イジメダメゼッタイ。 * 1

 俺の人生、どこでこんな風になっちゃったんだろう。
 レジを打ちながら佐伯が考えるのは、近ごろ専らそんなことだった。
 高校の頃は順調に生きていた。外見が良く不真面目な性格だった佐伯は、女子からは人気があったし、同級生の男子ともそれなりにうまくやっていた。彼女とデートして、友達とゲーセン行って、面倒な授業はサボってカラオケ。可愛い女子に手を出したらそれが付き合っていた彼女にばれて、それでもどちらも怒りもせず、あんな奴は捨てて私と付き合ってと言ってきたことなんかもあった。
「っしゃーませー。……あーしたー」
 それが今やどうだ。当時の同級生たちはそろそろ就職活動を始める時期の大学生だっていうのに、自分はこんなださい制服なんか着てコンビニバイト。つまらない単調な毎日。気を紛らわすために町へ出ても金がない。どうしようもない金欠で久々に実家へ帰れば、嫌な顔をされる。だから佐伯としても、奪い取るようにして財布から万札を抜き取り、さっさとまたアパートへ帰ることになってしまうのだ。
(社会が悪い。俺がこんな風なっちまったのは、社会が)
 今になって思えば、順調だった人生が転落したのは、高校時代のある日のことがきっかけだった。
 佐伯がスカウトを受けたのは、高校二年生の頃だ。ある休日、友人と町を歩いていたら年上の男が声を掛けてきた。何だよこいつ、道でも聞いてくるんじゃねえだろうな、かったりいと佐伯が思っている間に彼は懐から名詞を差し出し、こう言った。
「僕、こういうものです。ファッション雑誌作ってて。知ってる? この雑誌」
「うわっ、すげえ!」
 大声で騒ぎ始めたのは、佐伯本人ではなく、一緒にいた友人たち。……名刺に印刷されていたのは、若者ならば誰もが知っている有名誌の名前だった。
「君、格好いいしスタイルも整ってるよね。どう? モデルとか、興味ない?」
 わあっと周囲にいた友人が沸く。彼らは興奮したように佐伯と名刺へ交互に目をやり、肩を叩いてきたり奇声を上げたりした。
「へえ」
 当の佐伯本人としても、悪い気分ではなかった。自分の顔が平均よりずっと上だという自覚はある。そんな自分の元に、ついにスカウトマンが来たかという気持ちだった。
 にやにやしながら佐伯は名刺を見た。頭の中に、一気に将来像が描き出されていく。こんな有名な雑誌に、モデルとして載っちゃう俺。そしたら学校の女子たちがますます放っとかねえな、町中でも声掛けられて大変かも。ぶっちゃけ、この雑誌ってモデルのレベル、微妙だよな。その中に俺が載ったら、トップになっちまうんじゃねえの。しかも俺結構、歌とかうまいし。モデル続けるうちに歌手とか俳優にもなっちゃって、スター人生。
(やべ。悪くねえなあ、そういうの。マジいけるわ)
 ジャケットの両ポケットに手を突っ込んでにやつく佐伯のことを、編集者は確信を持って見ていた。断られるはずがない、と。実際佐伯は彼が望む通りの言葉を返した。
「けっこー、いいっスね。一回くらいならやってみてもいいスよ?」
 あの頃は良かった。そうだ。あの瞬間、佐伯はとうとう社会に認められ、華々しい未来への第一歩を踏み出したのだ。それが今はこんな風になってしまっている。脱色を重ねた髪は荒れ、最後にできた彼女には相当前に振られ。コンビニで、馬鹿な客どもにへりくだる日々。
(そもそもカメラの腕が悪かったんだ。くっそ、あの糞カメラマン)
