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『紅イ春』 byRiko

 

その日悟空は珍しく、街の中心部から少し離れた場所を歩いていた。

今まで通ったことのない道を2~3本入り込んだだけで、目に映る

景色はガラリと変わる。今悟空が足を進めている辺りは、人も建物

も密度の高い繁華街とは違い、草木の植えられた庭等がある比較的

ゆったりとした造りの家が多い地域だった。

「あ…」

物珍しそうに視線を巡らしながらそぞろ歩いていた悟空が、とある

家の庭先でふと足を止めた。目に飛び込んできたのは、瞼の奥に焼

きつくような“紅”。

「…すげぇ紅…何ていう花なんだろ?」

吐息混じりにそう呟きながら、しっとりとした花弁に手を伸ばす。

「その花、気に入った?」

不意に声をかけられて、悟空が顔を上げる。いつからそこにいたの

か、庭の中には穏やかな瞳をした女性が微笑っていた。

「これからお茶を入れるところなの…よかったら一緒にどう?」

まるでよく見知った人間を誘うような物言いで、悟空に笑いかけた

まま彼女はそう言った。

 

庭に面した大きな窓のある部屋に、女性は悟空を招いた。テーブル

には子供が好みそうな焼き菓子が並べられ、趣味の良い茶器からは

甘い香りの湯気が立ち昇っている。悟空はそれに遠慮なく手を伸ば

しながら、先刻の花へと目を向けた。

「あの花、何ていうの?」

「『紅つつじ』よ。ちょうど今が盛りの花ね。」

「ふーん…キレイな紅だね。でも、何だか…」

(初めて悟浄の髪を見た時も、すげぇ紅だなって思った…『燃えて

るみたいな色だ』って思ったけど…でもあの花の色はどっちかって

いうと…)

「まるで『血の紅』みたいって、そう思った…?」

悟空の思考を見透かしたような問い掛けに、反射的に悟空が視線を

戻す。困惑気味の表情の悟空に、彼女は薄く笑った。

「その感覚、間違ってないわよ。あの花の紅は『血の紅』なの。」

「……?」

「私の田舎に伝わる、昔話なんだけれどね…」

庭の紅つつじへと視線を向け、彼女は語り始めた。

────『血の紅』の、物語を。

 

 

ある祭の日の夜、男と女は出逢った。二人は一目でお互いに好意を

持った。しかし二人が住む村は遠く離れていたので、もう会う事も

ないだろうと、男はそう思っていた。だがそれから幾日かが過ぎた

とある夜更け、女は男の元へとやって来た。

幾つもの峠を越えて、息を弾ませ、両手に餅を握りしめて。

「餅…?何で餅なの?」

「最初握ってきたのはお米なのよ。それが男の元に辿り着く頃には

餅になっている…それは、女が懸命に走ってきたことの証なの。」

それから女は毎晩やって来るようになった。“一目逢いたかった”

