風呂に向き合って入ると、さすがに狭い。軽く膝を折った彼女の足の間に、同じように軽く膝を折った自分の足を入れる。シャワーを浴びている間に溜まっていた風呂の量はちょうど良く、肩までつかると曲げた膝頭が泡の中から見え隠れする。
 「うー、きもちいいー」
湯の中で肩をもんでいる彼女は昔のような線の細さはなく、むしろ頼れる母のようですらある。
「恵理、疲れてるね」
「仕事以外にもほら、例の部長がさー」
「ああ…また何かセクハラされたわけ?」
「たいしたことじゃないけどねー。暗に拒否ってるんだけど、肩抱いてきたりしてさ。愛人にでもしたいのかね?」
彼女は言いながら白い泡を手のひらに山のように盛ってはクシャリとつぶすことを繰り返している。
「奥さんいるんだっけ?まあそれで夜誘ってくるならそうなんじゃない?」
「ホント面倒…金にもなんないしマイナスしかないじゃない。適当にお店で解消すればいいのにね。」
そう言って、ふー、と手のひらの上の泡に息を吹きかける。いくつか泡がシャボン玉のように舞い上がるが、ほとんどの泡が塊のまま私の方に飛んでくる。
「わ、ちょっとやめてよ!」
「ごめん、結構飛んだね」
顔についた泡を手で拭っていると、ふとその手を彼女にとられる。片手を挙げたような状態で、つかんでいるのとは逆の手で胸元を触られる。
「ちょっと消えてきた?かな?」
彼女が触っていたのは胸元についていた縄跡だ。紫色だった痣は大方消えて、黄色く変色している。
「見えそうなところはヒルドイド塗ったから結構治りが早いかも」
「ふーん」
つかまれていた腕をはなされ、そのままパシャリと水面に落ちる。
「…由美ちゃん、いつまでやる気?」
「この仕事?」
あたたかなはずのお湯の中で、背中がひやりとした。
「やめても多分風俗だよ?」
「ほかにしたいことないの?」
したいこと、と聞かれても考えたことがない。生活の手段としてできる仕事をするだけだ。
「学歴ないから資格でもとらないと、他の仕事なんてムリじゃない」
「私もいるしさ、お金あるんだし、資格取ればいいじゃん」
ちゃぷ、とお湯の音を立てて彼女がにじり寄る。ゆれて泡が浮き上がり、はじける。
 彼女はいわゆるカタギの仕事をしはじめてからそんな事を言うようになった。
「頼ってくれてもいいんだよ」
のしかかるように近づいて、頭を抱えられてキスを受けとる。絡まった足がすべり、膝が泡に筋を描く。合間に、由美、と名前をつぶやいて、彼女は何度も私にキスをする。覗き見る彼女の顔は火照っているが真面目なもので、濡れた髪がしずくを纏ってキラキラと光っていた。徐々に深くなるキスを受けながら、私は目を閉じて視界をふさぐ。
 彼女はキラキラしていた。あの店で見たときからそう思っていた。私はいつだって暗いところからそれを見ているだけだった。彼女は明るいところから私に手を差し伸べてくれるが、その手をとったら私も明るいところにいけるのだろうか。
「…ちょっと考えてみようかな」
「え、資格?」
顔を離して目を開けつぶやくと、笑みを浮かべて彼女が聞き返してくる。
「なんかとりあえず、取るだけでも」
「うん、そうしなよ!なんなら学校行ってもいいかもね。」
そう言って彼女は噛み付くように鼻の頭にキスを落としてざばりと立ち上がった。
「うー、のぼせそう!続きは寝室で!」
浴槽から泡をまとった彼女が出て、シャワーで体を流し始める。
「先にあがるね、飲み物用意しとくよ。由美ちゃんビールでいい?」
彼女はうなづく私を見て笑顔で浴室から出て行く。
 私は浴槽に沈んだまま、動かずにそれを見届けた。結局私は両足とも闇にとらわれていて動けない、そんな錯覚にとらわれる。ぬるくなったお湯は泡が消え始め水中のふやけた足が覗いていて、それはただの錯覚だ、と振り切るように足に力をこめてざばりと音を立て浴槽から出る。
 体についた泡を落とすためにシャワーを浴びる。たとえば介護士だとか、資格を取るとして学校に行くのならいくら位かかるのだろうか。短期間で学費を稼ぐなら、またひとつNGをはずしてもいいのかもしれない。あと残っているのはスカトロか…そんな考えに至ったところで、シャワーを止め、浴室を出る。それよりもとりあえず今は、冷たいビールを飲んで、夕飯を食べて、彼女との夜を楽しもう。

 足に絡まっていた泡ははじけて、排水溝に円を描いて吸い込まれて消えた。







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20120822








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