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『Eclosion』 by Riko
卒業式からそのまま向かった伊豆旅行を境に、二人の間に通い合っていた穏や かな温もりは、それまでとは大きく形を変えてしまった。正直なところ、悟空 は今も尚何故こうなってしまったのかはよくわからないし、あまりに強い三蔵 の熱情に引き込まれてしまったという感覚が多分に強い。驚きや困惑、ほんの 少しの痛みと恐れが頭の中でない混ぜになったのは確かだったけれど。 それでも不思議と、後悔の気持ちが湧き上がることはなかった。おそらく三蔵 がその胸中に抱えている想いと自らが三蔵に寄せている想いは完全に同じもの とは言えないかもしれないが、この世界の誰より三蔵が一番好きだということ も、一番大切だということにも嘘はなかったから、それが三蔵が求める二人の 繋がりだというなら、たとえどんな形であろうと悟空は全く構わなかったのだ ……しかし。 「バイト…?」 旅行から帰宅した数日後、三蔵は新しくバイトを始めることを悟空に告げた。 話からするとどうやら2つのバイトを掛け持ちするらしく、朝方から夜遅くま で、一日のほとんど家にはいないらしい。 「急にどうしたの?何か買いたい物でもあるとか…」 大学に入った辺りから三蔵はチョコチョコとバイトをしていたが、こんな忙し ないスケジュールで複数のバイトを入れたのは初めてのことだ。余程何かまと まった金額が必要なことでもあるのだろうかと、悟空は小首を傾げて問い掛け る。三蔵は至って淡々とした表情で軽く紫煙を吐き出した。 「まぁ色々とな…夜も食って帰るから、俺の分は用意しなくていい。」 「え…で、でも…夜くらい家で食べなよ。俺、待ってるから。」 「要らねーよ。夜遅くなると身体に悪いだろ…お前はまだ成長期なんだから、 ちゃんとした時間に食わなきゃダメだ。いいな?」 あれほどの熱っぽさで自分を掻き抱いた目の前の人は、こういう時は途端に兄 の顔に戻る。そうなると悟空としては不承不承でも頷くよりない。微かな苦笑 いと共に「心配すんな」と言った三蔵は、幼い子供にするようにこげ茶の頭を ポンポン…と叩いた。 あくる日から、二人の生活は完全な擦れ違いとなった。朝食を終えると三蔵は さっさと出かけてしまい、夜帰宅するのは日付が変わるまで幾らもない頃だ。 少しは話をしたいと思って待っていても「早く寝ろ」と窘められ、三蔵自身は そのまま風呂場に直行してしまう。このところ、三蔵と挨拶以外のまともな会 話をした記憶が悟空にはない。一人家でじっとしていても退屈なだけなので、 日中は友達を誘ってあちこち出かけたりもしたが、それでも悟空の心が晴れる ことはなかった。 禄に視線も噛み合うことのない毎日の中で、悟空の心底にはある種の疑念が生 じ始めていた。 三蔵がバイトを掛け持ちしていることには、本当は特別な理由などないのでは ないかと。最初からお金が必要な目的などなくて、ただ単に春休み中家にいる 時間を減らしたいが為に、強引とも思えるようなバイトの詰め込み方をしてい るのではないかと。だとすれば───それはつまり『家で悟空と顔を合わせて いたくない』ということに他ならない。 一人きりの長い夜を過ごす悟空の横顔には、不安と困惑の色が滲んでいた。 「…空、オイ、聞こえてねぇのか?」 「え…あ、ゴメン…何?」 その日の朝のこと。ぼんやりとした表情でトーストを齧っていた悟空へ、三蔵 が少々きつめの調子で声をかける。ハッと我に返った悟空が慌てて返事をする と、三蔵は別段怒った風もなく、コーヒーを一口飲んでから話の続きを始めた。 「今日はなるべく早く帰ってくる…ケーキや料理は俺が買ってくるから、お前 は何も用意しなくていい。」 「ケーキ…?」 突然三蔵の口から出てきた言葉に、悟空はきょとんとした様子で同じ単語を繰 り返す。