と言い、突きたての餅を差し出して、女は笑う。少し戸惑いながら

も、男も不器用に笑い返した。

「…結局二人は、どうなったと思う?」

「へ?夫婦になって、幸せに暮らしたんじゃないの?」

当然のことのように、悟空は答える。彼女は切なそうに目を細め、

真向かいに座る悟空を見た。

「───殺したの。」

「え…?」

「男は女を、殺したの。それが、この物語の結末。」

次の晩も、そのまた次の晩も女はやって来た。細い足で、峠の道を

駆け抜けて。最初は笑って迎えていた男の顔が、日を追うごとに強

張っていった。男は思った。

女が一人で毎晩峠を越えてくることなど、本当に有り得るのだろう

か。しかもこの女はつらそうな素振りも見せず、いつも笑っている。

この女は本当に、人間なのか…?…否…

────こいつは『魔物』だ。そうに違いない。このままモタモタ

していたら、自分が殺される。

ある晩道の途中で待ち伏せた男は、峠を越えてやって来た女を、谷

底へと突き落とした。

「────!!」

「…やがて女が落ちた谷には、美しい花が咲くようになった。哀れ

な女の血の色を映したような…紅つつじの花が…ね。」

「…ひっでぇ男…」

何か苦い物を吐き出すかのように、悟空は呟いた。何故“一目逢い

たかった”と笑う女を、信じることができなかったのか。例え女が

本当に、人間でなかったとしても。その気持ちに嘘などあるはずが

ないのに。この男は、人間ではないという理由だけで悟空を弾き出

そうとする寺院の僧侶らと、何ら変わらない。

「そうね…確かにこの男は、臆病でどうしようもない馬鹿だけど…

でもね、やっぱり女もいけなかったのよ。」

「どうして…!?」

彼女の口から出た言葉はあまりに意外で、悟空は思わず荒げた声を

返してしまう。彼女は哀しげな瞳で微笑った。

「男はね…たぶん、怖くなっちゃったのよ…『魔物だと思った』だ

なんて、そんなの付け足し。自分に逢う為だけに、毎晩懸命に峠を

越えて走ってくる…そんな女の、狂気のような一途さが、男は怖く

なったのよ…。」

「…好きな人に、一生懸命『好き』って伝えるのは、いけないコト

なの…?」

こぼれ落ちそうなほど金色の瞳を見開いた悟空が、震えるような声

を絞り出す。女性は伏せ目がちに悟空をみつめた。

「難しいわね…一生懸命言わなきゃ伝わらないこともあるし…でも

やっぱりね、誰かと二人で長くやっていきたいと思うなら…相手が

逃げたいと思うほど、追いつめちゃダメなのよ…」

儚い声でそう呟いた彼女は、再び庭へと目線を移す。それにつられ

るように、悟空の視線も同じ方へ向かう。ひっそりと静まった庭先

では、『血の紅』の花が、風にそよいで揺れていた。

 

 

トボトボとした歩みで寺院に戻ってきた悟空は、小さく「ただいま」

と言いながら扉を開けた。既に一日分の仕事のまとめに入っている

らしい三蔵が、書類をめくっていた手を止めて顔を上げた。

「遅かったな。…それはどうした?」

「街で会った女の人に、もらった。」

「ふん…『紅つつじ』か。お前にしちゃ風流な土産じゃねぇか。」

部屋に入ってきた悟空の手に握られていたのは、先刻の紅つつじの

一枝。目の覚めるような鮮やかな紅が、三蔵の目を引いた。

「そろそろ夕飯だ。それ置いて、手洗ってこい。」

「うん…」

力なく頷いた悟空が洗面所に向かう。そんな悟空の後ろ姿を、三蔵

は訝しげな表情で見送った。

夕食の時もその後も、奇妙なくらい悟空は静かだった。三蔵が風呂

から上がってきた時も、洗い髪をしっとりと濡らしたまま、悟空は

ぼんやりと花瓶に生けられた花に目を向けていた。“悟空”と短く

呼ぶと、ピクッと肩を震わせて振り返る。濡れそぼった前髪の間か

ら覗く金の瞳が、淡く揺れていた。包み込むように、三蔵は右手を

その頬にあてる。

「何があった…?」

深く静かな声が、悟空の胸に響く。悟空は頬に触れていた三蔵の右

手を、そっと両手で握った。

 

ある日突然、差し出された手。世界で唯一つの、この人の手。

『狂気のような一途さ』と、花をくれた女性は言った。

だとすれば。

ひたすらにこの手だけを乞い、他の一切を受け入れられないこの想

いもまた、同じような『狂い』なのだろうか。そしてそんな想いは

やはり、目の前の相手を追いつめてしまうものなのだろうか。

だが、もしそうなのだとしても。

 

