大財閥である華宮家に幼少の頃より仕えていることは、麗にとって大きな誇りだった。麗は子ども時代から華宮の雑務を手伝い、そのたび充実を感じていた。特に数年前に大学を卒業してからは、学業に気を取られることなく華宮への奉仕に従事できるようになり、主人の一人息子である葉弥翔の専属執事として篤く仕えるようになったのである。
麗の一家と華宮家の付き合いは長い。事業に失敗した麗の両親を華宮の主人が救ったのが今から15年以上も前のこと、恩義を感じた伊月一家が彼らに尽くすようになったのもほぼ同時期。そうしたわけで麗は幼少の折より華宮に忠誠を感じているのだった。 主人は麗がまだ小学生だった頃から、彼に華宮の跡取りとなる葉弥翔の面倒を見させてきた。だから麗はずっと昔から葉弥翔の傍にいたのである。はやと。変わった字面の名前を持つ少年は、今も昔も麗にとって特別な存在だ。ただ主人の息子だからというだけではない。葉弥翔は、麗が懸命に尽くすに値する気品ある御曹司だったのである。 高校2年生にしては未成熟な背丈に穏やかで甘いフェイス。微笑みは柔らかく、言葉は控えめで他人思い。ふわふわとした髪は透き通りそうに美しく、性格はややあどけない。――可愛らしくて堪らなかった。 昔から麗は融通の利かない性格で頭が良く、大人ですら扱いを持てあますような少年だった。その彼に赤ん坊だった葉弥翔は、にこりと愛らしく笑いかけてくれた。それは麗にとって衝撃的な体験だった。あの頃からずっと、葉弥翔は麗にとって誰よりも、主人よりも大切な存在なのである。 小学校、中学校と葉弥翔はいわゆるお坊っちゃん学校を無事に卒業し、現在は高校生。本人の強い希望により高校は一般人が多く通うところへ行くことになった。……ずっと、不安には思っていたのだ。そんな学校になんか通ったら、純粋な葉弥翔が周囲から悪影響を受けてしまうのではないかと。 予感は的中した。あれはほんの一月ほど前、めてたくも葉弥翔が二年生へと進級したばかりの頃のことだった。 「麗。僕、今のクラスに友達ができたんだ!」 嬉しそうに瞳を細め、いかにも幸せそうに葉弥翔が笑った。彼がそんなことを言うのは高校に入ってから初めてだった。何故なら葉弥翔のように高貴な育ちである少年が、粗暴なクラスメイトたちと話が合うはずがなかったからである。 「そうなのですか。良かったですね、葉弥翔様」 麗は静かに微笑みながら言った。あまり笑うことがないためにその表情は幾分硬くなってしまったが、内心では麗だって嬉しかった。 良かった、庶民が通う学校にも上品な生徒というものはいたのだ! 葉弥翔様が選んだご学友ということは、よほど家柄が良く礼儀正しい相手に違いない。そのように思ったのだ。 「うん。……それでね、実は今度、その人を家に連れてきたいんだけど。いいかな」 「勿論でございます。どうぞ、連れていらっしゃい」 窺うように、上目がちに葉弥翔が聞いてくるもので、麗は笑みを一層深くして頷いた。 葉弥翔は、執事である麗の欲目を抜いても大人しく優しく、愛らしい少年である。そんな彼が仲良くしているという同級生。きっと素晴らしい人物に違いない。麗は友人の来訪を楽しみにしていた。 力哉が初めてこの屋敷にやって来たときの衝撃を、麗は今でも忘れない。 ****** 友人の来訪を許可してからというもの、葉弥翔は毎日嬉しそうに彼の話をするようになった。 食事の際にも勉強の時間にも、瞳を輝かせて、その日に学校であったことを話し出す。 「力哉がね。あ、力哉って言うんだけど、その友達」 「『力哉』?」 にこにことして話し始めた葉弥翔の言葉を聞いて、麗はぴくりと反応した。品の良い彼が同級生を呼び捨てることなどこれまでになかったからである。 「そう。えっと、最初は高良くんって名字で呼んでたんだけど、呼び捨てでいいって言われたんだ」 嬉しくて堪らないように葉弥翔は笑っていた。あの穏やかな葉弥翔様がご学友を呼び捨てるなんて、と引っかかりを感じながらも麗は黙って話を聞いていた。 「それでね、力哉が今日、僕が階段で転んだら手を貸してくれて」 「何ですって! それはご災難でしたね、ご無事だったのですか!」 ぎょっとして麗は大声を出した。その反応に葉弥翔の方こそが驚いたようだった。目をぱちくりとさせて彼は答える。 「う、うん。力哉が助けてくれたから……」 「それは何よりです」 他人を身を挺して助けるなんて、どうやら力哉というその少年は優しい性格のようだ。ということは葉弥翔のように、控えめで大人しい学生なのだろうか。麗の中でどんどん、まだ見ぬ彼のイメージは膨らんでいった。家柄が良く、優しく頭が良く、穏やか――。そんな少年に違いないと。 早く会ってみたいものだと、麗は思った。 そして週末に彼は来た。 |