邪魔者排除奮闘記 * 1

 素敵なお屋敷、素敵な主人、愛らしいお坊っちゃま。
 執事である伊月 麗(いつき れい)には、それらの存在があるだけで毎日が幸せだった。坊っちゃんお付きの執事として、彼の成長を日々見届けるだけで満たされていた。今の生活に不満などなかった――そう、あの男が頻繁にこの屋敷の敷居を跨ぐようになるまでは。
 首を傾げ、愛しのお坊っちゃまが困り顔で言う。
「ここの問題、よく分かんないなあ」
 そんな問いに答えるのはこれまでなら専ら麗だった。仕方ないですね、いいですかと言いながら解説をする。それがいつものパターンだったのである。
 しかし。お坊っちゃん、つまり華宮 葉弥翔(かみや はやと)が今プリントを差し出した相手は、麗ではなく机の正面に座る『奴』だった。
「どれ? あー、これ、俺も分かんねえわ」
 憎き男は少し問題を見たなりそう言って、品もなく大声で笑う。傷ひとつない高価な椅子に遠慮なく肘をかけ、葉弥翔の大事な宿題用紙をぐしゃりと掴んで。――そんなことをして皺でもつき、葉弥翔様が答えを書きづらくなってしまったらどう責任を取ってくれるのか! 麗は嫉妬じみた八つ当たりを心の中で『奴』に向けた。
 憎きその男は、あろうことか葉弥翔に顔を近づけて談笑なんかをしている。いっそ白紙で出しちまうかあ、などとなまじ冗談とも思えない口調で言って、純粋で汚れのない葉弥翔を驚かせている。麗には文句を言い出さないように堪えることで精一杯だった。
「なんてなー、嘘、嘘」
「なーんだ!」
 顔を見合わせて二人が笑い合う。葉弥翔は密やかに、憎き男はげらげらと。
 麗に取って不愉快なのは、この粗暴な男の言葉それだけではなく、愛しの葉弥翔お坊っちゃまが奴の言うことを楽しそうに聞いていることもなのである。そう、今のように。
(ああ、葉弥翔様……っ! いけません、そんな男の言うことに耳を傾けては!)
 ぎりりと、麗は奥歯を噛み締めて悪魔のような男を強く睨み付けた。眼鏡越しの視線を感じたのか奴が顔を上げ、こちらを見る。そして乱暴な目つきを和らげ、大きく開いた唇を微笑みの形にして、ふと笑った。
(なっ――! ば、バカにして!)
 猛烈な怒りに麗は襲われた。どんな意図だか知らないが、この状況で笑ってみせた彼が、自分に勝利宣言か何かでもしているかのように思えてならなかったのである。
 ハヤトが今、一番頼ってるのは俺だぜ。伊月さん、あんたのことは俺の次になったんだ。暗に、そんなことを言っているようにしか見えなかった。悔しくて悔しくて堪らない。
「うーん。麗、分かる?」
 健気にも再びプリントの問題を解こうとしていた葉弥翔がついに音を上げた。駄目だあと言って困った顔をする彼のことが微笑ましく、麗はつい今の怒りも忘れ、彼からプリントを受け取った。
「見せてごらんなさい。……なるほど」
 白手袋越しに紙を拾い上げてすぐ、麗は嫌みったらしく鼻で笑った。簡単な問題だった。ついさっき、分かんねえわと言って諦めた『奴』に勝ったと、内心優越感でいっぱいである。麗の方がずっと年上なのだから分かって当然なのだということは、この場では置いておく。
「これですか。ええ、分かるに決まっていますとも。私はすぐに分からないと思考停止する、そこの彼とは違うのですから」
「それ、遠回しにハヤトのことも馬鹿にしちゃってるぞ」
 呆れ声でその男が突っ込んでくる。
「うっ」
 言われてみるとそうだった。どきりとして麗は硬直する。
 葉弥翔は彼の言ったことが面白かったらしく、口元を抑えてくすくす笑いを上げていた。
(こいつ――よ、余計なことを……!)
 余計に麗の心中は、彼への怒りで満たされた。
 ――彼。つまりは目の前にいる大柄で、見るからに乱暴そうなこの男、高良 力哉(たから りきや)へのどうしようもない苛立ちで。

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