恋の仕方を教えて * 23

(用事が、できたので……?)
 携帯電話を片手に貴幸は動けずにいた。
 先週気まずい別れ方をしてから、貴幸と悟志は一言も話していなかった。だから貴幸は今日、悟志がどんな顔で来るだろう、どう接すれば良いだろうと不安にはなりながらも彼のことを待っていた。
 だが悟志はこうして短く断りのメールを入れてきたのだ。返事はまだ打てていない。
(用……。それって本当なのか? それとも口実?)
 いや、悟志に限って嘘を言ってくるなんてことはないだろう。とは思うものの、気まずい別れ方をした後にこうしたメールがくるという場合、大概は『用事』なんて作り上げたものなのだ。
(この前あんな別れ方をしたから、避けられてるのか――?)
 ……避けられている。その単語を思い浮かべた途端、きりりと細い糸で締め上げられたようだった。鋭く瞬間的で、そしてどうすることもない痛みである。
(避け……)
 もしかして、そうなのだろうか。悟志は貴幸がもう練習に付き合わないなどと言うから、苛立って顔を合わせないようにしているのだろうか。
 先週、悟志が見せたあの強い視線。貴幸は一人でそれを思い出していた。彼の瞳には迷いなどなく、故に貴幸を困惑させた。どうしてそんな目を向けてくるのかと。
 これから悟志は貴幸を避けるつもりなのだろうか。こうして、会う約束には断りを入れて、ふと会ったときには踵を返し、そして話もしてくれなくなるのだろうか。
(……嫌だ、そんなのは…)
 浮かんでしまった嫌な想像に携帯を握りしめる。同時に、嫌だと思う権利が自分などにあるのだろうかと、貴幸は自問した。
 あの日。彼への恋心に気づいた日。貴幸は前日まであんなに仲の良かった彼から、貴幸を大事に思ってくれる彼から、勝手に距離を置いたではないか。その自分からもしも彼が離れていこうとしたとて、貴幸にそれを拒む権利などあるものか。
 ぐらりと地面が揺れるようだった。悟志が、これから、自分を避けるようになったら。二年前に自分がしたように、いくら近づこうとしても入れないよう壁を立てられてしまったら。
 先週見せた悟志の眼差しがフラッシュバックする。貴幸は携帯を折り畳むと同時に瞳を閉じた。
 自分勝手なことを考えている。それに交流を再開してからもずっと貴幸は、悟志といくらか距離を置こうとしてきた。なのに、悟志が離れていくのが嫌だなんて。自己中心的にも程がある。うんざりしてしまう。
 それでも苦しさを抑えることができなかった。
 やはりどうしても、好きなのだ。悟志のことが。日を追うごとに会うたびに、悟志のことを好きになっているのだ。どうしようもなく。
(悟志……)
 不意に会いたくて堪らなくなった。今日は用事ができたというメールを見たばかりだというのに。それでも悟志にどうしても会いたかった。そして、叶うことならば謝りたい。今日までの自分勝手な振る舞いのことを。
 今更になって、悟志からこうしてメールが来てからようやく深くそのことを思うなんて、大馬鹿だ。
「……お兄ちゃん?」
 部屋のドアがノックされる。ハッと、現実世界に呼び戻されたように急速に意識が目の前の景色に向いていく。
 ノックの主は美幸だった。いつの間に扉の前に来ていたのかは分からないが、彼女が扉を叩く音はいくらか性急だった。焦っているようである。
「どうした?」
「あの、お兄ちゃん、ちょっといい?」
「……ああ」
 貴幸は扉を開けた。美幸は先ほど帰ってきたところなのか、未だ手に通学鞄を持ったまま、どこか不安げに貴幸を見上げていた。息が少し荒い。
「悟志くん、今日来る?」
「いや。……今日は、用事ができて来ないって」
「用……」
 なぜ悟志のことを、と思いつつ貴幸は答えた。言いづらく感じながらも。
 すると美幸は、考え込むような真面目な顔をして軽く指の爪を噛むのだった。焦っているときの彼女の癖だ。
(どうして悟志のことを? ――あ、もしかしてクラスで用があるって話でも聞いたとか……?)
