淋しさが入り混じった
ような表情で語った。三蔵はそんな悟空の話に、素っ気無いながらも「あぁ」
とか「そうか」とか彼にしては律義に相槌を打ってやっていた。
本来悟空は決してアルコールに弱いわけではないのだが、三蔵の部屋に落ち着
いたことで、今日一日分の緊張がいっぺんに抜けたらしい。ワインを一本空け
終える頃には、丸い瞳が半ばまで瞼に覆われ始めていた。眠気に襲われている
時特有の、とろりとした潤みを帯びた瞳で下から見上げられて、三蔵は慌てて
視線の焦点を逸らす。
どうにも落ち着かなくていけない。見慣れない制服姿であるとか、ラフにボタ
ンを外した白いシャツの間から覗く頼りない項だとか、酔いが回っているせい
でいつもより少し高い体温だとか、チョコンと肩にのせられた小さな頭の、柔
らかなこげ茶色の髪の何となく甘い香りだとか。一つ一つは些細なことなのだ
が、それでも三蔵の内側の熱を煽るには充分過ぎるほどで。三蔵の心の葛藤な
ど知る由もない悟空は、眠気の為に少し舌足らずになった幼い口調で「なぁ、
さんぞ?」などと話し掛けてくる。三蔵は軽い目眩を覚えながら、なるべく悟
空の方を見ないようにして「何だ」と答えた。
「俺ねぇー…この三年間で一番嬉しかったのは、三蔵に逢えたこと。」
「酔っ払いが何言ってやがる」
邪気のかけらもない笑顔を向けてくる悟空に、三蔵はわざとぞんざいな言葉を
返す。しかし悟空は気を悪くした様子もなく、更に笑みを深くした。
「…ホントだよ…?三蔵に逢えたことで…俺の毎日って、間違いなく変わった
もん。」

どうということのないことが、とてつもなく嬉しかったり。
いつも見慣れた当たり前の景色の中に、今までと違うものをみつけられたり。
一人ならとんでもなく落ち込んでしまいそうな時にも、また立ち上がれたり。
それはきっと全て、貴方がくれたものだから。

「本当に好きな人ができるってこういうことなんだって…初めてわかった。」
この上なく幸せそうに微笑んだ悟空は、子供のようにギュッと三蔵の腕にしが
みついた。
「…大好き。」
はにかみがちの声で落とされた囁きの後に聞こえてきたのは、スゥースゥーと
規則正しい寝息。数瞬、平素の彼からは考えられないくらい間の抜けた表情を
していた三蔵は、自由になる方の手で額を抑え、ハァ…ッと大きな溜め息を吐
いた。
(…マジ、勘弁してくれ。)
薄い膜を張ったような潤んだ瞳と、淡い恥じらいを含んだ舌足らずな声で殺し
文句の大連発の後、余韻に浸る間もなく本気で寝に入ってしまうとは一体どう
いうことなのか。どんなに普段の態度が淡々としていようとも、三蔵とて健康
な一成人男子。欲情する時は欲情するのである。本音を言えば、今までだって
事に及んでしまいたいと思うことは幾度となくあった。だが如何せん相手は学
生だったし、何よりこの恋人は、チャラチャラした昨今のガキ共の中にありな
がら、こちらが驚くぐらい無垢だったから。澄んだ水のようなこの存在を、己
の不用意さで濁らせてしまいたくなかったからこそ、一時の勢いで突き進んで
しまったりすることのないよう、その都度自身に言い聞かせてきたのだが……
その努力も既に、限りなく臨界点寸前であった。
しがみついている両腕をそっと外し、背中を支えながら小さな身体をソファー
に横たえる。酔いの熱で薄らと色付いた唇も、仰向けになったせいでしどけな
く開いた衿元も、今の三蔵には正に「目の毒」である。
「…こんな危ねぇヤツの横で、無防備に寝ちまったお前も悪ィんだからな…」
諦めと自嘲がない混ぜになったような声でぼそりと呟いた三蔵は、緩みかけた
制服のタイに手をかけた。