 スタジオへ向かった佐伯は、スタイリストやカメラマン達に言われるままのポーズを取った。かしゃかしゃと幾度となくシャッターが切られる。言われた姿勢を取るだけというのは正直怠かったが、デビュー初日なのだ。仕方がない。そのうちに佐伯の好きに振る舞える日が来る。そう思っていた。
 しかし。撮影後に見せられた自分の画像は、自身が思っていたものとは全く違っていた。ぴんと真っ直ぐ立ちつつも悪戯っぽく崩したはずの体勢はただ腰が歪んでいて、オーラたっぷりに見下したつもりだった顔は、やけに鼻の穴がでかい。全てに渡ってそんな調子で、現場にいたスタッフの受けも微妙だった。
(あのときのカメラマンがなー、悪かったんだよな。スタイリストの野郎も、俺に似合わねえ服なんか着せやがって。あいつらがちゃんと仕事してれば、俺は今頃)
 今でも佐伯はそう思っている。それでも、雑誌が発売されたときには反響があった。ぽつぽつと撮影の依頼はあったし、校内での立場もますます良くなった。ださいメガネくんの彼女奪って、からかい甲斐のあるクラスメイトを散々いじめて。そんな遊びも随分とやったものだった。
 スタッフの腕が悪いせいで掲載される写真はいつも微妙で、次第に仕事も減ってきたが、それでもじきにトップクラスの誰かが俺を見つけて大型企画に起用してくれる。それで俺は、一気に有名になるはずだ。心からそう信じていた。だから受験勉強など全くせず、どれだけ教師に言われても、就職活動なんかもしなかった。おまえ、それじゃ無職なんだぞ、分かっているのか! 生活指導の教師はそう怒鳴ったが、あのじじいは何も分かっていない。佐伯は無職じゃない。モデルなのだ。
 けれどいざ卒業してみても、一向に仕事は増えなかった。ただ減っていく一方だった。最後にモデルとして働いたのは、高校を卒業した一年後くらいまで、つまり今から2年以上も前のことである。現場の奴らは態度が悪く思い上がった佐伯のことを切ったのだ。
 次はいつ仕事が来るかと待っていた佐伯も、さすがにいつまでもただ待つだけというわけにはいかない。生活費を稼いでいかなければならないからだ。働きもせずに日々を怠惰に過ごす佐伯のことを、両親はじきに追い出していた。一人暮らしには金が掛かる。仕方なく佐伯はアルバイトを始めたのである。
 そのうちに俺はビッグになる。あの雑誌のスタッフがアホなだけなんだ。そう言い続ける佐伯のことを、彼女も友達も次第に見放していった。今になっても続いている交友関係は、頭の悪い仲間ばかり。そして冷静に考えてみれば今の自分は、高卒のコンビニバイト。こんなのはおかしい。佐伯の予想では今頃、自分はもっと大物になっているはずだったのに。
(そもそもさあ、モデルとかも、会社に就職するみたいに固定給とかあればいいんだよ。一回いくらなんて状況じゃ生きてけねえって。……うわ、政治のこと考える俺、頭よくね?)
 そんなことを考えながら、客に頭を下げ、商品の陳列をして、言われた通りの煙草を棚から取る。
(……何で俺、こんな生き方なっちまったんだろう)
 考えずにはいられなかった。どうしようもなくむしゃくしゃとする。
 高校の頃にはこんな気分のとき、同級生をいじめて鬱憤を晴らしていたものだ。あの遊びは面白かった。例えば昼食のとき、相手が持ってきた弁当にコーラをぶっ掛けてやったことがあった。
「良かったなあー、白米に味がついたぜえ? コーラ味! ほら、人参もコロッケもコーラ味。喜んで食えよお」