三蔵は半ば呆れ気味の表情で軽い溜め息をついた。 「本気で忘れてんのか…今日は、お前の誕生日だろ。」 「あ…」 言われてみれば、今日は四月五日。悟空の十六歳の誕生日である。このところ 色々と考え込む時間が多かったせいか、三蔵の指摘どおり悟空はすっかりその ことを忘れていた。 「じゃあ今日は、三蔵も家で夕飯食べるの?」 悟空の問いに三蔵が短く頷く。悟空は久しぶりに見せた満面の笑みで「じゃあ 待ってる」と答えた。 朝の宣言どおり八時少し前に帰宅した三蔵は、両腕で持てる限りの大量の食料 を買ってきた。サラダやオードブル、ラザニアにローストビーフ、こんがりと 焼けたバゲットと数種類のチーズ。様々な料理を三蔵は手際よくテーブルに並 べていく。この日三蔵が悟空の為に選んだケーキは、真っ赤な大粒のイチゴが ぎっしり飾られたミルフィーユだった。 シャンパンの栓を抜き、二人で乾杯をする。沢山のご馳走も目にも鮮やかな少 し贅沢なケーキも、悟空の心を躍らせるのに充分だったけれど。三蔵が自分の 誕生日を忘れないでくれたこと、久しぶりに三蔵と二人でゆっくりと過ごせた ことこそが、悟空には何より嬉しかった。 共に食卓を囲みながら、三蔵はまだプレゼントを用意していないことを悟空に 告げた。 「俺が勝手な好みで選んでくるより、お前が本当に欲しい物を買った方がいい と思ったんでな。」 「いいよそんなの…こうやってお祝いしてくれただけで充分だって。」 三蔵の言葉を聞いた悟空が慌てて首を振る。その大袈裟な反応に、三蔵は小さ な苦笑いを漏らした。 「そう言うな。今特に思いつく物がないなら、ゆっくり考えたらいい。」 少ない言葉の裏に隠れている思いやりは深く、向けられる眼差しは柔らかい。 そこにあるのは温かな家族の情愛に他ならなくて。向き合う悟空はくすぐった さと同時に言いようのない切なさを覚えていた。 (……本当に、欲しい物……) 三蔵の言葉を頭の中で反芻しながら、悟空は何処かぎこちない笑顔で「うん」 と答えた。 「オイ…オイ悟空、」 気が付けばソファーで丸くなっていた悟空の肩を三蔵が軽く揺する。しかし規 則正しい寝息を立てている弟は、一向に目を覚ます気配がない。見下ろす寝顔 はあまりに無防備で、三蔵の口許に僅かな苦さを含んだ笑みが刻まれる。 「…ったく、しょうがねぇな」と短く呟いた三蔵は、十六になったというのに 未だ小柄な身体を抱え上げ、リビングを後にした。 二階へと上がりベッドに下ろしたところで、悟空の瞼が微かに震える。むずが る子供のように何度か小さく身動ぎした悟空は、ぼんやりとした表情で金の瞳 を開いた。 「ん…あ…れ…?」 「目が覚めたか。起きられるようだったら、着替えてから寝ろよ。」 不思議そうに辺りに視線を巡らせていた悟空の前髪をクシャリと一撫でした三 蔵が、ベッドから離れようとする。ようやく意識がはっきりしてきた悟空は、 咄嗟にその腕を掴んだ。 「…どうした?」 いきなり腕を掴まれた三蔵は、怪訝そうに悟空の顔を覗き込む。悟空は暫し躊 躇いの表情を見せた後、俯きがちに三蔵から視線を逸らし、その口を開いた。 「…行かない…で…」 ぽつりと落とされた呟きに、三蔵が僅かに瞠目する。悟空は三蔵の腕を握る手 に、ギュッと力を込めた。 「オ…」 「三蔵は…っ」 平素より強めの悟空の声が、三蔵の呼びかけを遮る。その様子に気圧されたか のように、三蔵は開きかけた口を噤み、悟空の言葉の続きを待った。 「…三蔵…は…後悔…してる…の…?俺と…ああなった、こと…」 「───…っ」 途切れ途切れの掠れ気味の声で紡がれた悟空の一言に、三蔵が息を詰める。 小さく震える薄い肩を見下ろす紫の瞳には、困惑の色が滲んでいた。 「…三蔵は…本当は後悔してて…でも俺にはそんなこと言えなくて、だから… 二人でいるのが気詰まりで…わざとバイトを掛け持ちしたりして、なるべく家 にいないようにしてるんじゃないの…?」 