くすぐったいような、身体の奥がザワザワするような感覚に、悟空が微かに目
を開く。
「ん…な…に…?」
まだぼんやりとした様子で何度か目を瞬かせていた悟空だったが、自らの上に
覆い被さっている人物を確認した途端、一気に意識が覚醒し、心拍数が跳ね上
がった。
「さん…ぞ…?えっ…あ、あの…」
いきなりの状況に困惑しきっている様子の悟空の声を承知しながらも、三蔵は
それを無視して耳朶に緩く歯を立てた。
「やっ…ぁ…さん、ぞ…ちょっ…」
足先から何かが這い上がってくるような得体の知れない感覚に、耐え切れずに
悟空の口から上ずった声が漏れる。しかしそれで三蔵が躊躇することはなく、
そのまま項を下りてきた唇が、きつく喉元を吸い上げた。
「…っ!」
突然襲われた甘い痛みに、薄い肩がビクリと震える。それでも小柄な身体を抑
え込んでいる三蔵の腕が緩むことはなかった。
「さんぞっ…待っ…て…待ってよ…っ」
どうしてこんな事になっているのかわからない悟空は、力の入らない腕で懸命
に三蔵を押し止めようとする。無論そんなことでは三蔵の身体はビクともしな
かった。
「三蔵…っ!」

「───待てねぇよ」

切実な悟空の叫びに間髪入れずに答えた三蔵の声は、ひどく静かで。悟空は完
全に虚を突かれた表情で、目の前の相手を見上げた。
「『待って』も『やめろ』も無理だ。生憎もうそんな余裕はねぇ…お前は、俺
とこうなるのはイヤか…?」
澱みのない紫の瞳に真っ直ぐ見据えられて。逃げ場の無い悟空は弱りきった表
情で、フイと視線を逸らした。
「…イヤだって簡単に言い切れたら…こんな困ってねぇよ…」
湧き上がってきた気恥ずかしさからほんのりと染まった目許に、三蔵は宥める
ようなキスを落とした。
「何も困る必要なんかねーよ…俺はお前から、何も盗ったりしない。」
三蔵のその言葉に、悟空が逸らしていた視線を戻す。柔らかな光を帯びた三蔵
の瞳は、ひとかけらの惑いもなく自分だけをみつめていた。一度金の瞳が閉じ
られ───次に開いた時にはいつもの彼らしい、力強い光が戻っていた。
「…わかった。でも、やっぱちょっと待って。先に…風呂借りていいかな。」
予想外のリアクションに、三蔵の腕の力がふと緩む。それと同時に、悟空がソ
ファーから身を起こした。
「三蔵が本当に望んでることなら、俺もちゃんと考えたい…熱いシャワーでも
浴びて、きっちり目ェ覚ましてくる…『酔ってた勢いだった』なんて、つまん
ねぇ逃げ道…残したくねぇんだ。」
不器用ながらも精一杯、自分の気持ちを自分の言葉で語ろうとする悟空の横顔
からは、既に始めの困惑の色は影を潜めている。今度は逆に三蔵の方が瞠目す
る番だった。
目の前の相手は自分が漠然と考えているよりもずっと、しなやかで、強くて。
『つまらない逃げ道』と言い切るその瞳は、こちらにも中途半端な妥協を許さ
ない。半ば茫然としている三蔵の頬に軽いキスを送り、「な?」と悟空は笑っ
てみせた。


熱いシャワーを頭から浴びて、酔いと眠気でぼんやりとしていた意識が次第に
はっきりしていく。三蔵には笑顔を見せながらも、正直悟空の胸中は複雑だっ
た。無論悟空とて、三蔵とそうなることに異論があるわけではない。言うまで
もなく彼は、たった一人の『恋人』なのだから。だが。まさか三蔵があれほど
切実な心境に至っていたとは、夢にも思っていなかったのだ。いつも彼は自分
より遥かに大人だったし、冷静だった。悟空が記憶する限り、三蔵が今までに
そのような衝動を見せたことは一度もない。悟空自身は同年代の友人と比べて
もかなりの奥手で、時折り交わされる抱擁やキスに充分満足していた。だから
このような事態が起きるまで、三蔵もそうなのだろうかと、勝手に納得してし
まっていたきらいがある。
(俺があんまりガキだから…ガマンさせちゃってたのかな…)
そんなことをつらつらと考えていた悟空は、シャワーのコックを締めた。
求められた手を握り返すことに躊躇いはない。ただ───その後、自分と彼の
間に存在する心地よい空気は、それまでとは違う『何か』に形を変えてしまう
のではないか。
唯一つ、悟空にはそれだけが気懸りだった。