「…悟空?」

再び呼びかける声に、悟空が顔を上げる。悟空は今にも泣き出しそ

うな瞳で、しかしそれとは対照的な奇妙に大人びた表情を、三蔵に

向けた。

「…好きだよ…」

ほとんど声にならない消え入りそうな囁きの後、悟空は目を閉じて

三蔵の手の甲に唇を押しあてた。そのまま悟空は手を離さずに、指

先の一本一本に口付けを落としていく。それは何処か、無心に祈り

を捧げる殉教者の姿に似ていた。瞼を伏せてしまっている悟空には、

三蔵のやりきれないような表情は見えない。三蔵は半ば強引にその

手を引き剥がすと、次の刹那、悟空の小さな身体をおもいきり抱き

しめた。突然のことに、悟空が驚いて目を開ける。

「さん…ぞ?」

続きの言葉が紡がれる前に、三蔵は平素にはない荒々しい動作で未

だあどけなさを残す唇を塞いでしまう。一瞬だけ悟空はビクリと身

を震わせたが、すぐに目を閉じて応えるように背中に腕を回した。

 

 

いつもの悟空からは想像もつかないくらい頼りなげな腕が、一心に

三蔵に縋りつく。しかしそれでいて、ひとかけらの躊躇いも残さず

甘く緩やかにほどけていく細い身体の内側には、淵の無い水のよう

に、三蔵の存在自体そのものを捉え呑み込もうとする、鮮烈なまで

に強い「何か」が在った。そもそも身体の繋がりにさしたる執着を

持たない悟空は、半ば三蔵の熱情に引きずられるようにして、よう

やく反応を返すというのが常なのだが、今日は唇を噛みしめて声を

押し殺すことも、気恥ずかしさから目を逸らすこともしなかった。

かすれ気味の、何処か甘さを含んだ声は唯一人の名だけを繰り返し

紡ぎ、朧にけぶる金の瞳は空を彷徨うことなく、目の前の相手の姿

だけを映した。

『求めている』。理屈ではないところで身体が、心が、魂が、この

存在を形づくる全てが、唯一人の相手を求めている。強暴な嵐のよ

うに、自身すらを浸蝕していく想い。

この渇望の強さは、いつかこの人を壊してしまうかもしれないもの

なのだろうか。

最後の瞬間、悟空は祈るように目を閉じて、三蔵の額の深紅の印に

そっと口付けを落とした。

 

悟空の内なる葛藤を察しているかのように、三蔵は悟空が眠ってし

まった後もその身体を胸に抱き寄せたまま、繰り返し柔らかな仕草

で大地色の髪を梳いていた。その手の温もりに、閉じられていた瞼

がゆっくりと開く。悟空は視線を上げて、黄昏の空色の瞳を真っ直

ぐに見据えた。何かを言いたげなその瞳の色に、三蔵は無言のまま

“どうした?と問い掛ける。

「…三蔵は、あの花の話…知ってる?」

三蔵の胸に顔を埋めたまま、悟空はぽつりぽつりと話を始めた。

昼間彼女から聞かされた、哀しい花の物語を。

 

「……でね、お姉さんは言ったんだ。魔物だと思ったなんて、そん

なの付け足しだって。男は、女の気持ちが怖くなったんだって。」

不似合いなくらい静かな声で話を終えた後も、金色の瞳は逸らされ

ることなく、三蔵に向けられたままである。

「何だ…?」

「三蔵は…俺のこと、怖いと思ったことある?三蔵のことしか見え

なくて、三蔵の手しか欲しくない、こんな俺のこと…怖いと思った

ことある?でもそう思われても…きっと俺、自分の気持ちを止めた

りできないから…だからさ、だからもし、耐えらんないくらい怖く

なったら…そしたらさ」

悟空はそこで一度言葉を区切って、この日初めて、ひどく穏やかに

微笑った。

 

「そしたらその時は、俺を突き落としてもいいから────。」

 

不意打ちを受けたように、澄んだ紫暗の瞳が見開かれる。その瞳に

映り込んだ口許は、柔らかく笑んだままだった。

 