 そこまで考えて、ふと思う。そうだ。美幸と悟志は同じクラスなのだ。つまり美幸は、貴幸の知らない悟志のことをいくつも知っているはずである。
「美幸。俺も聞きたいことがあるんだけど、いいか」
 衝動的に貴幸は口を開いていた。美幸が口元から指を離して貴幸を見る。
「……え、うん。どうしたの?」
「悟志、俺のところに勉強教わりに、来てたよな」
「……うん」
「悟志の成績って、本当に悪いのか? 教えてくれ」
「えっ」
 尋ねると美幸は大きく目を開いた。そして言葉に詰まったように眉を寄せ、視線を揺らがせる。明らかに何か知っている顔だった。いくらか語調を強くし、貴幸は言葉を重ねた。
「頼む。教えてくれ。俺、悟志のことが分からないんだ」
「お兄ちゃん……」
 美幸は困ったようである。だが言い淀みながらも、貴幸の真剣な様子に圧されて知っていることを語り出す。
「うん……。あの、悟志くん、本当は頭いいよ。すごく」
「…………」
「あっ、でも、悪気があって悟志くんがそれを隠してたわけじゃないの。ただ――悟志くんは、何て言ったらいいのかな……」
 予想していた通りのことではあったが、改めて聞くと衝撃的だった。ばらばらと、これまで悟志が勉強の途中で見せてきた姿が崩れていくように思える。貴幸が口を挟む隙なく美幸は彼を庇い、必死に説明をしてきていた。
「……お兄ちゃんが悟志くんとあんまり話さなくなったこと、悟志くんはすごく寂しがってた。……それは私も同じで…、美幸のせいで、あんなに仲が良かったのにこのまま話さなくなっちゃったら寂しいと思ってたの」
 当時の気持ちを思いだしたのか、美幸の声に切なさが混じる。
「美幸と悟志くんも、あんまり話さなくなってた。だけど、ある日たまたま帰りが一緒になったときに、勉強教えてもらったらって話が出て、……それで…。だから悟志くんは、うちに来るようになったの」
「……え?」
 それはつまり、悟志は貴幸に会いたい一心で嘘をついていたということだ。
 貴幸は強い衝撃を受けた。貴幸とまた仲良くなりたい、そのために勉強ができない『振り』までして悟志は来ていたのだ。
 悟志の行動の意味が分からないと思っていた。本当は成績が良いのなら、どうして貴幸のところへ勉強を教わりになど来るのだろう、と。まさか――まさかその理由が、貴幸絡みだったなんて。欠片も想像したことがなかった。
 美幸は貴幸が驚いているのを見て早口に言った。
「だ、だから何があったのかは分からないけど……悟志くんのこと、あんまり、怒らないで…。美幸も協力してたし……」
「……怒ってないよ。ありがとう、美幸」
 それだけ言うのが精一杯だった。美幸には先日のことは一言も話していないけれど、やはり貴幸や悟志の様子から思うところがあったのだろう。彼女の瞳は目一杯の不安で彩られていた。
 抱いていた大きな疑問が解け、貴幸は落ち着かない空虚感を味わっていた。そして新たに浮かび上がってくる謎もあった。悟志がそんなに自分との関係を大事に思ってくれていたなら、なぜ今日は来ないのだろう、ということである。何がそこまで彼を傷つけてしまったのか。
 目の前にいる美幸にそのことを訊いてみるべきかと考えているうちに、彼女は動揺の混ざった声で言った。
「それでね、お兄ちゃん。私が今、こんな質問……悟志くんが今日来るかって聞いたのは、さっき悟志くんの家の前を通ったときに――あっ、えっと、そっちの方向に住んでる友達の家にCDを借りに行ったんだけどね」
「ああ。落ち着いて話せ」
「うん。……家の前に引っ越しの車が止まってて、びっくりしてつい立ち止まったら、窓の向こうで段ボールに荷物をしまってる悟志くんが見えたの!」
「え? 引っ越しの車!?」
 ぎょっとして貴幸は大声を出した。つられたように美幸も声を張り上げる。
「そう……! そ、それで、もしかして悟志くんって引っ越すの? って驚いて、それで来たの。知ってる? お兄ちゃん」
「いや、今、初めて聞いたぞそんなこと! ……引っ越し? 何だそれ、一体、いつから……」
「そ、そっか……。そうだよね、分からないよね」
 動揺露わな貴幸に、美幸は残念そうに呟いた。
「直接、私がチャイム鳴らして聞いてくれば良かったかなあ。驚きすぎてつい、そのまま帰ってきちゃって……」
「そうか……」
 相づちを打ちながらも、貴幸の心は美幸との会話に向いていなかった。考えるのはただ、引っ越しという美幸の言葉についてだ。
 悟志が今日来ないのは、もしかしてその為なのだろうか。彼からこれまで引っ越しについて聞いたことなど、ただの一度として無かった。急すぎる。なぜ、どうして、どこへ越してしまうのか。一体いつ――。
 居ても立ってもいられなかった。拳を強く握り貴幸は決意する。
「……悪い、美幸。俺もう話してられない」
「え?」
「悟志の家、行ってくるよ。直接聞いてくる」
 美幸が驚いた顔になる。だがすぐにその瞳は、安堵と心配を含んだ色に変わっていった。まるで貴幸がそう言い出すのを期待していたかのように。
「うん。行ってらっしゃい」
「ああ」
 簡潔に返して貴幸は階下へと向かっていった。ジャンパーを羽織り、もどかしく靴を履く。
「行ってきます!」
 居間の母親に声を掛けながら駆け出した。悟志の家までのほんの数分の距離が、やたらと長いように思えた。
(悟志、……どうしたんだよ急に、引っ越すなんて)
 走りながら考えるのはただ、そのことばかりだった。

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