心の奥底に溜まった苦い澱みを吐き出すように、悟空はずっと抱き続けていな がら口に出すことが出来なかった疑念を、自らの言葉に変えた。あの旅行から 戻って以来、三蔵は悟空を抱き寄せることはおろか唇に触れようとすらしない。 加えてここまであからさまに二人になることを避けられては『三蔵は深く後悔 をしていて、全てをなかったことにしたいのだ』と考える方が、寧ろ自然な流 れだ。 自らを落ち着かせるように大きく息を一つ吐き出した悟空は、ぎくしゃくとし た動きで顔を上げた。 「入学式が済んだら…俺、ばあちゃんのトコに行くよ。こんな風に擦れ違って ばっかなら、二人で暮らしてる意味ねーし…そしたら三蔵だって、余計な気を 遣う必要なくな…」 精一杯の平静を装いながらの悟空の言葉は、最後まで続くことはなかった。 目の前の小さな身体に圧し掛かるようにしてベッドに乗り上げた三蔵は、噛み つく勢いでその唇を奪った。 「んっ…ぅ…ふ…ぁ…」 口づけという柔らかな響きの言葉からは程遠い、僅かに漏れる吐息すら喰らい 尽くさんばかりの激しさで、三蔵は未だあどけない唇を侵していく。無防備に 晒された細い喉元に、三蔵は一切の手加減をせず思いきり歯を立てた。腕の中 の身体が大きく震え、悟空の口から「ヒュッ」と息を呑む音が漏れる。途端に 現に返った三蔵は、弾かれたように悟空の上から身を離した。 「さん…ぞ…」 大きく開かれた丸い瞳には、驚愕の色が浮かぶ。愛撫などという生易しいもの ではない、一瞬本気で喰い千切られるかと思ったほどの、狂気にも近い、昏い 激情。しかし自らを組み敷く兄の顔には、何故だか途方に暮れた幼子のような 表情が浮かんでいた。 「俺は…自分をもう少し、冷静に物事を捉えられる人間だと思ってた。だから お前に対しても、お前が苦しくならない程度のゆとりを持ちながら、今までど おりの生活を保っていけるはずだと…でも…」 彼らしくもない、ひどく心許ない不安定な声が、ぽつりぽつりと言葉を繋ぐ。 悟空は瞬きもせず、そんな三蔵を見上げていた。 「…ダメなんだ。お前の気持ちとか身体のこととか、考えなきゃなんないこと は色々あるのに…手が届くところにいると、只々欲しくて、どうしようもなく なる。」 「三…蔵…」 いつもより少し暗めの紫の瞳には、制御しきれない衝動を持て余しているかの ような、自嘲めいた笑みが滲む。つい先刻までの荒々しさが嘘のように、三蔵 の長い指先がこげ茶の髪を緩く梳いた。 「とりえあずお前との距離を置きながら、少しずつバランスを取れるようにし ていこうと思っていたんだが…不安にさせたのなら、悪かった…。」 余計な不安を与えたことを真摯な姿勢で謝った三蔵だったが、その表情が虚を 突かれたようなものに変わり、そのまま固まる。 真っ直ぐにこちらを見上げてくる淡い潤みを帯びた金の瞳には、とてつもない 充足感を得たような、『至福』とでも表わされるべき笑みが浮かんでいた。 「悟空…?」 ゆっくりと悟空の腕が伸ばされる。半ば茫然とした表情の三蔵の首に腕を回し、 悟空はその身体を柔らかく抱き寄せた。 「…嬉しい…」 ほとんど吐息だけの囁きを落とした悟空はうっとりと微笑んで、三蔵の耳元に 唇を押し当てた。 「…嬉しくて…おかしくなりそう…」 目も眩むばかりの圧倒的な幸福感が、今の悟空を包み込んでいた。何でも思い どおりに出来て何事に対しても冷静なはずの三蔵が、自らの感情をコントロー ルしきれずにいて。その狂暴なまでにひたむきな熱情は、唯一人、自分だけに 向けられている。 求められている。目の前の人の全てに、今ある自分の全てが。 『過ち』も『背徳』も、この絶対的な力を持つ歓喜の前では、最早そんなもの はどうだっていい。 この『真実』以外のものなど、何も要らない。 何かを確かめようとするように、紫の瞳が金の瞳の底を覗き込む。悟空は躊躇 することなく自分から深い口づけをねだった。 