男に一目逢う為だけに 夜毎幾つもの峠を越えた女

握った米が餅になるほどに 息せき切って駆けていく女

その想いを“狂気”と呼ぶなら

それと同じ“狂気”は この身の内にも存在する

自分は唯一人 この『光』だけを待っていたのだから

自ら死ぬこともできず

五百年もの歳月の流れすら拒み続けて

この『光』に出逢うその瞬間だけを待ち続けたのだから

その妄執を“狂い”だと言うなら

この心はとうに狂ってしまっていたのだ

女もきっとわかっていた 

その想いが“狂い”だということも

それを男が恐ろしいと思っていたことも

全てわかっていても 駆けていかずにはいられなかった

唯一人想い続けた男に谷底へ突き落とされて なお

女は最期まで微笑んでいたに違いない

 

三蔵は急に身体の向きを反転させて、悟空の身体をシーツに縫い付

けるように押さえ込んだ。

「さんぞ…?」

「ふざけんな。笑って死んで終わりなんてそんな楽な結末、許して

やるわけねぇだろ。一人で悟ったような面してんじゃねぇよ。お前

は最期の最期の瞬間まで、俺に手を伸ばして、俺の名前を呼んで、

みっともないくらいもがいてみせりゃいいんだ。その想いが“狂気”

だと言うなら、そこまで狂ってみせろ。」

三蔵は痛みを感じるほど鋭い視線で、真っ直ぐに悟空を貫いた。

 

ある日突然 脳に叩きつけるように聞こえた声

俺だけに向けられた声

絶対に探し出してやると思った

例えそいつの在る場所が地の果てであろうと

必ず辿り着いてみせると自分に誓った

その時既に この想いは“狂気”となっていたのだ

 

大きく開かれた金の瞳から、はらはらと透明な雫がこぼれ落ちる。

三蔵はそれを唇で掬い取った。

「何故泣く…?」

「よく…わかんねぇ。でもたぶん、嬉しいから…だと思う…」

途切れ途切れにそんなことを呟いた悟空は、照れたように少々乱暴

な仕草で目元を拭う。少し落ち着いてから、悟空は自分から三蔵に

唇を寄せた。

「…ッ!!」

突然の痛みに、三蔵は咄嗟に顔を離す。唇の端には、じんわりと滲

んだ『紅』。

「痛かった?ゴメンな…でも…」

“三蔵の『痛みの紅』が欲しかったんだ”と悟空は淡く笑い、傷痕

を癒すように優しく舌で辿った。ほんの少しの間茫然としていた三

蔵は、すぐにその口許に軽い笑みを浮かべた。

フッと頭を下げた三蔵は、目の前にある細い喉元に容赦なく喰らい

ついた。悟空の口から、吐息だけの小さな悲鳴が漏れる。喉元を流

れ落ちようとする『紅』を、三蔵は柔らかく吸った。

微かに揺れる金の髪に、悟空が甘えるように指を絡ませる。促され

た三蔵が顔を上げると、どちらからともなく唇が重ねられた。

触れ合う舌先で、互いの『痛みの紅』が溶けて交じり合う。

 

 

その夜、二人が眠りについた後。白い褥に、『痛みの紅』を映した

花びらが一枚、音も無く舞い落ちていった─────。

 

 

                      THE・END

 

 

 

《戯れ言》

『三空エロ同盟』様 にUPして頂いたモノ。私の中では結構重要な

一作。それまでゴチャゴチャ考えていたことを吹っ切って、自分が

書きたいモノを書きたいようにやろうと思えるようになった、きっ

かけを作ってくれたというか…まぁある種の開き直りと言っちゃえ

ばそうなんですが(苦笑)。ウチの「ふたり」はもうこれでいいや

と(笑)。そんな境地になれました。

因みに作中の昔話は私のオリジナルではなくて、実在するものです。

但し中国の物ではなく、日本の昔話ですけど。

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