三蔵が用意してくれたらしいバスローヴを羽織った悟空がリビングに戻ると、
自分も軽くシャワーを浴びてくると三蔵は言った。
「こっちも『あの時は酔ってた』なんて、くだらねぇ言い訳が入り込む隙間は
残さねぇよ。」
口の端だけで微かに笑ってみせた三蔵は、まだ温かな唇に触れるだけのキスを
落とした。
三蔵がシャワーを終えるまでの間、悟空はベランダへ続く大きな窓を少し開い
て、眼下に広がる夜景を眺めていた。互いの気持ちを確かめ合って、このベラ
ンダでキスをしたのは、まだ年が明ける前のこと。でも何だか今日までの日々
は、あっという間だった気がする。次にここから街を見下ろす時───朝の景
色は果たして、自分の瞳にどのように映るのだろうか。
「三月とはいえ、まだ夜は冷える…風邪引くぞ。」
バスルームから戻った三蔵がやんわりと諭しながら、背中から腕を回す。悟空
は小さく「そうだね」と呟いて窓を閉め、三蔵を振り返った。
それとほぼ同じタイミングで。
「へ…っ?」
何かを言う間もなく、軽々とその腕に抱き上げられて。自分の置かれている状
況を把握した悟空の顔が、耳朶まで赤く染まった。
「ちょっ…俺、歩けるってばっっ…下ろせって…っ」
「却下。二人で並んで歩いてくなんてこっ恥ずかしいだろーが」
「俺はこんな風に抱っこされてる方が恥ずかしいよっ」
所謂『お姫様抱っこ』という状態に、悟空は子供のように頬を膨らませて抗議
の声を上げる。対する三蔵は、何処吹く風という態度だった。
「ウルセェ。これ以上ゴチャゴチャ言うんなら、無理やりその口塞ぐぞ。」
三蔵の一言に、抗っていた悟空の動きがピタリと止まる。その反応に満足した
ように軽く頷いた三蔵は、小柄な身体を抱き上げたまま、リビングの灯りを消
した。


初めて足を踏み入れた三蔵の寝室に置かれていたベッドは、余裕のあるダブル
サイズ。それすらさして大きく感じない程ゆったりとした部屋の作りに、悟空
は目をパチクリとさせる。この一室の広さだけで、自分の住んでいるアパート
の間取りが丸々入ってしまうのではないのだろうか。そんな全く関係のないこ
とに気を取られているうちに、いつの間にか慎重な手つきでベッドに下ろされ
ていた。
「あ、あの…」
元々大き過ぎるバスローヴの衿元を寛げられて、思わず悟空の口から声が上が
る。戸惑いに瞳を揺らす悟空の手を取った三蔵は、指先にそっと口付けた。
「なるべく焦らないように気を付ける…が、保証は出来ねぇ。」
この状況には不似合いなくらい生真面目な表情でぽつぽつと言葉を繋ぐ三蔵の
姿勢に、悟空の目許に淡い笑みが滲む。取られていた手で三蔵の手をグッと握
り返し、悟空は小さく首を振った。
「気を付けたりなんてしなくていーよ…三蔵は、三蔵の思うとおりにしてくれ
たらいいから。」
「簡単に言うな、バカ…お前の身体のこともあるし…第一、がっついてるみた
いでカッコ悪ィだろ」
何処となくバツが悪そうにぼそりと呟く三蔵の首に空いている方の腕を回し、
悟空は間近までその秀麗な顔を引き寄せた。