重ねた唇から、絡めた四肢から、互いの肌越しに伝わる脈動から、焼け付くよ うな三蔵の熱が流れ込んでくる。どうしようもないという言葉のとおり、三蔵 は何かに急き立てられているかのように余裕がなくて、施される愛撫は優しさ や労りといった感覚からは程遠い。しかし今の悟空にとってはそれこそが何に も代え難いほどの喜びだった。 心と身体のありったけでひたすらに求められるということは、これほどまでに 幸せなことなのかと思う。 「苦しいか…?」 気遣わしげな囁きと共に、汗で額に貼り付いた前髪をそっと掻き上げられる。 ほのかに色づいた唇から熱っぽい吐息を零しながら、悟空は首を横に振った。 「いいん…だ…苦しくても、いい……だから…全部、頂戴───…」 未だ物馴れぬ悟空からすれば、過ぎる快楽は苦痛と紙一重の部分がある。 しかし内側から暴かれるような息苦しさも、身体中が震えるような羞恥さえも、 大した問題ではないのだ。 この存在の全てが、自分だけに向けられるのなら。 緩やかに髪を梳く手を取った悟空は、その指先にじゃれつくように軽く歯を立 て、ひどく透明な邪気のない笑みを三蔵に向けた。 「なぁ三蔵…誕生日のプレゼントって、何でもいいの…?」 幾度目になるかもわからない熱を吐き出し、全てが静まった後。三蔵の肩口に 頭を預けた悟空が、ふとそんなことを口にする。力の抜けきった身体を抱き寄 せながら、三蔵は短く頷いてみせた。 「あぁ…何か決まったのか?」 「ん…俺さ、三蔵と一緒に寝られるベッドが欲しい。」 全くの予想外だった悟空の一言に、三蔵が思わず目を見張る。悟空は少し面映 そうに笑いながら話を続けた。 「こうやってピッタリくっついてるのも悪くないけど…三蔵、窮屈そうだし。 だから、二人でもゆったり寝られるベッドが欲しいなぁって。」 「…ここにダブルベッド入れたら、ほとんどスペースなくなっちまうだろ。」 「だったら三蔵の部屋に置いてよ。そしたら俺がそっちに行くし。」 三蔵の素朴な疑問に、悟空はあっさりと答えを返す。悟空が欲しいのは二人で いられる場所そのものなわけで、それを何処に置くか自体はさしたることでは なかった。 「寝てる間も、一人占めさせて…?」 ひっそりと艶めいた囁きを、耳元に落とす。もう躊躇いや迷いはなかった。 たとえこの感情が、あってはならない間違いなのだとしても。 自分は唯一人、目の前のこの人だけが欲しいのだ。 「じゃあバイト代が入ったら、二人で選びに行くか」という言葉と共に、顔中 のあちこちに柔らかなキスを送られる。 この上ない幸せに酔いしれるようにゆうるりと微笑い、悟空は静かに金の瞳を 閉じた。 今ならはっきりとわかる 最初の一歩を踏み出したのはこの人の方だったけれど 自分もまた初めから この人だけが好きだったのだ それは多分 桜舞う春の日に出逢ったあの時から この心の全ては とうに攫われていたのだ 戯れめいたキスがいつの間にか深いものへと変わっていく。 吐息を奪い合うような口づけを交わす中、 悟空は一度だけ、熱を帯びた声で「好き」と一言告げた───。 背信の汽車なら走れやみくもに 時実新子 …END. 《戯れ言》 コレはもう『誕生日ネタ』というより『きっかけが誕生日でした』という方が 正しいですね(笑)ここんとこ甘くてユルイ話が続いていたので(小学生同士 なんだから当たり前なんですが/爆)久々に原点に立ち戻って(?)みました。 最初の頃の悟空のスタンスというのは「大好きなお兄ちゃんがそうしたいなら それでいい」ぐらいの感覚だったのですね…それがここで決定的に変わったと でもいうか。兄貴の方が突出して目立ってしまっているので見えにくいのです が、壊れ具合も強欲さも、この二人の間に大した差はないのです(苦笑) |
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