 やられた相手は真っ青になっていた。母親が愛情を込めて作ってくれた弁当をこんなことで残すわけにはいかないと、佐伯を無視して食べようとし始めた。その姿にむかついて、佐伯はそいつが持ってきていた水筒をひっくり返し、コーラを掛けた弁当の上に更に味をつけてやったっけ。
(あいつの名前、なんつったっけ。何だっていいけど。また、誰かをいじめるきっかけでもできねえかなー)
 いじめを始めたきっかけなんて単純なものだった。佐伯の『お気に入り』は二人いたけれど、そのうちの一人は特に下らない理由でいじめが始まったのだ。
(チンコがデカかったんだよな、確か)
 プール授業の前、着替えの際に、たまたまそれが見えた。そのことでからかったら反応が面白かった。だから、それから会うたびに彼を揶揄するようになったのだ。
「よう、デカチン。おまえのチンコ、扱きすぎてでっかくなったわけー?」
「おい、逃げんなよ、デカチン! おまえなー、そんなんだから女子にモテなくて、オナニーばっかすることになるんだぜ?」
「おまえ、普段チンコどっちに寄せてんの? 寄せてる方だけズボン太くなっちまうんじゃねえの?」
 女子がいようが気にしなかった。最初はちょっとしたからかいだったけれど、それが段々エスカレートしていったのだ。周りの奴らはくすくす笑ったり、佐伯に加勢したりしていたっけ。当時は彼の他にももう一人いじめていた相手がいたから、毎日楽しかった。
(あーあ。あいつら、今頃何してんだろ。久々に会ったら、また遊んでやってもいいんだけど)
 楽しいことを考えていたら、落ち込む気持ちが少しだけ愉快になってきた。さて、面倒くさいけどそろそろ店内の清掃でもしなくては。
 そのときだった。入り口の自動ドアが開いたのは。
「らーっしゃせー」
 レジから声を掛ける。客は、佐伯と同年代の男二人組だった。眼鏡を掛けた生真面目そうな男に、爽やかな笑みを浮かべた男。タイプは違うけれどそれぞれに美形で、いかにも人生うまくいっていますという表情をしていた。
(ち、つまんねえ)
 早く出ていけばいいのに。やっかみを込めて佐伯は思った。そのまま何となく彼らのことを目で追ってみる。そしてすぐに、目が合うことになった。彼らはよそ見をすることもなく真っ直ぐに佐伯のレジへと来たのである。もうとっくに外は暗い。店員が一人しかいない時間帯なのだ。
「しゃーせー」
 客に対して無視をするわけにもいかないので、仕方がなく再び挨拶をする。二人は視線を交わし合って笑った。何だか嫌な雰囲気である。
(ち。煙草か切手か知んねーけど、さっさと出てってくんねえかな)
 佐伯がそう思ったときだった。
「あのお」
 二人のうちの、爽やかな方。髪を適度な明るさに染めた男が、にこりと笑みながら声を掛けてきた。
「はい?」
「ちょっと、お話があるんですけど宜しいでしょうか?」
「はあ? 何スかあ?」
 面倒くさい。佐伯は思わず顔を軽くしかめてしまった。すると残ったもう一人、眼鏡の方が、ふと口の端を上げた。そして周囲の客に聞こえないよう、顔を寄せて耳元で。
「実は私たち、テレビ局の者なんですよ。ただ今、次世代を担うスターを探しているんです。そんなとき、こちらに佐伯さんがいらっしゃると知ったもので」
「え!」
 佐伯は目を瞠って声を上げた。――テレビ局! しかも、自分のことを知っている!?
「実は僕たち、佐伯さんがファッション誌でモデルをやってた頃からのファンなんですよお」
 明るい方が愛想良く笑いながら言った。期待にドクンと大きく心臓が鳴る。
(っちょ、これ! もしかして、ついに来たんじゃね!?)