「いーじゃん、それで。カッコイイ三蔵も、カッコ悪ィ三蔵も、全部『ホント
の三蔵』に違いないんだから。」

「そうだろ?」と問いかけながらこちらを覗き込んでくる金の瞳は限りなく明
るく、何一つ澱みなどなくて。何でもないことのように、とてつもないことを
言ってのけるこのあどけなさすら残す恋人に、自分は時に軽い敗北感に近いも
のを覚えることがあるのだと告げたなら、彼は一体どんな反応をするのだろう
か。本来自尊心の高い三蔵にとって、『敗北感』などというものはこの上ない
屈辱のはずなのだが…こと彼のことに関しては、そうではない。
この甘い敗北感は、瞬く間に抑えきれないほどの愛おしさに形を変えていく。
答えを返そうとしない彼を不可思議そうに見上げてくる悟空に、三蔵はほとん
ど不意打ちの、本気の接吻を仕掛けた。


当初の三蔵の危惧とは裏腹に、些か拍子抜けするほど緩やかに、二人の時間は
流れていった。ともすれば逸る気持ちのあまりに彼を傷つけてしまうのではな
いかと、自らの衝動を抑えきる自信を持てなかった三蔵だったが───この手
放しの笑顔の前では、そんな懸念は全て吹き飛んだ。その存在の全てが、只々
愛おしくて。大切な宝に触れるように、少しずつ、ゆうるりと、腕の中の頼り
ない身体を解いていく。悟空は穏やかにたゆたう水のように、指の先ほども抗
うことなく三蔵の腕を受け入れた。
確かめ合うように口づけを交わして、吐息を分け合って、指を絡ませて、鼓動
を重ねて。互いの瞳に相手が映る度に、しごく自然に笑みが零れて。心から求
めた相手を得るということ。そして「充足」という言葉の真の意味を、三蔵は
この時初めて知った。
どれほど慎重を期しても避け難い痛みに、悟空が無意識に息を詰める。少しで
も苦痛を和らげるようにと丸い頬にキスを送る三蔵に、悟空はほとんど声にな
らない声で「大丈夫」と囁いた。
「…優しいトコだけ取って、痛いのはイヤだなんてズルはしないよ…?だから
…大丈夫。」
ゆるゆると息を吐き出しながら精一杯の笑みを向けてくる彼は、こちらが驚嘆
せずにはいられないくらい潔く、清々しいまでに迷いがない。本気で抱き竦め
たら壊してしまいそうなくらい小さなこの存在は、己の手前勝手な激情を受け
止めてなお余りあるほど、豊かで温かで。そのひたむきさに護られているのも
支えられているのも───間違いなく、自分の方なのだ。
激流を下るようにお互いの熱を解放し終えた後。なおも湧き上がる愛おしさの
ままに、二人は甘いキスを送り合った。


カーテンの隙間から差し込んだ、朝の訪れを告げる光に、三蔵の瞼が僅かに震
える。何度か小さな瞬きを繰り返した後、紫の瞳がゆっくりと開いた。暫し覚
醒しきらない頭でぼんやりと視線を巡らせていた三蔵だったが、現在の状況を
把握するに至って、跳ねるように起き上がった。
傍らに在るはずの、悟空の姿がない。シーツに手を当てると、そこにいた人物
の温もりは冷め始めていた。取り急ぎ手近にあったジーンズだけを身に付け、
小走りに寝室を出る。派手な音を立ててリビングへのドアを開けると───大
きな窓いっぱいに朝日の差し込んだ部屋には、芳しいコーヒーの香りが広がっ
ていた。
「おはよう。目、覚めた?」
朝一番の爽やかな声での挨拶と共に、悟空がヒョッコリとキッチンから顔を覗
かせる。昨夜着ていた制服のパンツに緩くカッターシャツを羽織った悟空は、
いつもと変わらぬ笑顔で三蔵の方へ歩み寄ってきた。ふと目を遣ったソファー
セットのテーブルの上は、きれいに片付けられていて。それは自分よりもかな
り前から悟空が起きていたことを示していた。
「コーヒー、勝手に淹れちゃったよ?ところでココんちの冷蔵庫、水とビール
以外なんも無いのな…ったく、普段どーゆー生活してんだよ。なぁ、この近く
で買い物できる店教えてよ。そしたら俺、朝メシの買出しに行ってくるから、
その間コーヒーでも飲んで…」
軽快にしゃべっていた悟空の言葉が途切れる。無言のままこちらをみつめてい
た三蔵に、予告もなく抱きしめられて。そろそろと回した手でポンポン…と背
中を叩き、「どうしたの?」と悟空は尋ねた。
「…いなくなったかと思った。」
途方に暮れた子供のような声で、ぽつりと落とされた呟き。胸に顔を埋める形
となっている為、その表情を窺い知ることは出来ない。でも何だかひどく心許
ない顔をしているような、そんな気がして。
悟空はもう一度、その背中を軽く叩いた。
「何でだよ…ンなワケないだろ。だって…三蔵の言ったとおりだったもん。」
悟空の言葉に、三蔵の身体からフッと力が抜ける。その胸から顔を上げた悟空
は、真っ直ぐに紫の瞳を覗き込み、何処か面映そうに微笑った。
「三蔵はさ…俺から何も盗らないって言っただろ…?アレ、本当だった…俺さ
…三蔵とそうなるのは少しもイヤじゃなかったけど…でも、『何か』が変わっ
ちゃったらどうしよう?って、そんなことはちょっとだけ思ってた…だけど、
そんな心配いらなかったんだな。だって俺さぁ、何にも無くなったりしなかっ
た…なくしたモノなんか何にもない…増えただけ。」
「…増えた…?」
驚きと戸惑いが入り混じったような三蔵の声に、悟空はコクリと頷いてみせた。
「そう…大好きって気持ち、大切だって気持ち、これから色んなことがあって
も、きっと負けないって気持ち…勿論、それは元々あったモノなんだけどさ…
もっともっと、沢山増えた。一人じゃないって、スゴイことなんだな…俺、今
まで知らなかった…。」

目覚めた時傍らにあった、安らいだ寝顔。それを目の当たりにした時、漠然と
抱いていた不安は跡形もなく消えていた。その瞬間、自分がどれほど幸せだと
思ったか…この人は知っているだろうか。
すぐ隣りに貴方がいる───たったそれだけのことが、これほど自分に『力』
を与えてくれる。

言葉もなく瞳を見開いている三蔵の唇に、悟空はほんの少しだけ背伸びをして
優しいキスを送った。


朝日の眩しさに目を細めながら、三蔵は朝刊に目を通していた。普段朝食は摂
らないと言ったら「朝メシ食わないと集中力が鈍るんだぞ」なんて知った風な
口をきいた彼は、教えられたスーパーへと出かけて行った。
馬鹿馬鹿しいほど浮き足立った気持ちで、誰かの帰りを待つなどという時が、
自分に訪れる日が来るとは。彼に出逢う前の自分なら、おそらく想像すらしな
かっただろう。しかしそんな変化を「悪くない」と感じている部分が、この心
の何処かに、確かに存在していて。

『一人じゃないって、スゴイ』

(…ホントにな…)
先刻の悟空の言葉を思い返していた三蔵は、ごく微かな笑みをその口許に上ら
せた。……そして。

三蔵がちょうど一杯目のコーヒーを飲み終えた頃、玄関から「ただいま~」と
いう底抜けに明るい声が、リビングまで響き渡った───。


                               …Fine.


《戯れ言》
そんなこんなで、ちょっとだけ時計の針を巻き戻しての(笑)「卒業ネタ」で
ございました…が、結局制服を着せてた意味はあまりなかったような気がする
のは、ワタクシの思い違いではないデスネ(苦笑)
因みに今回着せたのはブレザーですが、ウチの相方であるご両人は学ラン推奨
派でした…曰く「貧乏で健気な苦学生は学ランでしょう!」だそうで(笑)
やはり、ブレザー→私立→お坊ちゃま…という感じがするんでしょうかねぇ、
私らの年代ですと(自爆)
しかしまぁ今回、本っっ当に「キングオブ・ヘタレ」の称号を奉げたいような
人になってしまいました…あの御方(泣笑)。とは言っても、このシリーズの
三蔵サマがヘタレキャラなのは今に始まったことでもないので、コレを気に
入っていると仰って下さる奇特な方はそこがツボなんだろう!…と思うことに
しておきます(←開き直りかい)
書いた私はすごく楽しかったので、読んで下さった方にもその「楽しさ」が
伝わったのなら嬉しいです(^^)




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