 いつか、自分は有名になる。ずっとそう思い続けてきたが、その『いつか』は今日だったのではないだろうか。興奮を伴った眼差しで佐伯は彼を交互に見る。しかしそこで、はたと気がついた。
(いやいや……、本物かどうか、分かんねえし)
 馬鹿な奴だったらここでコロリと騙されてしまうのだろう。だが、佐伯は違う。相手が自分の過去の活動を知っていたからといって、そんなに簡単に信じたりしない。そう、まずは話からだ。
「ぜひうちの看板になっていただけないかと思って、本日は伺ったわけです」
 眼鏡が営業スマイルを浮かべた。佐伯はそれを手で押し留める。
「いや、待ってくださいよ。んなこといきなり言わんても、どうしようもねえし。まずは詳しい話からっしょ」
「ああ、そうですね。……しまったな、名刺を忘れてしまった」
 男が困ったように眉を寄せる。残った一人がぽんと手を打った。
「そうだ。それでは、こうしましょう。メモにこちらの住所を書いておきますから、ご興味があれば後ほどここまで来てください。お仕事はいつまでですか?」
 ほら、いい流れになってきた。佐伯はあっさり甘言に乗るような奴ではないのだ。
 それから少しの挨拶をして、メモ用紙にアパートの一室らしき住所を書くと、男たちは帰っていった。
 今日のシフトはあと二時間。だが、うずうずとしてしまって仕事が手に付かない。だってついに待ちわびたチャンスがやってきたのだ! とてもこれ以上、コンビニになんかいられない。話の内容次第では、ここでのバイト生活とももうおさらばだ。
 佐伯は控え室に引っ込むとバイトの同僚に電話をした。そして、急用ができたから今すぐシフト変わってくれ、20分だけ待っててやるからと告げた。あまりに突然の話に相手は呆然としていたが、20分以内に来なかったら店内無人になるぜとだけ告げて通話を切る。最後に相手が怒ったように何事かを言っていたが、そんなもの聞いていられなかった。

******

 結局彼らが帰った30分後には、佐伯はメモ用紙に書かれた住所へと足を運んでいた。
(ここか)
 胸が逸る。目の前にはインターホンがあった。これを鳴らせば、中から先ほどの男が出てくるのだ。そして仕事に関する話になる。幾分緊張しながら、佐伯はボタンを押した。しばらくして、柔和に微笑みながら二人が出てくる。なぜアパートの一室なのか、どうして二人とも揃っているのか、などという疑問は浮かんでこなかった。
「あのー」
 そこで言葉に詰まってしまう。何を言ったものだか分からなくて。そんな佐伯の背を優しく抱き、眼鏡の男が室内へと連れて行く。もう一人がその間に、鍵を閉めた。
「よく来てくれましたね。待っていましたよ。さあ、どうぞ」
「今、お茶を入れますから。くつろいでください」
「あ、はい」
 物の少ない部屋だった。冷蔵庫やベッドはあるけれども嗜好品の類は一切ない。すげー、テレビの人ってこういうところに住んでんのかあと、訳もなく感動する。それからじきにカップに入った茶が差し出された。
 軽く会釈して佐伯はそれを受け取った。本来ならこちらがここまで気を遣ってやる必要はないが、これから長い付き合いになるかもしれない相手なのだ。ちょっとくらい優しくしておいても損はない。
 飲んでくださいと手で合図され、佐伯はそれに口をつけた。緊張しているからなのか喉が渇いていて一気に飲んでしまう。
 彼らは、にこにことしながら佐伯のことを黙って見ているだけだった。いつになれば仕事の話が出るのかと待っていた佐伯だが、彼らにはなかなか話す気配がない。しばらくして佐伯は痺れを切らした。
「あのー、さっきの話なんスけど」
「さっきの話?」
 男が、語尾を上げて繰り返す。
「それって、何の話でしょうか?」
「えっ」
 驚きすぎて、逆に佐伯は小さく呟くことしかできなかった。それから狼狽しつつ、いや、と薄笑いを浮かべ彼らに話しかける。
「何のって――そりゃ、もちろ、テレ……」
 くらり。話している途中で不意に、頭の中身を揺らされたような、不安定な感覚に襲われた。あれ、おかしいなと頭に手を当てるもそれは収まらない。むしろ余計に、意識が根本から引っ張られていくような、抗いようのない強い力が――。
「テレ、……び…」
 それを実際、声に出すことができたかどうかは分からない。知らないうちに佐伯は意識を手放していた。ばたんと床に倒れ込む。
 穏やかな表情をしていた二人が、その様子を確認したなり見る見る険しい顔をし、瞳に怒りを揺らめかせたことなど佐伯には知る由もない。彼らは舌打ちをしてから、乱暴に吐き捨てた。
「馬鹿で助かったぜ。高校時代の屈辱、たっぷり晴らしてやる。佐伯……!」




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